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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第四部 赤ずきん
32/77

水宝玉

夜汽車に乗り、ひとり旅を続けるペル。

車両に乗り合わせた青年には、読み取ることのできる「映像」がなかった。

その3 水宝玉

 

 夜汽車が嫌いだと思うようになったのは、ごく最近のことだ。


 そもそも、わたしには物事に対し、好きだの嫌いだのといった感情を持たないはずだ。

 ただ、あるがままを見、真実だけを材料に審査し、実行する。

 ……それが、魔女の在り方であるし、師はそうしていた。

 魔女の愛弟子たるわたしは、師を習うことで魔女の道を進む。

 魔法の道が細くて先の見えない一本道であることは重々承知であり、そこから足を踏み外した瞬間に、闇の世界に落ちる他ないのである。

 闇に囲まれた、細く輝く銀の道を、綱渡りのように歩むのが正統な魔女である。

 生半可に魔法に携わる者のほとんどが闇に落ちてゆくのは、真の魔女の道があまりにも細く、厳しいためか。

 

 それにしても。


 (そこらじゅうに闇があるのは、どうしたことか)


 ……ゴトゴトゴトゴト。

 夜は長い。

 日中は乗客であふれていた汽車も、夜を超える段になると一気に寂しくなる。

 向かいの座席は、無人。

 

 この車両の乗客は、わたしと、一人。

 わたしが座る座席から、数列後ろに、黄金の髪の毛が見えていた。

 青白い額が覗き、長く優雅な足が組まれて座席からはみだし、通路に出ていた。

 痩せた、背の高い男らしい。

 

 ゴトゴトゴト……。

 

 わたしはまた、目を伏せる。

 窓の外は夜闇に沈んでおり、時折白く浮かび上がるのは、昨日僅かに降った雪が積もっているのだろう。

 山越えの最中だ。

 外は恐ろしく寒いのに違いない。

 窓から伝わる寒気は凍り付きそうなほど鋭かった。

 

 わたしは外套を一層深くかぶる。

 腕を組み、暖を取りながら、この車両の中にも薄く漂う闇を目で追った。

 水槽に墨汁を薄く溶いたようなものだ。これくらいの闇は珍しくもなく、いまやどこに行っても漂っている。

 それが、わたしには不思議だった。

 西の大魔女の館での生活を思い出すと、師の側には闇など一切なかった。

 時折出会う闇は巨大でおぞましく、うねうねと無数の触手をくねらせ、酷く飢えていた。

 こんなふうに、ぼやけた半端な薄闇がそこらじゅうに漂っていることなど、なかった。

 

 考えてみれば、わたしは、師の側を離れて生きたことが、なかった。

 

 (これが、現実。これが、真実)

 わたしは心で呟く。

 師よ、わたしは何も知らない――。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。


 唐突に汽笛が上がった。

 窓の外は、黒い煙に覆われる。

 夜闇より黒い、汽車の煙は猛烈な勢いで後ろへと流れ、窓を震わせた。

 わたしは目を閉じていた。

 少し、眠らねばならない。

 明朝には次の駅に着くのだ。

 

 

 ……。


 

 がくん、と、衝撃を受けてわたしは前のめりになり、浅い眠りから覚めた。

 ぼんやりとした車両の照明は揺れており、ランプは奇怪な影を天井に躍らせる。

 座席から転がり落ちそうになり、体を支えながら目を開けた。

 落とした視線の先に、黒いズボンを纏った細身の脚があった。


 「……」

 顔を上げると、青ざめて見えるほど白い顔に、豊かな金の巻き毛を飾った若い男が座っている。

 目が合うと、片方の頬を上げて、彼は笑った。

 優雅な指で前髪を払い、面白がるようにこちらを眺めている。

 仕立ての良い黒の上下を纏い、ほのかに良い香りが漂っていた。

 

