幕間 『マクアイ』
ちょっと長いです。
先日再会した彼らのことを思い出し、縁側でため息をつく。
テッタ、そしてユウタ。かつての友達で、今ではなんでもない単なる顔見知り。
その関係は、再会したとしても変わらない。
ふと、昔のことを思い出す。ケータイに残された、一通のメールを眺めながら――。
高校一年生の春。入学できたことが嬉しく、柄にも無くテンションがあがる時期。誰だって、この季節は胸が躍るものだろう。
俺もそうだった。中学の頃から仲の良かった奴らと一緒の高校に通うことができる……そう考えるだけで、自然と沸き立つ何かを感じ取っていた。
それに、
「……今年からは、タツコと同じ学校に行ける」
家が近所であるにも関わらず、幼稚園、小学校中学校と共になれなかった。しかし高校からは違う。タツコが通う高校に、俺も通うことができる。何よりもそのことが嬉しくてたまらなかった。
壁にかかる制服を見つめる。
ああ、なんて輝かしい。学ランではあるが、今の俺には中学の頃のブレザーよりも輝かしく思えてしまう。
今すぐにでも着たい。早く学校に行きたい。
しかし、待て、落ち着け。ソークール。
今の俺を省みろ。まるで遠足にはしゃぐ子どものようではないか。タツコがそんな子どもを相手にすると思うか? だからこう、もっと落ち着いて、大人っぽさをアピールしなければならない。ほら、タツコっていかにもオトナな男が好きそうだし。
深呼吸、そして、布団へダイブ。今日はもうさっさと寝てしまおう。
そして明日、タツコと学校へ行くのだ。ああ、初めてだ。長らく付き合ってきて初めて、タツコと一緒に登校できる――!
一緒に登校? 何言ってんの? 相手はあのタツコ。俺なんかが一緒に登校とかできるわけねーだろ。
翌日の朝、急に賢者モードになった俺は、タツコを待つことなく家を出ていた。
……ハハハ、今さらチキったとか言えねえ。
考えてみれば、入学初日から女子と登校とか難易度が高すぎる。周囲の視線に晒され、挙句の果てには先輩の妬みとか買っちゃうんでしょ? 知ってる、ボク知ってるよ。
それに、一緒に登校とかまるで付き合っているみたいだろうし。俺とタツコはまだ単なる幼馴染。余計な波風を立ててはいけない。
そんな言い訳を脳内でつらつらと並べつつ電車の中。同じく新入生であろう女子高生たちの話し声が苦手でイヤホンを差している。あの女子高生特有の甲高い声と中身の無い会話は忌避感を覚える。もしや別の生き物なのでは、とさえ思う。
まあ本人たちに悪気はなくて、ただ友達との会話を楽しんでいるだけなのだろうけれど。
……っと、もう降りる駅か。
それなりに人が詰まった車両から無理やりに身を出し、新鮮な外の空気を吸う。別に人ごみは苦手ではないが、なんとなく、大勢の人間が一つの空間で呼吸をしていることを考えると好きにはなれない。
それを考えたら教室も似たようなものか……。
いや、タツコと同じ空気なら吸いたいですけど。
「って、単なる変態じゃねーか……」
自分で言って引いてしまった。自分で言うのもアレだけど、俺タツコのこと好きすぎじゃないでしょうか。
「おっす、ミキ」
駐輪場へ向かう道すがら、背後から声がかかる。それは聞き覚えのあるものだった。
「ああ、テッタか。……って、初日から髪染めて……バカなんじゃねえの?」
「ハッハッハ、こういうのはスタートダッシュが肝心って言うだろ? ま、今日からよろしく頼むわー」
中学からの同級生、三島鉄太。悪い奴ではないんだけど、なんていうかヤンチャ坊主。周囲を楽しませようとしていることはわかるのだが、いかんせん空回りが激しいのだ。結果、周囲を傷つけるなんてこともしばしばある。
