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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第一部 白雪姫
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闇へ落ちる

歪んだ魔法に閉ざされた地下室の一部屋にて、彼女たちは未だ魂を搾取され続けていた。

その3 闇へ落ちる


 奇妙に曲がりくねった狭い階段は延々と続くかと思われた。

 歪んだ魔力で閉ざされた空間はひどく不快で、歩いている間も両側の白壁はぐにゃぐにゃと奇妙に緩んでおり、ワンズの先に灯った明かりが照らす足元だけが確実だった。

 降りてゆくにつれ暗い地下から流れてくる管楽器の音色は甲高さを増してゆき、甘い調べの中に、時折歓喜のあえぎのような息継ぎが入る。むうっと湿気が強くなってきて、胸が悪くなるような腐臭が濃くなってきた。

 ようやく最後の一段を下りた時、背後で魔法の気配を感じて振り向くと、今しがた降りてきたばかりの階段は消滅しており、そこには白く塗られた不愛想な壁があるだけだった。

 わたしはワンズを上方に掲げた。

 非常に長い通路が左右に伸びている。

 ぽつぽつと、規則正しく並んだ照明は、ぼんやりと薄暗い。

 どちらに行っても、はるか向こう側は闇である。

 更にわたしは目を凝らした。

 通路には、古びた鉄の扉が並んでいた。大人の顔より少し高い位の位置に格子が付いており、そこから覗く室内は、どれも暗黒である。

 右側に伸びた通路の、ここからかなり歩いた場所の、石畳に色がついていることに気づく。

 それで、わたしは、醜悪な魔法の犠牲になっている者たちが、恐らく右側に行けばいるのだと知る。

 右に歩き出した瞬間、耳にこびりつくようにしつこく続いていた、管楽器の音色がぱたりと止んだ。

 

 また、凄惨な場面が目の前を通り過ぎる。

 愛らしい健康的な笑顔が、ふいに曇る。次は恥じらいに赤らみ、その後は驚愕、そして唐突な恐怖と絶望。

 悲鳴をあげたいのに、口の中にものを詰められたから、怖い助けてと叫ぶことができない。

 壮絶な苦痛が長引き、それから、赤がパッと飛び散って、唐突に闇が幕を下ろす。

 無数の、そんな場面がわたしに訴えかけてくる。


 タスケテ


 タス、ケテ


 わたしは歩きながら、それらの悲鳴を淡々と受け続けた。

 その扉の前に来た時、一瞬、ぐっと近寄った大きな緑色の瞳が見えた。目の奥にはチロチロと悪質な願望が燃えており、そして、その顔は歪んだ笑いを浮かべていた。

 足元の石畳には古く掠れた血痕が残っている。

 すでに茶色くなっているそれを踏みしめ、わたしはワンズをかざした。


 「魔力の監視役、西の大魔女の代理として命ずる」

 と、強力な魔法で閉ざされている扉に向かい、低く言った。

 「その結界を開け」

 

 音もなく扉は開き、同時にたまらなくなるほどの甘い腐臭があふれてきた。

 そこは光のない世界で、全くの暗黒だった。

 再びワンズの先に灯をともすと、それを掲げながら足を踏み入れる。

 ぐるっと部屋の周囲を順に照らしてゆくと、ぽつぽつと、澱んだ銀に光る眼があった。むろん生きているものではない。死んだ娘がうつろに目を見開いているのである。

 衣装でもかけるように、壁に並べられている彼女たちは、いずれも生前は健康で美しかったに違いない。

 部屋の床に目を落とすと、そこはぺりぺりと、茶色い表面が剥がれている。かつては深紅だったそれは、時を経て腐り、色も風化した。

 埃だらけの衣装を身に着けた彼女たちを見回し、わたしは部屋の中心へ足を踏み入れる。

 