 「夜汽車で一人なのは、さみしくはないですか」

 音楽的な声色だった。

 「君が寝ている間に、席を移動したのです。迷惑ですか」

 わたしは、青年の深い色の瞳に気づいた。

 まるで紫水晶のような煌めきである。その眼を優雅に細めながら、彼は腕を組み、窓の外を見た。

 仕草のひとつひとつが洗練され、優雅である。

 わたしはこの男から、穏やかで品の良い空気の流れを感じた。

 気配――というのか。

 そして直感する。


 この男は、魔法使いであろう。

 それも、途方もない力の。


 (わたしが魔女の愛弟子と知って近づいたか)

 相手の目的がまるで読めないのだ。

 この男は自分を完全にブロックしている。

 いくら目を凝らしても、この男からは、いかなる映像も得られない。

 わたしのまなざしを読み、男はまた笑った。

 

 「どうも、警戒心が強いですね、君は」

 男は内ポケットからウイスキーの小瓶を取り出した。

 蓋を開けると、こちらに差し出してくる。

 からかうような輝きが、瞳に宿っていた。

 (……ゴルデン)

 わたしは、驚愕して相手を凝視した。

 そして、また現実に戻る。

 ……違う。

 違う、ゴルデンでは、ない。

 ゴルデンでは――。


 「わたしの心を読み、からかうのは止めてほしい」

 

 ウイスキーを受け取らないまま、わたしは率直に言った。

 この男ほどの魔力があるならば、対峙する相手の中身を覗き、惑わすのは簡単なことだろう。

 彼は、わたしの中を見ている。

 そして、知ったのだろう。

 紫の瞳と黄金の巻き毛を持ち、皮肉で、自信家で、優雅な黒衣の少年のことを。

 そして彼がウイスキーを愛好していることまでも。

 ……わたしは、この男を更に注意深く観察した。

 その姿が借り物であることくらい、分かっている。

 

 「……目的は何だ」

 外套の中の手で、木のワンズを握りながらわたしは言った。

 男は差し出したウイスキーを自分の口に持って行き、一口飲んだ。

 一瞬、猫のように紫の瞳が鋭く光ったのだが、それ以上のものを、男は読ませようとしなかった。


 「君には、僕がどんなふうに見えているの」


 ウイスキーを飲み下し、一息ついてから、男は言った。

 相変わらず穏やかで音楽的な声音である。


 ……ゴトゴトゴト。

 ゴトゴトゴトゴト…・・。


 「赤毛の、背の高い男の人――では、ないのかな」


 

 キルキルキルキル……。

 耳障りな音を立てながら、車両は揺れる。

 わたしは立ちあがると、ゆっくりとワンズを取り出し、相手に向けた。

 男は微笑みで、その威嚇を受けている。

 

 

 「お嬢さん」

 と、男は静かに言った。

 お嬢さん、と言われたことで、わたしの中に、ぽつんと水滴が落ちたようだった。

 坊や、ではない。

 この男はわたしを女であると、見抜いている。

 「お座りなさい。僕は――あなたの敵ではない」

 

 また、汽笛が鳴り響いた。

 今回はひどくしつこい。

 何度も激しく鳴りたて、真っ黒い雲が窓の外を流れ続けた。

 きな臭いにおいが車両の中にまで入り込み、この山越えが難所に差し掛かっていることを思わせる。

 酷く揺れて不安定だった。

 

 わたしは、また座席に戻った。

 だが、ワンズは握りしめたままだ。

 相手のいかなる動きにもすぐに反応できるよう、紫の目を見据えながら、座った。

 ウイスキーを含みながら、男は苦笑した。

 そして、彼は言った。


 「ルンペルシュティルツヒェン。魔女の愛弟子」


 じっと見つめるわたしに、男は再びウイスキーを差し出した。小首をかしげながら。

 わたしは素早くそれを受け取った。

 乾いている喉にウイスキーを流し込み、口元を拭う。

 彼は微笑んでいる。

 

