7.頼れる幼馴染、フェリクス
目の前の男もサッと身に付けていた黒い仮面をとった。
「ビルゲッタ皇太子妃殿下、あのような卑猥な場所で何をしていらっしゃったのですか?」
そこには見慣れた私の幼馴染の顔。
「フェリクス。私ね、私⋯⋯」
ケネトと同様、私にとってフェリクスは兄のような存在だ。幼い頃から私を見てきた彼は私のダメな所をたくさん知っている。
「ビルゲッタ⋯⋯どうしたんだ。キルステン皇太子殿下の誕生祭にも欠席して、あんな卑猥なパーティーに参加するなんて⋯⋯」
私の弱々しい様子を見て、フェリクスは私に昔から接するような様子に戻った。彼に手を引かれ、キルステンとお茶をしたパティオの影まで誘導される。
「フェリクスこそ、破廉恥な仮面舞踏会に参加するなんてどうしたの?」
私の疑問に目を逸らしながら、言いずらそうに答えるフェリクス。
「俺は、エマヌエル皇帝陛下の密命を受けてだな⋯⋯。あそこは、貴族の情報交換の場にもなっているんだ」
フェリクスの実家であるダルトワ伯爵家は代々皇室の諜報員をしている。
(なるほどね⋯⋯)
「本当だぞ! 俺はあんなふしだらな場所には興味がない! 仕事の為に参加者を装い出席していたんだ」
小声でムキになる彼を見て思わず吹き出してしまった。私が皇室に嫁入りをしてからはなかった砕けた会話に心が和らぐ。
「笑ってる場合か! 銀髪に琥珀色の瞳なんて、そう多くはない。あそこにいた大抵の貴族は、あの場にビルゲッタ・ルスラムがいたと考える」
私はフェリクスの指摘に背筋が凍った。
「実はアルマが⋯⋯」
私の呟きを聞きフェリクスは私を抱き寄せるようにして、耳元で小さな声で囁く。
「聖女アルマか。あの女に連れて来られたんだな。あの女には気をつけろ。裏でグロスター公爵と繋がっている」
「えっ?」
グロスター公爵は六年前、キルステンを暗殺しようと目論んだ首謀者。証拠不十分がゆえに、公爵を罰する事はできず彼はまだ行政の要職に就いている。
私は思わず、消えてしまった腹部の傷跡の辺りを抑えた。私はこの傷で出血多量になり命を危険に晒した。暗殺者の狙いは明らかにキルステン。もし、キルステンが傷を負っていたかと思うとゾッとする。
「その傷⋯⋯腹の傷のことがあって、キルステン皇太子殿下はお前に引け目を感じて寝所を訪れられないんだと思う」
「そうなの? でも、今、この傷は⋯⋯」
私は猫だった時に、アルマにこの傷を治して貰ったことを思い出した。
(あっ、あれ? 私、猫だったんだけど、もう人間に戻れたの?)
「もうすぐ夜が明ける。とにかく、ビルゲッタは皇城の自分の部屋に戻って⋯⋯」
目の前のフェリクスがどんどん大きくなる。着ていた赤いドレスは地面に落ちた。私は思わず自分の手を見た。ピンク色の肉球がそこにある。
(私、また猫になってる!)
