灰かぶりの 墓 2
既に命の灯が消えかけている紅水晶の魔女。
消えゆく意識の中で、彼女の運命を不正な魔法で歪めた何者かがいることを告げる。
それは裁かれなくてはならない魔法だった。
その7 灰かぶりの 墓 2
魔女狩り法が布かれている街では、夜警に気を付けなくてはならない。不用意に出歩けば、たちまち魔女の疑いがかけられるからだ。
もっとも繁華街は別で、そこは夜明けまで人の出入りがある。
今も我々の泊まる宿の周辺では、賑やかな酒客の気配で満ちていた。もうじき零時だというのに華やかな明かりがあちこちで灯り、まだまだ街は眠る様子がないのであった。
暴風雨が吹き荒れる夜であっても、酔っ払いは、いる。
いやむしろ、風雨の勢いが強まるにつれ、外の喧騒の声は大きくなっているような気がするほどだ。
雨風に張り合う勢いで殴り合いの物音や、それを見て自分たちも一緒になり、ずぶ濡れになって野次を飛ばす輩。その他、酔って正体をなくした男の咆哮が荒っぽく、やけくそのように響き渡っている。
「これでも、晴れた晩よりは客の入りが悪いんだろう」
ゴルデンはカーテンの隙間から窓の外を見下ろし、蔑んだ目つきをしながらそこから離れた。
「正確には、晴れた日よりも客層が悪くなっているんだろうな……」
ゴルデンと入れ違いに、今度はわたしが窓辺に貼りつく。
びちびちと勢いよく雨粒がガラスに当たっている。冷たい雨だろう。
にもかかわらず、人間どもは酔って騒ぎ続けている。
――つまり、連中を取り締まる夜警も、頑張っているということだ。
我々も、今夜は眠らない。
窓辺で外を伺うわたしの肩に、何かが触れたと思ったら木のワンズだった。ゴルデンが差し出している。
「このまま外出しようと思っているわけではあるまい?」
わたしはワンズを受け取り、どうするべきか考えた。
今、このまま外出するのは危険すぎる。
人目がある以上、誰かが怪しまないとも限らない。
魔女狩り法が布かれている街では、魔女には懸賞金がかけられている。もはや一人いくらの世界なのだ。
紅水晶の魔女は、誰かのこづかい稼ぎのために、しょっぴかれたのであろう。
人間どもは、彼女を本物の魔女と見破って取り締まったわけではあるまい。
魔女の疑いがあるものは全て取り締まる。垂れこんだ者には報奨金が下される。それが魔女狩り法である。
(理不尽さにおいては、我々が遂行する『契約』と、はったものではないか)
わたしはゴルデンを見た。
さっきから、紅水晶の魔女の悲痛な訴えが聞きづらくなってきている(タス)。
ひどく途切れ途切れであり(ケテ)、それは彼女が既に苦痛を忘れかけていることを意味していた。
タス ケ テ
コワ
イ
淡い桃色の輝きが、儚く瞬き始めている。
しかし、彼女の意識は時折鮮明になり、その時だけは凄まじい映像が目の前に飛んでくるのだった。
白い指が、石畳の床を這っている。
そこは陰鬱で湿っており、音がひどく響く。
松明の炎が暗闇を照らし、てらてらと揺れている。その揺れに合わせて、彼女の指が床に落とす影もゆらめく。
瀕死の魔女の、見ているものが直接届けられている。
ひたすら恐怖が渦巻いているのだが、彼女はそれを表す言葉を知らない。
ふいにゴルデンは黄金のワンズを出した。
紫水晶の先端を足元に向け、大きな魔方陣を描く。
一瞬、紫の光が部屋を覆い、次の瞬間、我々の体は透き通るように重さを失った。
ゴルデンがわたしの手を掴み、そのまま我々は高く上昇を始める。
天井を突き抜け、上の階の部屋、そのまた上の階の部屋へとのぼってゆき、たちまち夜闇の寒い空の中へ浮き上がったのである。
肉体の粒子に働きかけたのであろう。
いまや我々は体がないも同然、誰にも我々の姿を見ることはできない――。
激しく叩きつける雨に逆らい、飛行を続ける。
この暗い空は、我々にとっては非常に都合が良い。月が出ていたら逆光になり、たちまち影が浮き出てしまうからだ。
ゴルデンは打ち付ける雨の中を目を見開いたまま飛び続け、わたしは彼の紫の裏地の外套に包み込まれている。
これは高度な魔法だ。
ゴルデンは神経を尖らせている。見上げた先にある紫の目は、動き続ける肉体の粒子に、常に命じ続けているのだ。
