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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第二部 サンドリヨン
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閑話~道しるべ~

その町には、師トラメの痕跡が確かに残っていた。

第二部 サンドリヨン


その一 閑話~道しるべ~


 西と東の境界は荒涼とした枯れた大地が広がり、そこにはポツポツと集落があった。

 まるで離れ小島のようなそれらは、酷くさびれた寒村だったり、あるいは西を東をつなぐ便の休憩地点になる、それなりの町だったり、様々だ。

 その町は、不毛の荒野の、ちょうど中間地点にあたる場所で、旅のオアシスとも言うべき地である。

 旅行者たちがお金を落としてゆくので、それなりに裕福な町だ。

 先ほど、東行きの汽車が停車し、そこから乗客が降りて町に入ってきたところだ。

 旅に汚れ、疲れた大人たちに混じり、ひどく小柄な二人連れがいる。

 

 黒づくめだ。

 一人は小生意気にシルクハットに上等の外套を着こみ、白手袋をはめている。

 もう一人は二回りほど大きい、だぼだぼの黒い外套で身を包み、青ざめて人形じみた綺麗な顔を深い襟に埋め込んでいた。

 ひとさらいの、恰好の獲物である。

 混雑する駅前だ。たかが子供二人が消えようと、誰も気づかないではないか?

 早速、柄の悪い男たちが二人の前に立ちはだかり、猫なで声で話しかけ始める。

 

 坊やたち、おかあさんは。

 自分たちだけで旅をしてるのか。それは色々と大変だろう。どうだ、腹はすいていないか。

 今日の宿は。


 陰気なほうは、ちらっと黒い目を動かしただけで視線を逸らした。壊れ物のように繊細な美形だ。

 派手な黄金の巻き毛をシルクハットから溢れさせた、元気の良い坊やが愛想の良い笑顔を向けた。

 可愛らしい。

 本当に、可愛らしい。これは上玉だ。

 だが、次の瞬間、男たちは皆、腹や胸、脚などをおさえて呻きながら蹲ることとなる。

 


 「もともと持っている、悪い部分に視線を送っただけだ」

 魔法とは言えんよこんなもの、と、いきなり道端で行倒れてしまった男たちを尻目に、ゴルデンが言った。

 わたしは黙ってゴルデンの後をついて歩いた。

 この町は大きいし人もたくさんいるようだが、今のところ、師の気配は感じない。

 わたしは神経をとがらせて、人々の思考を読んでいる。それなりの規模の町だから、無数の情報が、それこそ細い排水溝から一気にあふれ出るような調子で流れ込んできた。

 歩きながら、情報を選択してはぽいと捨てながら、わたしは左右前後に集中する。せいいっぱいの神経を使う。

 

 ……オリビアが欲しい。

 ごはんを食べていない。

 面白くない、本だったな。

 綺麗なネックレス、欲しい。

 あの女と寝たい。

 金もうけ、金もうけ……。


 ごちゃごちゃと押し寄せてくるもののなかから、有益なものを探し出すのだ。

 どこに行っても、まずはこの作業である。

 そして今のところ、欲しいものは入手できないままだ。

 

 わたしは歩き去ってゆくゴルデンには構わず、美しく舗装された石畳の道に立ち止まる。

 ちりり、と、こめかみに差し込むような感覚が走ったのだ。

 街路樹の枝から漏れてくる、柔らかな日差しが閉じた瞼の裏まで温めた。

 大きくて力強い足、痩せた細長い足と黒い後姿が、わたしを突き抜けて通り過ぎてゆくのを感じる。

 束ねた、赤毛。広い肩。

 師だ。

 

