灰かぶりの 墓 4
粛清の後、オパールの魔女が現われペルを抱きしめる。
謎の言葉を残して消え去ろうとするオパール。
ゴルデンはペルを封印しようとするが、オパールを追おうと気がせくペルは、ゴルデンにワンズを向けた。
その9 灰かぶりの 墓 4
黒曜石の空間の中で、粛清すべき対象に意識を凝らす。
豪華な部屋のきらびやかな寝台の中で、安らかな眠りの中にいる、娘。
今、わたしの元に、娘の顔立ちや、なめらかな肢体、薔薇の香りの香水まで届けられている。それと、彼女の心の中の模様だ。
早く子供が欲しいわ。きっともうすぐ……。
毎日が本当に幸せ。おかあさまやおとうさまも喜んでおられるわ。沢山の贈り物も届けたし。
それにおとうさまには、取り立てがあるはずだもの。大臣の位だって狙える。
嬉しいわ、明日、新しいドレスが届くの。薄いグリーンの、本当に素敵な服よ。
わたしの大切な王子様だって、それを纏ったわたしを見たら、きっと喜んでくれる。
ああそうだった、しあさってはお茶会だったわ。お義母さま主催の。ちょっと気がねしてしまうから、お茶会は好きではないわ。でも、これくらいは我慢しなくちゃね。
ああ、本当に幸せ。
本当に、本当に――。
ひらひら降り注ぐ赤い花びら。
たとえようもない程、素晴らしい香りが漂い、その中でのびのびと踊る娘。
幸福の絶頂。
――彼女の中に、不遇の中で命を失った義妹への罪悪感は、ない。
だが、降り注ぐ花びらの中に、わずかではあるが、黒い闇の影がちらつくのを、わたしは見逃さなかった。
「うふふ、あはは」
娘は笑う。幸福感に酔いしれて、くるくる回り、花のシャワーを浴びながら笑う。
華やかな笑い声。でも、そこに闇の吐息が混じる。微かだから、人間には分からない。でも、確かに。
ワンズを胸に当て、意識を娘に集め、そして深い呼吸を。
吸って――吐く。
黒曜石の空間が力強くうねり、わたしを「外」へ押し出した。目を開けると、夜の部屋である。
立派な天蓋付きのベッドと、そこにかかる薄いカーテン、豪華な調度品。
息苦しい程漂う薔薇の香り……。
今、この城の王子と、その妻である娘――わたしが粛清する相手だ――は、全てを満たされて、心地よい眠りをむさぼっていた。
二人の安らかな寝息が聞こえてくる。
わたしは暗がりの部屋を見回し、そして、見つけた。
微かな闇の気配だ。
歪んだ魔法につきものの、闇である。彼らはわたしに見つかったことを悟るや否や、こそこそと壁の向こう側へ姿を消した。
こざかしい。相手にするほどの者では、ない。
バタバタバタッ、と雨粒が強烈に窓に打ちかかっている。
外の暴風雨は勢いを増しているようだ。
数々の映像が湧き上がってくる。
これは、オパールの魔女によって残された、紅水晶の欠片の記憶。
現実で遭った酷いことと、魔法の目で無意識のうちに知ってしまった理不尽な仕打ち。
幼い紅水晶の苦痛や悲しみが大きかった分、その波動は強烈な力を持ち、またしても無数の矢のようにわたしに打ちかかってきた。
悲しい、苦しい、冷たいの、お腹がすいたの。
痛いわ、寂しいわ、かかさま、かかさま。
わたしの幸せを、おねえさまが取り上げたのよ。
(鎮まれ)
わたしはワンズを胸に当てる。
封印を解かれた今、どのような依頼も、どのような波動も、簡単にわたしを打ちのめすことはできない。
深い怨念がこもった亡霊の声はたちどころに聞こえなくなり、突き刺さるような思念の矢は一瞬にして消滅した。
これが、魔女の愛弟子の力。
本来の、ルンペルシュティルツヒェン。
毛足の長い豪華なじゅうたんに立ち、わたしは天蓋の中に向けて木のワンズをさししめした。
ワンズの先端の黒曜石で、魔法陣を描く。
――出ろ!
音もなく稲光が光り、少し遅れて雷鳴がとどろいた。
暗闇の中に雷の輝きが時折よぎる。
天蓋の薄いカーテンがふいに揺れ始め、やがて微かな衣擦れが聞こえた。
真っ白な素足が、カーテンの中から現れ、闇の部屋の中に降りた。
幸福そうな表情で、未だ眠っている状態の娘だが、魔法に操られてベッドを降り、歩いてわたしの前に来た。
薄絹をまとっただけの姿だ。
目を閉じ、微笑んだ顔で、ゆらゆらと立っている娘に向けて、わたしは次なる魔法をかける。
ワンズを天井に向けると、部屋全体に魔法陣を描いた。
たちまち部屋には結界が張り巡らされるが、ベッドに残って眠っている王子は除外する。
同じ部屋でありながら、別空間にいる王子には、わたしも娘も見えないのだ。
――ゆらゆらっと天蓋のカーテンが揺れ始める。
がさがさとベッドをまさぐる気配がし、寝ぼけたような穏やかな声で、自分の妻を呼んでいる。
あれ、いない。どこに行ったんだ?
