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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第四部 赤ずきん
31/77

~閑話~街角の黒曜石 2

魔女狩りに遭う前に逃げろと、老人に告げるペル。

しかし老人は動かず、儚く美しい運命の縮図は、次第に色褪せてゆくのだった。

その2 ~閑話~街角の黒曜石 2


 店の外は激しい雷雨であり、汚れた窓には大粒の雨が叩きつけられて流れている。

 薄暗い店の中では暖炉が燃えており、明かりは暖炉の炎のみだった。

 火の前に座り、眼鏡をかけなおした老人は、オレンジ色の炎を背景に、黒く影になっている。

 わたしには、見えていた。

 彼の運命の縮図――虹色の輝きを息づくように放っている――が、もう間もなく、この生を終えようとしているのが、まざまざと、見えていた。

 

 どう……ん。


 唐突に大砲が鳴り響く。

 思わず振り返ったわたしに、陰気な声で老人が言った。


 「処刑が終わった合図だよ。今回は、時間がかかったな」

 火あぶりなら、何人でも一度にできるんだ。

 老人は、無感情にそう言った。

 絞首刑なら一人ずつだから、人数がかさむと時間がかかるのだと。

 「この雨の中でも、観客はいるものでな」

 眼鏡を外し、チェックのシャツの袖で拭きながら、老人は喋り続けた。独り言のようである。


 「人間とは、己よりも奇妙で薄気味悪く、孤独で嫌われている者を見つけ出すと、いてもたっても居られなくなる生き物なのだよ、娘さん」

 「……」

 雨は相変わらず激しかった。

 ショウウィンドウは、無数の雨粒に叩きつけられて、震えているようである。

 炎を背景にした老人は、命の輝きを放ち続けている。「人」の命のはかなくも美しい光の粒子が、その老いたからだから放たれ続けている。

 光の波の勢いが、徐々に、徐々に、衰えてきているのが、わたしには見える。

 同時に、あの軽薄なヘクセイェーガー共が、役所を前に、激しい雨の中で争いを始める姿が浮かんだ。

 (通報するのは、俺だ。最初に見つけたんだ) 

 (俺こそ最初に見つけた。俺は既にヘクセイェーガーの称号を貰っているんだ。お前より格上なんだよ)

 (黙れ、殴るぞ)

 

 複数いる少年たちが、ずぶ濡れになりながらにらみ合い、雨の中で構えた。

 そして乱闘が始まる。

 暗雲垂れ込める街の上で、また、金の針金のような稲妻が走った。

 空が、裂ける。


 「排除したいという欲求は、どこからやってくるのだろうか、そうは思わないかね、娘さん」

 にえお、と、黄色い目の猫が鳴き、餌を食べ終えてレジ台から飛び降りた。

 柔らかな体は音もなく着地し、甘えた声で鳴き続けながら老人の足元へ歩み寄る。

 わたしは、無言で老人を見ていた。

 

 逃げるべきだ、と、わたしは言った。

 老人はその理由を聞かないまま、とつとつと語り続けているのだ。

 時間は刻々と過ぎゆき、老人の体から放たれる命の輝きは、少しずつ、だが確実に薄れている――。


 「強い者になりたい、優れた者になりたいという願いは、人間の本能的な欲求なのではないかと思うのだよ」

 

 バチャバチャ、バチャ……。

 少年が入り乱れて乱闘を繰り広げているのが見える。

 雨に打たれて、湖にでも落ちたかのようなずぶぬれで。

 殴り倒された者は水たまりに顔を突っ込んでいる。

 その上に馬乗りになろうとする別の少年を、背後から引き起こして、また殴る者がいる――。


 バチャバチャ、バチャ……。


 だが、勝者はまもなく、決まろうとしていた。

 その勝者が、ヘクセイェーガーの資格を得る。

 魔女ひとり50グルテンだから、今回は一度に100グルテン。

 それと、極上のアーモンドチョコレートと、街の子供らが皆憧れる、勇者の称号。

 