 これは過去の幻影。

 この町の石畳に浸みこんだ記憶である。

 目を開けた時、わたしがついてこないことに気づいて引き返してきたゴルデンが、大きな紫の目で覗き込んでいた。

 「西の大魔女が、この町を訪れたのだな」

 と、彼はわたしの顔色を読んで言い、わたしは頷いた。

 「オパールの魔女は」

 と、畳みかけるように問われて、わたしは黙り込んだ。少なくとも、わたしの見た幻影は師だけだった。

 わたしは足元の石畳を見つめる。

 この石畳、この道は知っている。記憶を残している。

 否。

 わたしははっとした。

 道しるべなのだ。師が残した道しるべに、ついにわたしはたどり着いたのだ。

 わたしは全神経を両眼に集める。

 ほんの微かに残った、魔力あるものの痕跡を見定めようとした。そして、それはうまくいった。

 

 がやがやと人々が肩が触れ合いそうな距離で行き交うその道、その石畳に、黄褐色の輝きが、わずかずつこびりついている。

 トラメ石だ。

 師の色である。

 全力をかけて見ているために、師の色の痕跡以外は無意味な灰色に感じた。

 街灯から街灯へ、ほとんど手探りで一歩ずつ痕跡を追う。

 間違いがない。師の足跡だ。

 この歩幅。この、突き抜けるような静寂の感じ。そして、なにも語らない、寡黙さ。

 ふいにゴルデンが、わたしの肩をつかみ、非難をこめた目で見た。全神経を目に集中していたために、千鳥足だったのである。

 つかまれた勢いで石畳の上に崩れると、師の香りが漂った。

 「師だ」

 わたしはゴルデンを見上げ、もう一度言った。

 「師の痕跡がある。足跡が続いているんだ。師は、この町に印を残している」

 ほんとうかよ、と、疑わしそうにゴルデンは言った。

 そこでわたしは、かねがねから疑問で仕方なかったことを彼に投げかけた。

 「ゴルデンには見えないのか。魔女の残した痕跡とか――訴えてくる魂の声とか、依頼が」

 「見ない。聞かない」

 きっぱりとゴルデンは言った。

 見えないのではなく聞こえないわけでもない。俺は、そういうものを遮断しているのだ、と、ゴルデンは肩を竦めた。

 「おまえこそ、無知も良いところだ。東の大魔女たる俺を知らなかったし、そんなことも教わらなかったのか」

 「そんなこととは」

 「東西の大魔女の役割の違いだよ、俺と西の大魔女は性質がまるで逆なんだ。優劣をつけたがるな、ばか」

 ぱすん、と切り落とすようにゴルデンは言うと、猫でもつまみあげるように、わたしの外套の襟首を持ちあげた。

 わたしは立ち上がると、ゴルデンを見返した。どうやら、わたしをばかと言っているように見せかけて、師を非難しているらしい。

 ゴルデンはわたしを先に行かせながら、言った。

 「おまえは一体、何を教わったんだ?愛弟子よ」

 「等価交換を教わった」

 ゴルデンはそれきり黙りこくってしまった。


 わたしはまた、全神経を目に集中させ、師の残してくれた金褐色の痕跡を追い続けた。

 これほど混雑し、波が押し寄せるような人込みなのに、師の足取りは少しもぶれず、どこまでもまっすぐだった。 

 いつかわたしは、人込みの波の中に、見え隠れしている、赤毛で黒ずくめの懐かしい背中を追いかけているような錯覚に陥った。

 (師よ)

 幻覚の中でさえ、師の背中は寡黙であり、振り向くことすらしない。

 広い肩を歩調に合わせて上下させ、大股で師は歩く。

 わたしはただ追いかける。

 (師よ、師よ)

 そして、確信する。

 これほど鮮やかな痕跡は、意識的に残したとしか思えない。

 師は、わたしに印を残している。

 

 やがて、師の姿は一軒の宿屋の中に入った。

 そのままわたしは入ろうとして、ゴルデンに引き留められる。

 ゴルデンは今来た道を、あごで示した。

 「見ろ」

 わたしが全神経を込めて追いかけてきた、金褐色の残りかすが、嘘のように消えてなくなっていた。

 見ようと思えば見れるんだよ、俺も、と前置きをしてから、ゴルデンは低く呟いた。

 「パン屑だ」

 「……」

 「道しるべに、少しずつちぎって道に投げてきたパン屑だよ。だが、鳥に食べられて、きれいさっぱりなくなっちまって、もう、帰れなくなるって寸法だ」

 そういう昔話があった。

 罠じゃないのかこれは、と、ゴルデンは言っている。

 わたしは少し考えた。

 そして、薄暗く埃っぽい、宿の中に入った師の後姿を眺めた。

 わたしを導くような幻影は未だ消えず、薄暗がりの中に立ち止まっている。

 

