4.ヒロイン登場
彼が本当に好きなのは甘いものではなく猫だった。
私は神が私を柳の木ではなく、猫にしてくれた事に再び心から感謝した。
「では、私もテラスに移動しご一緒に朝食をとります。今日は昨日と違って気候も良く暖かいですし⋯⋯」
アルマが柔らかく微笑むと、メイドがそっとテラスに続くガラスの扉を開ける。 ここ最近は季節外れの寒い日が続いているが、今日はぽかぽか陽気だ。
優しい風が吹いてきて、朝日がアルマの髪をキラキラと輝かす。美しい彼女の金髪がレフ板のように反射して、より光り輝いて見える。
(これは、恋に落ちちゃうよね)
私は寂しい気持ちになりながら、キルステンを見上げる。 すると、彼の輝くアメジストの瞳には私しか映っていなかった。
「にゃーん。にゃにゃ。にゃーん。(夢みたいです。大好きです。キルステン)」
私の鳴き声を聞いて、彼は優しく私の頭のてっぺんを撫でつけた。 猫であるのを良い事に私は照れる事なく、伝えたい愛の言葉を彼に囁きまくった。
席につくなり、食事が運ばれてくる。
グリーンサラダに添えられた生ハムが食欲を唆る。
「にゃん!(生ハム美味しそう!)」
「はい、どーぞ」
キルステンが私に手づから生ハムを食べさせてくれる。
「にゃっ、にゃっ(うまっ、うまっ)」
「生ハムなんて、猫が食べて良いのかしら」
アルマが私を気遣うような言葉を投げかけてくるが関係ない。
私の味覚は人間!
生ハムによって食あたりで猫の体が悲鳴を上げようと今を楽しみたい。
ほのかなしょっぱみのある風味がたまらず、獣の本能を突き動かす。
私は生ハムに夢中で思わず、キルステンの指まで舐め尽くしていた。
ふと、キルステンの美しいアメジストの瞳と目が合うと羞恥心に苛まれる。
両手で顔を隠すと、再び彼が私の頭のてっぺんを撫で付けてきた。
「にゃ、にゃあーん! にゃん! (そこ、すごく気持ちいい! キルステン!)」
一瞬、私とキルステンの二人の空間だと勘違いしそうになった時。
ヒロイン聖女アルマがカットインしてきた。
「キルステン皇太子殿下、実は最近帝国で流行しているマカロンを作って来たんです。お口に合えば良いのですが」
アルマが頬をピンク色に染めながら言うと、メイドがカラフルなマカロンを運んできた。
現在のルスラム帝国でマカロンの流行を作ったのは私。それは原作でキルステンがマカロンを美味しそうに食す場面が出てきたから、私がマカロン作りに没頭しただけのこと。皇太子妃という立場の私がする事は、いつも周囲の注目を浴びた。でも、どんなにマカロンが流行しても、キルステンは私の作ったマカロンを食すことはなかった。
原作では、アルマの作ったマカロンを一口食べたキルステンは「甘いな。君には負けるけど」と蕩けるように囁く。キルステンは他の人には冷たいのに、アルマには恥ずかしいくらいの愛情を向けてくるのだ。
「にゃあん!(見てられない!)」
私はキルステンの膝から飛び降りようとした。 彼が私を引き止めお腹を両手で持って掲げる。
(高い高いされてる!?)
「聖女アルマ。エリナの腹の傷を治してくれないか?」
「えっ? その猫の⋯⋯エリナ様のお腹の傷ですか? 随分、古いものですね。治せるかどうか⋯⋯」
私が十四歳の時にキルステンを守り、暗殺者から受けた傷跡。 私にとってはキルステンと自分を繋ぐ大切な思い出の印。傷物の貴族令嬢の価値はないものも同然。兄のケネトは必死にこの傷を消す手段を探し、キルステンもずっと私が傷物になったことを気にしていた。
「にゃあん! (消さなくていい!)」
私は体を捩って傷跡を必死に隠そうとする。
「頼む、どれだけ時間が掛かっても構わない。褒美も欲しいものをやろう。どうかエリナの傷跡を消してあげて欲しい。エリナは女の子なんだ」
「キルステン皇太子殿下は、愛猫家なんですね」
皇太子であるキルステンが平民であるアルマに頭を下げている。周りに待機しているメイドが驚きのあまり固まる異様な光景。正直、私も見た事ないキルステンの必死さに抵抗を忘れ固まってしまった。
(キルステン、そんなに猫が好きなの?)