フェリクスが見たこともないような驚きの表情を浮かべている。
「えっと、キルステン皇太子殿下の誕生祭を無茶苦茶にした銀色の猫?」
私は彼の言葉に衝撃を受けた。
「にゃにゃ! にゃーん。(そんなつもりない! 私はキルステンを助けようとして)」
フェリクスは猫語が分からず首を傾けている。
「にゃ! にゃにゃ!(もういい! とにかく、私はキルステンのところに戻る!)」
朝起きて隣にいたはずの私がいないと、キルステンに心配を掛ける。
人間の時は私のことを気にも留めてくれなかった彼だが、猫の私は彼の寵愛を受けているのだ。
私は急いでキルステンの部屋へと急いだ。
「おい、待て!」
フェリクスの静止の声が聞こえたが無視。私が大事なのは愛する人のお心。キルステンは今、猫の私に癒しを求めている。
私は猫の爪を駆使して、城壁を蔦を利用しながら駆け上がりキルステンの部屋のバルコニーから彼の部屋に侵入した。
どうやら、キルステンはまだ夢の中。
(なんと無防備な⋯⋯眠れる城の美男)
彼の美しく無垢な寝顔に感銘を受けながら、私は自分の体をシーツの中に滑り込ませる。
シーツの中に丸くなり縮こまる。息を殺して静かにしていると、愛おしいキルステンの寝息が聞こえた。
本当はこんな風に夫婦で並んで眠る時間があっても良かったはず。私は自分が猫であるという危機的状況にも関わらず妙に切ない気持ちになったまま、彼のぬくもりに身を預け眠りについた。
「エリナ、起きて! エリナ!」
体を揺さぶられて、そっと重たい瞼を開ける。目の前には朝の陽の光に照らされたキルステン。
「にゃ、にゃん(おはよう、キルステン)」
「おはよう、エリナ。昨日のお昼から、かなり深く寝入っているようで心配したよ」
「にゃん? (心配してくれたの?)」
人間だった時は婚約者になっても、結婚して妻になっても無関心だった彼。猫になって彼の関心が得られているなら、このままの姿で良い。
きっと、昨晩人間に戻ったのは私の夢。いかがわしい仮面舞踏会の会場など諸外国から敬われるルスラム帝国にある訳がない。フェリクスに強く抱き締められた時の熱だけは妙に生々しいが、きっと夢。
「今日はゆっくり二人で朝食を食べよう」
キルステンは優しく微笑むと、そっとガウンを脱いで着替えを始めようとした。ふわっと上品な金木犀のような香りが鼻を掠める。
私は口で彼のガウンの紐を引いて、着替えを手伝おうとした。二人一緒に目覚めて、こんな風に彼の着替えをサポートする日を夢見ていた。
「エリナ、手伝ってくれるのか? 本当に可愛いな」
キルステンは私のひげのまわりを愛おしそうに撫でる。私は彼の大きな手に頬を擦り寄せた。
着替えを済ませ、彼と一緒に食事をする。私が人間では叶えられなかった時を今愛する人と過ごしている。言葉は通じなくても心が通じ合っている感覚。
その時、食堂に傾れ込むように、汗だくの従者が入ってきた。
「なんだ、無礼だぞ?」
キルステンの顔が一瞬にして険しくなる。
灰色の髪をした従者はキルステンの威圧感に震え上がった。
「にゃ?(何かトラブル?)」
「キルステン皇太子殿下、急ぎの為ご挨拶を省略させて頂きます。エマヌエル皇帝陛下から大至急の呼び出しです」
従者の言葉にキルステンは溜息を吐きながら、膝の上に乗せていた私をそっと椅子に降ろす。
「にゃん?(キルステン?)」
「エリナはまだお腹が空いてるだろ? ゆっくりとここで食事をしていてくれ。ちゃんと迎えに来るから、良い子にして待ってるんだぞ」
キルステンが指で私の首を摩りながら語ってくる。明らかに何かに悩んでいる表情をしているのが心配。
「にゃあ(一人で抱え込まないで)」
猫の私に何ができるのだろう。キルステンは早くに母親を皇妃に暗殺されている。そして、当時の皇妃はその罪により処刑。この大帝国で唯一皇位継承権を持つキルステン。小説にそんな記述はなかったのに、彼自身も十四歳の時に暗殺者に狙われた。世界のリーダーとも称されるルスラム帝国の皇室は揺らいでいる。
「大丈夫、心配しないで。ほらっ」
キルステンがまた手づから生ハムを食べさせてくれた。
(私の好物覚えててくれたのね)
その生ハムを夢中に頬張っていたら、いつの間にかキルステンは部屋から出て行っていた。キルステンが去ると共に、メイドたちが食事を片付け始める。
人間の言葉を喋れない猫の私に気を遣う気はないようだ。
(ちょうど良いわ)
私は開け放っている扉から出て、キルステンがいるであろう玉座に急いだ。
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