 「いや、師だ」

 確信があった。

 わたしはそのまま宿の中に入った。


 古い宿で、昔はそれなりに繁盛した跡が見られたが、今はさびれて客入りが悪い。

 店にぶらさがるシャンデリアや置物、テーブルなどの調度品、階段の造りなどは質の良いものだったが、どれもうっすらと汚れており、埃がかっている。

 入店してだいぶたった頃、薄暗い奥から酒臭い男が現われて、どろんとした目で我々を見た。

 白昼から酔っぱらって商売しているらしい。

 「宿を頼みたい」

 ゴルデンが言った。

 「部屋は選べないのか」

 その後からわたしが被せるように尋ねると、男は酒臭い息をはいて答えた。

 「一部屋しかありませんよ、うちは。滅多にお客がありませんからね、坊ちゃん」

 「そこに泊めてくれ」

 わたしが言うと、男は大儀そうに階段を上り始めた。

 ろくでもない場所にばかり泊まってる気がするぜ、と悪態をつきながら、ゴルデンも階段に足をかける。

 師が触れたかもしれない手すりに手を置くと、そこには埃が積もっており、わたしの指は白く汚れた。


  二階が宿になっており、部屋はいくつか並んでいたが、使えるのは一部屋だけだという。

 角部屋に案内され、わたしとゴルデンは部屋に入った。

 どうぞごゆっくり、と扉が閉まるのを聴きながら、汚れた窓のせいで昼間でも薄っすら暗い部屋の中央に、師の背中があるのを見た。

 師は振り向いて、導きに従ってここまできたわたしを見ると、頷いて消滅した。

 ゴルデンを見ると、「見えた」とだけ答え、気に入らなさそうに顔をしかめた。シルクハットを取ると、帽子掛けに投げかける。

 「ずいぶん念入りに印を残したものだ。別に、なんてことない部屋だが」

 言いながら外套を脱ぎ、壁にかけてから、ゆっくりと言いなおした。

 「……ことも、ないな」

 紫の目が部屋の四隅に視線を走らせた。

 わたしも外套を脱ぐと、注意深く部屋を観察した。


 魔法が、かけられている。この部屋には。


 「嫌なところだな。本当にここに泊まるのか」

 心の底から嫌そうにゴルデンは言った。

 この部屋に、何らかの魔法のトラップが仕掛けられている。

 だが今は、魔法はなりを潜めている。夜にならないと発動しない魔法なのだろう。

 「おもてなしの魔法というわけじゃなさそうだ」

 ゴルデンは目をすぼめながら部屋を見回した。

 確かに、不穏なにおいがする。そして(……もぞ)うごめく無数の黒い触手の気配も(もぞ、もぞ……)微かではあるが、感じられた。

 だが、ここにわたしを導いたのだから、師には何らかの意図があるのだ。

 何かをわたしに伝えようとしている。

 

 「嫌なら、他にいけ。その前に封印を解きワンズを返せ」

 と、わたしは言ったが、ゴルデンは無視してベッドに横たわった。

 俺は寝る、今はなにも起こらないだろうから。

 ……。


 「おまえ、料理を注文しておけよ。俺は魚だ」

 閉じかけた目を一瞬開いて、ゴルデンは夕食についての指示を出した。

 そして今度こそ本当に、寝てしまった。

 わたしは部屋の四方を見回す。確かにこれは、結界だ。

 我々は、ネズミ捕りの罠の真ん中に入り込んでしまったようなものだ。

 (師よ)

 しかもその罠は、他でもない、わたしの師が仕掛けたものである。

 

