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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第五部 いばら姫
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いばら姫 1

その「依頼主」は、もやに包まれており、詳細な事情は全く分からなかった。

ただ、契約成立が可能な依頼であることだけしかわからない。

ペルは「依頼主」のいるらしい、いばらに覆われた城に向かうのだった。

その4 いばら姫 1


 魔女の「母」たるオパールの元へ行くという事は、たいがいの魔女にとっての死を意味する、とゴルデンは言った。それは嘘ではない。

 今でもわたしは、異空間の扉からオパールの空間に引きずり込まれかけた瞬間を生々しく覚えている。

 柔らかく誘うような声。

 ノブに手をかけた瞬間、全身に響き渡った警鐘――。


 (『扉』からオパールの元に行くことはできない)

 だから、やはり旅を続け、異空間ではなく、現実の世界でオパールの元にたどり着かねばならなかった。

 

 (この、今わたしが足をついている、現実の世界でオパールの元にたどり着いたとして、生きていられるのか)

 ……その自信も、根拠もない。

 あるのはただ、師の導きだけ。ここに来い、来るのだ、という――。




 「今も、西の気配を感じることがあるのか」

 ゴルデンが唐突にきく。

 車窓からぼんやりと景色を眺めていたわたしは、現実に引き戻された。顔を上げると、ゴルデンが窓枠に頬杖をついている。

 

 ゴトゴトゴトゴト……。


 白昼の荒野には、蔓性の植物が繁殖しており、ほとんど海のようになっている。

 もとは灌木がぽつりぽつりと生えているだけの、殺風景な荒野だったのに違いないのだが、棘の生えた強靭な弦が、宙に浮きあがる勢いで生い茂っているのだ。風が吹いてもさざ波ひとつ立たない、深緑の湖である。

 

 

 わたしは視線を車窓に戻した。

 「……導かれている感じは、まだある。だから東へ向かい続けているのだが……」

 確かに、師の導きは感じていた。今までの、途切れ途切れであり、非常に弱く不安定なものではなく、もっと鮮明に、もっと強く引き寄せられている。

 それは、旅の先々で瞬間的に聞こえる重々しい太鼓の音であったり、鋭いトラメ石の閃光が目の前をよぎるなどの合図としてわたしに届けられるのだった。

 その合図のおかげで、わたしは自分が間違いなく師のもとへ近づいていることを知るのである。この方向で間違いがない、このまま行け、と師が告げているのだ。

 

 言葉途中で黙り込んでしまったわたしを、ゴルデンが無言のうちに促している。

 「当てのないことには変わりがない。どれくらい東に行けば良いのか」

 わたしは逆に質問をぶつけることにした。

 「……あなたには、分かっているのではないのか、ゴルデン」

 視線を走らすと、ゴルデンは頬杖をついたまま頬を緩めた。苦笑しているらしい。


 ゴトゴトゴトゴト……。


 「『母』の居場所は、本来、誰にも分からないものだ」

 大魔女であっても。

 ゴルデンは頬杖をやめた。座りつかれた、と呟きながら猫のように伸びをし、腕を組んだ。紫の瞳がわたしを正面から見据える。

 「……西の大魔女が『母』の元にいるということは、異常なことなのだよ、愛弟子よ。この世にはあまたの魔女がいるが、大半の魔女がこの異常を知らずに安閑と過ごしている」

 自分の放った言葉を、わたしがどれほど深く理解しているのか試すような目だった。

 不意にわたしは思い出す。

 あの、幻想の家の中で、野苺に汚れた床の上でゴルデンが吐いた言葉を。


 「西が『ああいう状態』でなければ、俺のほうから吹っかけてやったところだが 」


 ああいう状態。

 わたしはゴルデンの視線を跳ね返した。わたしに謎をかけるのは、師だけで充分である。

 

 師に何か異変が起きている。

 それで、ゴルデンはあの場で師に攻撃を仕掛けなかった。今のゴルデンの言い方からして、師の異変と、師が「母」オパールの元に身を寄せ続けていることは、無関係ではなさそうだ。

