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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第一部 白雪姫
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青髭館

禁断の魔法で満たされた館にて、一人の少年が現われ、執拗に問いかけてきた。

「西の大魔女はどこにいる?」と。

その二 青髭館


 暖炉には赤々と火が燃えており、通された部屋はじゅうぶんに温かかった。

 そこらじゅうに彫刻が施された贅沢な部屋は、確かに豪華だったが、あまりにも念入りすぎて目にうるさく映る。

 部屋に通されて、わたしはぐるりと見回した。

 瀟洒な白い丸テーブルに飾られた薔薇の花から、一枚、赤い花弁が落ちていた。

 靴がめりこむほど毛足の長い敷物は、黒地に金色の唐草文様である。

 「どうぞお座りになって。飲み物は、ウイスキーで宜しいですかな」

 立ち尽くしているわたしを面白そうに眺めながら、レエが扉を閉めた。

 その扉もまた、おおぶりな彫刻が彫られた豪華なものである。

 わたしは確信していた。

 (ついてきている、はず)

 あの居酒屋では、絨毯に隠れた。

 それでは、この部屋でも同じことが行われているのではないか?

 勧められるまま、身体が埋もれるほどのソファに腰を下ろす。ウイスキーがつがれたグラスに口を付けながら、わたしは目を凝らした。

 絨毯のふちには、細かな生き物たちの刺繍が施されている。

 金の蝶。金の象。金の馬。金の鳥。

 この順番だ。蝶、象、馬、鳥――。

 「ところで、西の大魔女の愛弟子が、なぜこのようなひなびた町に」

 緑色の目を細めるようにして、レエがわたしの仕草を見守っている。

 監視している。

 手が隠れるほどぶかぶかした黒の外套は、先ほど、舘に入る時に召使が脱がせて持って行ってしまった。身体にぴったりした黒のブラウスは、指先の動きを隠してはくれないだろう。

 レエの視線が、わたしの両手の指先に集中していることを感じる。

 (やましいという気持ちは持ち合わせているようだ)

 まだ、魔法陣を使う場面ではない。

 ゆっくりと酒を流し込む。上等のウイスキーだ。これは、なかなか味わうことができない。

 「西の大魔女は、ご健在でおられますかな」

 レエの目には、上等の酒に夢中になっているように見えるのだろうか。口調に、少しだけ侮蔑の色が混じり始めた。

 わたしは答えないまま、グラスを煽りつつ薄目を開ける。視線を絨毯のふちに這わせた。

 どこかにいる。どこかにいるはずだ。

 蝶、象、馬、鳥、蝶、象、馬、鳥、――。

 

 あった。


 

 テラスの側だ。

 敷物のふちを飾る刺繍の中に、たったひとつ、異質なものが紛れている。

 金糸でふちどられた、漆黒の猫。

 わたしが気づくのを待っていたかのように、平べったい猫は閉じていた片目をあけ、見事な紫色の瞳を見せた。

 「素晴らしい、絨毯だ」

 と、わたしは言った。

 拍子抜けしたようにレエはグラスをテーブルに置いた。

 聞き出したいことを、ひとつも聞きだせていない苛立ちと、わたしに対し、得体が知れない子供だという不安感と、そして僅かに、自分の富を自慢したい気持ちが入り混じっている。その緑の目は雄弁だ。

 「外国産ですよ、あなた」

 力が抜けたような声でレエは言い、薄い唇をぺろりと舐めた。こずるそうな眼つきになった。

 「調度品に興味がおありかな。それならば、わたしの館はあなたにとっては宝庫かもしれない。どうぞ心ゆくまでご覧ください。良かったら、今晩だけではなく、何日でも逗留なさっては」

 「そうだな、そうさせていただきましょう」

 わたしが答えると、ますます拍子抜けしたようにレエが目を剥いた。

 だが、そんな素の表情は一瞬だけだった。すぐにレエは取り澄ました顔に戻ると、ぜひそうなさいませ、歓迎いたします、と答えた。

 唐突に沈黙が落ちる。

 レエのこずるい緑の瞳が、忙しく動いていることに気が付いていた。

 部屋の四隅に執拗に視線を送っている。

 こっそりと、口の中で何かを唱えているようにも見える。

 わたしは黙って相手を眺めた。

 

 す、と、レエが腰を浮かした。

 黙って酒を煽りながら、わたしはレエの動きを追った。

 そのままレエは優雅に立ち上がり、「それではお部屋に案内しましょうか」と、言いながら右の腕をしなやかに伸ばした。

 