それが悪いことだと決め付けることはできない。人は誰しも、無意識の内に人を傷つけてしまうものである。だから、それを正してやるために俺のような友達がいるのではないだろうか。思い上がりかもしれないけれど、俺はそんな風に考えていた。
テッタ自身、自分の悪癖を理解し、直そうとはしているのだ。ならばそれを手伝ってやるのがテッタのためだろう。
「ところでさー、ミキ。ユウタの奴見ねえんだけど、なんか知らね?」
「アイツとはそもそも住んでる場所が離れてるから、違う電車なんじゃないのか? それか単純に寝坊か。アイツ低血圧だし」
これまた中学からの級友である彼の姿を思い浮かべる。何もここで探さずとも、学校へ行けば会えるだろうに。テッタはどうにも落ち着きがない。
俺はと言えば、ある種の悟りを開いてしまったのか昨夜ほど興奮することはなかった。テッタみたくはしゃぎすぎることがなさそうで安心なのだが、それはタツコとの登校を諦めた末の結果だと思い出しまた一つテンションのギアが下がった。
……でも、よくよく考えてみればタツコと登校していた場合、生徒の中でも特にテッタやユウタにも見られてしまうことになる。テッタたちはタツコの存在を知らないので、何か揉め事に発展してしまう可能性もあった。タツコと登校しようなどと考えていたのは軽率だったかもしれない。
まあ、すべては過ぎたこと。どっちにせよ俺は、タツコとの登校を諦めたのだから。
「――ミキぃ、なんで先に行くの。探しちゃったじゃんねえ」
だというのに、その影はアッサリと俺に追いつき、追い越した。
「…………あぁ、ああ」
「ん? どうしたの? 呆けちゃって。間抜け面だねえ」
背後から躍り出て、俺の前方で振り返り笑顔を向ける彼女は、俺の幼馴染。
いつも破天荒で向こう見ずで横暴な、それでいて魅力を損なわない――否、それこそが魅力である意中の女性。
「ん? そっちはお友達? 見たこと無いけど……ワイルドな見た目してるねえ。初めまして、太田達子です」
「え、あ、ああ……三島鉄太、です……」
近所でのあだ名は太田達子。……ああ、まったくもって、自分の都合でしか行動しない奴だ。
「……俺聞いてねーんだけど」
「……言ってないからな」
できる限り無感動に、事実だけを述べようと努めるが、どうあったって心の動揺は隠せない。それは声の震えとして如実に現れており、確かにテッタに伝わっていることだろう。
隠していたことの後ろめたさ。それがバレてしまったことに対する恐れ。今後の生活への憂い。そして訪れるであろう日常の破綻。
タツコと一緒に登校? ハハハ、浮かれている場合かアホ。安全に学校生活を送りたいのなら、タツコとは距離を置くべきなのだ。
……まあ、そんなことできるわけないけれど。
「それにしても嵐みてーな人だったな……俺ああいうの初めて見たわ。羽目外しまくる女なら結構見るけど、アレどう見たって最初からネジ足りてないだろ」
「失礼なこと言うなよ。アレでも学年主席なんだから。……しかし驚いた。お前そんな言い回しできるんだな、テッタ。もっとバカだと思ってた」
「テメエの方が失礼じゃねえか。アアン?」
自転車での並列走行は違反とされているが、俺とテッタは構わず並んで走っている。というか、できる限り端に寄ろうとしている俺の隣にテッタが並んでいる形だ。
ちなみにタツコはバスで学校へ向かった。なんでもつい最近自転車が壊れたんだとか。アイツのことだ、変な乗り方でもして電柱にぶつかったとかだろう。
「あーあ、幼馴染とか漫画みてーじゃん。羨ましいわー、憧れるわー」
「あー……お約束だけど、幼馴染つってもそんな関係じゃないからな。何しろ姉弟みたいなもんだし」
「へいへい、わかったわかった」