 わたしの表情を呼んで、ゴルデンは目を細めた。猫が喉を鳴らしているような満足げな様子である。

 「……どうやら、思い当たったようだな」

 「では、やはり」

 思わず身を乗り出すわたしを、ゴルデンはうるさそうに横目で眺めた。再び頬杖をつき、視線を窓の外へ送る。

 汽車は荒野を走り続けている。相変わらず、いばらの弦の深緑の海が続いていた。

 彼は、軽い溜息をついた。


 「……時間がない、とおまえに告げたであろう。西は」

 わたしは頷いた。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。


 ゴルデンは視線を窓の外にやったまま、独り言のように呟いた。

 「……いまいましい」

 西め。

 ……ゴルデンは呟くと、微かに歯ぎしりした。

 

 (ああ、まただ)


 師に対する暴言もそうだが、わたしにはゴルデンからにじみ出る激しい焦燥のほうが気になった。

 冷たい表情を保っており、平然と振舞ってはいるが、ゴルデンは焦り続けている。時としてその焦りは爆発し、怒りの形になって放出される。

 今ならわたしには理解できるのだ。

 ……彼は、これまでずっと異常なほどに焦っていた。恐れ、といっても良い。

 東の大魔女、この気の強いゴルデンが恐れるほどのことが、ある。

 たぶん、「世界」にも関ることで。


 「なにを、見ている」

 低くゴルデンが言った。


 まもなく、次の駅である――。


 

 ……出して。


 ここから。



 ……。


 うとうとしていたらしい。浅い眠りから、わたしは呼び起こされる。それは「依頼」だった。


 (出して。ここから出して)

 ……ドン。

 ドンドン、ドン……。


 何を叩いているのか。扉か壁か。

 激しい騒音が頭の中でこだまになり、わたしは片手で頭を押さえる。

 ドンドン……ドン。

 攻撃的なほど強く叩いている。その音は妙にこもり、「そこ」が、窓ひとつない密閉された空間であることを想像させた。

 

 ドン。

 (……お願い、出して)

 ドンドン。

 (ここから出して、出して)

 ……。


 わたしの外側から、内側から、同時にうち叩かれるような感覚だった。

 胸を打ち抜かれるかと思うほどの衝撃が、たてつづけに襲って来る――わたしは息がつまり、歯を食いしばった。……非常に、切羽詰まった「依頼」であり、しかもここには魔法が絡んでいる。

 ……これは、なんの魔法だ。


 ドン。ドンドン――ドン。

 (お願い――)

 ドォン……。

 「う」

 体の内側から空気が一気に叩きだされ、わたしは前のめりに座席から滑り落ちる。

 

 (お ね が い)


 強い腕に抱き取られて、わたしは再び座席に戻された。背もたれに上体を預け、必死に息を吸い込もうとするが、次々に来る「依頼」の思念のために、わたしは体に酸素を取り入れることがなかなかできない。

 「落ち着け」

 耳元でゴルデンの声が聞かれた。

 

 ドゥン、ドンドン――。

 (出し……て)


 ぐふっとなけなしの空気の塊がわたしの中から吐き出され、頭の中が朦朧となった。

 白手袋の手が閃光のように走り、わたしは頬を張られる。

 「よく聞け、これはまやかしだ。『依頼』から受ける衝撃は、まやかしなのだ――」

 ゴルデンは耳元でささやき続ける。苦しい。わたしはかぶりを振ったが、また頬を張られる。

 

 目の前に、古い城が見える。

 古い――いにしえの昔の建物らしく、石を積み上げて作られた、重々しい城。

 その城がどうして深緑色なのか、最初わたしは分からなかった。

 だが、次の衝撃が来た時、朦朧とした意識の中に一つの答えが浮かんだ。


 ドン……。


 (いばら、だ)


 恐ろしい程の量のいばらが、城に巻き付き、ほとんど覆い隠すほどになっている。

 城だけではなく、城周辺の一帯まで、いばらは猛威を振るっていた。

 人が決して近づくことのできない、いばらの城――。


 (出して。出して。だ し て)


 そこに、「依頼主」はいる。

 だが、どんな人物だ?