 「踏みつけずにはいられないのだ。弱者を見つけては、己の強さと正当さを確かめ、安堵しながら生きてゆく。それが人間なのだよ」

 弱い、なんと弱い生き物だろうか。

 老人はそう言いながら、猫を膝に抱き上げた。

 わたしは一つ溜息を落とすと、彼を正面から見つめた。

 眼鏡をかけなおした老人は、ぼんやりと曇ったまなざしを足元に落としている。

 彼は、考えている。

 妻のことを。

 最愛の妻、守ることができなかった妻、目の前で魔女のレッテルを貼られた哀れな妻。


 

 「あなたは、逃げるべきなのだ」

 もう一度、わたしは告げた。

 黙りこくっている老人に向けて、わたしは言った。

 「バカな子供が、通報しに走っていった。今に役人がやってくるだろう。連中は、どうやら聞く耳を持たないらしいし、あなたは――」

 失われかけている命の輝きに目をやり、わたしは低く言った。

 「……弁明の余地もないまま、捉えられ命を取り上げられる」

 ぼんやりとしたまなざしを、老人はわたしに向けた。

 先ほどより一層混濁した表情である。

 わたしは気づいた。

 認知の病が、彼をむしばみかけており、この老人にはまともな時と、そうではない時が極端に現れる。

 スイッチとなるのは、妻の記憶――か。

 先ほどから妻のことを蘇らせていた彼は、狂気の領域へ移行しようとしていた。


 まだかすかに残る本来の彼の意識に向け、わたしはまた言った。

 「あなたの運命を変えることは、わたしにはできない。が、あなた自身ならば、それは可能かもしれない」

 にえお、と、猫が一声鳴いて、飼い主の膝から飛び降り、店の暗がりへ歩き去る。

 老人は、壊れたからくり人形のようなぎこちない動きで首を傾げ、まるで違う輝きを宿し始めた目で、わたしを見つめた。


 「わたしには告げることしかできない。逃げなさい」


 老人はゆらりと立ち上がると、わたしに向かい、両手を広げた。

 感極まったような表情で、奇妙に上ずった声で、彼は叫んだ。

 

 「エリィゼ!」


 ぎろぎろと油の乗ったように輝く目と、喜びをみなぎらせた口元。

 黄色いまばらな歯が見えている。

 興奮で鼻をいからせながら、彼は詰め寄った。

 

 「エリィゼ!」

 また彼は叫んだ。

 ……妻の名だ。

 今、彼の目には、若くて美しかった妻の姿が見えている。

 若草色のドレスに緋色のサッシュを締め、白い胸元とうなじを眩しくさらした、少女のような妻の姿が映っている。

 

 老人の中の時間は凄まじい勢いで逆行し、彼は今、男盛りのたくましい姿である。

 そして、目の前では若くて美しい愛妻が微笑み、両手を広げているのだ。

 

 若返った老人はたちまち妻に掴みかかり、かき抱いた。

 片手で背中、腰を探り、もう片方の手で全身を優しく撫でさすった。

 そして、白いうなじに指を滑らせ、そのままあごに手をかけ、顔を上向けると桜色の唇を奪った。


 ……。


 死臭が、する。

 わたしは目の前で、老人の運命の縮図が、しぼむように輝きを失ってゆくのを眺めていた。

 死にゆくものからの接吻は、おぞましい味がする。

 混濁した意識で抱かれるのは、冷たく、固く、不愉快なものだ。

 わたしは白髪の老人の頭ごしに、視線で魔法陣を描いた。

 後ろ手にした手で魔法の異空間に隠していた木のワンズを呼び戻し、それを握ると黒曜石に呼びかける。

 魔法は発動し、老人はわたしの体から力づくで引き離されて、床に転がった。


 「ぺ」

 と、わたしは口の中の嫌な味を床に吐き捨てると、ワンズを老人に向けた。

 未だ、狂気の中にいる老人は、はあはあと荒い息をはきかけている。

 きゅっと口元を袖で拭った。

 

 仕方がない。

 全ては、運命のままに。

 

 わたしはその時、ゆっくりと起き上がる老人の側に、老婆の姿が寄り添うのを見た。

 白い寝間着を纏い、やつれ果てた姿で、老婆は微笑みながら立っている。

 (あるいは、妻に呼ばれているのか)