わかったなどと言いつつも、テッタの機嫌は先ほどからよくない。なんでも、友達に隠し事をしていたのが原因らしいが……大元は、俺が内緒で女の子と仲良くしていたのを妬んでいるだけだろう。女好きだし。
学校へ到着し、教室でテッタと過ごし数分。
「……なんだ、先に来てたのか」
ユウタ――端宮悠太が登校した。低血圧が祟っているのか、今朝も大分顔色が悪い。
「まあな。それにしても、いつもより顔色悪くねー? 大丈夫なのかよ」
テッタが気遣わしげに声をかけるが、ユウタの反応は芳しくない。言いにくそうに、どうにか口を開いた。
「……さっき駅のトイレで吐いたから、それが原因だと思う」
「は……、吐いたって、お前大丈夫なのかよ」
「テッタ、同じこと言ってる。……そんなことは置いといて、本当に大丈夫なのか?」
俺たち二人の言葉にユウタは苦笑し、
「大丈夫。ちょっと電車内の空気に中てられただけだからさ。……最近の女子って本当騒がしいな。キャーキャー騒ぐし、頭痛い」
……ああ、なるほど。それが原因か。
ユウタはあまり女子に近づかない。理由は『節度を弁えない馬鹿ばかりだから』だという。それも言い過ぎだとは思うのだが、ユウタが女子嫌いなのは今に始まったことではないし、人の好き嫌いに口を出す理由もない。俺たちは受け入れている。
しかしまあ、世間はそんな勇太の事情を知る由もなく。低血圧と女子嫌いが掛け合わさり朝の登校は相当困難だったようだ。
「せっかく早起きして、ミキとテッタと同じ電車に乗れたと思ったんだけどな……」
「え、あの電車乗ってたのか……そりゃあ、お疲れ様」
「ふーむ……」
隣ではテッタがなにやら難しい顔で、考え事をしている様子だった。先ほどまでユウタを気遣う言動をしていたのに、切り替えの早い奴だ。何を考えているのだろうか。
「……今日の電車、そんなにうるさかったか? むしろ女の子がお喋りしてるのを見れて俺は楽しかった」
テッタは通常運転でした。
……そう、何度も言うとおり、テッタは非常に女好きなのだ。
彼女を作ろうと意気込んでいたのだろう。初日から髪を染めて先生に怒られて、それでも女子にはウケが悪くなかった。
だから気紛れを起こしたのだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。そうでなければ、あんなこと――するはずがないんだ。
放課後。まだ部活などを決めることのない俺たちは、まっすぐに家へ帰ろうとする。
「よし、んじゃ帰るか……って、テッタなに変な顔してんの?」
「うっせ、これはマジな顔ってんだ。……なあ、ミキ、一つ頼みがあるんだけどよー」
「あん?」
テッタ曰く真面目な顔で、俺に耳打ちをしてきた。
「――お前の幼馴染のあの子、連れてきてくんね?」
「――は?」
話の流れがわからず、思わず真顔になる。ある意味これも真面目な顔であろう。
二人そろって真面目な顔で、しかし話の噛み合わぬ会話を続けた。
「ちょっと話がしてーんだよ。な? 頼む」
「いや、なんの話……というか、初対面だと、アイツとじゃ会話にならないっていうか」
「ミキ、幼馴染なんだろ? なら上級生の教室行っても変に思われねーって」
「話聞いてるっ!?」
「じゃ、正門で……はダメだな。どっかいい場所あったっけ?」
「……駅とかでいいんじゃないか」
「おし、じゃそゆことで。先行って待ってるから、頼んだぜホント!」
そう言い残しテッタは走り去るが、未だ状況を飲み込めない俺は教室に立ち尽くす。
「テッタ、どうしたんだ?」
授業初日は大体の授業で自己紹介とレクリエーションだった。そのため爆睡を決め込んでいたユウタは遅れて起きて訪ねてくる。
……そんなの、俺が聞きたいっての。
今しがたの出来事、会話をユウタに話し、俺はどうすべきかを相談しようと思ったが、そもそもユウタは女子が嫌いだ。自然、女子が絡む話題も苦手とする。あまり得策ではなさそうだ。