 死者の悲痛な声は、もう、聞こえない。

 その代わり、それ以上に濃厚な絶望と恐怖が渦巻いているのが分かる。

 逃げられないよう拘束され、この部屋に連れられて、命を手折られた。

 親もいるのに。兄妹もいるのに。誰にも、ここにいることを伝えることができないまま、死なねばならなかった。

 より具体的になってくる、悲痛の内容を受け止めつつ、わたしは部屋のぐるりに張り巡らされた、クモの巣のような醜悪な魔法陣を調べた。

 ひどく幼稚な造りの結界で、力任せに無理やり組み立てられた、つぎはぎ細工のようなものである。

 一つの命を取り上げた時に生じた苦痛や悲しみにより、結界の一部を作る。そしてまた一つの命を取り上げ、また次の部分を積み上げる。

 そうやって、いやらしくこつこつと積み上げられた形跡がある。

 哀願する無数の魂の目に見つめられながら、わたしはワンズを天井に掲げ、大きく魔法陣を描いた。決壊の魔法が発動し、何重にも固められた、ぬるぬるした感触の不自然な結界は、一瞬で蒸発した。

 

 アアッ。


 濁った緑の気体が上がり、部屋の中で渦を巻き、それはすぐに壁を通り抜けて消えてゆく。

 どんどん魔法の気配が薄れてゆく部屋の中で、死者たちは声なき声をあげ、そして、その魂も空気に消えた。

 ばさばさと砂が崩れ落ちるようにして、壁につるされた娘たちはたちまち風化していった。未だ美しさの名残が見られた体は魔法のくびきを解かれ、するすると時間の流れに沿ってゆき、肌はぼろぼろとこぼれおちた。最後の骨の一片が砕けて落ちたとき、完全な静寂が訪れた。