 意味がないはずが、ない――。


 ……次第、だ。

 おまえ次第、だ。


 ふいに耳元で師の声が聞こえ、わたしが身を起こした。

 眠ってしまっていたのだろうか。部屋の中は既に暗く、夕闇の肌寒さが階下から立ち上ってくる。

 わたしは部屋の真ん中のじゅうたんの上に寝ていた。

 立ち上がって薄暗がりの中を見回すと、ゴルデンが眠っているのが見えた。

 ベッドを占領して、無邪気な子供の顔で寝ている。見事な巻き毛やバラ色の頬、艶のある唇は、どこか人形じみていた。

 (……もぞ)

 黒い触手が部屋の隅で蠢いていた。

 「闇」である。

 わたしは四方を見回す。壁のそこかしこから、「闇」が滲み出ていた(もぞ、もぞ……)。

 相変わらずゴルデンは、軽い寝息を立てて眠り込んでいる。

 

 これは、闇を呼び寄せる魔法だ。

 というより、闇の巣になっている、この部屋は。


 わたしは、じわじわと湧き出してくる闇たちを見回した。

 (師よ)

 歪んだ魔法を使った報いとして、魔法使いは闇に落ち、闇に喰われ、闇そのものになる。

 闇は魔法使いのなれの果てだ。

 あまりにも増えすぎた闇は、貴重な餌に不足して、いつも腹をすかせている。虎視耽々と、喰らう理由がわずかでもないかと、目を光らせている。待ち受けている――。


 ある意味、審判か。

 

 闇に丸く囲まれて、わたしは右腕を挙げた。

 封印されている上にワンズがない。だが、僅かな抵抗くらいはできる。

 幸いここには、ものがたくさんある。

 等価交換の法則にしたがえば、「武器」に作り替えることは、いくらでも――。


 右手で大きく魔法陣を描き、すかさず絨毯に触れる。

 ひどくおぼつかなかったが、魔法の指示は、どうやら対象に伝わったらしい。繊維は形をかえ、色あせた絨毯から、一本の弦が吐き出される。蛇のように先端をくねらせつつ、弦はどんどん伸びた。

 

 魔法の香りに耐えきれなくなった闇の一部が、おぞましい触手を伸ばしてくる。

 わたしは伸び続ける弦を掴むと、絨毯を蹴った。

 弦の勢いに乗り、そのままわたしは天井近くまで舞い上がる。

 ぶら下がった状態で、わたしは大きく足を振り、闇たちの囲みの外に異動する。重みに耐えかねて弦がしなり、わたしは再び絨毯に足をつける。

 闇たちが、無数の触手を蠢かせながら、こちらに向きなおった。

 (師よ)

 背後にほこりまみれのカーテンが吊るされている。わたしは魔法陣を再度描くと、その手でカーテンに触れた。

 (なにが、言いたいのですか)

 カーテンに印刷されている、古ぼけて垢ぬけない薔薇模様が、棘のある弦となって布地から生えてきた。わたしが指さすと、その動きに従い、棘の弦は襲い掛かってくる闇たちを打ち払う。

 

 チッ。

 紙が裂けるような音を立てて、闇の一部が切り開かれた。

 その時、わたしは僅かな光を見た、ような気がした。

 闇の裂けめ、その向こう側に、何か明るいものが。まるで異質な、不思議なものが。

 だが、それが何か確かめる間もなく、すぐに別の触手が伸びてくる。

 じゅうたんから作った伸びる弦を使って空中を移動し、攻撃を避け、カーテンや他の家具から引き出した武器で、ささやかな抵抗を繰り出す。

 きりがない。

 だが、これが今のわたしの限界だ。

 (師よ、師よ、師よ)

 

 「何も起こらんなあ」

 ふいにゴルデンの声がした。同時に紫の稲妻が部屋に落ち、全てが紫の眩しい光に包まれた。

 目をつぶり、そしてまた開いた時、あれほど執拗だった闇たちの姿が消えていた。

 金のワンズを突き出したゴルデンが背後に立っていた。

 とっくに覚醒していたらしい、すっきりとした顔をしている。

 ちらっとわたしを見ると、「睨むな」と言った。

 ワンズをしまい、部屋のあかりを灯し、ゴルデンは猫のような伸びをした。

 