気が緩んだ瞬間、我々の姿は夜闇の空の中に丸見えになり、同時に体の重さが戻り、真っ逆さまに落ちることになるのだ。
(師ならば、どうした)
思わずわたしは考える。この事態、師ならどうしただろう。
……いや、考えることは無意味だ。なぜなら、師ならば、こういった事態そのものを避けるだろうから。
わたしは、師が危険を冒したところを見たことがない。
だから、師が使う魔法は、もっと堅実でありきたりなものばかりだった。
ゴルデンと師を比べたことなど一度もなかったことだ。
微かに戸惑いを覚えかけた時、わたしは鋭い痛みを脳天に感じた。
桃色の矢が突き刺さったようだ。
体を縦に貫くような苦痛が走る。
硬直するわたしを、ゴルデンの腕がきつく抱えた。
死ぬのは、いや。
凄まじい恐怖が電流のように流れ、わたしはほとんど息が詰まりかけた。
何度か白目を剥きかけては、はっと正気に戻る。
強い恐怖の感情に、「持っていかれ」そうになる。
ゴルデンは今、全神経をかけて集中している。隙をみて魔法に抗い、あるべき姿に戻ろうとする肉体の粒子と戦い続けている。
わたしに構っている余裕は、ない。
わたしは何とか木のワンズを握り直すと、胸の前に置いた。
こうすることで、死の恐怖にあえぐ依頼主の悲鳴が、少し和らいだ。
だが、まだだ。
手回しオルガンの調べが狂おしく流れている。
耳元でしつこくまとわりついている。
調べは速さを増しており、ついに、なにを歌っているのか分からないほどめちゃくちゃになった。
「厄介だな」
ゴルデンは呟くと、魔法を解いた。
雨風が叩きつける闇の中で重力を取り戻した我々は、真っ逆さまに落下する。
「意識を依頼者に集中させろ」
ゴルデンの手が後頭部を痛いほど押さえてくる。
容赦のない風圧だ。息が詰まる。
ゴルデンの意図を理解したわたしは、逆さに落ちてゆく頭の頂点からつま先を、一本の矢のように纏めた。
矢になったわたしは、遥か下で微かに光る、桃色の光を目指し、真っすぐに落ちる。
既にゆるやかな点滅をはじめ、今にも消えてしまいそうな小さな灯だ。
その桃色だけが、手がかりなのだ。我々が無事に着地するための。
早くしろ、やっこさん、死にかけてやがる。
ゴルデンの声が耳元で聞こえた。
わたしは更にきつく目をつぶり、桃色の灯に己を吸い寄せるよう、全身を集中させる。
そこにゴルデンの力が加わった。
あまりの加減のなさに、わたしはほとんど潰されるような気がした。
もっと細く、もっと矢に近く。
流星の速さを超える。
黒曜石の矢は紫の光に包まれ、さらに加速した。空気中の粒子と自分自身が摩擦を起こしかけ、全身が熱を持ち始める。
焼け焦げると思った瞬間、パッと視界が開けた。
タスケテ
それは、依頼主の心の中の風景だったのかもしれない。
高速で物体をすり抜けてゆくわたしに、切々とした語りが伝わる。あどけない口調だった。
「わたしは、かかさまに救われたの」
……。
ごみためのような暗い場所に、一条の光が差す。
寒くて空腹で、今にも倒れそうなほど弱っている「彼女」に、突如現れる「かかさま」からの救いの手。
「かかさま」の光は様々な綺麗な色が小さく踊る、乳白色の優しい輝きだ。
それに包まれると、ほのかに温かく、いつまでも甘えて居たいほどの心地よさを覚える。
「かかさま、かかさま、会いたい、会いたい」
約束、という言葉が落ちてくる。
あなたには素敵な運命が用意されている。
大きな街の、立派なお城に住む王子様が、あなたを迎えに来る運命が。
全てはそのための代償。
これが等価交換の法則。
わたしとの別れも。
ほんの少しの苦しみや涙も、すべては明日のための代償――。
これが、あなたへの、愛。
温かく全てを包むオパールの光が、一瞬にして消え失せる。
そして二度と、彼女の前には現れなくなる。
「かかさま」の愛を理解するには、彼女はあまりにも幼すぎ、「代償」はあまりにも過酷すぎた。
「しっかりしろ」
ゴルデンが肩をゆすり、わたしは正気に返る。
ぽたりぽたりと、ゴルデンの前髪から雨粒が冷たく落ちている。それが顔に降りかかって、わたしは気が付いたらしい。
周囲は暗い。