一方、ゆらゆらと眠ったまま立っている娘に向けて、わたしはワンズを振った。
瞬時に発動した拘束の魔法は、幸せな眠りの中にいた娘の全身を、強烈な黒曜石の弦でたちまち縛り上げた。一歩も動くことができない、大きな丸太のような状態になった娘は、あまりの苦痛のために目をさまし、驚きのために声を上げる。
わたしは一歩しりぞいた。
どう、と娘の体は棒を倒すように前のめりに倒れた。
そのすぐ横を、起き出てきた王子が辺りを見回しながら通り過ぎる。妻を呼びながら、探しながら部屋の中を歩き回っている。
――我々からは見える。が、彼からは、見えない。
娘は何とか首を動かして、わたしを見上げた。
カッと差し込んだ稲光に照らされて、娘の目にわたしはどう映ったものか。
「ひぃ」
紙を激しく引き裂くような雷鳴が鳴り響いた。
「あなた、王子様、王子様、わたしはここよ、あなたっ」
わたしと娘の間を、さまようように通り抜けてゆく王子。妻の名を呼びながら首をかしげている。
そこに再び稲妻が走った。
「ひぃぃっ」
わたしは木のワンズを娘に向け、宣告を行うこととする。
「わたしは魔女の愛弟子であり、西の大魔女の代理として、歪んだ魔法を粛清する依頼を受けた」
大きく目を見開き、恐怖で全身をこわばらせる娘に向け、ワンズを振る。
「おまえは魔法の法則を無視した。これは裁かれるべきである。よって、わたしは」
いやあっと娘は叫び、いもむしのように拘束された体をくねらせながら、逃げようとした。
「……おまえを、粛清する」
雷鳴が響いた。
どこかに雷が落ちたらしい。どうん、という凄まじい音が響いてくる。
街の建物がやられたのか。
わたしは恐怖で目を見開き、喚き続ける娘の顔を凝視した。
わたしの黒い瞳から放たれた強い思念は、この娘が完全に忘れ去っていた、幼い義妹への罪悪感を呼び起こすものだった。
その罪悪感は心の奥深く(大丈夫よ……)、ほとんどもう掘り起こせないほどの深い部分に(……こんなこと、誰にも分かるわけがないわ。あの魔女だって……)固く鍵をかけられて封じ込められてあり、この娘が、このまま幸せをむさぼり人生を全うするつもりだったことを物語っていた(誰にも言うわけがないもの。言えば自分が魔女狩りに遭ってしまうものね)。
心のパンドラの箱がこじ開けられると、娘は打ちのめされたように押し黙った。
恐ろしい罪悪感が沸き起こり、同時にわたしの記憶に残る、紅水晶の最期の様子も彼女に襲い掛かった。
「そんな」
ガラスのように、うつろな目で娘は呟いた。
唇が細かく震え始めている。みるみるうちに涙があふれ、娘は泣き始める。
「そんな、あの子、死んでしまったの。そんなことになってしまうなんて」
はいつくばったまま、娘はわたしを見上げる。恐怖でおののきながら、それでも彼女は言った。
「ねえ――あなた魔女でしょう。これ、わたしのせい?わたしが悪いの」
今、娘は、まるでそこにそれがあるかのように、紅水晶の躯を見ているはずだ。傷つき汚れ、ぼろぼろになった幼い義妹の変わり果てた姿を。
無言で見下ろすわたしに向かい、涙でくちゃくちゃに濡れながら、娘は言った。
「わたしが殺したっていうの?……そんなのおかしいわよ」
粛清対象の愚痴を聞く義務はなかったし、そのつもりもない。
時間がないのだ。
わたしはワンズで魔法陣を描き、その先端をもう一度娘に向ける。
紅水晶の味わった苦痛を。
手回しオルガンの音色が流れ始める。
最初はゆっくりと哀切な旋律で。
だが、徐々に激しく、速く、荒々しい調べへ――。
ぎゃあっと悲鳴が上がった。
(転がってくる巨大なボール……赤、青、黄とカラフルな玉がこちら目がけて来る)
さらに悲鳴が上がる。泣き声も混じった。
(……鞭の音だ。それと、何かの腹いせで、何人もの大人から受ける、仕打ち)
やめてええええ、と声が上がる。
(それと、寒さ、ひもじさ、痛み、切なさ、悲しみ――)
ひくひく、と嗚咽をあげながら、娘は白目を剥きかけている。
わたしは「依頼」の入った瓶を出すと、栓を抜いた。
