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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第三部 ヘンゼルとグレーテル
27/77

かまどの番人 4

ゴルデンの張った結界から締め出されたペルは、屋敷に漂う子供の幽霊に悩まされる。一回の部屋を検分するペルの前に、一人の少女が現われる。

彼女こそ「かまどの番人」の「器」であった。

その8 かまどの番人 4

 

 はぐれてしまった、と言っても、それは見た目だけのことだ。

 締め出されてしまった今となっては、食堂の結界に介入することは、できない。

 だが、ゴルデンの側に行こうと思えばいつでも行ける。

 

 件の、魔女の、魔法の異空間である。

 わたしの魔法の倉庫である黒曜石の空間から、ゴルデンの紫水晶の空間は通じているはずだから、このままはぐれてしまうことは、ない。

 最も、ゴルデンがかまどの番人に息の根を止められてしまうことがあれば、話は別になるが。

 

 (ゴルデンの元に行くのは、いつでもできることだ)


 わたしは、次第に夕日の色を帯び、赤い絨毯の上に長く影を伸ばす、ステンドグラスの彩を眺めた。

 深紅のじゅうたんに、赤味を帯びてゆく彩は次第に馴染んゆき、やがてほとんど見えなくなってゆく。

 風見鶏は、相変わらず音を立てていた。


 キイキイ……キイ。


 わたしは、木のワンズを胸に構え、ホールを見回した。

 結界となっている食堂の他に、扉は二つある。

 いずれも白く塗られた開き戸だ。

 

 さっきから、木琴の音と子供の笑い声が耳の中で繰り返されていた。

 それも、一人や二人の子供、ひとつやふたちの木琴の音ではない。

 めちゃくちゃにバラバラなたどたどしい琴の旋律と、大勢の笑い声、楽し気な内緒話のひそひそ声、きゃあっというい歓声がそこここに漂っており、ふわふわと宙を遊んでは、音が近づいたり遠のいたりするのだった。

 

 (静かに、しろ)


 わたしはワンズを一振りした。

 封印を解かれた今、わたしの足は揺らぐことはない。

 魔女の愛弟子に、たわむれかけるなど、頑是ない子供の幽霊であろうと許されはしない。

 幽霊たちのさざめきは、一瞬にして途絶えた。

 耳元にまとわりついていた喧しい木琴も、最後の「ころん」というひと叩きで終了する。

 

 わたしは目を凝らす。

 次第に夕闇が濃くなるホールは、突然、壁のランプがともりだした。

 ぽん、ぽん、ぽん、と手前から順、反時計回りに明かりは灯ってゆき、やがてホールは白く明るくなる。

 屋敷に夜が訪れたのである。

 わたしがゆっくりと、手前の一つ目の扉に近づく。

 「遊戯室」という看板が掛けられており、看板にはボールと木琴、絵本などが彫りつけられていた。

 かちゃり、とノブを回して扉を開くと、薄闇の部屋がわたしを迎える。

 カーテンがまだ閉められていない。

 テラスから、夕日の赤味が細く伸びていた。

 レースのカーテンのひだが夕日を受けて長い影を作り、広々とした遊戯室の床に落ちている。


 ……ふいに、その影が揺れるのを、わたしは見た。

 テラス窓の脇に束ねられた、若草色のカーテンの裾に、蹲る小さな影が見える。

 子供、か。


 (もう、いい、かい)


 歌うような細い声が、そっと聞こえた。

 わたしはワンズを胸に、部屋の中へ踏み込む。

 すると、わたしの来訪を歓迎するかのように、天井の照明が手前から順についた。

 小ぶりなシャンデリアである。

 縦に三つ、横に三つ、中央に大きなシャンデリアが、部屋には飾られている。

 それらに明かりが灯り、ゆらゆらとシャンデリアの透明な影が床に落ちかかる。

 

 (もう、いい、かい)


 「ざあっ」

 唐突に派手な音を立てて、若草色の厚いカーテンが閉まった。

 テラス窓はカーテンに覆われ夕日は遮断される。

 同時に、カーテンの裾にうずくまっていた小さな影は、閉ざされたカーテンの向こう側にすっぽりと隠れた。

 

 (もう、いい、よ)


 笑い声を含んだ子供の声が宙をゆらめいた。

 (きゃあははははっ)

