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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第三部 ヘンゼルとグレーテル
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かまどの番人 5

かまどの番人の「器」である少女と対峙するペル。

少女に闇をまとわせているのは「かまどの番人」の意識の残渣か、それとも――。


その9 かまどの番人 5


 らせん階段には深紅のカーペットが長く落とされており、ホールの赤い絨毯に続いている。

 吹き抜けのステンドグラスの窓は、屋敷内の照明を受けてタイルのように色づいていた。外の夜闇がガラスの色づきに透けており、描かれている動物たちが、奇妙に生々しい。

 ライオン、蛇、猛禽、猿。

 昼間は楽し気に見えた動物たちであるが、こうしてみると、獰猛な生き物ばかりである。

 

 ライオンは獲物を狙い牙をむく。

 蛇は毒蛇。林檎の木に巻き付いている。

 空から垂直に降りてくる猛禽の、光り輝く目。

 猿は、悪だくみをし、ずるそうな形に口を開いていた。

 

 その、ステンドグラスの動物たちからも、木琴の旋律が聴こえてくる。

 (ころん、ころころ、ころん……)

 滑り台にもなる、白くて平たい、階段の手すりからも。

 吹き抜けの天井から下がる、素敵なシャンデリアからも。

 (ころころ……ころ)

 

 この屋敷には、無数の子供が住み着いている。

 あまりにも多すぎて、どこにいるのか分からないほどだ。

 図書室で「駆除」したものなど、ほんの一握りに過ぎない。

 ここは、子供の家。

 楽しく遊び、はしゃぐ意識の残渣が、いつまでも浮遊している。

 無数の残渣意識たちが浮遊し、近づいたり遠のいたりしながら、珍しい来訪者であるわたしに向けて、くすくす笑いや物珍し気な視線を送るのだった。



 「時間になったら、案内するわ。それまで、お部屋で休んでいて」

 そう言い、火かき棒をエプロンにさした少女――かまどの番人――は、上の階の寝室に向かった。

 白く、幅の広い手すりに手をかけ、らせん階段を上ろうとしている。

 わたしは階段を駆け上ると、後ろから、その栗色の髪を掴んで引いた。

 強く引いたために、かまどの番人は悲鳴を上げ、倒れかける。わたしは自分の体を使って少女の体を支えた。同時にワンズを持つ手を回して、相手の首筋に黒曜石の先端を当てる。

 鋭く冷たい感触に、少女は、ひっと小さく悲鳴を上げる。

 

 「……おまえは、わたしに指示を出すことはできない」

 身の程をわきまえろ、と言うと、少女はカタカタと歯を鳴らした。

 素早く青い目を動かし、わたしの瞳を見上げる。ますます青ざめ、体は小刻みに震え出した。

 それでも、その口元は、こずるい微笑をうっすらと浮かべている。


 (つまり、容赦など全く必要がないということだ)


 わたしには、手に取るように分かる。

 この、少女の姿をした「器」の中には、ふたつの意識がせめぎあっている。

 ひとつは、もともとの体の持ち主である、少女の魂。

 もうひとつは、「かまどの番人」としての意識である。

 もちろん、「かまどの番人」の中身は、現在、ゴルデンとやりあっている最中だから、この器の中に残っているものは、残渣のようなものであろう。

 (悪だくみを考えているのは、その、残渣の方だろうか)

 わたしは、捉えている相手の後頭部、栗色の髪の毛の渦を見つめた。

 彼女の中でぐるぐると回る思考は、闇の気配が濃厚である。

 過去から今にいたるまでの数々の映像が浮かび、その都度、この小娘が何を思い何を考え、どのように行動したのかという、些細だが詳細な情報が、手に取るように伝わった。

 その結果、わたしはこう判断せざるを得なくなる。


 (……違う。この子供は、もともと、素質があった)


 闇の魔法に見込まれる素質が。


 これより更に幼い頃、一緒に育っている兄に対して、なにをしてきたか。

 (キャンキャン……キャン)