 ……こうまで苦しくては、意識を集中させることができぬ。わたしは無我夢中で手を伸ばし、何かを掴んで引き寄せた。

 

 グッと背中を引き寄せられ、顎を上向けられて気道を開かされると、強い空気がわたしの肺に吹き込まれた。

 ふっ、ふっ、ふっ。

 三度。


 ……。



 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。


 汽車は一定の速度を保ち、走り続けている。

 わたしから顔を離すと、ゴルデンは眉をしかめてわたしの手を掴み、自分の腕から振り払った。ちらっと紫の目でわたしを確認すると、元通り座席に座る。

 わたしは茫然として、思わず唇に触れた。


 「拭って唾をはいたりするなよ」


 非常に嫌そうにゴルデンが言った。

 (あれはあれで、傷つくものだ……)

 

 肺に吹き込まれた空気に、守りの魔法が込められていたのだろうか。不思議な程安楽に呼吸ができるようになっている。相変わらず(ドン、ドンドン)「依頼」からの衝撃は続いているのだが(……ドン)、身の危険を感じるほどの鋭さはなくなっていた。


 乗客はまばらで、我々の付近に人目はなかった。

 

 「ウイスキーが、切れていたのだ」


 ゴルデンは頬杖をついて窓の外を眺めている。

 わかっている、と、わたしは答えると、目を閉じて「依頼主」を調べ始めた。


 

 美しい、非常に美しい娘の姿をしている。

 白く抜けるような肌と、バラ色の頬をしており、目を見張るような青い瞳をしている。

 古風なぎょうぎょうしいドレスをまとっており、目を見開いて腕を広げ、必死になって何かを伝えようとしている。


 ところが、この依頼主の口から、具体的な言葉が聞かれない。

 ここから出して、という思いは伝わるのだが、それ以上のことは、どうしてもぼんやりとかすみ、まるで霧の中にいるようなのだった。

 いばらの城の中で、この娘はとじこめられており(城のどこでだ? この城は非常に広い……)少なくとも自力で出ることができない状況に置かれていることは分かる。


 わたしは息を深く吐くと、この人物の運命の縮図を調べ――そして、結論する。


 「この『依頼』は、契約成立可能なものだ……」


 だが、一体、どのような「依頼」なのか、とんとわからない。

 出して、だけでは何も……。


 (とにかく、依頼主の元に行くしかない)


 ドン、ドンドン……。


 ゴルデンからもらった守りの魔法のおかげで、あのうち叩くような音と衝撃は、少しわたしから離れてくれている。

 わたしは目を開いた。ゴルデンが横目でこちらを見ている。


 「師やオパールとは、なんら関係がなさそうだが」

 わたしは言った。

 「……これが成立可能である『依頼』である限り、わたしは行かねばならない」

 あなたはどうする、と、問う。もし関与する気がないのであれば、今ここで封印を解きワンズを返してくれまいか。


 ゴトゴトゴトゴト……。


 

 ゴルデンは溜息をつくと、正面に向き直った。いつになく真顔だった。

 感情を込めない声で彼は答えた。

 「忘れているようだな。おまえは、俺のものだ」

 「……」

 「『印』を授けた対象を、放置することはできない」

 

 『印』には、授けた側と授かった側の、契約が絡む。

 あのおぞましい「儀式」は魔法の力で行われたものであり、そうであるからには、当然契約が発生しているはずだった。わたしはそこを忘れていたのだった。


 (契約……)

 わたしと、東の大魔女の間の、契約。

 何の契約か。

 契約内容が分からないなど、それこそ詐欺ではないか、ゴルデン――。


 白い額に手袋の手を当て、ゴルデンは目を閉じた。

 「貴様にとって、不本意と感じているかもしれないが、俺にしても、けっこうな負担だ」

 それは、どうやら彼の本心らしかった。わたしに釘をさしているつもりなのかもしれない。


 