 勢いよく、なにかがわたしの体の横を通り抜け、ばたばたと部屋中を走り回る気配がする。

 遊戯室の隅に整理されたおもちゃ箱が、「ずっ」と、ずれる。

 大きな戸棚の扉が「ぱた」と開かれ、そしてまた閉まる。

 (きゃあはははははっ)

 


 わたしは大股でテラスのカーテンに近づくと、思い切りよく跳ねのけた。

 もちろんそこには何もない。

 

 (くすくす、ふふふ)

 (うふ・・・…ふふふ)


 「幽霊の相手をしている時間はない」

 わたしはぼそりと呟いた。

 

 幽霊というより、子供らの意識の残渣だろう。

 夢中になって遊び続ける喧騒が、今でもこの屋敷のいたるところにこびりついている。

 わたしは、遊戯室を出た。


 (うふ、ふふふ……)

 (かわってる)

 (ちょっと、違うね)

 (うん、ちょっと違う)

 もう一つある扉に向かうわたしの背後や頭上で、軽やかなくすくす笑いが漂っている。

 

 ここは、幽霊の家だ。

 幽霊が山ほど住み着いている屋敷である。

 

 くすくす笑いや転がるような木琴の音を振り払いながら、わたしは「図書室」の前に立つ。

 文字通り、本と羽ペンが彫り込まれた看板がかかった扉を開けると、そこは既に、えんじ色のカーテンが引かれており、仄明るい照明がともり、夜の支度が完了していた。

 背の高い本棚が並んでいる。

 その向こう側に読書テーブルがあるらしい。

 ここにも目ぼしいものはなさそうだが、ワンズを胸に、念のため足を踏み入れる。

 

 かさ……かさり、ぱら。


 微かに、本のページをめくる音が聞かれるのは例によって幽霊の仕業であろう。

 構わずわたしは本棚と本棚の間の通路に入った。

 童話や辞典が、整然と並んでいる。

 しかし、どの本も、どの棚も埃ひとつない。

 かまどの番人の仕事は完璧である――。


 (あのこ、ちょっと変わってる)

 (ぼくらと違うね)(うん、違う)

 (ねえ……くすくすくす)


 ひそひそと語り合う声は、残らず届いていた。

 「内緒話にもなっていない。まぬけとは貴様らのことだ」

 そこらじゅうに漂い、払ってもきりのない煩さに、わたしは少し苛立っていたのかもしれない。思わずつぶやくと、背後で激しい物音がした。振り向くと、本棚の本が大量に落とされ、山になっている。

 「面倒くさい」

 わたしは別の本棚の間に入り、扉に向かおうとしたが、そこでもまた、行こうとする方向の本が突然崩れて山積みになる。

 どうやら、いたちごっこになりそうだ。


 ほの白い照明の図書室には、墨汁を薄くといたような闇が漂っている。

 その闇の中から、からかうような笑い声や木琴の音が聴こえているのだった。


 これでは仕事にならぬ。

 連中は鬼ごっこを楽しむような感覚で、わたしが魔力で振り払うのから、すばしこく逃げ回っているのだ。

 わたしは天井に向かい、ワンズで大きく魔法陣を描いた。

 黒曜石の魔法が発動し、たちまち部屋の中に、巨大な黒曜石の柱がいくつも立ち上がる。

 ずぼずぼと床から抜け出た黒曜石たちは、そこらじゅうを漂って遊びまわる無邪気な魂を、強制的に閉じ込めた。

 あちこちから悲し気な悲鳴があがった。


 (いやだいやだ、出してよ出してよ)

 

 そもそも、この魂たちは戻るべき器を亡くしている。浄化されずに漂い続けている、救われぬ者たちなのだ。

 (『依頼』でもなんでもないのだが、このまま打ち捨てておくわけにはいくまい……)

 幽霊どもの悲鳴と抗議の声を聞きながら、わたしは墓石のような黒曜石の柱たちに向かい、ワンズを着きつける。

 逝くべきところに逝かせてやり、ここから消してやるより、方法がないではないか。

 ワンズを向けられ、黒曜石の圧力を感じたか、幽霊たちは更に悲鳴を上げた。

 「逝くべきところに逝け」

 魔法陣を描こうとした時だった。

 

 