ゆえに俺は、ユウタの質問に言葉を濁す。
「……いや、用事があるから先に帰るって。ユウタはどうするんだ?」
「ふぅん……じゃあ俺は学校周辺を見てみる。早いところ慣れときたいからさ」
「わかった。んじゃな」
「ああ」
ユウタも教室から出ていき、さらに他の生徒もまだ昼下がりという空いた時間を有効活用すべく出て行く。そして、この空間に俺一人となった。
これからどうするかを考え、悩み、数分。
アイツを呼びに行くかどうかを考える前に、
「おお、いたいた。やっほーミキ。一緒に帰ろうよ、ねえ」
なんて、顔を覗かせたのだった。
「どうだった? 初めての授業。といっても、自己紹介ばかりだったろうけどねえ」
タツコが言うとおり、今日の授業は授業らしいものなど一つもなかったわけである。しかし、中学同様、科目毎に教師は変わる。つまり、何度も何度も自己紹介をさせられた。そのせいかはわからないが、妙に疲れた気がする。
……疲れているのは頭の方もだ。
学校から駅への道中。このまま行けば、俺とタツコは駅についてしまう。そこにはきっとテッタがいるだろう。
教室での頼みごと――『タツコを連れてきてほしい』。それは果たされる。
だがいいのだろうか。テッタはタツコを呼び出してまで何を話すつもりなのだろうか。それを知らずにタツコを連れて行き、タツコを不快にさせたら……。
考えれば考えるほど悪い方へ思考が向く。しかし考えずにはいられないのだ。
テッタは悪い奴ではない。しかし少々性格に癖があり、万人に好まれるタイプではないだろう。タツコの大らかさならばそんなテッタも受け入れられるだろうが、もしも、もしものことがあったら――。
「……どうしたのよミキ。恐い顔しちゃって……物騒だねえ」
「え、……そんな顔してたか、俺」
「してたしてた。あーもう、そういう顔やめてよねえ。こっちまで気分悪くなるって」
何をしているのか、俺は。テッタがタツコを不快にさせたらどうしよう? その前に俺が不快にさせていてはアホみたいだ。
ああ、そうだ。悩むのはやめだ、やめ。あの横暴な幼馴染がやめろと言っている。昔からタツコのワガママを聞いていた身としては、反射的に従わざるを得ない。
ついさっき思っただろう。タツコは大らかだと。であれば、
「……あの、ちょっといいですかね」
「なにさ改まって。くだらなかったら引っぱたくからねえ?」
「……それは難しいかもしれない。さっきな、朝挨拶してたテッタっていただろ? 金髪の。アイツに、お前を呼んで欲しいって言われて。なんでも、話がしたいんだと」
全部、言ってしまえばよかろう。
「…………」
「あ、どもっす。……あれ、ミキと一緒じゃねーんすか?」
「ああ、うん。ミキならユウタくん? と学校周りを散策するって。慣れるために」
「なるほど……気ぃ利かせてくれたんかな」
ポツリと最後に付け足したテッタの言葉に、胸が小さく痛んだ。
いつものような砕けた口調はすっかりなりを潜め、余所行きの口調でタツコは平然と嘘をついた。俺ならば、物陰からタツコとテッタの会話を盗み聞いているというのに。
テッタからの頼まれごとを正直にタツコに話し、その上でタツコはOKと言った。ただし、俺は来なくていいとも言った。俺はそれに納得が行かず、頼まれたのは俺なのだから話の内容を聞かせてくれと頼み込み、タツコが折れたという形だ。
結果、姿を見せないこと、という条件付きではあるが、二人の会話を聞くことを許された。ちなみに、当然のことながらテッタはそれを知らない。
「で、話ってなに? わざわざ呼び出すんだから、それなりのものだと予想するけど」