 何もない宙に、突如、金の縄が現われた。

 輪になって束ねられているそれは、見る見るうちにほどかれてゆき、巨大な蛇のようにわたしの体の周りをまわった。

 レエがしてやったり、と笑っているのを横目に、わたしはブラウスの内側に入れてあった、木のワンズを握った。

 そのままワンズの先を、部屋の一角に向ける。

 魔法のトリックが部屋の四隅に仕掛けられていることは、さっきからのレエの目の動きで悟っていた。

 魔法陣の重要な一点を崩されて、魔法はもろくも消え去った。

 今にもわたしを縛り上げようとしていた金の縄は一瞬にして弾け、空気中に散じて消える。

 わたしは立ちあがると、ワンズの先をレエに向けた。

 右手を挙げた姿勢のままで、レエは緑の目を見開いて立ち止まっている。


 タスケテ、タスケテ。


 突如、激しい悲しみと恐怖の声が落ちてきて、わたしはレエの目の中に、おぞましい風景を読み取った。

 鉄の古びた扉と、格子から躍り出て、助けを求める白い指。

 格子の向こう側の、引きずり込まれるような、濃厚な深い闇――。

 

 タスケテ、タス、ケテ。


 「等価交換の法則が成立しない魔法が敷かれている、ので」

 立ちすくんで動けない相手にワンズを突き付け、わたしは宣告した。

 「この魔法は除去しなくてはならない」

 仕事だ。ここまで来たら、避けて通るわけにはいかない。

 ヒイ、と相手は叫んだ。

 腰を抜かしたレエの前で、わたしはワンズの先で魔方陣を描く。そしてひざまずくと、唐草文様の絨毯にワンズを触れた。

 繊維を構成するミクロの粒子に向けて魔法の言葉で呼びかけると、それは細いがしなやかで、強靭な木の弦となった。ひゅん、と鞭が鳴るような音を立てて空を切ったそれは、レエの大柄な体に絡みつき、固く拘束した。

 「西の大魔女の代理として、理に逆らう魔法は、しかるべき処置で葬り去る」

 「な、なんでもやる。なにが欲しい。金か。それとも」

 

 タスケテ、タスケテ、タスケテ――。


 かっと見開いた目が無数にこちらを振り向く。

 湿った暗闇の中で、それは銀に輝いて見えた。

 もう言葉を発することのない唇は、てんでにだらしなく開いている。

 

 しつこく襲い掛かってくる嫌らしい風景を淡々と受け止め続ける。

 おどろおどろしい姿のものたちが、声にならない声で、一斉に叫んでいた。


 タスケテ、タスケテ、ココカラ、ダシテ。

 

 「弔いを」

 とだけ言うと、わたしはワンズを強く振った。

 空気の塊がレエ伯爵の後頭部を打ち、そのまま彼は失神した。

 動かなくなった彼をそのままに、部屋を出ようとした時だった。


 「甘いな」

 

 声が背後から聞こえた。

 振り向いたが無人だ。

 かわりに、テラスの前の絨毯の刺繍から、ひらりと黒猫が抜け出してきた。輝く紫の目が一、二度しばたたくと、猫は一瞬にして消滅し、そこには黒いこじゃれた外套姿の美しい少年が立っていた。

 わたしが向き直ると、少年はゆったりとした動作で腕を組み、陶器のように白いあごを上向けた。いかにも侮蔑的なまなざしだ。

 相変わらず読み取れない相手を前に、わたしはただ見つめ続けていた。

 「聞き取る能力に長けているようだな。西の大魔女の弟子らしい」

 つまらなさそうに彼は言うと、懐から黄金のワンズを取り出して、丸く研磨された紫水晶のはめ込まれた先をわたしに向けた。

 途方もない程強大な魔力が、彼の中で熟成されている。恐ろしい程の力のくせに、それは不自然ではない。

 その魔法からは、上品な香りがした。

 等価交換の法則に乗っ取った、正統な魔法使いであることは一目瞭然である。それにしても――。

 「おまえ」

 と、紫水晶のワンズを無造作に振りながら、彼は言った。

 「俺がなにものか、本当にわからないのだな?だとしたら、とんでもない欠陥品だよ」

 「欠陥品……」

 「恥ずかしい魔女だ」

 いいしなに、さりげなく彼が放った魔法は紫の稲光だった。

 部屋が一瞬、アメジストの色に包まれるほどの閃光で、わたしは危うく目をつぶされるところだった。

 間髪入れず、わたしは防御の魔法を使った。木のワンズを目の前にかざし、つぶったまぶたの内側で眼球を動かし、小さな魔法陣を描いた。これで、わたしの周囲だけは静寂が保たれる。

 鳥かごのようなちっぽけなバリアの中で、わたしは目を開けた。

 一瞬にしてそこは、紫色の強靭な結界になっており、わたしは一歩も動くことができないことに気が付いた。

 「ほう」

 紫の瞳をすぼめ、派手な黄金の巻き毛をうるさそうにかき上げながら、彼はつかつかと近寄った。

 巨大な紫水晶の中に閉じ込められた部屋の中で、彼だけが自由だった。

 わたしの貼った小さなバリアの前まで来ると、ちょん、とワンズの先で触れた。

 バチバチイ、と黒い火花が散り、彼は顔をしかめて手を引いた。

 