「そうだよ。君は猫アレルギーだから、僕とは合わなそうだね」
「いえ、この猫だけは大丈夫みたいです」
アルマが私のお腹に手を翳しただけで、一瞬で傷が消える。
「傷、消えたな。聖女アルマ、感謝する」
キルステンは淡々とアルマに礼を言う。見下ろすと私のお腹に六年もあった傷跡が跡形もなく消えている。一瞬でこんな事ができるなんて、聖女の力は神の起こす奇跡のようだ。
「にゃあん⋯⋯。(聖女の力は凄いな⋯⋯)」
私は体が脱力するのが分かる。
キルステンを守った証が消えてしまった。いつも彼の役に立てるよう動いているつもりだが、それが目に見えた成果には出てこない。私のキルステンの貢献度が前世の学力テストの点数のように出てくれれば励みになったと何度思ったことだろう。私は自分が彼の役に立っているかに全く自信が持てなかった。
猫になっても、彼を守った確かな証を持っていたかった。
そして、聖女アルマの奇跡の力を目の当たりにし、やはり彼女がヒロインでキルステンの正式な相手なのだと突きつけられた気がする。
「どうした?」
キルステンが私の顔を覗き込んでくる。 人間だった時はあんなに素っ気なかったのに、今の彼は驚くくらい私を気にかけてくれる。
「にゃ、にゃん(私は、元気だよ)」
切ない気持ちになりながら、私はキルステンのお腹に体を擦り付けた。
「キルステン皇太子殿下、私も聖女の力を使って疲れました。少しここで殿下とマカロンでも摘んでゆっくりと語らいたいです。これからのルスラム帝国についてお話でもしませんか?」
聖女の力に目覚めた者は、世界中の国々から望まれ奪い合いになる。なぜならば、聖女がいた国は歴史上驚くべき発展を遂げているからだ。 アルマは誰からも愛されるような可愛らしい聖女というだけでなく、これからのルスラム帝国の発展に欠かせない人間になっていくだろう。キルステンを支える特別な力も資質も彼女は備えている。
アルマが彼に手を伸ばしてくるのを、彼はするりと交わした。彼は皿に並べられたマカロンを見下ろすと冷たく呟いた。
「⋯⋯歪だな。皇族に出すものとしては不揃いで適していない」
アルマは驚いたように目を見開く。 彼女は身分の低さゆえ虐げられてきたが、聖女の力に目覚めてからは皆が彼女を敬うようになったはずだ。
聖女は神に愛された少女で、皇族でも気を遣わなければならない相手。 彼女がぶっきらぼうなキルステンの態度に驚くのはもっともだ。
「不格好だけれど、懸命に作ったんです。味は確かなので、食べてください」
「見た目が悪いのに美味いと何故分かる。皇族である僕に毒味させる気か?」
キルステンは表情を変えずに冷たく言い放つと、私をそっと抱き上げ席を後にした。
原作では二人は一晩で盛り上がり、翌日にはラブラブになったのに不思議だ。 私が二人の夜を邪魔にしたせいで、仲が進展していないのかもしれない。
私は二人が恋仲になりきっていない事を嬉しく思ってしまっていた。 キルステンの幸せを願っているし、彼の側にいたい。 それでも、彼が他の女と恋に落ちるのを見るのは苦しい。
その後、キルステンは自分の部屋に私を連れて行き、ベッドに優しく体を撫でてくれた。円を描くように体全体をさすられ、私は気持ちよくなりうとうとしてきた。 彼は潔癖症なところがあるのに、猫をベッドに置くのは大丈夫らしい。
「すまない。今日はこれから公務が立て込んでいるんだ。朝食、足りなかったよな。あとで、メイドに食事を持って来させるから沢山食べると良い」
「にゃあん、にゃん。にゃー。 (大好き、キルステン。ありがとう)」
慣れない体のせいか、キルステンのマッサージが効果的だったのか睡魔が襲ってくる。私はそのままお日様の匂いのするシーツに包まって吸い込まれるように眠りについた。
重い瞼を持ち上げると、隣に長い黒いまつ毛を伏せたキルステンが寝ているのが見えた。カーテンの隙間から銀色の三日月が見える。月の位置から察するに、今は真夜中だ。
(私、あのまま夜まで寝ちゃったんだ⋯⋯)
キルステンは普段は無表情で淡々としていて冷たい印象だが、眠っている姿は幼い。 猫になってから彼の優しさに触れて、ますます私は彼に惹かれている。
「キルステン、愛してるわ」
思わず漏れた言葉に、私は自分が人間の言葉を話せている事に驚く。
シーツがはらりと落ちる。 落ちた先を見ると、人間の女性の足のようなものが見えた。
(えっ?)
慌てて後ろの鏡を見ると、一糸纏わぬ姿の人間ビルゲッタ・ルスラムが映っていた。
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