二 露払いも姉の役目
さて、父親に誘拐犯の嫌疑をかけた号泣と一緒に、私は心のもやを洗い落としてしまったようでした。ゲームの設定など知ったことではない。私は私と家族が幸せになるように生きるのだと、「私は私の生きたいように生きる!」精神に4歳にして目覚めたのです。自分で言っててなんですが、なんか可愛くない4歳ですね。
ともあれ、こんな風に考えたことに理由がないわけでもありません。だって、ゲームの設定のままだったら幸せになれないんだもん。
今更ですが、ゲーム本編における私と私の弟の立ち位置について少々確認してみたいと思います。
私、秋篠ほのかは、高校2年生の時転校してくるヒロインのクラスメイトです。最初に仲良くなる友人として、ヒロインに様々なことを教えてあげる役、つまりゲーム的に言えばチュートリアル役を負います。
私の弟、秋篠鳴海は、高校1年生の攻略対象です。ほのかを介して初期に出会いますが、初めの関係性は良好とは言えません。表面の軽薄さと社交性の裏に隠された孤独を解きほぐす形で、恋愛ルートは進行していきます。結果的には、ただのツンデレになります。
さて、ここからが大事なお話です。公式設定として、ほのかと鳴海の関係性は最悪です。互いに嫌い合っています。特に鳴海からほのかに向けての嫌悪感が激しく、ヒロインと鳴海の関係が最初悪いのは、ほのかと一緒にいる時に彼女の友人として出会うからです。
無駄にややこしくて細かい設定があるので、ほっとんど端折りますが、姉弟の仲が険悪なのは、そもそもほのかの側に原因があります。養子にも関わらず、跡継ぎとして両親から愛され、事実自分より優秀で、容貌にも優れ、誰からも期待されている義理の弟。弟に対する嫉妬とコンプレックスが言葉に変わり、挙措に変わり――。弟の側も、期待の重さに喘ぎ、大人達の世界に巻き込まれる中、いわれのない迫害を義理の姉から受け続ける内に、人間不信を深め――。
ゲーム本編時点で、ほのかは自分の態度を悔いているようなことを主人公に告白するシーンもありますが、最早些細な罪悪感では修復できないほどに溝が深まっている。というのが、秋篠姉弟の設定なわけです。で、まあ、そこを乗り越えていくヒロイン凄ぇ的なね。展開なわけですよ。
――さて、ご理解頂けたでしょうか。
うん。
このままじゃあ、幸せになれんのですよ! 約束された未来が不幸ってどういうことだよ! そんな約束いらんわ!!
確かに、ヒロインと恋愛を成就させた鳴海は、今までの悲しみや辛さの分、与えられなかった分の愛情や幸せをヒロインに目一杯注がれて幸せになっていく設定です。ファンディスクで証明されています。でも、それじゃあ、13年後の「今までの悲しみや辛さ」「与えられなかった分の愛情や幸せ」のために、彼はこれから13年間、沢山のものを押しつけられ、失っていかなければならないっていうんでしょうか。ゲームならいいよ。ただの画面の向こうの文字情報、そうであったらしいというだけの過去の設定に過ぎないんだから。
でも、私は。
ゲームの通りであるべきとするのなら、私は、これから13年間、弟が苦しみ続け、心を閉ざしていく過程を、ずっと見つめていかなくちゃいけないってことです。それも、その原因のひとつが私自身だなんて! 私に、弟を、13年間追い詰め続けろだなんて!