 一緒に行きましょう、ね、あなた……。


 土砂降りの中を、水たまりを跳ねのけて向かって来る馬車の音が聞こえた。

 次第に近くなってくる馬の蹄と車輪の音に、わたしは潮時を知る。

 店の柱時計を見ると、ほどよい時間だ。

 わたしは、起き上がり動き出す老人を尻目に、暖炉へ急いだ。

 暖炉の前に干されたわたしの衣類は、温められて乾きかけていた。

 

 ガラガラガラガラ。

 馬車の車輪の音が近づいてくる。

 ぴしり、と馬を打ち急がせる音や御者の掛け声も。

 

 雨が、少し和らいできたか。

 雷もいつの間にか聞こえなくなっている。


 くだらないヘクセイェーガーに率いられた役人どもが、この店を目指している。

 もう、間もなくたどり着こうとしている。

 着替える時間はないので、黒いブラウスとズボンを脇にかかえ、外套を若草色のワンピースの上に羽織り、わたしは去ることにした。


 「エリィゼ、どこに行くんだね、わたしを置いて」

 老人が優し気な声色で、わたしの背中に呼びかけた。

 愛撫を拒絶された理由が、分からないといったふうである。

 

 ああ、また拗ねている。

 女とは面倒なものだが、そこがまた、可愛い――。


 ぷっと頬を膨らませた、美しいエリィゼ。

 猫が物陰から出てきて、老人の足元にまとわりついている。

 

 老人は、返事をせずにいるわたしに手を伸ばし、体に触れようとするが、魔法はまだ続いていた。

 ぴしゃり、といばらの鞭ではたかれたかのような衝撃と痛みを受け、老人は驚いて手を引っ込める。

 一歩退いた時、猫の体を踏んだ。

 ぎゃあ、と猫は悲鳴を上げ、凄まじい勢いでわたしたちの間をすり抜けると二階へ続く暗い階段を駆け上っていった。


 「なにを怒っているんだ、エリィゼ。さあ、こっちにおいで」

 「……」


 わたしは、老人の体から発せられる命の輝きが、もう本当に、よく目を凝らさなくてはならないほどに微小になっているのを一瞥した。

 そうして、ワンズを胸に、深く呼吸をする。

 黒曜石の、異空間へ――。


 馬車が店の前に到着し、馬が嘶きをあげて停止した。

 どんどんまばらになってゆく雨の中に、制服姿の役人たちが降り立つ。

 真っ先に馬車から飛び降り、店の扉を指さしたのは、殴り合ってあざだらけになった、一人の少年だ。

 得意げに鼻の下をかき、目を輝かせている。

 さあ、これで俺も、ヘクセイェーガーだ。

 みんな俺を羨むぞ。誰しも俺を認めるんだ。


 どんどん、だん。

 店の扉が乱暴に叩かれる。

 老人は、反応しない。ただ、恨めしそうにわたしを眺めている。

 どんどん、だん、どん。

 「開けなさい、通報を受けたのだ。中を改めさせてもらう。開けなさい、開けろ、開けろ!」

 

 「エリィゼ、一体、どうしたんだ」



 老人の悲し気な声を聞いたのが最後だった。

 わたしは我が魔法の異空間、黒曜石の空間に入り、老人や役人どものいる世界から身を隠した。

 完全なる静寂、心地よい冷たさに満ちた、黒曜石が無表情にわたしを迎え入れる。

 頑固な意思を持つ、黒曜石の懐。

 わたしはしばしの間、目を閉じて心地よさを味わった。

 ふいに、ゴルデンのことが思い出された。


 (ゴルデン、あなたなら、これを愚かと笑うだろうか)


 等価交換の法則による、正統な魔法を使う余地のない場面で。

 「人」の目で見た時に、理不尽極まりない方向に流されようとしている者に対し、ゴルデンならば、どうしただろう。

 魔法を使うことはできない。

 言葉で告げるほか、方法がない――。

 

 黒曜石の異空間の中で、わたしはゆっくりと目を開く。

 そうして、数ある「扉」の中から、求めるものを探す。

 あの日、一瞬だけ姿を現して以来、トラメ石の空間に続く師の扉は、見えない。

 どこを探しても、師の扉だけが、見えない。

 こつこつと歩くと、オパールの扉が目に付く。

 これは、開くことができない。触れると電気が走り、弾かれるのである。

 (まだ、あなたは来てはいけないのです)

