かまどの番人 5
かまどの番人の「器」である少女と対峙するペル。
少女に闇をまとわせているのは「かまどの番人」の意識の残渣か、それとも――。
その9 かまどの番人 5
らせん階段には深紅のカーペットが長く落とされており、ホールの赤い絨毯に続いている。
吹き抜けのステンドグラスの窓は、屋敷内の照明を受けてタイルのように色づいていた。外の夜闇がガラスの色づきに透けており、描かれている動物たちが、奇妙に生々しい。
ライオン、蛇、猛禽、猿。
昼間は楽し気に見えた動物たちであるが、こうしてみると、獰猛な生き物ばかりである。
ライオンは獲物を狙い牙をむく。
蛇は毒蛇。林檎の木に巻き付いている。
空から垂直に降りてくる猛禽の、光り輝く目。
猿は、悪だくみをし、ずるそうな形に口を開いていた。
その、ステンドグラスの動物たちからも、木琴の旋律が聴こえてくる。
(ころん、ころころ、ころん……)
滑り台にもなる、白くて平たい、階段の手すりからも。
吹き抜けの天井から下がる、素敵なシャンデリアからも。
(ころころ……ころ)
この屋敷には、無数の子供が住み着いている。
あまりにも多すぎて、どこにいるのか分からないほどだ。
図書室で「駆除」したものなど、ほんの一握りに過ぎない。
ここは、子供の家。
楽しく遊び、はしゃぐ意識の残渣が、いつまでも浮遊している。
無数の残渣意識たちが浮遊し、近づいたり遠のいたりしながら、珍しい来訪者であるわたしに向けて、くすくす笑いや物珍し気な視線を送るのだった。
「時間になったら、案内するわ。それまで、お部屋で休んでいて」
そう言い、火かき棒をエプロンにさした少女――かまどの番人――は、上の階の寝室に向かった。
白く、幅の広い手すりに手をかけ、らせん階段を上ろうとしている。
わたしは階段を駆け上ると、後ろから、その栗色の髪を掴んで引いた。
強く引いたために、かまどの番人は悲鳴を上げ、倒れかける。わたしは自分の体を使って少女の体を支えた。同時にワンズを持つ手を回して、相手の首筋に黒曜石の先端を当てる。
鋭く冷たい感触に、少女は、ひっと小さく悲鳴を上げる。
「……おまえは、わたしに指示を出すことはできない」
身の程をわきまえろ、と言うと、少女はカタカタと歯を鳴らした。
素早く青い目を動かし、わたしの瞳を見上げる。ますます青ざめ、体は小刻みに震え出した。
それでも、その口元は、こずるい微笑をうっすらと浮かべている。
(つまり、容赦など全く必要がないということだ)
わたしには、手に取るように分かる。
この、少女の姿をした「器」の中には、ふたつの意識がせめぎあっている。
ひとつは、もともとの体の持ち主である、少女の魂。
もうひとつは、「かまどの番人」としての意識である。
もちろん、「かまどの番人」の中身は、現在、ゴルデンとやりあっている最中だから、この器の中に残っているものは、残渣のようなものであろう。
(悪だくみを考えているのは、その、残渣の方だろうか)
わたしは、捉えている相手の後頭部、栗色の髪の毛の渦を見つめた。
彼女の中でぐるぐると回る思考は、闇の気配が濃厚である。
過去から今にいたるまでの数々の映像が浮かび、その都度、この小娘が何を思い何を考え、どのように行動したのかという、些細だが詳細な情報が、手に取るように伝わった。
その結果、わたしはこう判断せざるを得なくなる。
(……違う。この子供は、もともと、素質があった)
闇の魔法に見込まれる素質が。
これより更に幼い頃、一緒に育っている兄に対して、なにをしてきたか。
(キャンキャン……キャン)
兄が誕生日に両親からもらった、雑種の子犬。
(キャンキャン……ギャン、ギャアッ)
うすく、三日月形に笑み崩れる、唇。
残虐な喜びをたたえる、深い青の瞳――。
怒涛のように、「情報」が伝わってくる。
彼女に触れるわたしの手が、細かく震えるほどの勢いで、異様な風景、表情、心の動きが。
わたしに捉えられ、一見、怯えて身を固くしている少女であるが、そこから読み取れるものは「そんなもの」ではなかった。
そんな、可憐でいじらしく、弱弱しい少女のものでは――。
(あなたに、弟か妹ができるのよ……)
ややふっくらした母親が、少女の頭をなでながら言う。
昼下がりの子供部屋で。
兄は友達と遊びにいっている。
父は森へ木を伐りに行っている。
母と彼女しか、いない、森の一軒家――。
古くて、ところどころ穴のあいたオレンジ色のカーテンが揺れている。
爽やかな風が窓から吹き込み、部屋をめぐる。
ぱらぱらと床に落ちた絵本がめくられ、手作りのぬいぐるみの上に、カーテンの影が揺れる。
