灰かぶりの 墓 3
歪んだ魔法の犠牲になり命を失った紅水晶の魔女の前に、オパールの魔女が現われる。
その8 灰かぶりの 墓3
瓶の中には、当然、もう「依頼」はない。
弱った体をいたわるように丸まっていた、愛らしい幼獣の姿は見えなくなっていた。
それを確認してから瓶をポケットに入れると、唐突に「からん」と固いものが当たる音がして、わたしはもう一度瓶を引っ張り出した。
薄紅色の石の、破片が煌めいている。
砕けた魔女の源の、かけらだ。
ふいに横から腕が伸びてきて、ゴルデンが瓶を取り上げる。
「紅水晶の砕けた破片」
ゴルデンは、わたしの顔に鋭い一瞥を投げてよこす。
「よく見ておけ。これが魔女の終焉。いつかは俺もおまえも、こうなるというわけだ」
闇に落ちることもなく、命を全うできたらの話だがな、と、付け加えてゴルデンは瓶を突き出した。
それを受け取ると、わたしは改めてその美しい破片に目を当てる。
紅水晶の魔女の亡骸の中で、砕けて朽ちた紅水晶。
その破片が、魔女の愛弟子たるわたしの元に送り届けられた。
これは魔法だ。
(だが、誰の魔法だ)
ふいに、顔の前をふわりと通り過ぎたものがあり、わたしは顔をあげる。
薄絹の流れが鼻の先をかすったような感覚があった。
しかしそれはただの空気の流れであった。
ムスクの香りと、そして、微かにきらめく細かな色の粒子。
ゴルデンも気が付いている。紫の瞳を無感情に見開き、魔法をつかさどるものにしか感じることのできない、その印に目を凝らしていた。
コツン、コツン……。
看守の足音が再び近づき、我々の結界の前を通り過ぎ、そして遠ざかる。
松明の暗いオレンジの輝きが格子の中を照らし、通り過ぎ、長く鉄格子が影を引いて、やがてともしびは消える
。
独房の中でこと切れている少女の上に、その、たとえようもなく優し気な風は渦を巻いた。
我々の目には、乳白色の薄いヴェールが遊色の光を振りまきながら、少女の体を包み込むように映った。
そしてそれは少女の傷だらけの体をいつくしむように覆い、一瞬、強く光った。
わたしは、少女の背中から砕けた紅水晶の一群が浮き上がるのを見た。
長く苦しい勤めを果たした紅水晶は、乳白色のヴェールに包み込まれ――消えた。
残るなきがらは、ただの肉のかたまり。そこに魔女の名残は、もう、ない。
未だムスクの香りが残っている。……いや。
「葬儀だ、これが」
ゴルデンが言い、わたしは頷いた。
これが魔女の葬儀。正しい魔法を使い続けた魔女の、終わりの儀式。
(いや、今はそれよりも)
空気にまぎれて消滅するどころか、ゆっくりと濃くなってゆくムスクの香りが、わたしの焦燥を掻き立てた。
オパールだ。
オパールがいる。
どこかに、たぶん、すぐそばに
ゴルデンは、すでに金のワンズを胸に構えていた。
紫の瞳が独房の汚れた壁の隅々まで探っている。
わたしも木のワンズを構えた。何かが、起こる――。
ふふ、ふ。
空気中を揺れ遊ぶような響きを含んだ女の笑い声が、唐突に聞こえた。
その声はわたしの神経を逆撫でした。
(流れ落ちる、銀の髪の毛。薄絹の向こうの、白い体)
うふ、ふ。ふふふ。
師の首に腕を回して体を寄せ、そしてこちらを振り返り、笑ってみせた女。
オパール。
「オパール!」
わたしは怒鳴ると、木のワンズに渾身の思いを込め、なけなしの魔法を発動させる。
力を封印されてはいるが、わたしは魔女の愛弟子だ。このまま成すすべもなく、奴を逃がすわけにはいかない。
紫水晶の奥に封じ込められた黒曜石から、弱い波動が伝わり、ワンズの先端から夜空の煌めく星のような、細い稲妻がほとばしった。
わたしはワンズを握る腕を振り、その稲妻で独房の四隅をくまなく照らした。
ぱりっといた音が起こり、魔法の稲妻が当たった部分の結界が破れた。
同時に黒曜石の光に照らされて、砕けた紅水晶を大事そうに両手に包む、オパールの魔女の立ち姿が一瞬、きらめいた。
オパールは砕けた石に愛おしそうに頬を寄せ、不思議な色の瞳を、ちらとこちらに向ける。
色素のほぼない透明な瞳に、揺れ動く無数の色の粒子――。
(魔女の愛弟子よ、依頼を受け取りなさい)
穏やかで温かな、まるで湯気のようにとりとめのない『依頼』がふわりと舞立ち、ムスクの香りを漂わせながらわたしに纏いつく。
そんな形で依頼を飛ばしてから、オパールは不可思議な微笑みを浮かべた。そしてその姿は次第に薄れて見えなくなってゆく。
「オパール、師は――師はどこだ」