 「なあ、おまえ」

 腰をかがめ、頭ひとつ分小さいわたしの視線を絡めとると、彼は改めて、問いかける。

 「西の大魔女は、どこにいる?ぜひとも必要なんだが」

 わたしは彼の顔をじっと見つめた。

 強大な魔力を持つ、凄まじい程の魔女であることは分かる。これほど強力な魔法の持ち主を、わたしは、師トラメ以外には知らない。

 この、大人とも子供とも知れない、少年の姿をした人物は、師に匹敵する力を持っていた。

 それゆえ、いくら目を凝らしても彼の情報を読み取ることができない。完全にブロックされているのだ。

 「こそばゆいんだよ」

 と、わたしの放った思念を手で払いのけるようにし、彼はもう一度、きいた。

 「西の大魔女は、どこだ。教えてくれたらおまえにはもう関らないでやろう」

 「知らない」

 きっぱりとわたしははねつけた。

 ぎゅっと表情をきつくする相手を見据えて、わたしは言った。

 「わたしも師を探している。それくらい分からないのか、魔女のくせに」

 なんだと、と彼は言い、紫の瞳に異様なほどの輝きが宿った。

 

 魔女の怒りは、人間のものとは違い、冷たい。

 魔女にも感情はあるが、人間の感情とは性質が異なるのである。

 紫水晶の魔女が放った怒りの感情は、無数の氷の刃のようだった。

 心というものを、わたしが持っているのだとしたら、彼の冷たい怒りはわたしの心を直撃し、そのなめらかな表面に縦横無尽に傷をつけた。

 痛い。

 針で胸を突かれるような痛みだ。

 これほどの痛みを与えられるほど、彼は怒っている。

 自分のことを知らない、ということが、彼にとっては相当なことなのだろう。

 だが、知らないものは知らない。

 師の行方も、彼の正体も。

 「痛いじゃないか」

 わたしは木のワンズを胸の前に当てた。

 返しの魔法である。感じた痛みはバリアをすりぬけ、そのまま相手に伝わる。

 思った通り、彼は飛びのいて唸り声を上げた。

 一瞬の隙があり、わたしは胸にあてたワンズを大きく振りかざし、天に向かって魔法陣を描いた。

 決壊の魔法が発動し、部屋を包んでいた紫水晶は一瞬にして砕けた。

 

 紫が爆発したようなものだ。

 そこらじゅうが眩しい程の紫色だった。

 砕けた結界から転がり出ると、わたしは部屋から飛び出した。

 思った通り、部屋の外は生臭く、異様な空気に満ちている。大勢いるはずの召使の気配もない。

 えんえんと続く廊下はほんのりと緑色に明るく、どこからか緩やかな音楽が流れていた。

 等価交換の法則を無視した魔法で成り立つ、魔法の空間である。

 ぬるん、とした感じで、どこか不安定な空間だ。このまま立ち尽くしていると、甘ったるいにおいにやられて気分が悪くなってしまう。

 柔らかな吐息が時折混じる、管楽器の音色は暗く下に続く、細い階段の方から聞こえていた。

 

 「正しくない」魔法に屈することはない。

 それは、罠ですらなかった。

 奇妙にぐにゃぐにゃする廊下を歩き、扉と扉の間にある、その不自然な細い階段の前に来た。

 壁に取り付けられた照明は、陰気な緑の光を放っていた。

 

 タスケテ


 頬の横を、鋭い矢のような悲しみが通り抜けた。

 恐怖、悲しみ、絶望、裏切られた愛。

 そういったものが、ごちゃまぜになり、階段の下から放たれている。

 もちろん頬をかすったからといって、傷ができるわけではなかったが、微かな痛みを覚えてわたしは顔に手をやった。

 (大勢、いる)

 一人や二人ではない。

 それこそ、数十人の命が蹂躙されている。

 亡くなった今もなお、死にきれずにうごめいている。

 

 唐突に命を手折られた若い娘たちの命によって、成立している魔法。

 等価交換の法則を無視した、劣悪なもの。

 

 シナセテ シナセテ


 悲痛な呼びかけは、いつかこのように変わっていった。

 わたしは木のワンズを持ち直し、黒曜石のついた先端を正面に掲げた。

 黒曜石から、静かで穏やかな灯がおこり、わたしは自分の足元を確かなものにした。

 そうして、階段を下りて行った。

 一歩、また一歩と進むごとに(シナセテ、シナセテ)悲痛な声は大きくなってゆき、目の前に吹き上がってくる数々のおぞましい映像は、凄惨で具体的なものになっていくのだった。

残酷描写ありの設定にしなかったので、誰かが目の前で派手に殺されるとか、すごい死体の描写とかは、ございません。

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