 かちり、とノブが音を立て、図書室に一人の少女が飛び込んできた。

 幽霊ではなく、実体のある少女である。

 栗色の髪の毛を肩まで伸ばし、大きな青い目を見開いて、必死の形相だ。

 茶のエプロンをしており、きつく締められた腰には火かき棒が差し込まれている。

 

 「お願い、それはやめて」


 少女がわたしに縋りつき、ワンズを持つ手を両手で握った。

 目に涙をいっぱいにためて、今にもこぼれそうである。少女の両手は、あかぎれだらけだった。


 「お友達なの。この子たちがいなくなったら、わたしは独りぼっちになってしまうわ」


 わたしは片足を蹴り上げて少女の体を突き倒し、ためらわずに魔法陣を描いた。

 黒曜石の夜空のきらめきが部屋中に散らばり、ずぼずぼと立ち上がっていた黒曜石の柱は次々に砕け、空気中に散じた。それと同時に、今までぎゃあぎゃあと喚き続けていた未浄化の魂たちは解放された。

 黒曜石の拘束と、この世への未練から。

 床に座り込んだ少女は、涙を零して目を見開き、虹の欠片のような色彩を振りまく鮮やかな輝きが、次々と天に向かいながら消滅してゆくのを見送っていた。

 

 「かまどの番人の、器の方だな」


 わたしが言うと、少女はゆっくりと立ち上がり、エプロンで涙をぬぐった。

 10歳前後の幼い姿である。

 この体は、強烈な魔法使いの器に過ぎない。

 「なかみ」の方は、ゴルデンと対決中であろう。

 今、この器はただの少女である。この器には、魔力はあっても、それを使いこなす裁量はないと踏んだ。


 無言で俯く少女の胸倉をつかみ、木のワンズを彼女の顎にあて、顔を上向けた。

 髪の毛を乱し、泣きじゃくりの最中の顔が、わたしを見上げている。


 聞け、と、まだしゃくりあげる少女に圧力をかけるように言うと、わたしは問いただした。

 「かまどはどこだ」

 少女はひくっと体全体を飛び上がらせるようにしゃくりあげると、悲し気に答えた。

 「台所よ。でもあそこは、わたししか入れないの」

 あなたは、西の大魔女なの、と、少女は質問を返してきた。

 「西の大魔女なら、願い事をきいてくれるんでしょう。わたしは毎日一生懸命祈っていたわ。お兄ちゃんを返して、わたしを返してって。でも、なかなか願い事は叶わなかったし、お兄ちゃんは戻ってこない」

 お前の兄は既にこの世にないだろうよ、とわたしが答えると、少女はぽろぽろと涙をこぼし、唐突に膝を落とした。

 わたしの手をすり抜け、少女は床に膝をつき、髪の毛を顔に貼り付けて涙を流し続けるのだった。


 「お前の兄の魂は、恐らく、かまどで焼かれて『食材』になり、お前の台所につるされて、そのうちお前の手で刻まれて料理されたのだろう」

 わたしが言うと、少女は悲鳴を上げた。

 耳を覆い、それ以上聞きたくないことを聞かないよう防御して、青い目を見開いて叫んでいる。

 ずいぶん長い悲鳴だった。

 

 わたしの前に、ふわっと映像が立ち上がる。

 それは、ある日の台所だ。

 少女は、台所に吊るされている「食材」から、その日使うことになっている分を降ろし、手に取った。

 その瞬間、少女は顔をゆがめ、もの問いたげに「食材」を見つめる。

 (ううん、まさか)

 一瞬、触れた時に感じた何かを、少女は打ち消す。

 ちょっと微笑さえ浮かべながら。

 (まさか、そんなわけが、ない)

 「食材」をまな板に乗せ、少女は包丁を入れたのだった――。


 「心当たりがあるようだな」

 わたしが言うと、少女は血走った目で見上げた。

 正気を失う寸前である。

 「答えろ」

 わたしはワンズを少女に向ける。

 「おまえは、作った『料理』を何者に食べさせるのだ」

 それが、かまどの番人の本体、この事態の根源であるはずだ。

 少女は無言でワンズを眺めていたが、ふいにくるりと白目を剥いて、にたあと大きく笑み崩れた。三ケ月型に口を開き、ヒステリックに笑い始めるので、ついに正気を失ったと思われた。