わたしは「依頼」を振り払ったが、薄絹のように纏いついてくるそれは、動けば動くほど絡みついてきた。
ムスクの香りが強烈で息詰まりそうになりながら、わたしは更にワンズに魔法を込める。振り絞るような稲妻がほとばしった。
ばかやめろ、とゴルデンの呆れかえっているらしい声が聞こえたが、わたしは止めなかった。
ぱりっと亀裂が入った結界は、稲妻の動きに合わせてびりびりと破れて行き、ついに結界は崩壊した。
「この、救いようのない、どあほう」
結界が消滅したおかげで、牢獄の中に我々の姿は露になった。
姿だけではない。物音や話し声まで筒抜けになり、ゴルデンの発した悪態は、音のこもる牢獄の中にこだました。
どあほう。どあほう。どあほう……。
凍り付くような沈黙の後、不法侵入者に気づいた看守たちが荒々しい足音を立ててこちらに駆けてくる。
オレンジ色の松明がいくつも近づいてきたため、独房の鉄格子の影は濃くなり、激しく揺れ動いた。
(どっちが、どあほうだ)
わたしは腹の中で悪態をついた。ゴルデンは腹ただしげに唇を噛むと、ふいにわたしの腕を掴んで引き寄せ、素早く魔法陣を足元に描いた。
瞬間的に我々の肉体は空気にまぎれ、姿は見えなくなった。
次にゴルデンは金のワンズを胸につけ、深々と息を吸い――吐いた。
吐息が頬にかかったかと思うと、我々は紫色の光に満ちた空間にいた。
ゴルデンに腕を掴まれながら、わたしは四方を見渡した。
えんえんと続く、群生する紫水晶。
紫に透き通った空には穏やかな雲が流れ、その世界に流れる風にはゴルデンの上品な香りが染みついている。
ここは、ゴルデンの魔法の源。紫水晶の空間だった。
「特別に、今だけ、入れてやる」
ゴルデンは不本意そうに言った。
我々は、強大な東の大魔女の魔法空間、魔力の源、魔法倉庫の中に身を潜めているのだった。
力の源である石を授かった魔女ならば、自分の魔力の倉庫を持っている。
それは異次元である。
魔女によって、魔法倉庫の有様は様々だが、ゴルデンのそれは非常に広大で、穢れがない。
紫水晶は今も成長を続けており、天につくほど育ったものもある位だ。
東の大魔女の、力の貯蓄源――。
ゴルデンはわたしの腕を離した。
「おまえの中に残る『人間』が、師を旅立たせた引き金になっていることを、いいかげん理解しろ」
宙を踏み、紫水晶の頭上を歩きながら、ゴルデンは言った。
「オパールの魔女は、どんな姿をしていた」
わたしはゴルデンの後を追った。宙を歩くのは不安定だ。思うように歩が進まない。
少年の姿をした背中は黒い外套を揺らし、わたしを置き去りに、音もなく前へ進むのだった。
「女だ。薄絹を纏って、己の美しい体を曝した、女だ」
おんなだ、おんなだ、おんなだ――。
奇妙な反響を持ち、わたしの声は異空間に響いた。
ゴルデンは足を止め、憐れむような目でわたしを見た。ほんの僅かではあるが、紫の瞳に悲し気な光が宿る。
「よく聞け愛弟子よ。俺の目には、何人も子供を慈しみ育て上げた、老いた母親が見えていた」
「なにを、言っている」
「オパールの魔女は、見る者の心のままに姿を変えるのだ。おまえはオパールを通し、己の姿を見た」
ゴルデンは深く溜息をつくと、また背中を向け、音もなく歩き始めた。
どんどん遠ざかる背中に向かい、わたしは、待て、と声を上げる。
ゴルデンは紫の空間にまぎれて行きながら、言った。
「オパールの魔女の『依頼』を遂行するのだ。おまえは今、何をするべきなんだ」
消える。
ゴルデンが、消えてしまう。
「ゴルデン、どこへ行くんだ」
去ってしまう。わたしは取り残されてしまう。
ああ、また――。
「おまえは今、歪んだ魔法を粛清しなくてはならない」
紅水晶の魔女の運命を打ち砕いた、何者かによる歪んだ魔法を粛清する。そうだ、その通りだ。
だが。
「ゴルデン、どこへ」
今、ゴルデンの背中は完全に紫の中に紛れてしまい、わたしは異空間に取り残されていた。
最後に頼りない響きをもって、ゴルデンの声が届く。
「オパールの依頼は、おまえの仕事に沿うもののはずだ」
一時間だ。
一時間だけ、猶予をやろう。
そう聞こえた瞬間、わたしは自分の体の中心に強い衝撃を受けた。
弾丸を胸に受けたようなものだ。
後ろに吹っ飛びながら、何かが割れる音を聞く。
ぱりいん……。
わたしの力の源である黒曜石を包んでいた紫水晶の結晶が一瞬にして砕けた。
封印は解け、わたしは自分の力を取り戻す。
みるみるうちに力が漲り、わたしはワンズを胸に当て、自分の体が衝撃を受けたまま、後ろに吹き飛ぶのを食い止めた。