 オパールの告げることはいつも同じだった。

 

 そしてわたしは、金の扉の前にたどり着く。

 黒曜石の夜闇のきらめきの中で、眩しく輝くその扉こそ、東の大魔女の空間に続くもののはずだ。

 紫水晶の、異空間に。


 わたしは、金の扉に近づき、両手を触れてもたれかかる。

 この中には、ゴルデンがいる。

 ゴルデンが、眠り続けている――。



 「東へ進め。いいな、このまま東だ」


 あの日、そう言い、ゴルデンはわたしを追いやった。

 闇の魔法が爆発し、破裂したかまどの勢いでわたしは飛ばされた。

 ゴルデンは、わたしを東への汽車に乗せると、そのまま気配を消したのである。


 今、彼は、傷ついた体と、莫大な量を消費した魔力を補うために、己の空間で休息している。

 紫水晶の中で、瞳を閉ざし、体を丸めて眠り続けている。


 休息の間、黄金の扉は完全に閉ざされている。

 入ることは、できない。



 「後から追う。おまえは――」

 行け、と、彼は言った。

 

 わたしは金の扉に頬を付けると、目を閉じ、彼の息遣いを聞こうとした。

 どれほどの休息が必要なものか、まるで見当がつかない。

 わたしにできるのは、わが師を探す旅を続けることだけなのだ。

 (師の教えを守りながら、東の大魔女の意思で動いている)

 知らない間に苦笑が浮かんでいた。


 「ゴルデン」

 扉の向こうの彼に、わたしは呼びかける。

 「外は、雨だ」

 あなたの嫌いな、雨だ――。


 

 そろそろ、頃あいだ。

 わたしは金の扉から離れる。

 「現実」の世界に意識を向けると、たちまち異空間はぐにゃりと柔らかくなり、わたしを外へ押し出した。

 何事もなかったかのように、件の店の中に、わたしは立っていた。

 

 店には、誰もいない。

 古ぼけてほこりまみれになった品物は床にちらばり、ショウウィンドウに飾られていた子供服は倒れていた。

 レジの上の皿は払い落されている。

 もともと乱雑だった店の中は、足の踏み場もないほど乱されていた。

 役人の捜査の荒々しさが見えるようだ。

 (魔女の子供がいないぞ、子供はどこだ)

 (吐けじじい、魔女の子供はどこだ……)


 ガッと横面を張られて突き倒された老人が、暖炉の前に椅子に倒れ掛かり、椅子もろとも床に転がる姿が浮かんだ。

 今その椅子は、脚を一本砕かれて、猫の小便の匂いが染みついた床に横倒しになっている。

 

 暖炉の火だけが、温かく燃え続けていた。

 

 かたん、と音がするので振り向くと、店の扉が半開きのまま風にあおられている。

 既に、ことは終わっている。

 あの老人はもう、この店には戻るまい。

 

 店の外に出ると、雨があがっていた。

 にえお、と、猫が物陰から出てきて、おずおずとわたしを呼ぶ。

 振り向かずにわたしは通りへ出た。



 酷い土砂降りの後だった。

 わずかに日が差し始めた空には、まもなく濃い虹がかかる。

 二重になった虹が街の上空で輝いた。

 晴れ間が訪れ、通りは次第に人通りが増えてゆく。

 

 バララララ、と、小太鼓の音。

 威勢の良いラッパの旋律。

 そして、バトンガールの踊り。

 向こうからパレードが近づいてきた。

 「処刑」の終了と、晴れ間が覗いたので、「お祭り」に人を呼び込むためのパレードである。

 

 良い子にはキャンディのプレゼントがあるよ!

 食べ物屋の屋台もやっている!

 雨もやんだし、みんな、公園に行こう。

 「今回のヘクセイェーガーの表彰が始まりますよ」

 「ヘクセイェーガーの表彰式ですよ……」


 良い子のみんな!

 次のヘクセイェーガーは、誰かな。

 次回の勇者君は、もしかしたら、君かもしれないよ⁉



 東行きの汽車は、もう間もなく到着だろう。

 すっかり元通りの賑わいを取り戻した街の通り、人の波に逆らいながら、わたしは歩く。

 駅に向かって。


 ……ひとり、東へ。

ザ ファースト キス‼︎

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