表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第四部 赤ずきん
35/77

失われた 後

ある街で、ペルは魔法使いの男と巡り合う。

正統な魔女ではない、魔法使い。

その男の魔法が、今、使い果たされようとしていた。

その6 失われた 後


 わたしは何度も、黒曜石の異空間に飛び込んでは、扉を探してさ迷った。

 一つは師の扉。

 もう一つは、ゴルデンの扉である。

 前者は、どんなに探しても見つからなかった。こちらが追い求めて探している限り、姿を現さないと決めているように、杳として行方が知れない。

 不意打ちのように現れるというのに、見つけようと目を凝らしていても、どうしても見当たらないのだった。

 後者は、依然として黄金に輝いている。その扉の安定した存在感を見ると、どういうわけか、わたしは安堵した。

 扉の向こう側ではゴルデンが眠りをむさぼっており、復活するまでの間、扉は開かないままなのであった。

 黄金の扉の前にくる度、わたしは両手を扉に触れさせ、目を閉じる。

 すると、扉から強大な紫水晶のエネルギーが伝わるのだった。扉の内側で、ゴルデンが丸くなって眠っている姿も手に取るように分かる上に、わたしの読み取りの力で、彼の見ている夢なども伝わってくる。

 

 もう、どれほどになるだろうか。

 ゴルデンが姿を消してから。

 

 扉に体をもたせかけ、全身の感覚を研ぎ澄まし、眠るゴルデンを読み取る。

 彼は非常に穏やかな眠りの中に沈んでおり、時折、「世界」のことを考えては激しい焦燥にかられている。そんな時の彼は拳を握り、奥歯を噛みしめ、閉じたまぶたを一層きつく閉じるのだった。

 

 白いリネンを纏った、翼のある少女のことを、ゴルデンは考え続けている。

 彼が激しく苛立ち、焦り始めると、そこに白い幻が現われては、ゴルデンの体を翼で覆い、その指を絡めとるのだった。そうされることでゴルデンは穏やかな眠りを取り戻し、また静かに眠りの世界へ落ち込むのである。

 

 「世界」のことが、彼を苛立たせ、焦らせ、急がせようとする。

 「世界」もまた、彼を気遣い、愛し、守ろうとしている。

 そういった二人を、扉の外から、わたしは見つめている。手の届かない、二人を――。


 一緒に旅をしてきた時よりも、扉の外から彼を見ている今のほうが、理解できているのだと思う。ゴルデンのことを。


 

 晴れた日の空はひどく高い。弱弱しい日差しの中を、鳶が大きく旋回する。

 街は普段の顔をしており、五分おきに通り過ぎる乗合馬車はどれも満員だった。昼食時を過ぎた午後ではあるが、少しばかりせわしなく感じた。

 煉瓦の建物が並ぶ、美しい通りである。

 洗練された街の、しゃれた通りでは、日傘を差した婦人や手入れされたシルクハットをかぶる紳士が闊歩していた。皆、一定の方向に急いでいる。

 人の波に逆らって歩くのに、疲れた。

 わたしは歩道の隅により、街灯にもたれて乗合や、自転車乗りや、二人連れの散策などを眺めた。

 香水や、微かな焼き菓子の匂いがささやかな風に乗って運ばれてくる。それと一緒に、道を急ぐ人々の思念が流れてくるので、わたしはほんの少し、「耳」を開く。

 とたんに、雑多なものが押し寄せてくる。

 

 ……魔術師が。


 薄っぺらな「依頼」や欲望の呟きに混じり、人々が口々に唱えている言葉。

 魔術師が、来る。

 この世で一番優れた魔術師、奇妙極まりない奇跡を見せる男が、この街にやってきた。

 わたしは目を閉じ、更に「耳」を研ぎ澄まし、魔法の感覚に注意を向けた。

 

 街に流れてきたという、奇妙な魔術師の妖しい見世物小屋があるという。

 それなりの金子が必要なので、子供が公園で人形劇を眺めるようなものではない。大人のちょっとした贅沢のための見世物であろう。

 ……だから、魔術師の見世物小屋に急ぐ人々は皆、大人の男女なのだ。

 妖しいものを見たいという、少々悪趣味な、物見高い紳士淑女たちである。


 その魔術師は――わたしはよくよく目を凝らした――青い照明の、薄暗いテントの中に座り、一日僅かな人数だけを相手に、見たい奇跡を提供するという。どんなものでも。例えば、一度死んでまた生き返りたい、というような好奇心であっても、その場で叶えてくれるという。