 唐突にわたしは思い出した。

 血玉石の家で教示を受けた内容である。

 彼女は体についての仕組みを簡潔に教えてくれたのであるが、ゴルデンの使った複雑で、高度な魔法の儀式については触れなかった。

 ただ、その儀式が意味する現実の行為と結果が分かっただけであるが、最後に血玉石はどう言っていたか。


 「印」を授かるということは、人間でいうところの、種を受けるという事だ。

 わたしの中には、あの儀式以来、東の大魔女の一部が根付いている。それはわたしの深いところで眠り続けており、固く、冷たく押し黙っておりほとんど存在感を主張しない。……芽吹くことは、どうしても考えられなかった。

 一度種を授かっただけでは、必ず発芽するわけではないことも、血玉石は軽く説明していた。

 

 わたしはかぶりを振った。

 得体のしれない部分の事を考えても、どうにもならない。ただ、つくづく思うのは、なんという儀式をしてくれたのだということばかりだ。

 ゴルデンも同じ気持ちなのだろうか。

 (なんという儀式をしてしまったものか――俺の最大の失策だ)

 ……そう考えているのかもしれない。

 だが、目の前の少年はただ無言で腕を組み、目を伏せて、駅に到着するまでのわずかな間、少しでも体を休めようとしていた。淡々とした表情とたたずまいで、そこには何ら、感情の乱れは感じられなかった。


 

 到着した。

 無人駅である。

 その村は、陰鬱にさびれており、いかにも閉ざされた様子であった。我々は木造の駅を出ると、牛馬の糞の匂いが漂う石ころ道に足を置いた。

 暗雲が垂れ込めており、今にも降り出しそうである。

 いやな天候に、わたしはどこか、変だと感じる。

 「この天候は……」


 ゴルデンは、眉をしかめて空を睨んだ。

 わたしの呟きを聞き逃さず、頷いて答える。

 「おまえの感じている通りだ」


 どこでも見られるような天候だ。……暗雲が垂れ込め、雨が今にも降り出しそうな空模様は、不思議な現象ではない。

 問題は、それが一時的なものかどうか、である。

 もうもうと肌に浸みこむような魔法の気配は村全体を覆っており、その気配は酷く湿気を含んでいた。水っぽい不快さな空気の中には、微かな酸っぱさも含まれている。


 この村は、常に天気が悪い。

 悪天候を呼び寄せ、半永久的に定着させるほどの強烈な魔法が使われているのだ。

 (しかし、何のために)

 悪天候の元に村を曝したとして、得があるとも思えないのだが……。

 

 (だし、て……)


 声が近い。

 わたしは集中しようとしたが、やはり「依頼主」の具体的な声や状況は分からなかった。もやがかかり、彼女の姿を覆い隠している。このもやこそが、魔法だ。

 「依頼主」は、魔法に覆い隠されている――。


 

 カラカラ……。



 軽快な音がした。何かがから回ってるような、馴染みのない音だ。

 

 カラカラ、カラカラ……。


 ふいに映像が浮かび上がる。もやの中で、それだけがくっきりと見える。

 丸いものが、くるくると回っており、白い糸が――。


 カラカラカラ……。


 

 行くぞ、とゴルデンにうながされ、わたしは歩き始めた。

 石ころ道の左右は荒廃した畑になっており、昔は使われていたようだが今は完全に廃されているようだ。

 「綿の畑だ」

 と、ゴルデンは呟くように言った。この一帯は、遥か昔は製糸が盛んだったのだと。

 

 ある日、唐突に生産を中止した畑。

 これ以上、続けてゆくことに意味がなくなり、放置される。諦められ、ただ、朽ち果て、荒れてゆくのを待つしかなかった畑……。

 「綿には不適な気候だからな」

 ゴルデンは横目で畑を眺め、呟いた。


 「あれだろう、おまえの『依頼主』は」


 ゴルデンが指示した先には、こんもりと緑色のものが盛り上がっており、山のようになっていた。

 荒れ果てた畑の向こう側、農村をつっきり、さらに向こうまでいった先に、それはあった。

 

 いばらの、城であろう。


 ゴルデンは木のワンズを突き出し、わたしはそれを受け取る。

 

 遠くで雷鳴が響いている。

 まもなく、雨だ。

どう頑張っても、ラブコメにはなりえません。

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