オパール色に輝くガラスの靴の片方は、宙に舞い上がると途端に光の粒子になり分散し、そしてそれは人の姿になる。
……オパールの魔女だ。
「これで、良いだろう」
と、オパールは言うと、妖艶に微笑み、わたしの頭を一撫でして消滅した。
ムスクの香りがたちまち辺りに漂う。
依頼主の許可を得たので、わたしは粛清をそろそろ終えることとする。
――とどめだ。
「おかしい……わよ」
こんなの。
「だって、あの子をサーカスに売ったのは、おかあさまとおとうさまで」
わたしはワンズを胸に当て、目を閉じる。
西の大魔女の代理として、粛清を完了する――。
「あの子を虐めたり、魔女だと告発したのは、サーカスの人たちじゃないの」
わたしは目を開け、体をねじるようにしてこちらを見上げている娘を見る。
幸せになりたかった、娘。
歪んだ魔法に頼ってしまった、娘……。
「わたしは、悪くな」
「歪んだ魔法を利用した者は、闇へ」
わたしはそう告げ、ワンズを彼女に向けた。
手回しオルガンが一瞬、破裂するような音を立てる。
濁音の音色である。
床に打ち付けられ、砕け散る手回しオルガン――。
娘の周りだけ、すべての「守り」がはぎ取られる。
闇から人間を守っているもの――愛や思いやり、先祖からの思い、未来への強い力――それらが一瞬にしてはぎとられ、娘は本当の丸腰になる。
すると、歪んだ魔法の香をかぎつけた闇たちが、わらわらと集まってきて娘を取り囲み、たちまち娘の姿は闇の中にまぎれて見えなくなった。
ぬめぬめとした触手や無数の目が蠢く闇の中から、くちゃくちゃと咀嚼音が聞かれ始め、すさまじい絶叫が沸き起こり――やがて苦痛の声は聞こえなくなり、次第に闇は空気中に分散して薄れて行った。
闇が消えてしまった後には、何も残っていない。
妻を呼び、探し求める王子が、今しがたまで娘がいた場所を踏み、通り過ぎた。
王子は首をかしげ、ついに部屋を出て行った。
(どこを探しても、もう妻はいない。いないのだ――)
時計の秒針の音が、やけに耳障りだった。
もう、どれくらいの時間が残っているのだろう。
「仕事」を終えたわたしは、ワンズを持つ手をぶらりと下げた。
稲光が時折走る、部屋の中に立ちつくす。
このまま「時間切れ」を待ち、再びゴルデンに封印されるのか。
(ゴルデン……東の大魔女)
ワンズを持ち直し、胸の前で構えながら、わたしは全神経をこめ部屋の隅々まで観察する。
今に何が起きる。
今に何かが。
……。
いや、ゴルデンではない。
ふいに顔の前をよぎった香りは、妖艶なムスクの香りだった。
わたしは飛びのき、ワンズで魔法陣を描く。バリアの魔法を。
一瞬遅れて、周囲は強烈な乳白色の輝きに閉じ込められる。ふわふわと色の粒子が飛び遊ぶ、オパールの結界である。
わたしの半径1メートル以内は自由であった。
すんでのところで、オパールの魔女からの拘束を免れたのである。
胸の前でワンズを構えたわたしの前に、ふわりとオパールが降り立った。
不思議な色の瞳でわたしを見ると、首をかしげて微笑んだ。
さらさらと髪の毛が流れる。
「なにを、構えている」
オパールが喋った。
ふわふわと身体の奥まで漂っていきそうな、柔らかな余韻を持った声だ。
ゆら、とオパールが目の前にきた。薄絹の奥の乳房が揺れる。
「師を返せ。なぜおまえは師を連れ去ったのだ」
わたしの言葉に、オパールはくすくすと笑った。
優雅な白い腕が伸びてきてわたしに触れようとするので、ワンズを突き出して後ずさる。
オパールは、ふふと笑った。そして、大きく腕を開いたかと思うと、逃れようのない勢いでわたしを胸にかきいだいたのだった。
「かわいそうな、子」
豊満な乳房にはさまれて、ほとんど息ができなくなる。
ムスクの香りで頭の中がしびれそうだ。
もがくわたしの耳元に唇が寄せられ、オパールは言った。あの、官能的な声で。
「教えてあげるわ、ルンペルシュティルツヒェン。わたしは死。そして、母」
意味がわかるように言え、と返しかったが、ぎゅうぎゅうと顔に押し付けられてものが言えない。
「あの子は、まだ生きているわ。あなたを見守り、待ち続けている」
(あの子?)