「……い、いやぁ、実は……っていうか、ミキがいないとそんな感じなんすね。ちょっと先輩って感じがするっすわー」
タツコの口調は、余所行きのものよりも少々冷たい雰囲気を感じる。なんだろうか、笑顔なのだが、漏れ出る言葉から笑顔を感じられない。
俺はそのことになぜか安堵を覚えた。
「えっと、要件済ませたいんだけど……昼間の駅だとあまり人がいないし、ここでもいいならお願い。電車の時間もあるし」
「ああ、はい……えー、あー、やっべー。マジキンチョーするわー……」
……? 何を緊張するというのだろうか。テッタらしくない。
思えば、タツコと会話を始めてからというもの、テッタらしくない言動が続いている。やたら下手に出る口調、そして逡巡。何を躊躇っているのだろう。
それはすぐに明らかになった。
「――俺と、付き合ってくんねーっすか?」
「は――――ツ!?」
思わず、隠れていることも忘れて大声を上げそうになった。
告白。テッタはタツコに告白するために呼び出したというのか。
いったいなぜ。テッタとタツコは今朝が初対面のはずだ。事前にタツコという存在を知っていたはずもない。だからこそ、今朝は少々不機嫌になっていた。
まったく脈絡なく、テッタはタツコに付き合ってくれないかと言った。『 』が言えなかったことを、いとも簡単に――。
「ほら、俺って新入生の中じゃ飛び抜けてると思うんすよー。それに見たところ、上級生もパッとしないのが多かったし。先輩的にも悪くなくねーっすか?」
ヘラヘラと、しかし緊張からか多少汗を浮かべ早口でまくし立てるテッタ。それを物陰で見ている俺。
もしかして、タツコは話の内容が告白であることに気づいていたのだろうか。俺がいるとテッタも告白に踏み切れない。だから俺に席を外すように言ったのだろうか。
だとしたらタツコは、この告白をどうするつもりなのか。
告白されることがわかっていて、それを回避したいのなら俺に席を外させるべきではない。ということは、つまり、――――。
考えたくない。テッタとタツコが付き合うなど、絶対に、あってはならない。
いや、それは俺のワガママか? タツコが誰と付き合おうが、それを俺が咎めることなどできやしないし、してもならない。タツコがそう決めたのなら否定することなど許されないのだ。
でも、やはり、嫌なものは嫌で「ごめんなさい」タツコは言った。
ごめんなさい、と、タツコは言った。
帰りの電車は、いくらか空いていた。昼下がりに電車に乗っている社会人は少ないし、学生もまた然り。うちの学校の生徒も、帰る人はすでに帰っている。
そんな電車内で、俺とタツコは隣同士で座っていた。
「…………」
互いに無言。どちらから何かを切り出すこともなく、会話は弾まず。
その日、家に着くまで俺とタツコが言葉を交わすことは、なかった。
翌日、テッタやユウタと遭遇することもなく、さらにタツコの姿も見ることなく学校へ到着した。
教室にはすでにユウタとテッタがいて、
「……今日は早いんだな」
「俺は人が多いの無理だったんで、一本早いので来たんだ。これ以上の早起きは勘弁だけど」
「…………」
テッタは無言で俺を睨んでくる。なぜだろうか。その視線には、いくらかの怒気が孕まれているように見えて。
「……なぁ、ミキ。テメェ、昨日どこにいた?」
「はぁ?」
「聞いたぜ、ユウタと一緒にいたわけじゃなかったんだよなぁ。……だったら、俺が昨日あの人と話してた時どこにいたってんだよ」
「ぁ……」
そのあまりの剣幕に、思わず怯んで。
その反応が答えだと言わんばかりに、テッタは詰め寄ってきた。
「いたんだろ? あの時近くに。そんでフられたのを陰で笑ってたわけだ。あぁ? 楽しかったんだろうなぁ」
「ち、ちが、そんなんじゃ……」
「――ウゼェわ、お前」
