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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第二部 サンドリヨン
15/77

灰かぶりの 墓 1

東西の中心にあたる大きな都。

そこには頑是ない紅水晶の魔女が、息を引き取る間際の悲痛な依頼を飛ばしていた。

その依頼の向こう側に、ペルは、オパールの輝きを見る。

その6 灰かぶりの 墓 1


 酷く長いトンネルだった。

 永遠に続くのではないかと思うほど暗黒が続き、いい加減うとうとしかけた時、ふいに窓から光が差した。

 荒野は過ぎ、ぽつぽつと建物らしきものが見え始め――やがて、いよいよ東西の中央地点である大きな都がその姿を現した。

 ぎゅっと凝縮したような、建物の群れの中にひときわ目立つ屋根がある。

 それは美しい城であり、ごとごと走る汽車の中からでも、エメラルドグリーンに光る屋根や、色鮮やかな煉瓦で飾られた外壁、高い塔の美しいかたちなどが分かった。

 ゴルデンは片方の肘を窓枠に押し付け、頬杖をついて風景を眺めている。

 無表情なままで、彼は言った。

 「言っておくが、ここからは面倒になる。どうせおまえは何も知らんのだろう」

 まただ。

 わたしの無知を嘲笑うふりをして、その実、わたしの師を非難している。

 わたしの思いを見抜いて、ゴルデンは鼻で笑った。そして紫の目を動かしてわたしを見た。


 「魔女狩り法が有効な領域に入るのだ。この街から――」


 魔女狩り法。

 腹の中で呟いた。

 ゴルデンは、やっぱりな、と呟くと、面倒くさそうに話し始める。

 「西は緩いからな。だからおまえらみたいな魔女が悠々としていられたんだろうが、東はシビアなんだよ」

 良く聞け、と前置きをして、ゴルデンは説明をしてくれる。

 魔女狩り法が施行された背景には、歪んだ魔法を使う輩が増え、「闇」の被害が見過ごせなくなったことがある。こういった歪んだ魔女を生み出した原因の一つが、ゴルデンが言うには、西の大魔女の、契約なのだとか。

 「中には意識して依頼を飛ばす奴がいるんだよ」

 相変わらず頬杖をつきながら、ゴルデンは言う。

 「だが、誰かさんが依頼を却下して引き受けないものだから、とりあえず引き受けてくれる魔女を探すんだ。そういう連中はな」

 それで、エセ魔女にひっかかる、と……。

 「だから、こうしよう。ここからは、俺たちは兄と妹だ」

 全くと言っていいほど似てないけどな、と、言ってから、ゴルデンは頬杖を外した。

 「西の☓☓村の叔母を訪ねていった帰りだ。東の●●町に自宅がある」

 「……」

 細かな「設定」を決めてしまうと、ゴルデンは念を押すように言った。

 「子供らしくしろ、ちょっとでいいから無邪気にふるまえ」

 怪しまれるぞ、とゴルデンは白手袋の指を、わたしの顔につきつけた。


 魔女狩り法のことは知らなかったが、その街に近づくに従い、ある映像が繰り返し浮かんだ。

 目を吊り上げ、口から唾を飛ばしながら、叫んでいる顔が見える。

 顔、顔、顔。

 一人ではない。てんでに同じことを口々に叫んでいる。

 吊り上がった目には嫌悪と恐怖が濃く現れているが、それが本人たちの罪悪感の裏返してあることが、わたしにはよく伝わった。

 彼らの大きく動く口は、


 ま・じょ


 と、叫んでおり、ひどくヒステリックな動きで近づいたり遠ざかったりする。

 

 ま・じょ


 何かが飛んできて体にあたる。痛い。泣き声のような悲鳴が上がる。


 また、

 ま・じょ


 と、口々がわめき、次は髪を掴まれ、床に顔を擦りつけられた。

 

