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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第五部 いばら姫
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~閑話~血玉石 3

ゴルデンに苛立ちをぶつけるペルだが、ゴルデンはそれを甘えだとはねつける。

血玉石と過ごす夜は、ペルにとって特別なものとなるのだった。

その3 ~閑話~血玉石 3


 「……正確には、おまえを死地へ誘っている」

 こういった方が救いがあるのだろうな、と、耳障りな調子で付け加えてゴルデンは口をへの字に歪めた。

 ゴルデンの瞳には怒りが燃えているが、それはわたしに対するものではなかった。

 「……俺ならば、しないやり方だな」

 西の考えは理解ができん、とゴルデンはまた耳障りな言葉を発した。彼が師についてものを言う場合、必ずそこには棘がある。ざらざらした感覚があるのだ。


 「貴様に師のなにが分かる」


 わたしが放った言葉に、ゴルデンは眉を吊り上げた。

 立ち上がると、わたしはゴルデンに歩み寄り、胸倉を掴んだ。目が合うとゴルデンはにやりと小ばかにしたような笑みを浮かべた。

 一瞬の間に、もやもやしていたものが一気に暴発しそうになる。


 俺ならば、しないやり方だとゴルデンは言った。

 「それは、そうだろう。師にとってのわたしは、あなたにとっての『世界』なのだろう」

 ……だから、あなたには、過酷な試練を与えることなどできないはずだ。あなたの愛弟子には――。

 口に出した瞬間、わたしの中で緩やかに崩壊してゆく何かがあった。

 認めたくない。それを見てしまったら、苦しくて息が詰まってしまう。

 ああ――。

 (死んだ方がまし、かもしれない……)


 ゴルデンは紫の瞳に奇妙な光を浮かべて、わたしの睨みを受け止めている。放っておくと、どんどん誘爆されてゆきそうな想いを、わたしは必死に噛みつぶした。

 「『扉』を通してオパールの元に行こうとするから、死にさらされる」

 思いつくままにわたしは怒鳴ったが、ゴルデンがちらっと表情を変えたのを、見逃さなかった。

 胸倉を掴み、力の限りに相手を押しながら、わたしは続けた。

 「他に方法があるのだ。師は、今までも手がかりを残していたではないか。そこに何かが隠されている」

 息を切らしながら、わたしはまくしたてた。

 「師は、無駄なことは決してしない――」

 あなたは分かっているのだろう、本当は全て分かっているのだろう、ゴルデン。

 

 ゴルデンが片手を振った。わたしは頬を張られていた。

 一瞬の隙をついて、ゴルデンはわたしの両手を掴んだ。眉を寄せて覗き込んでいる。

 

 「おまえ……」

 ゴルデンの瞳に冷酷な怒りが宿った。防ぐ術もないまま、わたしは怒りの冷たい刃にさらされる。

 「……誰にものを、言っている」

 

 甘ったれるな、と吐き捨てると、ゴルデンはわたしを突き飛ばした。黒曜石の上に転がると、わたしは今しがた受けた無数の怒りの刃による苦痛をこらえる。正面から、もろに喰らった怒りの刃は、今の状態のわたしには凄まじいものがあった。心の柔らかな部分が一瞬にしてずたずたに切り裂かれ、わたしははっきりと悟ったのだった。


 東の大魔女の「印」を受けたことは、彼にとって特別な対象になったわけではない。

 その気になれば、いつでもゴルデンはわたしを切り捨てるだろう。


 ふん、とゴルデンは鼻で笑うと踵を返した。こつこつと黒曜石の空間を歩き去ってゆく。

 「嫉妬だけは一人前か」

 くだらない様を見せるな、とゴルデンは背中越しに投げつける。わたしは歯を食いしばって起き上がった。

 彼はもう、姿を消しかけていた。

 「俺をがっかりさせるな、このばか」


 そして彼は、見えなくなる。

 ずきずきと鋭く痛む胸の中を、わたしはそっと温めた。

 泣き出しそうなものを、ゆっくりと手に包み込み、深呼吸して――。

 自分で自分を癒すことを知り始めている。……血玉石が、わたしに知恵を授けたのだ。女の知恵を。


 