人形を抱きながら、少女は、ふうん、と答える。
(……うれしい?あなたに、弟か妹ができるのよ……)
人形の片腕を、力いっぱいひねりながら、少女は笑う。
ニイ……。
「うん。嬉しいな」
母親は満足げに頷く。そして、少女がちらかしたおもちゃのあれこれを、大儀そうに腰をかがめて拾い集め始める。
「ママ、あたし、お台所にもお人形おいていたんだったわ。とってくる」
少女は叫ぶと、勢いよく子供部屋を出て、急で狭く暗い階段を降りる。
降りてゆく。
少女は大急ぎで台所に行き、置きっぱなしの玩具と、そしてジャムサンドを一切れ、取り上げる。
ほおばりながら、また子供部屋に向かう。
べたべたとジャムは落ちる。
狭くて急な階段、暗い足元にジャムがひと固まり落ちた時、少女はニイ……と、笑う。
戻ってきた少女が玩具の片づけを始めた時、母親は、台所仕事に行こうと立ち上がる。
(ちゃんと片づけてね……)
「はあい、ママ」
(良い子ね)
「あ、ママ」
そういえば、台所にお鍋がかけっぱなしだったわよ。
慌てて母親は階段を下りて行き――そして。
キャアアアアアアアアアアアアア……。
……。
「猫かぶりは、よせ」
わたしが言うと、少女の体の細かい震えが唐突に止んだ。
怯えて体を固くしていたのが緩み、しゃくりあげていた喉元が、まるで違う音を立て始める。
ククク……クク。
低く笑いながら、少女は振り向き、上目をわたしを見上げた。赤い舌を出して唇を舐め、少女は言った。
「見られちゃった」
異形の、子供。
わたしは少女から体を離すと、思い切り後ろ髪を引いた。
バランスを崩した少女は上りかけていた階段から転がり落ち、ホールのじゅうたんの上にうつぶせに倒れる。
だが、すぐに起き上がると、険のある目つきでわたしを睨んだ。
「なによ」
少女は不平そうに唇を尖らせると言った。
大人に叱られて、納得できずに口答えをする時の顔だ。
「なによ……あんただって、魔女のくせに。子供みたいな姿で、色々やってるくせに」
こんな子供の言い分に付き合う気はないし、そもそもこの子供が過去になにをしてきたのかなど、関係がないことだ。
そもそも、わたしは、この少女など興味がない。
どんなに邪悪な魂に生まれついたのだとしても、彼女の運命の縮図が、もともと「こうなる」よう描かれていたのだという事実も、わたしには、どうでも良い。
知りたいのは「かまどの番人」のほうである。
(ゴルデン)
わたしは、はぐれた東の魔女に呼びかける。
(なにをしている、ゴルデン――)
「本体」と対峙しているはずの、ゴルデン。
ここに「器」がある限り、「本体」は「器」に戻ろうとするはずである。
0時の「食事時」までに、必ず――。
「どうでもいい。台所はどこだ」
かまどのある、台所だ。
わたしが言うと、少女はぎょっと目を見開いた。顔が紅潮してゆき、今にも泣きそうに表情が歪んだかと思うと、その場でじだんだと踏み始めた。
栗色の髪をかきむしり、歯ぎしりをし、その歯の間から「キー」という高い音を出しながら、少女は耐えがたい怒りを現した。
自分に興味を持ってもらえない、自分の吹きかけた喧嘩を買ってもらえない、相手にされなかったという事実が、彼女を狂わせている。
子供のヒステリーだ。
「うるさい、台所はどこだ」
わたしが続けると、少女は目を見開き、くしゃくしゃに醜く顔を歪ませながら掴みかかってきた。
階段を二段ほど登ったところに、わたしはいた。
ワンズを胸の前に置き、防御の魔法を発動させると、少女は寸前で跳ねのけられ、はじけるように宙に舞い上がり、ホールのじゅうたんの上に落ちるとくるくると回った。
猛獣のような鳴き声を上げ、手足をばたつかせる少女を見て、わたしは、この子供に案内をさせることを諦めた。
だが、もう一つ、方法がある。
仰向けになり、四肢をばたつかせて泣きわめく子供に向け、ワンズの先で魔法陣を描く。
ぎゃあぎゃあと叫んでいた少女は唐突に停止する。
拳で床や宙を叩き、脚を蹴り上げ、顔を歪ませた状態で、ぴたりと動かなくなった。
振り乱し、宙を踊っていた髪の毛は、そのままの状態で固まっている。
凍結の魔法である。
少女の時間は凍り付いてしまった。
これで、彼女の身動きを完全に封じたことになる。
……下準備ができた。
わたしは少女の前に立つと、ワンズを胸に当て、目を閉じて深く呼吸をする。
魔法の、異空間へ。
瞬間、わたしの体は現実から消滅し、自分の魔法空間である、黒曜石の空間に立っていた。
完全な静寂、夜空のきらめきに満ちた、黒曜石の部屋。
地に足が着いた、寡黙にして不屈の力が満ちた、わたしの魔法倉庫である。