ふいにオパールは体を離した。
わたしが構える前に、するっと顎を撫でると、その不思議な瞳で覗き込み、悲し気に言った。
「紅水晶の、欠片があるでしょう。その欠片は、あなたの手で葬ってあげて」
「……」
「あの子の最期を見届け、あの子の苦しみを知っている、あなたの手で葬るのよ。これは依頼」
契約成立するでしょう、と言いながらオパールはどんどん離れて行き、稲光の走る部屋の空気の中に薄れた。
オパールは消えた。
そして雷鳴が鳴り渡る。
稲妻が走り、暗い部屋の中が明るくなった。
その一瞬に、部屋の調度品や、わたし自身の影が長く伸び――その影の中にもうひとつの姿を見て――わたしはワンズをそちらに向けた。
ワンズの先端から飛び出した黒い閃光は、わずかに逸れた。
いつからそこにいたのか、ゴルデンが腕を組んで立っている。
「ほう」
雷鳴が鳴り終えるのを待って、ゴルデンが言った。
「俺に歯向かうというのか」
(今、再び封印されるわけにはいかない)
わたしはなおも攻撃を仕掛けた。
(オパールが、姿を現したんだ。オパールを追わねばならないんだ)
ワンズから発せられた黒曜石の弦が拘束しようと飛びかかっていったが、ゴルデンはたやすくそれを破る。
金のワンズを胸に当て防御すると、わたしのささやかな攻撃は瞬時に砕けて消えた。
(ゴルデン、分かって――)
ふいにゴルデンの紫の瞳が輝き、強烈な氷の刃がわたしに襲い掛かってきた。
わたしは防御の魔法でそれをはねのける。
しかし、次の瞬間ゴルデンの姿が目の前から消えていた。
どこだ。
わたしは部屋の中を見回す。
暗闇だ。
そこに稲光が走る。
素早く視線を動かす。
……いた。
斜め後ろに立っているゴルデンに気が付いた時、すでにゴルデンは魔法を繰り出していた。
拘束の魔法がわたしに襲い掛かり、一瞬にして全身が動かなくなる。
気が付くと、わたしの体は紫水晶の結晶の中に閉じ込められていた。
毛足の長い絨毯を踏みしめながら、ゴルデンがゆっくりと近づいてくる。
紫水晶の群生に閉じ込められた部屋の中を、無表情にこちらを見つめながら。
稲光が部屋を照らした。
逆光になったゴルデンの紫の瞳が異様に輝いている。
金のワンズを胸に置き、ゆっくりとゴルデンは歩を進める。
「おまえは、俺から逃れることは、できない」
目の前にきたゴルデンを、わたしは見上げた。
「オパールを追わねばならないんだ。今」
ゴルデンは眉を吊り上げる。しかしその瞳は冷たい。そこには怒りはなかった。ただ、冷たい。
「今追わねば、また手がかりを追わねばならない。分からないのか」
東の大魔女に封印され、監視されながら旅を続けなくてはならない義理はどこにもないのだ。
わたしは紫水晶に固められた体を必死によじらせた。無論、一寸も動けなかったが、首から上だけは自由になったので、頭を振り回すことになる。
「ゴルデン、あなただって東の大魔女を探しているはずだろう。だから今は封印は」
前髪が目にかかった。
ムスクの香りが次第に薄れてゆく。
わたしは焦りを覚えた。
今なら間に合うかもしれない。今なら――。
ゴルデンはふいに視線を落とし、深々と溜息をついた。
しかし次の瞬間、冷徹な瞳をわたしに向け、金のワンズを突き付けたのだった。
「ゴルデン、なぜだ」
紫水晶は砕け散り、わたしは体は自由になったが、力の源の黒曜石は再び封印された。
鋭く研ぎ澄まされた黒曜石の力はたちまち弱まる。
脱力したわたしの手から木のワンズが転がり落ち、ゴルデンはそれを拾い上げた。
「オパールは、今のおまえには捕まらん。西の大魔女も、今のおまえの前には現れまい」
おまえの足掻きは無駄なんだよ、旅はまだ続くんだ。
ゴルデンの言葉に、わたしは崩れ落ち、両手を床についた。
例え封印を解かれた状態であっても、東の大魔女の力の前では無力だろう。
圧倒的な力の差だ。
わたしは唇をかみしめた。
(だが、いつか必ず、ゴルデンと戦わねばなるまい。ゴルデンの束縛から逃れなくては)
再び稲光が部屋に走る。
柱時計が時を奏で始めた。
夜が明ける前に、ここから出なくてはなるまい――。
オパールの魔女は、メキシコオパールではないです。
メキシコオパールも綺麗なのですが、オレンジ色のイメージではないです、オパールの魔女は。