 黒曜石の異空間から現実に戻ると、辺りは夕日で赤く染まっていた。

 驚くほど大きな夕日が林の向こうに沈もうとしており、農家の家々が黒い影となって浮き上がっていた。

 牛馬の鳴き声が遠くのほうから風にのって聞こえてくる。

 一日の業を終了し、これから飼い付けが始まるのだろう。牛追いに追われてのんびり家路を行く牛たちの姿が目に浮かんだ。


 さわさわと目の前の白い花が揺れる。

 もこもことした見た目の花を付けたハーブは、うがい薬に使うのだと血玉石は言っていた。

 冬の間、重宝するのだろう。

 

 春には、ここは紫のラベンダーが咲き乱れる。紫の……。


 わたしは強く首を振った。自分を取り戻さねばならない。

 こんな、不安定な状態では何もまともに考えられないだろう。「依頼」すら、選別できないのではないか。


 だが、しっかりしようと自分を叱咤する程に、惨めな気持ちは増してゆく。

 どんどん濃くなってゆく夕焼けの色に比例するように、わたしは己の醜さを思った。

 醜いから、愛されない。

 (ずき……ん)

 どこかが激しく痛んだ。いてもたっても居られないような痛みだ。焦燥、に似ている。

 

 師は「母」オパールに愛を捧げ(ずきん……ずき……ん)、わたしの一方的で、かつ隠れた思いさえ、徹底的に拒否しなければならなかった(ずきん……)。

 ゴルデンは妹である「世界」にしか(ずき……)心を向けていない。それは恐らく、今後も変わることはないだろう(ずきんずきん……ずき)。


 痛い痛い痛い。

 (ずきんずきんずきん……)

 ……痛い。


 「時間がかかることよ」


 不意に背後から声をかけられて、わたしは振り向いた。

 ショールをはおった血玉石がスカートと髪の毛を風になびかせながら立っている。夕焼けの激しい赤の中で、彼女のところだけ不思議なほど穏やかだった。

 薄紫――か。

 血玉石それ自体は、黒と赤のどぎつい色づきであるが、この魔女が醸し出す気配は、ごく優しい紫なのだ。

 例えるならばラベンダーのような。

 それは、ゴルデンとは全く違う紫だった。


 夕食よ、と血玉石は言い、その紫の空気をあたりに振りまいて踵を返した。

 ふわりと流れ出たその気配は、いつのまにかわたしを丸ごと包んでいた。ごく自然に血玉石の後について歩きながら、どうしてこんなに落ち着くことができたのだろうと、わたしは不思議に思った。


 (魔法……なのか。いや)


 血玉石の魔女の持つ雰囲気の力なのだろう。

 それに、この香りだ。

 (懐かしい……なんの香りだっただろうか)

 もう少しで、思い出せそうなのだが――。


 カチャカチャと、食器がぶつかり合う微かな音が聴こえる。

 濃い夕日が差し込む台所だ。

 貧しいシチューだが、それでも匂いはごちそうだ。

 夕餉の支度はほとんど整っており、昼から夜へ渡る時間にさしかかる。今日一日の最期を彩る、祈りのような時間……。


 「家族は」

 ……父と母と……姉。

 「いつも、夕食はそろっていたの」

 ……そろって、いた。

 「ごはんは美味しかったの」

 ……知らない。考えたこともないし覚えてもいない。


 覚えてもいない……。


 

 軽い音を立てて、スープの皿が目の前に置かれた。

 はっと上向くと、血玉石が微笑んでいる。

 手作りのテーブルクロスがかけられた食卓で向き合って食べた。

 