 だが、まだだ。


 わたしは、ゆっくりとワンズを胸に置いた。

 あれほど濃密だった闇はすっかり薄れており、部屋の中は、粗末な明かりに照らされた、どこにでもある薄暗い空間になっていた。

 目の前に、緑色の渦が現われるのを見た。

 ぐるぐるととぐろを巻き、やがてそれは大きく成長してゆき、人間の姿になった。

 歯が欠け落ち、髪の毛もまばらになった、無残なレエ伯爵が憎悪に満ちた表情で立っている。

 腐ったような緑の目玉がわたしを捉え、欠けた歯が覗く赤い口を開いて、一歩踏み出そうとした。

 しかし、それ以上進むことができず、彼は落ちた。


 わたしと彼の間には、絶対に接触することのできない次元が壁のように立ちふさがっていた。

 彼は――もし、あの姿でも生き延びたいと願うのであれば――そこから足を踏み込むべきではなかった。

 彼にとっては見えないラインだったのだろう。わたしには、ありありと見えていたのだが。

 暗く、深く、果てしない闇の亀裂に、彼は落ちて行った。

 おぞましい悲鳴が聞こえてきたが、やがてそれは、むしゃむしゃと何かを食らう激しい咀嚼の音にかき消された。

 「げふっ」

 と、緑色のげっぷが盛大に上がり、その後、闇の亀裂は閉じてしまった。

 後には本物の静寂だけが残った。


 コツン、と足音がしたので振り向くと、紫水晶の魔女が立っている。

 扉の前の彼は、ほのかな逆光を受け、瞳は紫色に輝いていた。

 「なるほどな」

 と、彼は言い、つかつかと近づいた。

 「おまえの力は、わかった」

 彼はわたしの前に回ると、その紫の瞳で、ぎゅうっと凝視した。目と目を見あった時、わたしは魔法の罠に落ちたことを知った。

 一瞬のうちに金縛りを成功させた彼は、ふん、と鼻を鳴らすと、無造作にわたしの手から木のワンズを取り上げた。

 「返せ」

 と言ったが、彼は手のひらの上にワンズを浮かせると、そこに指をつきつけた。わたしの大切なワンズ、師から受け継いだ黒曜石の魔法の短杖は、手品のように消滅した。

 「悪いが封印した」

 おまえの力を、と言い、彼は自分の黄金のワンズでわたしに触れた。

 動けるようになったわたしは、すぐさま飛びのくと指先で魔法陣を描こうとした。

 「無駄だ。封印したと言っただろう」

 発動しない魔法に溜息をつき、彼は言った。

 そして、わたしの腕を掴むと、今までとはうって変わった、重々しい口調で、こう宣告した。

 「東の大魔女として、これより、西の大魔女の愛弟子を預かる。大魔女の前では、いかなる魔女も屈せねばならない。これは、魔女のしきたりである」

 宣告を受けた瞬間、わたしは自分の体に埋め込まれている黒曜石に紫水晶が覆いかぶさるのを感じた。

 こうして、わたしの魔力の中枢は完全に封じ込められた。

 なすすべもなく、わたしは東の大魔女を見上げる。

 紫水晶の魔女は無感情に頷くと、わたしの肩に触れた。

 その瞬間、もうそこはレエ伯爵の館の地下室ではなく、既に明るみ始めた夜明けの町の中だった。

 

 ばさばさ、と鳩の群れが朝焼けの空を横切り、朝一番の乗り合い馬車が道を走る。

 町の通りの中に、まるでずっと前からそこに立っていたかのように、わたしたちは見つめあっていた。

 新聞配達の少年も、なんら違和感を覚えない様子で、立ち尽くすわたしたちを邪魔そうによけて走っていった。

 茫然としているわたしには構わず、紫水晶の魔女はしゃれた外套の内側から鎖時計を出して時刻を確認する。

 そして少しだけ顔をしかめた。

 「行くぞ」

 と、だけ彼は言い、歩き出す。

 ついてこないわたしに苛立ち、振り向きざま、もう一度、言った。

 「さっきの宣告を忘れたか」

 仕方なく彼の後を追いかけながら、わたしは言った。

 「あなたは、東の大魔女なのか。どうして東の大魔女が師を探す」

 「契約解除が必要な事態がおきた」

 彼は振り向かずに答えた。

 「おまえの師は、やたらめったら契約ばかり成立させて迷惑この上ない。その責任の一端は愛弟子にもある」

 「……」

 かつかつと早足で歩く彼に追いつくためには、小走りになる必要があった。言葉を継げないまま、わたしは進む。

 駅方面に向かっているのは確かだった。

 彼は時刻を再度確認し、更に焦った足取りになった。

 「どうやら、おまえが師の行方を知らないことは本当らしいが、おまえ、何か当てがあって捜し歩いているんだろう?つまりおまえを連れていれば、西の大魔女を探し出せる確率が、ぐっと上がるというわけだ」

 「当てなんか、あるものか」

 と、息をきらしながらわたしは答えたが、そこ言葉は、ちょうどそこに通りかかった馬車の、派手な車輪の音にかき消されてしまった。

 シュー、と機関車が蒸気をあげる音が響き渡っている。

 なんとか出発の時刻に間に合ったわたしたちは、古びた木造の駅に駆け込んだ。


 西の大魔女の館は、西の最果てにあった。

 だから、師を捜し歩くために、わたしはひたすら東に向かって進んできた。

 町から町へ。

 進んでは立ち止まり、耳を澄まし目を凝らした。

 師の気配はないか。オパールの力を持つ妖しい魔女について、情報を得ることはできないか。

 だけど、今のところ、ひっきりなしに届く、人々の「依頼」ばかりで、欲しいものを手に入れることはできないままだ。

 「東行きで、いいんだろうな」

 と、紫水晶の魔女が切符を買う段になり、振り向いて念押しをした。

 わたしは頷く。

 「次の町で?…いや、次は町というより村落になるぜ。何もない、ど田舎になるが」

 また機関車の蒸気があがり、わたしたちはいったん、会話を途切れさせた。

 「鈍行で、一駅ずつ、しらみつぶしに行く。だからいい」

 と、わたしが言うと、一瞬、彼は非常に不審そうな顔をした。しかし、もう時間がなかった。

 駅員にせかされるまま最寄りの駅までの切符を買うと、改札をかけぬけ、わたしたちはようやく、汽車に乗ることができたのだった。

西の魔女→西の大魔女と、名称を変更させていただきました。

どうぞ、よろしくお願いします。

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