嫌です。無理です。お断りします。
この世界は、誰かのためのゲーム世界ではなく、私達が生きていくべき現実なんだと考えを改めた時点で、私が何よりもまず最初に決意したのがこの設定の改変でした。13年後にもしかしたら来るかも知れない幸せな未来のために、私は自分も弟も不幸にするつもりなどさらさらありませんでした。
じゃあ、そのためにどうしたのかというと、単純ですが愛しました、弟を。それはもう、べったべったに可愛がりました。無理は全くありませんでした。だって可愛い! 超可愛い! なんでこんなに可愛い弟を嫌えたのか、ゲームの私が信じられない! くりっくりの目をしてひな鳥のように後をついて回り、他の人が注意しても聞かないものも私の言うことなら素直に聞き、ちょっと仲違いして口をきかなくなると直ぐに寂しくなってびゃあっと泣き出す。
高校入学時には170cmを越える身長も、小学校までは身長順に整列すれば必ず一番前になるようなタイプで、本当にもう……ちっちゃい小動物がなついているようでもう……可愛くって……可愛くって……。彼のおかげで私はブラコンの名を欲しいままにしました。
ただもちろん、姉の溺愛に浸ったおぼっちゃん駄目男になられても困るので、ちゃんとすべきはちゃんとさせ、苦言も辞しませんでした。……と自負してはいるのですが、完璧にそうだったと言い切れないのは、自分でも自分のブラコンっぷりを自覚しているからです。
中学2年生くらいから「かわいい」よりも「かっこいい」にシフトし始め、ぐんぐん身長も伸び始めて、内心私が残念がっていたことは秘密です。でも、どうやら弟にはばれているようで、昔は本当に可愛かった的な発言をすると凄く嫌そうな顔をされます。だって昔は本当に可愛かった。ちっちゃくてくりくりで可愛かった。
結果として、私の思惑は達成されたと言っていいでしょう。
姉弟の関係は良好です。ゲームの中では秋篠の両親とさえ一線を引いたような付き合い方をしていた弟ですが、今は自慢の仲良し家族です。でも、家の中でプロレスごっこは止めてください。ホコリがたちます。
3歳以前の設定は私には変えようがないから、今でも大人達の集まりの中では嫌な思いをさせられることもあるようですが、心に重いものを溜め込みがちな弟の背中を叩いてそれを吐き出させるのも姉の役目だと自負しています。まあこれは、いつか可愛い恋人ちゃんにバトンタッチする予定ですが。くふふ。
強いてイレギュラーが起こったとすれば、ひとつは私が自他とも認めるブラコンになったことでしょう。いい加減恥ずかしいかなあと思っているので、高校入学を期に卒業予定です。
もうひとつは、ヒロインと恋愛イベントを第4段階目くらいまで進めてようやく現れ始める弟のツンデレが、早々に発現してしまっていることでしょうか。これ姉の欲目かなあ、ゲームで見てた時よりも、ほんと可愛いんだけど、このツンデレ。
何にせよ、私にとっては実りある10数年間だったと自信を持って言えます。ただ私のしたことはゲームの大前提をひとつ崩壊させたに等しいので、今度の展開がどうなっていくのか期待半分不安半分ではありました。ゲーム本編がそもそも始まるのか、否か。
結論から言えば、始まるようです。まあ、そうですよね。私と弟の関係がひとつ変わったところで、それはヒロインの引っ越しの事情には全く関係ないんですから。私がゲーム舞台となる東ノ宮学園に入学した時点で、私の知っているゲームのスタートはほぼ確定したようなものでした。大人の事情もあるしねえ、別の学校には入れませんでしたよ。
それに正直言うと、期待してました。興味があったんです。だって、だって、もしかして! これは目の前で、昼ドラやゲームでしか見られないような、ぷっくすくすな胸焼け必至のラブドラマが見られるかもしれないってことでしょう! やだ! 見たい! 見たいよ! ぷっくすくすってしたい!
弟のフラグはゲーム開始前に私が全折りしちゃってるような状況なので先が読めませんが、弟とヒロインに先んじて学園に入学した私の調査によると、攻略対象やイベント関連キャラクターは弟を始めとする次年度入学者を除いて、全員現実に学園内に存在しているようなのです。ちょ、もう、このワクテカどうしたらいいの! 1年もお預け喰らうなんて、期待値上がりすぎて辛い!
「はじめまして、花野美鈴です。引っ越してきたばかりでわからないことも沢山あると思うので、いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
高校2年生の4月。
黒板前で自己紹介し人好きのする笑顔を浮かべる少女を前に、表面クールを装いつつ内心ハスハスしていた私は、自分でもちょっと気持ち悪かったです。