高校生活が始まり二日目。その始まりの朝に、――何かが壊れた。
それからというもの、テッタと顔を合わせるのが辛くなり学校を休むことが多くなった。
どんな理由があろうとサボりはサボり。小さな罪悪感が俺を突くも、テッタと顔を合わせることに比べたら、と休む頻度は徐々に高くなり、ついには不登校。
高校生活開始後、たった一ヶ月で不登校児になった俺は、笑わなくなった。
ある日、タツコが家にやってきた。
「ミキぃー、今日も学校行かないのー? ねえー?」
「……なんで来たんだよ。学校行かないと遅刻するだろ、バカ」
「お、起きてたんだ。なんでと言われてもねえ、様子見?」
「それならご覧のとおりだよ。今日も休むから、さっさと行った方が……」
「んじゃ私も休もうかねえ。よっこらせっと」
「……は?」
我が物顔で家の中に入ってくるタツコ。玄関に靴を脱ぎ散らかしたり、慣れた足取りで俺の部屋へ直行したりと、本当に自分の家みたいに振舞う。
それも当然か。この家は昔から、俺とタツコの遊び場だったのだから。
「あれ? 今日おばさんは?」
「母さんならパート。……ああ、知らなかったんだっけ。俺が高校通うのと同時にパート始めたんだよ。っつーか、俺の部屋覗くな」
「あっれー? 見られたくないものでもあるのかねえー?」
「ねえよ」
すぐ近くに無遠慮な女子がいるから、そういうものは部屋に置かないようにしているんだよ、バーカ。
「なんだ、つまんないのー。……おお、ミキが寝てた布団。ぬくぬくしてるねえ」
変態発言を聞き流し、
「……学校、行かなくていいのかよ」
タツコまで学校をサボることを問い詰める。
「いーのいーの。たまにくらいならねえー」
そう言ったタツコの顔は、意味深な笑顔で彩られていた。
たまに、などと言いつつ、それからタツコは頻繁にサボるようになっていた。まるで俺をなぞるように――。
本当に俺をなぞっているのなら即刻やめるべきだし、俺に責任を感じているのならばもっとやめるべきだ。
あの時会話の内容を聞きたいと頼み込んだのは俺なのだ。俺のワガママなのだ。つまり悪いのは俺。その後テッタとすれ違ってしまったのも、単に俺が悪いのだ。
――だから、俺の側にいるのはやめてくれ。
――俺のせいだと、言われているみたいだから。
それが思い違いだと知らされるのは、梅雨に入ってからだった。
俺の家は駅から歩いて二〇分程度。そしてタツコの家は二二分程度。たった二分の違いだが、急いでいる場合にはその差が大きなものとなる。
「いやー、助かった助かった……。あ、タオルありがとねえ」
「それはいいけど……なんでそんなびしょ濡れなんだよ。今日の天気予報、雨だったろ」
「へえ、引きこもってんのに天気とか気にするんだねえ……ま、傘はど忘れしてね」
相変わらずドジを直せないらしい、とこの時は苦笑した。
だが、何日かしてタツコが風邪を引いたと聞いて状況が変わった。どうにも、ここ連日の雨に濡れたのが原因らしいのだが、なぜ濡れたのだろう。
実は違ったのだ。
あの日、タツコは傘をしっかりと持って行っていた。だが、その傘をもって帰ってくることはなかった。
理由、それは、
『 』
久々の登校。鞄の中身は空。当たり前だ。俺は学校に、授業を受けに行くわけではないのだから。
一ヶ月も通うことのなかった通学路を、不登校ゆえに伸ばすままに伸ばした髪を撫で付けながら歩く。
すでに自転車は家に持ち帰っている。登校手段は徒歩しかない。自然、珍しい徒歩通学者である俺に視線が集まる。その中にはクラスメイトもいただろう。
彼らが学校に着けばきっと、先に登校しているはずのアイツの耳にも入る。
…………。
なぜ俺はこんなところにいるのだろう。大人しく家にこもっていればよかったのに。