 カチャカチャと微かな音が立つ。

 何も話すことなどないが、ここには穏やかで温かな何かがあった。

 血玉石の唇は常に微笑んでいる――。


 

 「わたしは手伝いたかった」

 ぽつりと呟いた。本心から出た言葉だった。

 手伝いたかった。一緒の時間を過ごしたかった。料理をしながら、皿を並べながら、たわいもない話を。

 血玉石が穏やかに見つめている。

 (だが、明日にはここを発つ)

 汽車は早朝だ。それまでに駅に行かねばならない。そこにゴルデンが待っているはずだ。

 二度とない、一緒に過ごすことは、二度と。


 「……」


 わたしは今、なんと言ったのか。

 

 目を見開いて茫然とするわたしには構わず、血玉石はおかわりをよそった。温かな湯気をたてたスープ。

 「わたしはね」

 血玉石は、目を伏せて静かに言った。

 「ほんのささやかな魔女でしかないわ。だから、あなたのような強大な魔女の、おかあさんにはなれないけれど」


 おかあ、さん。


 「……魔女の『母』ならば、あなたを受け止められるはずよ。『母』のことは、知っているわね」


 血玉石は微笑んでいた。

 わたしは自分の放った言葉に愕然としている。

 おかあさん、と、わたしは言った。血玉石に向かい、そう呼びかけたのだ。

 (手伝いたかった)

 ……わたしには、母と一緒に夕食を作った記憶など、なかった。

 いつだって母の側には白雪がいたから。それに、絶対にわたしは寄り付かなかった。誰にも。母でさえも。


 「後片付けは、手伝ってね」

 血玉石が笑いながら言った。

 日は暮れかけており、窓の外は徐々に暗くなっている。血玉石は立ち上がると、カーテンを引いた。


 この魔女を見ていると、何かが恋しくなる。

 遙か昔の、絶対に手が届かないもの――色褪せてしまったもの。

 ゆりかごを揺らすような声音を聞いていると、目を閉じて過去の記憶をたどりたい衝動にかられる。

 懐かしい香りに包まれながら、わたしは呼吸がとても楽になっていることに気づいた。

 息詰まるような浅い呼吸の仕方ではなく、深く、胸の奥までを吐き出し、また吸い込むような。

 

 夜明けまでには、自分を取り戻せそうだと思う。



 それは、長い夜となった。

 柔らかな魔法の力の中に閉じ込められた、特別な夜だった。

 血玉石はこの家の中に魔法をかけ、この上なくあたたかで、穏やかな夜を演出したのである。

 眠る前のひと時を、わたしは暖炉の前で過ごした。

 生まれて初めての手芸を、血玉石の指導を受けながら試みる。

 どう、うまくいっている、と声をかけてくれながら、血玉石は台所にたち、甘いにおいを漂わせるココアを届けてくれたのだった。

 「甘い」

 と、わたしが呟くと、笑いながら、いつもは何を飲んでいるの、と聞かれた。

 「ウイスキー」

 と答えると、血玉石は、さもおかしそうに笑うのだった。


 台所の天窓を開けると空気の揺れを受けて、星々が細かに瞬いていた。

 冬目前の冷たいが清らかな空気が室内に流れ込んだが、足元は血玉石が入れてくれたゆたんぽで温かい。

 暖炉では熾火がくすぶっている。


 わたしはソファに身を横たえた。

 「窓が開いていたのね」

 血玉石が入ってきて、棒を使って天窓を閉めた。

 寒くないわね、と確認してから血玉石は寝ているわたしの横にひざまずき、そっと額に手を当てた。

 温かい、少しがさがさした感触。

 わたしは目を閉じて、その懐かしい香りをかいだ。


 「契約は……どうやら遂行できたみたい、ね」


 血玉石のささやくような声に、わたしは目を開けた。

 部屋は暗く、天窓のガラスからは星々が覗いており――血玉石の姿は、既になかった。

 (契約)