 兄が誕生日に両親からもらった、雑種の子犬。

 (キャンキャン……ギャン、ギャアッ)

 うすく、三日月形に笑み崩れる、唇。

 残虐な喜びをたたえる、深い青の瞳――。


 怒涛のように、「情報」が伝わってくる。

 彼女に触れるわたしの手が、細かく震えるほどの勢いで、異様な風景、表情、心の動きが。

 わたしに捉えられ、一見、怯えて身を固くしている少女であるが、そこから読み取れるものは「そんなもの」ではなかった。

 そんな、可憐でいじらしく、弱弱しい少女のものでは――。


 (あなたに、弟か妹ができるのよ……)

 ややふっくらした母親が、少女の頭をなでながら言う。

 昼下がりの子供部屋で。

 兄は友達と遊びにいっている。

 父は森へ木を伐りに行っている。

 母と彼女しか、いない、森の一軒家――。


 古くて、ところどころ穴のあいたオレンジ色のカーテンが揺れている。

 爽やかな風が窓から吹き込み、部屋をめぐる。

 ぱらぱらと床に落ちた絵本がめくられ、手作りのぬいぐるみの上に、カーテンの影が揺れる。


 人形を抱きながら、少女は、ふうん、と答える。

 (……うれしい?あなたに、弟か妹ができるのよ……)

 人形の片腕を、力いっぱいひねりながら、少女は笑う。

 ニイ……。


 「うん。嬉しいな」


 母親は満足げに頷く。そして、少女がちらかしたおもちゃのあれこれを、大儀そうに腰をかがめて拾い集め始める。

 「ママ、あたし、お台所にもお人形おいていたんだったわ。とってくる」

 少女は叫ぶと、勢いよく子供部屋を出て、急で狭く暗い階段を降りる。

 降りてゆく。

 少女は大急ぎで台所に行き、置きっぱなしの玩具と、そしてジャムサンドを一切れ、取り上げる。

 ほおばりながら、また子供部屋に向かう。

 べたべたとジャムは落ちる。

 狭くて急な階段、暗い足元にジャムがひと固まり落ちた時、少女はニイ……と、笑う。


 戻ってきた少女が玩具の片づけを始めた時、母親は、台所仕事に行こうと立ち上がる。

 (ちゃんと片づけてね……)

 「はあい、ママ」

 (良い子ね) 

 「あ、ママ」

 そういえば、台所にお鍋がかけっぱなしだったわよ。


 慌てて母親は階段を下りて行き――そして。


 キャアアアアアアアアアアアアア……。



 ……。


 

 「猫かぶりは、よせ」

 わたしが言うと、少女の体の細かい震えが唐突に止んだ。

 怯えて体を固くしていたのが緩み、しゃくりあげていた喉元が、まるで違う音を立て始める。

 ククク……クク。

 低く笑いながら、少女は振り向き、上目をわたしを見上げた。赤い舌を出して唇を舐め、少女は言った。

 「見られちゃった」


 異形の、子供。


 わたしは少女から体を離すと、思い切り後ろ髪を引いた。

 バランスを崩した少女は上りかけていた階段から転がり落ち、ホールのじゅうたんの上にうつぶせに倒れる。

 だが、すぐに起き上がると、険のある目つきでわたしを睨んだ。


 「なによ」

 少女は不平そうに唇を尖らせると言った。

 大人に叱られて、納得できずに口答えをする時の顔だ。

 「なによ……あんただって、魔女のくせに。子供みたいな姿で、色々やってるくせに」


 こんな子供の言い分に付き合う気はないし、そもそもこの子供が過去になにをしてきたのかなど、関係がないことだ。

 そもそも、わたしは、この少女など興味がない。

 どんなに邪悪な魂に生まれついたのだとしても、彼女の運命の縮図が、もともと「こうなる」よう描かれていたのだという事実も、わたしには、どうでも良い。

 知りたいのは「かまどの番人」のほうである。

 (ゴルデン)

