餓えた狗
角度が支配する時の概念を越えた世界で私は餓えている。煙の様な身体が創り出す猟犬の姿は常に血を求めているのだ。餌となる愚かな人間共は最近此方の世界に顕れなくなった。正直私は暇である。古代の魔術師達は私達を使い、敵を討ち取っていた。部屋に錯乱する名状し難い薬品や狂気じみた刻印、禁忌の断片が私達の侵入口を創り出していたのだ。臭いを知った私達は獲物を貪るまで追い続けた。
腹が減った。人間の臭いを嗅ぎたくて仕方が無い。周りを漂うのは蠢き犇めく鋭角だけである。霞を食べる方がマシだろう。鋭角なんて喰えたもんじゃない。虚しく空を斬る鉤爪が私を更に餓えさせた。
臭う、臭う、遂に見つけたぞ。久し振りの獲物だ。私は肌色の奴が視界に映るのを嬉々として待つ事になった。緑色の膿じみた涎が止まらない。長牙と舌が私の意思に反して飛び出てくる。愉しみだ。悲鳴を上げる人間の喉を舐り、噛み千切る快感を私は知っているのだ。恐怖を与える為、逃がして捕える絶望を食らう悦びも私は知っている。角度が踊って嗤っていた。
狂気に侵された人間が私を見て顔を歪ませた。私は嘲笑いながら口を開ける。腐乱臭を放つ私の身体から緑色の煙が放たれた。今宵は宴である。足を少しづつ齧る。腹を裂き、内臓を喰らい尽くす。膿のような涎を精製する舌を使い、顔を削り取る。鋭角に囲まれた世界に鮮血が飛び散った。