 わたしは身を起こすと、今しがた血玉石が出て行ったらしい扉を見つめた。

 (契約、だったんだな)

 今までのことは、全部。

 だが、誰が血玉石に「依頼」を飛ばしたのだろう。わたし、なのだろうか――。


 血玉石は癒しの魔法に特化した魔女である。

 どれほどの頻度で「依頼」を受けるのか分からなかったが、こういった種類の魔女がいることを、わたしは今まで知らなかった。

 「畑が違う」魔女なのだから、出会うこともなかったのだろう。

 東の区域に住んでいるのだから、魔女狩り法が布かれている中で、ひそやかに、身を隠すようにして生きている。彼女の存在を知る者は、少ないのではないか。

 (わたしは、過去)

 穏やかで、温かな声が聞こえる。

 もう残り僅かな時間。せめて幸せな夢を――。

 (必ず誰でも一つは持っている、温かな過去を呼び覚ます。それがわたしの『仕事』……)



 天井には星が散らばり、時折つ、と空を流れる光がある。

 暖炉の温もりの中で床に座ったわたしは、いつまでも上を見ていた。

 そっと肩にショールがかけられ、振り向くと血玉石が微笑んでいる。


 「これは、『依頼』にはないことだし、怒られるかもしれないけれど」

 ちらちらと、星々が鈴を鳴らすような音を立てているようだ。

 そんな幻想の中で、血玉石の声音はあまりに自然過ぎ、気を付けていないと聞き逃してしまいそうだった。


 「わたしに『依頼』を飛ばし、呼び寄せたのは、東の大魔女」


 そう聞こえたような気がした。わたしの表情を受けて、血玉石は大きな掌で頭をなでてくれる。思わずわたしは目を閉じた。

 

 「それだけは伝えておいたほうが良いような気がしたの」


 ゆりかごが揺れる。大きく温かな手が揺らし続ける。

 わたしは深く呼吸をし――朝を待つ。

 優しい紫の眠りが、わたしを抱き取って揺れていた。


 

 早朝、まだ暗いうちにわたしは身支度を済ませ、血玉石の見送りを受けて駅へと向かった。

 体はすっかり回復しており、幾分のだるさを残してはいたが、あの不安定な感じは薄れていた。

 血玉石の魔法の夜で得た眠りが、わたしに強い癒しをもたらしたのだと思う。

 わたしは自分の中に芯のようなものが生まれかけていることを感じる。まだ柔らかく頼りないものではあるが、それは時間をかけて強くなってゆくのだろう。

 (あなたは女のなのよ、それを忘れないで)


 暗く寒い夜道を進むうちに、あの懐かしい香りが空気に散じて消えていく。

 失われてゆく匂いを追いながら、わたしはふいに気づいた。

 この香りは、遠い過去の香り。わたしを生んだ母の衣類からたちこめていた匂いと同じ。


 ……母の匂いだった。


 朝一番の荷馬車がわたしを追い越してゆく。

 次々と。

 砂利の道を過ぎ、やがて街の中へ。

 空は白み始め、張り詰めた朝の空気が人々を眠りから引き起こす。

 がたがたがたがた。

 荷馬車が猛烈な勢いと音で、車道を駆けて行った。

 同じ方向を、わたしはこつこつと歩く。真新しい外套が揺れて足元に淡い影を作る。仕立ての良い外套は、体に合っていた。

 (わたしの体に合うものを、知っている)

 ……彼は。

 

 荷馬車が慌ただしく走り抜ける中をすり抜けて、わたしは駅に到着する。

 早朝の汽車は、まもなくだ。

 ゴルデンが、待ち合いで待っているはずだ。


 ゴルデン――。


 

 一瞬、下腹部に重たい感触を覚えたが、それはすぐに消えた。

 (……?)

 だからわたしは、その違和感を忘れることにした。


 行こう。

 気の早い彼を、待たせてしまっているかもしれない。

件の「儀式」、実はかなり、えげつないものです。

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