 わたしは、はぐれた東の魔女に呼びかける。

 (なにをしている、ゴルデン――)

 「本体」と対峙しているはずの、ゴルデン。

ここに「器」がある限り、「本体」は「器」に戻ろうとするはずである。

 0時の「食事時」までに、必ず――。


 「どうでもいい。台所はどこだ」

 かまどのある、台所だ。

 わたしが言うと、少女はぎょっと目を見開いた。顔が紅潮してゆき、今にも泣きそうに表情が歪んだかと思うと、その場でじだんだと踏み始めた。

 栗色の髪をかきむしり、歯ぎしりをし、その歯の間から「キー」という高い音を出しながら、少女は耐えがたい怒りを現した。

 自分に興味を持ってもらえない、自分の吹きかけた喧嘩を買ってもらえない、相手にされなかったという事実が、彼女を狂わせている。

 子供のヒステリーだ。


 「うるさい、台所はどこだ」

 わたしが続けると、少女は目を見開き、くしゃくしゃに醜く顔を歪ませながら掴みかかってきた。

 階段を二段ほど登ったところに、わたしはいた。

 ワンズを胸の前に置き、防御の魔法を発動させると、少女は寸前で跳ねのけられ、はじけるように宙に舞い上がり、ホールのじゅうたんの上に落ちるとくるくると回った。

 猛獣のような鳴き声を上げ、手足をばたつかせる少女を見て、わたしは、この子供に案内をさせることを諦めた。

 だが、もう一つ、方法がある。

 

 仰向けになり、四肢をばたつかせて泣きわめく子供に向け、ワンズの先で魔法陣を描く。

 ぎゃあぎゃあと叫んでいた少女は唐突に停止する。

 拳で床や宙を叩き、脚を蹴り上げ、顔を歪ませた状態で、ぴたりと動かなくなった。

 振り乱し、宙を踊っていた髪の毛は、そのままの状態で固まっている。

 凍結の魔法である。

 少女の時間は凍り付いてしまった。

 これで、彼女の身動きを完全に封じたことになる。

 ……下準備ができた。

 わたしは少女の前に立つと、ワンズを胸に当て、目を閉じて深く呼吸をする。


 魔法の、異空間へ。


 瞬間、わたしの体は現実から消滅し、自分の魔法空間である、黒曜石の空間に立っていた。

 完全な静寂、夜空のきらめきに満ちた、黒曜石の部屋。

 地に足が着いた、寡黙にして不屈の力が満ちた、わたしの魔法倉庫である。

 わたしは、夜空のきらめきを見回す。

 ……扉が、ある。

 いくつもある扉は、それぞれ、今までかかわりを持った魔女に通じている。

 

 ゴルデンの紫水晶の部屋に続く扉が、黄金に輝いている。 

 かまどの番人が、元は大魔女であったとしても、ゴルデンがやられてしまうような事態は、まず考えられない。

 わたしは空間の中を歩いた。

 扉、扉、扉。

 オパールの魔女につながる扉は、固く閉ざされている。

 ワンズを向けても扉が開くことはなく、手で触れるとぴしりと電気が走り、強く拒絶されていることを知る。

 (まだ、来てはいけません)

 官能的な響きを持つ声が、柔らかく、だが、きっぱりとはねつける。


 またわたしはゆっくりと歩く。

 かまどの番人の、扉。

 必ずあるはずだ。

 現実で接触しているのだ。新たな扉が、異空間の中に、できているはず。


 ……。


 そして、わたしは、見つける。

 かまどの番人の扉ではない。

 それを見つけた瞬間、わたしは全身の力が抜けるかと思った。

 目が釘付けになり、口の中が渇き始める。

 