顔を合わせたくなかったはずだろう。恐れていたはずだろう。
…………。
集まる視線が恐いと感じるようになった。目立つことを嫌うようになった。だというのに。
なぜ俺は、こんなところにいるのだろう。
「決まってる」
そんなの、決まっている。
教室の扉がやけに重く感じた。それを静かに開けると、視線が一気に集まった。
その中には、――テッタのものもあった。
「あァ……?」
そのテッタの席の前までまっすぐ向かい、そしてその胸ぐらを掴んだ。
「話があるからちょっとついてこい」
「……離せよ」
「ついてこい」
「…………」
仕方なく手を離すと、テッタは一つ舌打ちをし、「場所変えるんだろ。どこにすんだよ」と問うてきた。
そこへ、近くにいたユウタが、
「それなら学校を出てすぐの場所に、人目につかない公園があったけど。……どうせ長くなるんだろ。もうサボっちまえよ」
「ああ、ありがとう。……サボっちまえ、なんて、お前らしくないな、ユウタ」
「……ミキこそ、お前らしくない顔してるけどさ」
ユウタの言っていた公園に、俺とテッタが立つ。
梅雨特有のジメジメとした空気は、自然額に汗を浮かべさせた。学ランという服装も悪い。俺はすぐに全身に汗を感じることとなった。
「で、なんだよ話って。あ? わざわざ不登校やめて来た理由はなんなんだよ」
「…………」
「……答えろってんだよクソが!」
たしか、俺とテッタの付き合いは中学の頃からだから、丸三年となるだろうか。それだけの期間の中でも、テッタが俺に対して怒鳴るなんてことは少なくなかった。
元から気性の荒いテッタだ。俺のような臆病な奴に対し、キレないなんてことの方が珍しかったはずだ。それがどうして友達になれたのだろうと考えれば、そこにはユウタの存在があった。
ユウタの存在があったから、俺とテッタは友達であれた。ユウタという緩衝材なくしては所詮、こんなものなのだ。
――こんな友情のために、俺は何ができるのだろうか。
俺は逃げてばかりだった。テッタに対し悪いことをしたし、謝らなければとも思っていた。
だけど、もうそんな気分でもない。
終わらせよう。テッタとの、この関係を。
「なあ、テッタ」
「あァ?」
「俺、お前のこと何にもわかってなかったみたいだ。……お前が、こんなに小さい奴だなんて、知らなかった」
「…………」
その言葉だけで、俺が何を言いたのかわかったのだろう。
これは糾弾。テッタの最近の……いや、告白の日からずっと続いてきた、その行動への糾弾。
「タツコに何してんだ、クソが――!」
簡単に言えば、告白を断られた腹いせにとテッタがタツコにちょっかいを出していたというだけの話。最初はそこまで目立つものでもない、小さなちょっかいばかりだった。
だが、俺が本格的に不登校になってからその行動は段々とエスカレートしていったらしい。
わざわざタツコの教室を訪れてその机をカッターで傷つけたり、タツコの数少ない友達を脅したり、あることないこと噂で流したり、――傘を壊したり。
タツコが学校をサボるキッカケとなったのは俺なんかではなく、テッタだったのだ。
テッタがタツコの高校生活を破壊した。そこに俺は無関係では……ない。
直接のキッカケではないにしろ、やはり俺のせいでもある。だから、片をつけよう。
雨雲が空を多い、降り出すまでに時間はかからなかった。それが本降りになっても、俺とテッタが殴り合うのをやめることはなかった。
「謝れよ、タツコに、謝れよぉ!」
「うる、っせえ……! がっ、クソったれぇ!」
どうしようもなく下らない喧嘩は、雨が上がると同時に終結した。
……地面に伏す俺を、テッタが見下ろす形で。
ああ、ちくしょう。人間なんて嫌いだ、クソッタレだ。
友達なんて脆い関係、こうやって次々破綻していく。ならもう、いっそ、誰とも関わらなくていい。