 赤、青、黄、緑、紫。

 別々の色で塗り上げた爪を持つ、痩せた指。

 黒い、ぴったりとした衣装。妖しい光を放つ黒い瞳に、赤い唇。

 ……彼は。

 

 魔法を、使う。確かに。

 わたしは、その男から魔法の力を読み取った。確かに魔法使いである。

 だが――正統な魔女ではない。この男には石の力は授けられていない。きちんとした師事を受けてはいない。当然、等価交換の法則も知らない。……しかし、この男の使う魔法は外れてはいない。闇の魔法ではない。

 純粋に、生まれながらの魔力を削り取り、魔法術を見せている。

 

 わたしは、痩せた男の黒いシルエットから、躍動的な黄色の気配を読み取る。

 もしこの男に自分に適した石を選び取る機会を与えたとしたら、恐らく、活発な力に満ちた、黄水晶を抜き取ると思われる。太陽の欠片のように陽気な、とびきり元気の良い気質。闇とは無関係な。

 石こそ体に埋め込まれてはいないが、彼の魂は黄水晶そのものである。

 

 (……力が弱まっている)

 不意に、声が聞こえた。

 哀切で、切実な声だ。

 すぐに気づいた。これは、この生まれながらの魔法使いの思念。そして「依頼」である。

 

 (力を取り戻さねばならない……このままでは)


 生まれながらに持ち合わせた魔力には限りがある。

 その消耗を抑えるための、等価交換の法則なのだが、この男は上っ面の魔法しか学んでいない。だから、自然界の力や自然な運命の流れに沿う方法を知らず、己の力のみで、これまで魔法を使い続けてきた。

 確かに、彼の魔力は今にも底をつこうとしている。

 今にも。もう、何度か魔法を使ったら、完全に費えてしまい、彼は魔法使いではなくなるだろう。

 

 切迫したその声に耳を澄ますと、酷く貧しい山村の風景が見えた。ふわり、と映像が舞い込んで来る。

 「……ツァウベラ」

 名を呼ぶ幼い声が聞こえた。元気の良い少女の声。

 燃え上がるような赤い巻き毛を長くのばし、羽根のように両肩で跳ねあがっていた。

 緑の瞳には賛美の思いがあふれており、この少女がツァウベラ――この魔法使いのことだろう――を、この上なく誇りに思っているらしいことが分かる。

 「ツァウベラ、世界一の魔法使い」

 この少女が、ツァウベラにとってどのような存在なのかは分からない。

 故郷の親戚なのか、妹なのか――子供か。

 ただ、深い絆が見える。切っても切れないほどの。

 

 (ツェンタ)

 

 ……ツァウベラの心の声が、この少女の名を呟いている。何度も、何度も。


 (ツェンタ、ツェンタ、ツェンタ)

 戻れない。俺は戻れなくなる。おまえとの約束は果たせない。俺は――。


 「行ってらっしゃい」

 白い歯を見せて、タンポポの花を髪に飾ったツェンタが、悲しみなど影ほども見せずに言うのが見えた。

 眩しい程の笑顔で。

 赤い髪が青空に映えている。季節は初夏だ。ツァウベラの中で、ツェンタは永遠に、故郷の初夏の中で立っている。


 青臭いほどの花の香りが巻き上がり、ツェンタの髪の毛も巻き上がる。

 青と白の縞のスカートをふくらませて、ツェンタは露ほども疑わず、手を振った。

 ツァウベラは、世界一の魔術師になって、シンデレラの馬車に乗って、迎えに来てくれるのよ!


 ……。


 

 夏の予感をはらんだ風が通り抜けて消える。

 代わりに、冬の木枯らしが足元を吹き抜け、わたしは煉瓦の通りに立ち尽くしていた。

 道を行く人々の数は減っており、それどころか今までとは逆の方向に、落胆して戻ってゆくようだ。

 (……インチキ)

 と、陰鬱な思念が届く。同じようなものが、次々に舞い込み始めたので、わたしは「耳」を閉ざした。

 

 インチキ男。

 えせ魔法使い。

 ぼったくり野郎。

 ……突き出してやる。警察に。


 魔女!