 「僕のことは、ドレと呼んでほしい。それが一番しっくりくるから」

 

 ドレ。

 ――金色。


 ……。

 

 わたしは、疑いの目で彼を見ていたのに違いない。

 おちょくられているような気がしてならないのだが。

 一方、向かいの彼はわたしの些細な表情も全て読み取っているかのように、満足げである。

 長い足を組み、窓枠にもたせかけた腕で頬杖をつき、まつげを伏せて微笑んでいた。

 

 わたしは、ウイスキーを飲んだ。

 おかしなものに触れていると、頭の中まで侵食されてかき回されそうな気がする。

 ゴルデンはあの紫の瞳から、怒りの感情を無数の刃に変えて放出していたものだが、ドレときたら、甘ったるくて酔いそうなものをまなざしに込めて包み込んで来る。

 ……ウイスキーの灼熱が喉を焦がす。

 目を閉じると、ちらちらと光の粒子が踊っていた。

 

 ゴルデン、ゴルデン、ゴルデン――。


 (師よ)


 わたしはきつく瞼を閉じると、頭を振った。

 やめて、くれ。

 目を開けると、ドレはまだそんな目でこちらを見ている。

 わたしはウイスキーの小瓶を握る手で、窓ガラスを打った。


 「やめてくれ」


 ドレはますます甘い微笑みを浮かべている。

 頬杖をついている手を動かし、こちらに寄せた。

 流れるように自然な動きで、ドレの細くて繊細な指がわたしの頬を包む。

 紫の瞳の奥で、ちらちらと何かが瞬いていた。


 「何を」

 完璧な形に整った唇が動いた。

 言葉を発した瞬間に、赤い舌先が見える。

 わたしは力いっぱい手を払いのけた。

 

 「やめろ。ゴルデンは、そんなことはしない」

 ゴルデン?

 と、ドレは首をかしげる。

 払いのけられた手を苦笑しながらさすっていた。

 甘い吐息がかかったせいで、頭の芯がくらくらしている。この男は酒のようだ。とびきり甘いリキュールだ。冗談じゃない。


 「そう……か、この姿は、ゴルデンというのか」

 面白そうにドレは言う。

 むらむらっとして、わたしは手に持っていたウイスキーの瓶を相手に投げつけていた。

 琥珀色の酒が宙を舞い、瓶はドレの体を逸れて床に落ちた。

 激しい音を立てて割れて飛び散り、たちまち酒の匂いが車両に充満する。

 「赤髪の彼では――ないんだね」

 ドレは、また言った。

 なぜこれほど苛立つのか分からないまま、わたしは身を起こすと華奢な青年の胸倉をつかんだ。

 そうまでされても、ドレは微笑んだきり、抵抗すらしない。


 ゴトゴトゴトゴト……。


 ……。


 「ふうん……」


 ゴトゴトゴト……。

 ゴト……。


 ガクン。


 キシャアア、とまた耳障りな音がした。

 片側に傾き、車両は引きずられ続ける。

 強烈なカーブに差し掛かったのだろう。

 足場がひどく不安定になり、わたしは前のめりに倒れた。

 長い腕が体を包み込み、まるで縛り付けるかのように抱きしめた。

 

 「僕はね、魔女だ」

 君と同じ。

 

 耳元でささやかれる声は甘く、神経を冒すようだった。

 じん、と全身がしびれ、わたしは息を荒げた。

 ワンズを握る指に気合を込める。

 (まだだ)

