22.変わってしまった彼
キルステンが私の頬を撫でてくる。私はその冷たい手を温めたくて頬擦りした。
「僕を頼ってくれ。困った事があったら、誰よりも先に僕に打ち明けてくれ。僕たちは夫婦だろ」
「正式に離婚したと⋯⋯」
「それは、僕の力不足だ。アルマを甘く見ていた。エマヌエル皇帝陛下の心の隙間を利用し、いつの間にか彼女は皇帝陛下を洗脳していた。もう息子の僕の声も父上には届かない」
「なんて事を!」
エマヌエル皇帝の心の隙間、それは愛する人を失った怒り。埋めようのないブラックホールのような喪失感。
エマヌエル皇帝陛下は誰より、キルステンの母親である先の皇后陛下を愛していた。しかし、なかなか子供が出来なかったことから、周囲から皇妃を娶るように薦められる。
皇妃を娶ってもエマヌエル皇帝陛下は皇后陛下だけを愛し、皇后陛下はキルステンを出産。待望のお世継ぎの誕生にルスラム帝国は湧き上がった。
幼い頃から聡明で理想の皇子と称されたキルステン。キルステンは五歳には皇子から正式に立太子し皇太子となった。帝国中がキルステンと皇帝夫婦に注目し持て囃した。皇妃の存在などなかったかのように⋯⋯。
しかし、程なくして皆が皇妃の存在を思い出す出来事が起こる。
建国祭の真っ最中ドレスに着替え中の皇后を皇妃が殺害。
嫉妬に狂った皇妃により、愛する女を殺されたエマヌエル皇帝は夜叉になった。
皇妃を断頭台で処刑するだけでは止まらず、皇妃の家門であるアボット侯爵家の身分を剥奪し、一族もろとも国外追放にした。
従来の国外追放は生涯ルスラム帝国に足を踏み入れない約束をし、条約を結んでいる国にある程度の生活を保障して追放するものだった。
しかし、エマヌエル皇帝はアボット侯爵家の幼い子から余命幾許もないご老体まで身ぐるみを剥がし未開の島に追放した。事実上、処刑と変わらない処罰。
それは、当時の帝国法と照らし合わせても厳しすぎる判決で、エマヌエル皇帝陛下が皇権を発動して無理やり推し進めたもの。当然反感を買った。
人々は献身的に尽くした大貴族アボット侯爵家を、一度の失態で完膚なきまで叩き潰したエマヌエル皇帝に対し恐怖した。
幼くして母を失ったキルステンへの同情の声より、エマヌエル皇帝の横暴への批判が一時は鳴り止まなかった。
当時の私は前世の記憶もない五歳。母親を失っただけでなく、父親が変わり果てた同じく五歳だったキルステンの心を心配した。エマヌエル皇帝への恐怖心もあり、当時から皇室に嫁ぐ話はあったが断って欲しいと願っていた。
でも、キルステンと十年婚約期間を経て結婚をし、彼の側にいられた事に今は心から感謝する。誰も信じられないと思われていたキルステンが私を信じてくれている。
キルステンの手が私の首に触れ、その手の冷たさにビク付いてしまった。
ブチッ!
唐突にネックレスの鎖を切られる。
フェリクスから貰ったダイヤモンドの指輪のついたネックレスだ。
「キルステン、フェリクスのことだけど⋯⋯」
泣きそうだったキルステンの瞳に、一瞬にして怒りの炎が灯ったのが分かった。
「ダルトワ卿は君の護衛騎士にする」
私はフェリクスが処罰されないことに安堵のため息を吐く。そんな私をキルステンが冷ややかな目で見ていた。
「約束された未来を捨て、僕の女である君にプロポーズするくらい、ダルトワ卿は君にご執心のようだからな。どんな危機的状況でも命懸けで君を守るだろう。君を守り、敵に討たれて殉職してくれたらありがたいな」
キルステンの声が怒りで震えている。フェリクスに対する敵意に満ちた言葉が元来優しい彼の発したものとは思えない。
ダイヤモンドの指輪を握った彼の右手の拳から血が滴っていた。ポタポタと勢いよく落ちる血がモスグリーンの絨毯にシミをつくる。
「キルステン、あのね」
「なんだ? 急に僕に事態を説明する気になったのか? ビルゲッタ。僕は父上を皇帝の座から引き摺り下ろし、ルスラム帝国の皇帝に即位する。戴冠式と同時に君ともう一度結婚式を挙げるつもりだ」
孤独な美しい皇太子キルステン。
実は誰より繊細で心優しい彼。
私の恋した感情を表現するのが苦手な男。
そんな彼が恋に落ちるとデレデレになるところが原作でも可愛いと思っていた。猫として私はそのデレを存分に味合わせて貰った。
私も彼に気を遣いすぎて、すれ違ってしまったと反省している。
これからはお互い話し合い、より良い関係が作れると思っていた。
しかし、目の前にいるのは怒り狂った男は私の知っている彼ではなく、私は自分のしてしまった数々の選択の過ちを後悔した。
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