 

 はっとする。

 最後に、閉ざそうとする耳に滑り込むようになだれ込んできた、鋭く差すような思念。

 わたしは思わず周囲を見たが、当然、誰が呟いたのかなど分からない。不機嫌そうな人々が足早に歩き去ってゆくのを見送り、わたしはもたれていた街灯から離れた。

 

 ツァウベラは恐らく、たった今、最後の魔力を使い果たしたのであろう。

 それで、人々の好奇の期待に応えることができなかった。

 期待外れだった人々は不満を抱きながら立ち去り、どうしても腹立ちがおさまらない何人かが、哀れなツァウベラを魔女として通報することを決めたらしい。


 わたしは歩きながらちらちらと煉瓦の街並みを眺める。

 洒落た衣料品や、艶のある美しい果物や野菜を店先に出した八百屋。

 靴屋、小間物屋――。

 そこかしこに、外観を損ねないよう、ひっそりとではあるが、確かに人目に触れるよう、貼り付けられてある。

 「魔女一人につき50グルテン」

 

 ……奇跡の見世物を見ようと思っていた人間が、肩透かしを食らった。乗合馬車や、前日からの期待、ディトに誘った女性のために用意した贈り物などの元を取るには、ちょうどよい金額かもしれぬ。

 わたしは最後、ツァウベラに意識を寄せた。

 活発な黄水晶の気配がくすんでいる。絶望し、自暴自棄になり、どうなってもよいとさえ思っている心の内が手に取るように読み取れる。

 

 (力を、取り戻したい。あるいは強大な力――胸を張って故郷に戻れるだけの力が欲しい)


 切実な「依頼」。

 わたしは目を凝らす。男の運命の縮図が目の前に展開する。美しく複雑怪奇な運命の縮図よ。

 すぐに読み解ける。


 この依頼は――契約成立可能である。

 

 可能、なのだ。

 わたしは歩きながら外套のポケットから小瓶を出し、栓を抜く。

 たちまち「依頼」はその中に踊りこんだ。そして、タンポポの花の姿で瓶の底に落ちる。


 わたしは足を速める。

 なぜなら、見世物を裏切られ、腹いせに魔女を通報した者がいるからだ。

 今にも、ツァウベラの元に役人が押し寄せてくるだろう。その前に、契約成立の打診を行わねばならない。

 (ただし、この男は失わねばならない)

 積み重なり、途方もなく大きなものになってしまった「想い」。

 故郷への、ツェンタへの――「愛」。

 それを、残らず手放さなくてはならない。それがこの契約の等価交換となる。


 本末転倒と思われる。

 だが、わたしは確信していた。

 ツァウベラは、この契約の遂行を願うだろう。疑いなど持たず、長いあいだ、自分を待ち続けているツェンタへの想いと引き換えにしてでも、力を得ようとするだろう。

 (その方が、この男のためかもしれぬ)

 人波に逆らいながら、わたしは街の外れを目指した。

 弱弱しい日差しに力がこもり始める。空を覆っていた雲が少し薄くなり、太陽がよりはっきりと顔を出し始めたのだ。

 風は相変わらず冷たかったが、緩やかな日差しが外套の背中を温めた。

 

 