 全身が痛むのよ。

 一日働いているの。寒いわ。足が冷たくてつま先が痛い。指もよ。

 おなかがすいたわ。痛いところだらけなの。

 痛いわ、寒いわ、かかさま、かかさま。



 突き刺さるようなものが脳天に降ってきた。

 これほど強烈なものは滅多にない。

 「依頼」だった。


 透明感のある桃色の光の矢が脳天から真っすぐ下に食い込み、わたしは一瞬、胸を押さえて前のめりになる。

 身体の中央に秘めた黒曜石にまで到達するかと思われるほどの衝撃だ。

 悲痛な訴えは、先端にぎざぎざのついた恐ろしい矢じりになり、食い込んで離れなくなる。

 呼吸ができなくなったわたしの顔を、ゴルデンがつかんで持ち上げ、次の瞬間、火花が飛び散るような平手打ちが飛んだ。

 

 乗客が他にいたから、何事かと視線を集めた。

 ゴルデンは息を吹き返したわたしを睨むと、力任せに打ったせいで痛むらしい右手をさすった。

 ちょうどその時、汽車は駅に到着し、大きく揺れて停車したのである。


 ターミナルは混雑していたが、ゴルデンは迷いなく改札まで歩き、無事に駅を出る。

 広い構内は男女が別れを惜しんだり、あるいは出迎えの家族連れでひどく賑わっており、これほど栄えている場所に来たのは初めてである。

 弁当売りや、新聞や焼き菓子を打っている売店も見えた。

 上を見ると天井はドーム型であり、ひどく高い。

 「裕福な、街だ」

 わたしが呟くと、ゴルデンは鼻で笑った。

 今までが酷すぎたんだよ、西とは違うんだ、とゴルデンは言い捨てて歩き出した。

 その背中を追おうとして、わたしは目の前に突き出されたピエロの腕に停止せざるをえなくなる。

 

 「サーカスがあるよ。坊やたちも来てごらん。子供はみんな、ただなんだ」


 瞬間、また、映像が蘇る。

 極彩色だ。

 赤い玉、黄の玉、青の玉が弾けたように飛び散り、こちらに向かって来る。

 げたげたと狂ったような笑い声が響き渡り、ぜいぜいと(タスケテ、タスケテ)酷い息遣いで逃げ回る。

 足がもつれ、転んで、汚れた床が目の前に。

 そして、巨大なボールたちが体の上を次々にバウンドする。惨めさと、恐怖。


 タス

 ケ

 テ


 だが、今度はわたしにも準備ができていたので、一途に振ってくる桃色の矢をまともに受けることは避けられた。

 

 タスケ テ

 タスケテ タス

 

 ピエロの真っ赤に塗りたくられた口から(タスケテ……)黄ばんだ前歯が覗いており、いかにも不潔だった(タスケテ、イタイイタイ、タスケテ)。

 衣装も近くで見ると、あちこちがほころんでおり、垢じみていた。

 ピエロは片手に色とりどりの風船の束を持っており、そこから一つ取って、わたしにくれた。

 黄色い風船を持たされたわたしを、ゴルデンが振り向いて待っている。

 眉をひそめていた。


 「こいつぁ、魔女だぞ」

 本物だ、と、ゴルデンは顔をしかめている。

 依頼主のことだ。それはわたしも、はっきりと感じていた。


 この依頼主は魔女である。

 生まれながらの、といっていいほどの強烈な魔力の持ち主であり、しかもそれが何者かの師事を受け、磨かれたらしいことが分かる。

 たおやかな、柔らかい魔法の香りがするが、今はそれが激しい苦痛のために尖っており、まるで矢じりだ。

 癒し、優しさ、母性といった類のちからであることも分かる。

 確かに魔女には違いないが、人間に近い位置にある魔法だ。

 

 「紅水晶だ、これは」

 わたしが言うと、ゴルデンはそうだな、と頷いた。

 紅水晶の魔女が、全身の苦痛を訴え、悲痛な依頼を飛ばしているのだ。

 ターミナルの出口には、乗合馬車が二、三台連なっており、いずれも奪い合うように人が乗り込み、すぐに満席となった。慌ただしく駆けて去ってゆく馬車を見送り、わたしは足を止め、もう一度構内を振り返った。

 さっきの薄汚れたピエロが、子供相手に風船を配り続けているのが見える。

 

 サーカスに、依頼主がいるというのか。

 