 がっしりとした、茶の扉である。

 寡黙で頑固な背中のような。

 その扉には見覚えがあった。

 それは、今まで探そうとしても、なかなか見当たらなかったものだった。


 「師よ」

 

 わたしは呟いた。

 扉は、師のトラメ石の空間に続くものである。

 師が出奔して以来、数ある扉の中にまぎれてか、なかなか見つけることができなかった。

 師が意図して自分へと続く扉を隠していたのだろう。

 扉を見つけることができない故に、わたしは師を探すための旅に出るしかなかったのだ。

 ……その扉が、今、目の前で穏やかに輝いている。


 扉が、ある。

 師の元へ続く扉が、今も、ちゃんと存在している――。

 

 「し、師よ」

 わたしは駆け出した。

 扉が逃げてしまうことなく、わたしは扉の前に無事にたどり着くことができた。

 息を切らしながら、息づくように輝いている扉を見上げ――そして、ノブを握る。

 扉はわたしを拒絶することはなく、ノブは「かちり」と音を立てて回り、わたしは扉を押し開けた。

 鋭いトラメ石の閃光が目の前に広がった。

 

 息せき切り、扉の中に駆け込もうとした時だった。

 

 「……ふしゃあ……あああ……」


 地を這うような息遣いが背後に聞かれ、わたしは振り向いた。

 もちろん、そこには何もない。

 ここは、わたしの黒曜石の魔法空間である。

 わたしと黒曜石以外、何もいるわけがない。

 

 「ふしゃ……あああああ」


 また、聞こえる。

 わたしはついにノブから手を離した。開きかけていた扉は音もなく閉じる。

 扉から覗いていたトラメ石の光は消滅し、空間は元通り、黒曜石の夜空の輝きのみになった。


 新たな扉が、背後に立ち上がっていた。

 艶消しの黒で塗られた、酷く小さな扉である。

 かまどの番人の扉だ。

 艶消しの黒だから、見逃しかけていたのだろう。


 奇妙な声は、その扉の奥から聞こえる。

 わたしはワンズを構えた。

 かまどの番人が、唸り声をあげている。

 ……わたしを、挑発している。


 (ゴルデン)


 本能的に、わたしはその扉の方へ向かった。

 かまどの番人の「本体」と対峙しているはずのゴルデン。

 だが、かまどの番人は今、扉の奥からわたしを挑発している――。


 (ゴルデン、どこに、いるんだ……)


 黒い扉にワンズを向けると、待ちかねていたように扉は開いた。

 扉の向こうには紅蓮の炎が燃え盛っている。

 黒曜石の空間の中に覗くかまどの炎。それは、真っ赤な口を大きく開いているようだった。



 「ふしゃあ……ああああ……」

 (喰いたい)

 ごうごうと燃え立つ炎は闇の気配を帯び、紅蓮の色の中にはどす黒さが濃く混じっていた。

 (喰い……たい)

 唸り声の中に、強烈な欲望が聞かれる。

 

 (こども……)

 (おんなの……こども……)

 (喰いたい)

 (喰いたい)


 (……喰ってやる)

 

 「わたしは、こどもではないのだがな」

 思わず独り言が漏れた。

 とにかく、かまどは次なる食物を待っており、居合わせたわたしに目を付けているらしい。

 うまそうに映っているか、いまいち自信がないのだが、かまどから伝わる飢餓感は凄まじいものがあった。

 

 かまどの本音としては、もう、子供であろうがなかろうが、構わないといったところか。


 「ふしゃああ……」



 かまどの番人の扉に踏み込む直前、わたしは背後を振り向いた。

 ……愕然とした。

 あれほどはっきりと輝いていた、トラメ石の空間に続く扉が消滅している。

 黒曜石の空間のどこに目を凝らしても、師へ続く扉は見当たらず、夜闇の輝きが瞬くばかりだったのである。

子供は、何を考えているか大人からは見えない分、ホラーっぽいな、と感じることがあります。

次回で第3部終了です。

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