そうだ、俺にはタツコがいればそれでいい。
謝ることすらできない奴なんかいらない。
でも、一番のクソ野郎はテッタでも、ましてや人間なんていう大きなものでもなく。
――最初に謝ることができなかった、俺なんだろうな。
矛盾だらけで脈絡もなくてまとまらなくてままならない思考は雨とともに流れていく。
遠ざかる足音はきっと、かつて友達だった彼のもの。それはそのまま、人と人との距離を表していた。
ああ、離れていく。
――離れていく。
――離れていく。
――離れていく。
「……ねえ、何変な顔してんの?」
いつの間に庭にいたのか、タツコが真正面から俺のことを覗き込んでいた。
「うぉ……いつの間に。お前、そういうのビックリするからホントやめろ」
「の割に、驚いたって顔してないけどねえ」
そうだろうか。これでも驚いたのだが。
「私が側にいてくれたらなあ、とか考えてたんじゃないの? だってミキってば、私のこと好きなんだもんねえ」
「うわ、フった奴がそんな話題掘り返しますか……性悪女が」
そういえばコイツ、テッタだけではなく俺のこともフったのだった。
それを考えると、あの雨の日にボロクソになったのがアホらしくなる。
「で、何ケータイなんて見てたのよ。気になるあの子とのメール? 青春だねえ」
「んなわけないだろ。お前とメールしたことなんてないし」
「あら、そうでしたねえ」
ぬけぬけと言いやがる。
「はぁ……冷蔵庫の中にアイスあるから、それでも食べてろ」
「お、やったねえ。……ちょっと待って。冷蔵庫にアイス入れてんの?」
「おお、そうだけど? わざわざお前用にって。あ、冷凍庫に入ってんのは俺のだかんな。……おいコラ、冷凍庫じゃなくて冷蔵庫だっつってんだろ!」
「誰が溶けたアイスなんて食べたいと思う!? 冷たいだけのドロドロアイスなんてお断りだって! ミキだってそうでしょ!? ねえ!?」
開いていたメール画面を閉じ、ケータイをポケットにねじ込んだ俺は、冷凍庫に入っているアイスを持っていこうとするタツコに追いすがる。
そんな日常を過ごしつつ思う。
『差出人:ユウタ
件名 :なし
本文 :最近テッタが騒がしいけどいいの?』
ユウタはなぜこんなメールを送ってきたのだろうか。
どういう意味かわからず、無視しようと思った。しかしどうにも胸騒ぎがして、どういうことかを訪ねたところ、テッタがタツコに対しちょっかいを出しているということを聞くことができた。
ユウタは、どんな思惑があって俺に報せたのだろうか。
『いいの?』に込められた意味とは、なんだったのだろうか。
……ああ、嫌だ嫌だ。何を考えているのか、友達だったはずの相手でさえもわからない。
俺はこれからも、タツコと一緒であれればそれでいい。
「あー! 走りながら食べたらアイスが! アイスが溶けるんだけど! ねえ!」
「バッカ、もったいねえ! いいから止まれ、そんで返せ!」
「私の食べかけなんだけどいいのかねえ!」
「食べっ!?」
こんな、どうでもいい日常を過ごせれば、それでいいのだ――。
最初は、誰かと関わるのが怖いと怯えていた。
しばらくして、せっかくできた友達を失うのが怖いと怯えるようになった。
またしばらくして、あの存在を取られるのが怖いと怯えた。
怯えて、怯えて、怯えて――でもあの時だけは、物怖じなどしなかった。
真っ向から友達に向かって、真っ向から対立し、そして自ら手放した。
でもそれっきり。久しぶりにあったアイツは、やはり怯えていた。
『今手にしている日常が失われること』に、怯えていた――。
……本当は五〇〇〇文字程度のはずだったんです。
次の投稿もまたいつになるかわかりません。でもあと二、三話程度なのでよろしくお願いします。