 「おまえの師が、いつ現れるか待っていたのだが、全然だめだったな」

 ゴルデンは呼び鈴を引いた。

 のろのろと階段を上ってくる音が聴こえ、ずいぶんたってから店の人間らしい、老婆が顔を出す。

 夕食を持ってくるよう命じ、老婆が姿を消してから、ゴルデンはわたしに向き直った。

 「愛弟子を闇の餌にするらしい」

 わたしの目をみて、ふんとゴルデンは鼻で笑った。

 「傷ついているだろう、おまえ」

 「傷ついてなどいない」

 わたしは答えた。

 魔法で作り上げた植物の弦たちは、気が抜けたようにしなびかけている。

 やはり魔力が続かないのだ。潔く消滅するでもなく、姿を持続させるでもなく、それらはじわじわとしなびてゆき、やがてそれとわかるほど縮んでいった。

 毛糸を乱暴に洗濯したように、ちりちりと縮んだかと思うと、もとのじゅうたんや、カーテンに取り込まれた。

 なけなしの魔力で紡いだ魔法は、キレが悪い。

 「傷つくわけがない」

 わたしはもう一度言いながらゴルデンを見た。

 ゴルデンが面白そうな顔をするので、わたしは手を伸ばし、相手の胸倉をつかんだ。

 「師の意図がわからない我々が未熟なのだ。これは師の残した手がかりだ」

 ぱあん、とわたしの手を振り払い、ゴルデンは言った。

 「俺をおまえと同等にするな」

 今度はゴルデンがわたしの胸倉をつかんだ。わたしより頭ひとつ分背の高いゴルデンに吊るされて、わたしはつま先でかろうじて立つ。

 紫の瞳から怒りが走り、それをもろに受けたわたしは痛みに耐えた。

 「おまえと、おまえの師の間の、わけのわからんやり取りなど、俺には興味がない」

 「……」

 俺はそんな教え方はしないよ、とぶっきら棒にゴルデンは言い、放り出すようにしてわたしを放すと、無造作に木のワンズを突き出した。

 ひどく不快そうにゴルデンははき捨てた。

 「これがあれば、あんな薄汚い、惨めな雑魚に取り込まれることはあるまい?仮にも魔女の愛弟子がな」

 わたしは受け取った。

 夜が明けるまでだぞ、と念を押してから、ゴルデンはベッドに戻ってあおむけに転がった。

 階段をゆっくりと登ってくる足音が聞こえてくる。夕食が出来たらしい――。


 闇に落ちる、闇に喰われるということは、魔女にとっては最大の恥辱である。

 わたしはこの日、はじめて闇に取り囲まれ、喰われる危険に瀕した。

 触れられるところまではいかなかったが、ほとんど触れられそうなほどの、至近距離に迫られた。

 うねうねと蠢く無数の黒い触手と、ものほしそうな、空腹の気配。

 油断すればすぐにでも手が伸びてきて、むしゃむしゃとむさぼり喰われてしまう、おぞましさ。

 

 わたしはふと思った。

 闇落ちして、喰われて、そしてその後は?

 古い木のテーブルをはさんでゴルデンと向かい合わせになり、夕食を取りながら、わたしは思い出す。

 あの、一瞬、闇の裂け目から見えたあれは、一体何だった。

 まるで異質な、恐ろしさすら感じるほど馴染みのないものではあったが、それは確かに明るく光っていた。

 

 「闇は、なんだ」

 

 ふいに問いかけると、ゴルデンは食事の手をとめ、紫の眼でわたしを見た。

 彼の瞳に微かな驚きと喜びが見えたと思ったのは気のせいだったか。

 「俺はおまえの師ではない」

 だが、そっけなく彼は言い、また食事に戻る。


 明日もまた、旅が続く。

 東へ、東へ。

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