 わたしは奥歯を食いしばった。

 相手はそれなりの力を持っている。攻撃する瞬間を見逃してはならない。


 「僕はね、満たされない思いを埋めるんだ」

 それが、僕の魔女としての使命。

 「僕は、ね……」

 ぎゅっと、胸の中に何かが差し込まれ、握りしめられたような感覚があった。

 甘ったるくて優しく、心地よい。

 よいにおいがして眠ってしまいそうだ。

 ……だが、違う。


 「僕はね、水宝玉の魔女」

 「……」

 「欲しいものに飢えている声に呼ばれるんだ」

 欲しいものに、飢えている……。


 唇が触れそうになるほど近くに、ドレの顔があった。

 紫の瞳の奥には、無色に近い程の淡いブルーが煌めき、幻惑の光を放っている。

 ……水宝玉の、とりとめのない光。


 「君が欲しいものは、なに」


 わたしは相手の胸倉をつかんでいた手を、力任せに突っ張った。

 簡単に水宝玉の魔女の腕はほどけ、わたしは自由になる。

 まだこちらを見つめる彼の横っ面を、ワンズで打った。

 打ちのめされた彼は上半身を座席に倒し、頬を抑えた。美しい金の巻き毛が白い横顔を覆ったが、そこから覗く口元は笑っている。


 ……土足で、わたしの中に踏み込んだ。

 しかも、封印されているわけでもない、本来の魔女の愛弟子の力をみなぎらせた、このわたしの中に。

 

 「……認めたら、楽になれるのに」

 水宝玉は言った。

 金の巻き毛と紫の瞳で。

 「この姿に抱かれて口づけと愛撫を受ける。それで、君はくびきを解かれ、自由になれるというのに」

 くびき、と、彼は言った。

 頬を赤く腫らしながら、水宝玉は腕を広げた。

 さあおいで、僕の胸に。

 「……君の姿こそ、偽の姿なんだよ。ルンペルシュティルツヒェン」

 「……」

 「この、おかしな名前も偽の名前だ。ルンペルシュティルツヒェン」

 「……黙れ」

 

 君は、綺麗だ。魅力に富んだ、美しい女性なんだよ。

 ねえ――。


 

 ゴトゴトゴトゴト……。


 

 「僕を振り払うことは、できない」

 ゆっくりとした口ぶりで、水宝玉は言った。

 「君の『願望』が満たされるまで、僕は君から離れないよ」

 

 この魔法は、柔らかで甘く、良い香りがするものだ。

 鋭い攻撃ではない。

 だが、纏わりつき、気が付いた時には振り払っても絡みついて取れなくなっている。

 拘束とは違う。封印でもない。

 

 粘着、か。


 ウイスキーと瓶の破片が飛び散った床を踏みながら、わたしは相手を見つめた。

 水宝玉の魔女に全神経を集中させる。

 そして、ようやく悟った。この相手には、実体がない。だから、相手の中身を知るための映像が全く浮かんでこなかったのだ。

 ブロックされているわけではなかったのである。

 掴もうとしても、何の手ごたえがないのだ。……だが、死者ではない。

 (この、得体のなさは、なんだ)


 「僕はね、そもそも人間じゃないんだよ」

 わたしの思考を読んで、水宝玉は楽しそうに言った。

 「動物でもない。だから、君の特技である読み取りも通用しない」

 世の中には、僕みたいな存在に石を授ける風変わりな者もいるということだ。

 独り言のように、水宝玉は言った。

 音楽的な声音は聞いているだけで酔っ払いそうになる。わたしは何度も頭を振った。足元がぐらついているのは、ウイスキーのせいではない。

 「僕の正体を当てられるかな」

 君、魔女の愛弟子に、さ。

 

 わたしは水宝玉から離れた席に座った。

 できれば車両を別にしたいほどだったが、しびれるような感覚が体に居座り、動くのも億劫なほどなのだった。

 正体を当てろと水宝玉の魔女は言う。

 これは、魔女の愛弟子たるわたしへの挑戦だ。


 わたしは、受けざるを得まい。どうやら、無視するという選択肢はなさそうだ。


 ゴトゴトゴトゴト。

 夜汽車は進み続ける。

 朝に向かう。東に向かう。

水宝玉=アクアマリン


エロい大人のゴルデン(もどき)でございますm(__)m

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