たべる
原口瞳はくたびれていた。
教師の仕事は多岐にわたり、ただ授業をし監督をするだけとはいかない。仕事は増える一方で帰宅はほぼ毎日深夜になっている。
「先生、ここ置くね」
給食係の有田そらが教卓にトレイをおいた。その髪のヘアピンが学校でつけるには少し派手な気がしたが、叱る気にもなれなかった。
「ありがとう」
瞳は無理に笑いながら、最近クラスではやっているグータッチをかわす。
それから十分ほどかかってどたばたと騒がしい配膳はようやく終わり、給食係の音頭で「いただきます」とクラスみんなで唱和する。
食べ始めれば、またかしましい。
瞳は、すっかり冷めたシチューをすくった。
シチューの具は、にんじん・じゃがいも・たまねぎ・グリーンピース。だから、この深皿に入っているいろどりは、オレンジ・黄・白・緑。
それだけのはず。
しかし、このスプーンにからんでいるのは、黒。
したしたと水気を滴らせている、長く細いもの。
瞳ははじめ、海草かと思った。首をかしげ、それがやっとなにかわかった。
髪。
長い髪の束。
スプーンがシチューの中に落ちた。しぶきが飛び散り、服も机も濡れたがそれどころではなかった。
吐き気がした。
瞳はあわてて給食を中断させようとして、やめた。
異物混入。原因調査。職員会議。保護者説明会。対策会議。残業・残業・残業。
児童はぱくぱくとシチューを頬張っている。おかわりしている男子もいる。さいわいどの児童もこちらに気づいていない。
入っていたのが自分の皿だけなら、黙っていればいいじゃないか。わざわざ騒ぎを起こさなくてもいいじゃないか。
「ちょっとやることを思い出したので、職員室で食べますね」
給食のトレイを持ち、瞳は教室を出た。
お昼の放送が流れる廊下を早足で行き、中に誰もいないことを確認してから保健室前にある職員用トイレに入る。
洗面台にトレイを置くと、便器にシチューをこぼした。中身を見たくなくて目をそらしながら、レバーを引いて流した。
トレイにはロールパンとササミピカタが残っていたが、もう食べる気にはなれない。
洗面台で深皿をすすいでいると、かちんと音がした。個室の鍵が開く音だ。
顔を上げて鏡を見る。真後ろのドアがしまっていた。たった今、瞳がシチューを流した個室。
ドアが細く開き、その隙間からうつむいた少女が走るように出て行く。背中で長い髪がゆれていた。
誰もいなかったはずなのに。
瞳はおそるおそるふりむいた。
誰もいない。
のぞいた個室の中、便器のたまり水にぷかりと髪が一本うかんでいた。