 来いよ、とゴルデンにせかされて、わたしは駅の入り口に立ち止まるのをやめた。

 今にも降り出しそうな曇天である。

 と、思った矢先に、ぽつぽつと振りはじめ、やがて雨は土砂降りとなった。

 軒下に入るんだよ、とゴルデンが怒鳴りながら張り出されたアーケードの中に飛び込み、わたしはそれを追おうとして思わず握っていた風船を放した。

 灰色の空にたちまち上ってゆき、風に吹かれて風船は消える。


 (タスケテ、タスケテ、タスケテ)


 混雑する乗合に乗り、街の中心に向かう間に雨は小降りになってゆき、ここの名物でもある大広場の見事な噴水の前で降車する頃には、ほとんど気にならないほどの小雨になる。

 降りようとした時、勢いよく背中をおされ、わたしはつんのめりながら水たまりの中に片足を突っ込んだ。

 きゃあっと歓声をあげながら、5,6歳の子供たちが馬車から飛び降り、後から母親たちのしかりつける声が追いかけた。

 水が入り込んでしまった木靴をぬいで降っている脇で、若い母親たちの色とりどりのドレスが慌ただしく駆けて行った。子供たちは遥か向こうに行ってしまっている。

 

 「見ろよ」


 ゴルデンが顎で示したのは、はしゃいだ子供たちが群がるピエロだった。

 駅で見たピエロと似ているが色が違う。それに、こっちは少し小柄だ。

 横では手回しオルガンを鳴らしながらステップを踏む軽装のピエロがいて、こちらにも子供たちが群がっている。

 ピエロは二人おり、一人は群がる子供に風船を手渡し、もう一人は一袋いくらかの菓子袋の箱を首から下げて踊っている。

 彼らの背後には、丸く膨れ上がった巨大なテントがそびえており、深紅の旗が曇天に翻っていた。

 サーカスである。


 眩暈を覚える。

 水を叩き落として木靴を履き直すと、わたしはよろめきながら噴水前に行き、濡れたベンチに腰を下ろした。

 花かごを持った少女の白いモニュメントの足元から水は曲線を描いて放出され、時間を置いて少女の頭上から華やかな飛沫が舞い立つ。それはわたしの頭上にも細かく降りかかった。

 

 強烈だ。

 「ゴルデン」

 わたしは手を伸ばすと、ゴルデンの外套の裾を握った。

 回る。色彩が回る。それと、狂ったような手回しオルガンと、吐血するような激痛を伴う、凄まじい叫び。「依頼」。

 

 タスケテ

 「待て」

 タスケテタスケテ

 「……待つんだ」

 

 おい、とゴルデンが両肩を掴んで揺さぶった。それで、強烈な苦痛に引きずり込まれずに済んだ。肩で息をしながらわたしは起き上がり、ゴルデンの紫の目を見上げる。何かが目にしたたると思ったら、脂汗が流れていた。

 「成立可能かどうかの判断がつかない。その余裕を与えてくれない」

 呟くほどの声しか出なかった。

 ゴルデンは溜息をつくと、周囲をちらっと見てから内ポケットから小瓶を取り出し、栓を抜いて差し出した。

 「飲め」

 と言われて、ウイスキーを流し込むと少しは楽になる。


 「子供だな」

 わたしの手から小瓶を取り上げ、元通りしまいこんでからゴルデンは言った。

 わたしは頷いた。

 あまりに強烈すぎる苦痛の訴え方と、直線的な恐怖と悲しみは、まだ幼い子供のものである。

 酒の力を借りて少し楽になり、わたしは大きく息を吸い込んで目を閉じた。再び「依頼」と向き合う。


 その「依頼」は毛を逆立てた黄金のヒョウの姿をしており、怯えの裏返しの威嚇状態だった。わたしが読み解こうと向き合うと、さらに毛を逆立てて飛びかかる構えを取り、隙を見ては襲い掛かってくるのである。

 なだめすかすことから始め、少しずつ相手は落ち着きを取り戻してゆき――やがて、獰猛な姿は愛らしい幼獣に変化した。なおも後ずさる彼女に手を差し出し、何度か噛まれそうになりながらも、時間をかけて「依頼」と「依頼主」を分析する。


 頭の中で狂おしく鳴り響いていた暴力的な手回しオルガンの音色は、「依頼」を読み解くに従い、徐々に緩やかになり、やがて哀切な調べを奏でるのだった。

 