 わたしは思わず舌打ちすると、少女の胸倉をつかんで揺さぶり、思い切り頬を叩いてやった。

 ぱあん、と弾ける音と同時に少女は正気を取り戻し、白目は元に戻る。

 赤くなった頬をかばいながら、少女は後ずさり、憐れみを乞うようにわたしを見上げた。

 

 「わたしは西の大魔女の代理、魔女の愛弟子である。おまえの『依頼』は受け取ったが、この契約は成立しない」

 よって、わたしはおまえの願いをかなえることはできない。

 

 少女は無表情で凍り付いている。

 

 だが、とわたしは続けた。

 「結果として、かまどの番人を解いてやることはできる。おまえを支配する『本体』を粛清してやろうというのだ」

 

 依頼は引き受けられない。

 だが、不正な魔法は粛清対象である。

 わたしの言葉に少女の表情はかすかに動いた。


 ……そうだ。


 わたしは、等価交換の法則に乗っ取ることのできない「依頼」は引き受けない。

 あの、夜汽車の結界の中で、ゴルデンに締め上げられたことをまざまざと思い出し、苦い思いがこみ上げる。

 少女の「依頼」である「お兄ちゃんとわたしを返して」ということは、応えることができない。

 黒曜石の中に閉じ込められた少女の背後に広がった、精密で美しい運命の縮図からは、その「依頼」と引き換えにするための物が見当たらなかった。

 等価交換の法則にそぐわない「依頼」など、ゴルデンに何度殴られようと、引き受けることは、できない。

 それは、ゴルデンにしても同じはずだ。

 等価交換の法則は絶対である。だが、彼の言わんとすることは、そういったレベルのことではない。

 

 わたしは、分かっているのだ。

 

 「依頼」など、正当な魔法をつかさどる立場の者にとっては、ほんの些細なことである。

 不正な魔法が幅を利かせている事実を、見逃してはならない。

 ただ、それだけである。


 (ゴルデン、わたしは西の大魔女ではない。ただの愛弟子なのだ)

 己の立場を超えたことなど、できやしない。

 わたしの仕事は、「依頼」を選別し、師に届けること。

 それ以上でも、以下でもない――。


 「等価交換の方程式は、そういうふうに使うものではない。おまえはそんなだから、永久に愛弟子止まりなんだ」


 ……愛弟子止まり、と、ゴルデンはののしった。


 ゴルデンがわたしに対して向ける怒りは、実は、わたしではなく、西の大魔女すなわち師に向かっている。

 わたしを締め上げながら、師を締め上げている。

 わたしをののしりながら、師をののしっている。

 ……彼の激怒には、焦燥があった。

 (何を、焦っている)

 世界が。

 (何を、ゴルデン)

 ……世界が、死ぬ前に。時間が、ない……。

 (ゴルデン……)

 ばさばさと顔や体に叩きつけてくる、無数の白い羽根の嵐。細く白い腕を伸ばしてくる少女の体には、白い鳥の羽毛が生え始めていて――。


 こうしている今も、世界が。


 ……。


 はっと我に返った。

 わたしは大きくかぶりを振って己を取り戻すと、再び目の前の少女をにらみつける。

 少女が一瞬、こずるそうな目つきをしたことに気が付いたのだ。

 「いいわ。案内してあげる」

 少女は言い、立ち上がった。

 「でも今はだめよ。もうちょっとたってから。支度があるのよ」

 ……ころん。

 再び木琴の音が聴こえ始める。

 深い青の瞳で少女はわたしを見つめる。泣きはらした顔ではあるが、もう涙はない。

 

 「時間になったら、案内するわ。それまで、お部屋で休んでいて」

 来てちょうだい、上の階が寝室になっているのよ、と少女が言い、何事もなかったかのように部屋を出た。

 

 

 「決して、手は出すな。おまえは、ただ己の身を守ることに専念しろ」

 ふいに、ゴルデンの言葉が蘇ったが、わたしは己のすべきことをするのみだ。

 それに、汽車は明後日まで来ない。

 

 時間は、たっぷりある――。

古いホラー映画で「チェンジリング」というのがあり、幽霊屋敷のはなしなのですが、ものすごく雰囲気が良いのです。

幼くして亡くなった子供の幽霊は無邪気で心打たれるものですが、一歩間違えるとしつこくて残酷で手に負えなくて、怖い気がします。

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