 品の良い店が立ち並ぶ通りを抜けると、唐突に風景が変わる。

 広々とした緑地の公園が続き、その広大さは一日をかけても、そこを歩きつくすことができないほどだった。

 なだらかな芝生と手入れされた森は、乗馬を楽しむためのものだ。かなり離れた場所に、遊具が集められたスペースがあり、そこは子供らの遊び場になっていた。

 遠くから子供の声が聞こえてくるなか、かぽかぽと馬が目の前を通り過ぎる。横乗り用の鞍に腰を下ろし、長鞭を握った淑女と、それをリードする紳士の馬が。

 使い方も分からない長鞭を持て余し、先端が不用意に揺れる度に、馬は神経質そうに耳を絞る。

 紳士の方は手馴れた様子であり、笑いながら怯える女性を励ましている。

 二頭の馬が通り過ぎた後、わたしは芝生を横切り始めた。

 広々とした芝生の広場を抜けると、お遊び用の森に入り、それは比較的すぐに抜けることができた。

 馬や人間が通行できるように設計された森である。

 こういった公園があるということは、この街がとても豊かであることを示している。豊かな人々、豊かな生活。

 満たされた生活を送る人々、己の好奇心に貪欲な紳士淑女の街。平穏で不自由のない生活の中で、彼らは刺激を求めたいのだ。

 美しい公園での乗馬などでは満たされることのない、もっと別の、未体験、未経験の刺激。

 グロテスクでも悪趣味でも構わない――。


 森を抜けると、小川が光を反射しながら流れており、さらさらと音を立てていた。

 丸太で作られた洒落た橋があり、そこを踏んで川を渡る。春になれば、子供らが芝生用のそりを使って遊ぶのであろう、なだらかな丘があり、件のテントはそのふもとにあった。

 赤、黄、青、緑、紫の毒々しい色で塗られたテントは三角形であり、いかにも簡易的であった。

 つい今しがたまでは紳士淑女たちが期待に胸を躍らせて押し寄せていたのであろうテント周辺は、誰もいない。

 巻き上げられている入口はいかにも小さく、狭苦しい。僅かに見えるテントの中は異様な青の照明で満ちており、悪趣味な好奇心をいっそうそそらせる効果を放っている。


 美しい公園の中に、このテントが建てられたのは、ほんの数日前だろう。

 あるいは、昨日、今日のはなしかもしれぬ。

 整然とした街並みや、美しく安全に整えた広大な公園を管理する街が、こんなテントの存在を、長い間許すわけがないと思われた。

 わたしはゆっくりと、入り口をくぐった。

 とたんに、鼻をつく線香のにおいに包まれ、むせかえりそうになる。


 「……見世物は、ないよ」

 

 ぶっきらぼうな声が聞こえた。

 粗末な組み立てテーブルと椅子の向こう側に、様々な色のぼろが滅茶苦茶に積み上げられており、その山にうずもれて体を横たわらせている男がいた。

 ツァウベラである。


 底をついたばかりの魔法は、まだほのかに黄の残光を放っており、こういった状態であっても男はどこか陽気であった。

 無言で立ち尽くすわたしに、ツァウベラは面倒くさそうに身を起こし、ぼろ布の山から立ち上がった。

 催眠的な眼力を持つ黒いまなざしがわたしを捉える。魔力を失っていても、この男は真性の魔法使いであるから、直感的に悟ったのであろう。

 ツァウベラははっとして、わたしの前に駆け寄った。

 恐る恐る、言う。

 「……魔女、だね」

 本物の魔女だね、君は。

 わたしは頷いた。

 

 「西の大魔女の代理、魔女の愛弟子が、『依頼』を受け取った」

 依頼、とツァウベラはおうむ返しに呟き、間をおいて目を見開いた。体を硬直させてわたしを見つめる。派手に色を塗りたくられた爪が震えている。恐ろしいものでも見たかのように、ツァウベラは後ずさる。

 わたしには、見えている。

 魔女の通報を受けた役人が、馬車を急がせて向かっているのを。

 がらがらと音を立て、乗合馬車たちを次々と抜かしてゆき、はっきりとこの怪しげな小屋をめがけて、駆けつけている。

 今にも、ここに押し寄せようとしている――。


 わたしは木のワンズを取り出し、男に向ける。

 「宣告」を続けた。


 「あなたの『依頼』は契約成立が可能である。契約を遂行するか否かの確認に来た」

 

 今、ツァウベラの前には映像が見えているはずである。

 ぐるぐると渦を巻くような映像が。

 契約が遂行されればどうなるか。失われるもの。得られるもの。

 

 彼の鼻の頭に、脂汗が滲み出ているのをわたしは見た。

 全てを知ってもなお、契約を望むのが人間。

 契約締結は、フェアなものだ。


 (詐欺とは言わせない)

 ゴルデン――。

ゴルデンはまもなく目覚めます。

次回……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