 淡い紅水晶のきらめきが目の奥にちらつき始める頃、わたしはようやく、その依頼を把握する。

 酷い境遇にある幼い魔女が、ひたすら救いを求めている。

 彼女は両親がいない。どんないきさつがあったかは分からないが、育てたのは一人の魔女だった。

 「かかさま」と彼女が呼ぶその魔女について目を凝らそうとすると、たちまち複雑な色彩が絡み合い、乳白色の霧がかかって遮断される。ブロックがかけられていることが分かる。恐らく依頼主の母たる魔女は、相当の力の持ち主だと思われた。

 その魔女と別れなくてはならなくなった経緯もわからない。

 依頼主本人が理解していないせいである。それほど相手は幼い。

 彼女は魔女の手を離れ、人間の家庭に預けられるが、手ひどい扱いを受け、やがてサーカスに売り渡された。

 そして今、彼女は必死になって叫び続けている。訳も分からず依頼を飛ばしている。

 母と思う魔女へ救いを求めている。そのひたむきさが、獰猛な姿になり、わたしに襲い掛かってきたのである。


 腕を組み、冷めた目でわたしを眺めているゴルデンに、わたしは言った。

 「この契約は、成立しない」

 

 なぜなら。

 

 眉をつりあげるゴルデンに向かい、わたしは低く言った。

 「この依頼主の命はもうじき消える。だから、成立するもしないもないんだ」

 ゴルデンがわたしの胸倉をつかんだ。わたしは吊るされて足を浮かす。

 「だが、まだ息がある」

 ゴルデンは怒りの刃を飛ばすことを控えている。魔女狩り令を恐れてのことだ。

 煮えくりかえっている紫の目を、わたしは見返した。相手の手を振り払うと、わたしは襟を直した。

 「無駄だ」

 

 ゴルデンが目を見開いた。

 わたしはその視線を受け、もう縁のなくなった「依頼」に背を向けようとした。

 その時、奇妙な感覚が沸き起こり、もう一度、わたしは「依頼」に目を向けた。

 そして、凍り付いた。

 

 紅水晶の向こう側に、きらめく色彩が揺れ遊んでいる。乳白色の薄衣をまとう光の粒子たちだ。

 それは強烈であり、今まで己の姿をブロックさせて見えなくしていたのだが、今、あえてチラリと姿を見せたのだった。

 

 オパール。


 「気が変わったようだな」

 ゴルデンが言った。

 「依頼は受けない。だが、調べる必要がある」

 わたしは答えた。

 

 依頼主の育て親が、オパールの魔女である。

 それが分かった以上、契約云々はおいて、わたしは行かねばならぬ。

 師の手がかりが掴めるはずだからだ。

 

 そういう前提で、わたしはポケットから小瓶を出し、コルクの栓を抜いた。

 大きな目に怯えをみなぎらせていた幼獣は何度か抵抗をしてから、やがてすうっと瓶に入ってゆき、小さく丸まって目を閉じた。

 ポケットに「依頼」の小瓶を押し込んだ時、不穏なざわめきが聞こえてきた。

 サーカス団のテントの方からだ。

 色とりどりのドレスを着た母親や子供たちが物見高く群がる中、馬車がごろごろと出てくる。鉄格子がはめ込まれた馬車は、罪人を運ぶためのものだ。

 いかめしい空気をまといながら馬車は広間を横切り、街の中央にそびえる城に向かった。

 

 鉄格子の中に依頼主がいる。

 わたしは思わず駆け出しそうになり、ゴルデンに引き留められる。

 温かく優し気な紅水晶の輝きが、いまにも消えそうに揺らめいていた。

 馬車が遠ざかり、人々の話し声が耳に飛び込んで来る。


 魔女ですって。

 あの占い師の女の子、魔女なんですって……。


 ぽつり。

 大粒のしずくが落ちてくる。

 酷く冷たい雨だ。

 立ち尽くす我々の上に、雨は降りかかった。

 やがて雨は勢いを増し、日が暮れるころには暴風を伴う嵐となった。

 

 行かねばならない。

 紅水晶の魔女を救いに。わたしは――。

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