わたしは、夜空のきらめきを見回す。
……扉が、ある。
いくつもある扉は、それぞれ、今までかかわりを持った魔女に通じている。
ゴルデンの紫水晶の部屋に続く扉が、黄金に輝いている。
かまどの番人が、元は大魔女であったとしても、ゴルデンがやられてしまうような事態は、まず考えられない。
わたしは空間の中を歩いた。
扉、扉、扉。
オパールの魔女につながる扉は、固く閉ざされている。
ワンズを向けても扉が開くことはなく、手で触れるとぴしりと電気が走り、強く拒絶されていることを知る。
(まだ、来てはいけません)
官能的な響きを持つ声が、柔らかく、だが、きっぱりとはねつける。
またわたしはゆっくりと歩く。
かまどの番人の、扉。
必ずあるはずだ。
現実で接触しているのだ。新たな扉が、異空間の中に、できているはず。
……。
そして、わたしは、見つける。
かまどの番人の扉ではない。
それを見つけた瞬間、わたしは全身の力が抜けるかと思った。
目が釘付けになり、口の中が渇き始める。
がっしりとした、茶の扉である。
寡黙で頑固な背中のような。
その扉には見覚えがあった。
それは、今まで探そうとしても、なかなか見当たらなかったものだった。
「師よ」
わたしは呟いた。
扉は、師のトラメ石の空間に続くものである。
師が出奔して以来、数ある扉の中にまぎれてか、なかなか見つけることができなかった。
師が意図して自分へと続く扉を隠していたのだろう。
扉を見つけることができない故に、わたしは師を探すための旅に出るしかなかったのだ。
……その扉が、今、目の前で穏やかに輝いている。
扉が、ある。
師の元へ続く扉が、今も、ちゃんと存在している――。
「し、師よ」
わたしは駆け出した。
扉が逃げてしまうことなく、わたしは扉の前に無事にたどり着くことができた。
息を切らしながら、息づくように輝いている扉を見上げ――そして、ノブを握る。
扉はわたしを拒絶することはなく、ノブは「かちり」と音を立てて回り、わたしは扉を押し開けた。
鋭いトラメ石の閃光が目の前に広がった。
息せき切り、扉の中に駆け込もうとした時だった。
「……ふしゃあ……あああ……」
地を這うような息遣いが背後に聞かれ、わたしは振り向いた。
もちろん、そこには何もない。
ここは、わたしの黒曜石の魔法空間である。
わたしと黒曜石以外、何もいるわけがない。
「ふしゃ……あああああ」
また、聞こえる。
わたしはついにノブから手を離した。開きかけていた扉は音もなく閉じる。
扉から覗いていたトラメ石の光は消滅し、空間は元通り、黒曜石の夜空の輝きのみになった。
新たな扉が、背後に立ち上がっていた。
艶消しの黒で塗られた、酷く小さな扉である。
かまどの番人の扉だ。
艶消しの黒だから、見逃しかけていたのだろう。
奇妙な声は、その扉の奥から聞こえる。
わたしはワンズを構えた。
かまどの番人が、唸り声をあげている。
……わたしを、挑発している。
(ゴルデン)
本能的に、わたしはその扉の方へ向かった。
かまどの番人の「本体」と対峙しているはずのゴルデン。
だが、かまどの番人は今、扉の奥からわたしを挑発している――。
(ゴルデン、どこに、いるんだ……)
黒い扉にワンズを向けると、待ちかねていたように扉は開いた。
扉の向こうには紅蓮の炎が燃え盛っている。
黒曜石の空間の中に覗くかまどの炎。それは、真っ赤な口を大きく開いているようだった。
「ふしゃあ……ああああ……」
(喰いたい)
ごうごうと燃え立つ炎は闇の気配を帯び、紅蓮の色の中にはどす黒さが濃く混じっていた。
(喰い……たい)
唸り声の中に、強烈な欲望が聞かれる。
(こども……)
(おんなの……こども……)
(喰いたい)
(喰いたい)
(……喰ってやる)
「わたしは、こどもではないのだがな」
思わず独り言が漏れた。
とにかく、かまどは次なる食物を待っており、居合わせたわたしに目を付けているらしい。
うまそうに映っているか、いまいち自信がないのだが、かまどから伝わる飢餓感は凄まじいものがあった。
かまどの本音としては、もう、子供であろうがなかろうが、構わないといったところか。
「ふしゃああ……」
かまどの番人の扉に踏み込む直前、わたしは背後を振り向いた。
……愕然とした。
あれほどはっきりと輝いていた、トラメ石の空間に続く扉が消滅している。
黒曜石の空間のどこに目を凝らしても、師へ続く扉は見当たらず、夜闇の輝きが瞬くばかりだったのである。
子供は、何を考えているか大人からは見えない分、ホラーっぽいな、と感じることがあります。
次回で第3部終了です。