紫水晶の巨大な群生の中で、わたしは宙に浮きあがり、四方を見回す。
「ゴルデン」
呼んだ。
「一時間だけだ。とっとと、働け」
面倒くさそうに、どこからともなく返答が返ってくる。
(これは、なんだ)
わたしは自分の中に落ちてきた、どっしりとしたものに戸惑いを覚えた。
だが今は、それどころではない。封印は解かれたが、一時間限定の自由らしい。力が自由になる間に、魔女の愛弟子たる使命を果たせと東の大魔女は言っているのだ。
力強い黒曜石の懐かしい力は息を吹き返すがはやいか、すばしこく動いた。
わたしはその「依頼」の内容を瞬間的に読み解き、理解し、それが契約成立するものであると判断を下した。
そして、この紫の異空間の中にある、「扉」を見つけ出すと、そこに向かってワンズを向けた。
「扉」はゆっくりと開き、わたしはそこに飛び込んだ。
暗黒の、黒曜石の空間に飛び込むと、「扉」は音もなく閉じ姿を消す。
自分の魔法空間に移ると、わたしはしっかりと足を踏みしめることができた。
夜空の星のような小さな瞬きが煌めく中、わたしは息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
すべての神経を、「依頼」に集中させる。
映像が、見えた。
これは、城の中。
宝石がちりばめられた天蓋からは薄いカーテンが垂れ下がり、その内側にある褥では、若い二人が休んでいる。
王子と、その妻が。
くすくす…くす。
女の笑い声が暗い部屋に響いている。
幸せに満ち足りた笑い声だ。
良い香り、素晴らしい寝具、そして、この上もなく美しく、優しく、次期城主である、若い夫。
(手に入れたの。これが欲しかったの。わたし、幸せ……)
くすくすくす、くす。
だがその笑い声に被さるように、闇の深い囁きが混じる。
(きっと、玉のような赤ちゃんが生まれるわ。男の子ならいい。男の子なら)
くすくす、くす、くす……。
漂い始める、闇の甘い腐臭。
まだ薄い、その気配。
だけど、次第に濃くなるだろう。
その娘は、紅水晶の魔女を知っている。
幼い紅水晶がオパールの手元を離れ、預けられた家の娘が彼女だった。
「おねえさま」
と、幼いが、きっと将来は美貌になるだろう紅水晶が、彼女を見上げてそう呼んだ。
「わたしね、王子様のお嫁さんになるんだって。おねえさまだけに教えてあげる。かかさまが、そういうふうに魔法をかけてくれたの」
等価交換の法則に乗っ取った魔法で。
紅水晶が味わう苦労、惨めさと引き換えにした魔法で、その幸せは約束されていた。
その家で唯一、紅水晶に優しくした彼女に、紅水晶がその秘密を打ち明けた。
その瞬間から、彼女の中に、闇が生まれた。
(魔法で運命が変わるの?それなら、わたしだって、王子様が欲しい)
あどけない紅水晶の運命をもぎとって。
……。
全て見えた。
なんの抵抗もなく、垂れ込めた布が一枚ずつ剥がれ落ちるように、全て。
義妹の約束された幸せをねたんだ娘が、歪んだ魔法を使う魔女に目を付けられ、契約を成立させてしまった。
そのよこしまな魔法を使った魔女は、いずれ淘汰される。闇に喰われて消滅する。力のある魔女ではない。勝手に朽ちるだろう。そんなものは、わたしには関係がないことだ。
わたしが今すべきことは――。
「オパールの魔女よ」
わたしは今も体にまとわりつく、オパールからの「依頼」に向け、宣言した。
「この契約は等価交換の法則に乗っ取り成立する。西の大魔女の代理として、これより契約を遂行する」
すると、つかみどころなく漂い遊んでいた「依頼」はくるくるとまとまり始め、わたしの顔の前でひとつの形をかたどった。
それは、古いおとぎ話に登場する、ガラスの靴の片割れである。
乳白色の薄い輝きを持ち、美しい色の細かな粒子を表面に漂わせた、繊細で壊れやすい、ガラスの靴。
(わらわせる)
わたしは紅水晶のかけらが転がる瓶の栓を抜き、「依頼」に向けた。
ガラスの靴はいったん、形を崩して瓶の中に流れ込み、そして、瓶の中で再び、こじんまりとした靴の姿を現わした。
左右両方の靴がそろうことは、もうない、ガラスの靴。
わたしは瓶の栓をしめるとポケットに入れ、ワンズを胸に当てて深呼吸をした。
魔法空間を抜けて、現実世界に移動する。
紅水晶の運命を狂わせた、幸せな娘の眠る部屋へ。
オパールの魔女からの「依頼」。
歪んだ魔法に、しかるべき処置を。
……粛清だ。
パロディ・美魔女の愛弟子。
執筆予定は……ございません。