ここは、じめじめとした建物の内部である。ひどく陰気で空気がこもっていた。
それでも通路はほのかに明るく、出入り口にはめ込まれた重々しい鉄格子が、長く不気味な影を室内に伸ばしている。
我々は城の地下にある牢獄の独房に「着地」することに成功したのである。
視界の隅で松明のあかりが揺らめき、近づいてくるので、わたしはぎょっと体を起こした。
ゴルデンは耳元で、心配するな、連中には俺たちの姿は見えていない、と言った。
その言葉どおり、牢獄の監守らしい男は、松明を掲げながら格子の前を通り過ぎ、足音は遠ざかっていった。
ゴルデンが、独房の中に結界を張ったらしい。今は誰も、ここに入ることができなくなっている。
コツン、コツン、コツン――。
足音がすっかり聞こえなくなるのを待ち、わたしは周囲の観察を始めた。
独房は無数にあるらしく、この空間の両隣にも囚人がいることが気配で分かる。あちこちから恐ろし気なうめき声や、呪いか祈りか判別しがたいつぶやきが漏れ聞こえていた。
遠くから、鉄格子に体をぶつけるような物音が響いてくる。同時にそれを叱責する激しい声が聞こえ始め、やがて空気を切り裂くような悲鳴があがる。
会話は全く聞こえない。
かわりに神経を逆撫でするような物音が、あちこちから不気味な反響を伴い、耳に届くのであった。
微かなうめき声を聞いて、わたしは振り向いた。
極彩色の、毒々しい衣装を纏った少女が、床にうつぶせになって倒れている。
微かな紅水晶の輝きが残っているので、彼女が依頼主であることが分かった。
まだ、息がある。
わたしは少女に近づき、側で膝をつくと、うつぶせた頭に向けてワンズをかざした。
彼女の意識に向け、わたしは語りかけた。
「紅水晶よ、あなたは、わたしに『依頼』を飛ばした」
わたしは、西の大魔女の代理。わたしは、魔女の愛弟子。『依頼』を受け取る者。
……だが、語りかけに対し、手ごたえが返ってこない。
露出された部分の肌に、蚯蚓腫れや、鮮やかな色が浮き出した無数のあざが見えた。
衣服も切れたりちぎれたりしている。
わたしはワンズで彼女の頭に触れ、わずかに力を送った。
すると、バネ仕掛けのように彼女の体は跳ね動き、うつぶせていた顔がこちらを向いた。
「酷いことをしやがる」
わたしの肩越しに、露になった顔を眺めて、ゴルデンが呟いた。
微かに唇が動いたが、声にならない。何かを求めるように、指が動いて床を這った。
もう、遅かった。
わたしは、ほのかに点滅していた紅水晶の輝きの、最後のひと瞬きを見た。
手の届かないほど遠くにあるものを呼び戻そうとしているかのように、少女の手はせいいっぱい伸ばされて、その状態でこと切れていた。
ぱりん
体に埋め込まれた、魔力の源である紅水晶が砕けた音がした。
魔女の死である。
少女がこと切れる寸前に送り込まれた強烈な映像。
それは、少女が現実世界で見てきたものではなく、魔女の力が無意識に働いて探り当てた、ある真実だった。
リン、ゴーンと、鐘が鳴り、花と音楽と歓声、そしておごそかな祝いの言葉と誓い。
それは、この城の王子の結婚式。
幸せな花嫁を、王子が抱き上げる。白いドレスの向こうで、太陽がまぶしい。それはこの上もなく晴れやかな日。
(わたしだったはずなのに)
少女は、そう言ったのだ。
血の涙を流しながら。
(わたしだったはずなの。王子様が連れて行ってくれるのは、わたしだったはずなのに)
……。
コツン、コツン……。
看守の足音が近づいてくる。
松明の光が近づくにつれ格子の落とす影はゆっくりと移動し、遠ざかるにつれて、またもとのように長く床に伸びた。
看守が遠ざかるのを待ち、ゴルデンが言った。
「等価交換の法則で手に入れた『運命』を、歪められたんだ」
わたしは頷いた。
既に決定づけられていた、華やかで幸福な運命を、突如曲げた者がいる。
それは当然、等価交換の法則を無視した所業であり、歪んだ魔法の働きによるものだ。
誰かが、「正しくない」魔法を使った。
闇の匂いのする魔法。あってはならない、魔法。
「裁かねば、なるまい」
わたしは立ち上がり、もう命の失われた少女の体を見下ろした。
ガラスの靴もかぼちゃの馬車も登場しないシンデレラです。




