21.キルステンとの再会
「ビルゲッタ、ビルゲッタ!」
目を開けると眼前に必死の形相をしたキルステンがいる。
艶やかな黒髪、光り輝くアメジストの瞳、ずっと私が想い続けていた届きそうで遠く届かなかった男。
「キルステン、怪我はない? 大丈夫? ナイフを貴方に向けて投げた人がいたの。また、狙われるなんて本当に怖かったよね」
私の言葉を聞いてキルステンが苦痛の表情を浮かべる。彼は一瞬何か言おうとして、口を閉ざした。
言葉が出る私は人間の姿になっているようだ。私はベッドに寝かされていて、近くにはモスグリーンの礼服を着たクリフトン様がいた。私はスモークピンクのシルク生地に百合の刺繍の入った薄手の寝巻きを着せられている。
「クリフトン様、どうしてここに? ここはどこですか?」
「ここはアルベール王宮よ。私は貴方の怪我を治すようにキルステン皇太子殿下に呼ばれて来たのよ。十時間も費やして、やっと治したわ。フェリクスちゃんと、フランシスも無事だから安心しなさい」
状況が全て飲み込めない。
キルステンの全身を見ても怪我をしてないように見える。
とりあえず、彼を守ることはできたようだ。
「良かった。キルステンが無事で」
「何が良かったんだ。君は危うく死ぬところだったんだぞ。また、キルステンは私の命だからとでも言うのか? もう、良い加減にしてくれ」
キルステンが感情を露わにしている。
「キルステンは私の命」、それは十四歳の時に彼を守って傷を負った時に私が言った言葉。
彼と婚約したのは私が八歳の時。当時の私は前世の記憶が蘇ったことにより苦しんだ。毎晩のように元の家族が私の死を嘆いている姿を夢に見る。素敵な旦那様と結婚して可愛いお嫁さんになりたいの抱いていた夢も絶たれてしまった。
そんな時に婚約したばかりのキルステンが側にいた。昔から、素っ気なかったけれど、彼は私が前世で読んでいた小説の中の人物。私は彼に本気で恋をしていた。前世で誰一人幸せにできず、皆を悲しませたまま人生を終えた私。今世では彼を幸せにすることに私の命を懸けたいと思った。
「あの男は? キルステンに向かってナイフを投げた男はどうしたの?」
「僕を攻撃するようアルマから依頼を受けていたようだ。アルマは僕の傷を治すことで、民衆の前で聖女パフォーマンスをしようと考えていたのだろう」
「今、彼はどこにいるの?」
「⋯⋯なぜ、気になるんだ?」
質問で質問を返してくるキルステンに戸惑い、クリフトン様の方を見る。
クリフトンがゆっくりと首を振った。
「急所は外す予定だったと命乞いしてきたが、許せるはずもない」
淡々と語るキルステンは甘過ぎると言われていた彼ではない。
彼の中で燃え上がる怒りのようなものを感じる。
男の罪状は皇族暗殺未遂。極刑相当の罪だ。おそらく男はアルベール王国の人間。本来ならば然るべき手順を踏み、刑罰を確定してから処刑するのが妥当。ルスラム帝国とアルベール王国の力関係を鑑みれば、アルベール王国は男を即日処刑した事に抗議できない。
しかし、周辺諸国は今回の即日処刑に対し、国際条約に違反すると指摘して来るかもしれない。今まで冷静沈着な君主と評判だったルスラム帝国次期皇帝のキルステンに対し、危機感を覚えるだろう。
「アルマはどこ?」
周りを見渡すも彼女の姿はない。
「アルマは逃げたよ。君の怪我を治すように頼んだが、一笑してどこかに飛んだ。おそらく、ルスラム帝国に戻り、次の策に講じている」
キルステンの口ぶりに私は驚いた。彼もアルマを怪しんでいる。もしかしたら、私よりずっと前からだ。
「まさか、アルマが瞬間移動まで使えるレベルの魔女だとは思わなかったわ。歴史上最強の怪物かもね」
クリフトン様が困ったように肩をすくめている。
砕けた話し方をしているクリフトン様は性別だけでなく身分も超越している。キルステンは幼い頃からルスラム帝国の唯一の後継者として育てられた。それゆえ、皆、彼の前では萎縮し跪く。その環境がキルステンの孤独をより濃くしたと原作には記述してあった。
だから、私は無礼だと知りながらも婚約当初から彼に対して砕けた話し方をし距離を縮めようとした。その姿をエマヌエル皇帝に咎められて怖かったけれど、急に丁寧な態度に戻したらキルステンを混乱させると思いそのままにした。
そういえば、アルマもキルステンに対して無礼なくらい馴れ馴れしかった。魔女は不思議な力を持つがゆえに怖いもの知らずなのかもしれない。
「キルステンはアルマが魔女だといつから分かっていたの?」
匿名の手紙でアルマが魔女であると知らせたが、キルステンは私より先に彼女の正体に気が付いている気がする。彼は非常に人を良く観察し、洞察力の鋭い男。
私の言葉にキルステンが見たこともない泣きそうな顔になりながら手で顔を覆った。
(な、何? どうしたの? キルステン)
「僕があの女をルスラム帝国に招き入れてしまったんだ」
予想外のキルステンの告白。私は彼が自分で何もかも背負い込む男だと知っていた。それなのに、今更彼が私に多くのことを隠しながら何もかもを一人で解決しようとしていた可能性に気が付き胸を締め付けられている。
「⋯⋯ど、どういう事?」
これから彼の話す事は検討がついているのに、私は尋ねずにいられなかった。
「僕はずっと古傷を治せる聖女を探していた。しかし、聖女が現れるのは五百年に一度と言われている。前回、聖女が現れたのは二百年前。聖女探しを諦めかけていた四年前、僕は莫大な魔力を持つアルマの存在に辿り着いた」
「四年前⋯⋯」
私たちが結婚する前。ちょうど、キルステンがアメジストのジュエリーを私にプレゼントしてくれた頃。
彼が私のお腹の傷を気にしていたのは知っていた。
「その傷跡は絶対に消す」と言う彼に「服を着ていたら見えない場所だから気にしていない」と私は返した。
「アルマについて情報を集める程に、彼女が危険な人物だとは分かっていた。美しい外見に隠された自己中心的で極めて残酷で醜悪な姿。分かっていたのに、聖女ということにしてルスラム帝国に招き入れてしまった。結局、君を再び危険に晒したのは僕だったという訳だ」
キルステンが自嘲的に語る真実は私の予想を遥かに超えてくる。彼は私の傷を治そうとずっと秘密裏に動いていた。アルマの正体を魔女だと知りながら、私の傷を治すことを優先してルスラム帝国も危険に晒している。次期皇帝として教育を受け、自分の立場を誰より理解している彼のした事とは思えない。
「私の正体にいつ気がついたの?」
「正体? 僕の前に現れた猫が君だということには最初から気がついてたよ。不思議だな。人間の君にはできないのに猫の君とは自分が君としたかった事ができたし、あげたかった言葉を紡ぐことができた」
私の中で猫として過ごしたキルステンとの甘い時間が蘇る。手づから生ハムを食べさせて貰い、一緒のベッドで寄り添うように温もりを交換しながら眠った。彼から薔薇風呂に一緒に入ろうかとも誘われた。
「フランシスは僕の子だな」
急に真剣な眼差しを向けてくるキルステン。
私は狼狽えてしまった。
フランシスが猫だった姿も見ていたとしたら、キルステンはまた自分の行動に責任を感じてしまう。
「ち、違います。あの子は私と⋯⋯」
キルステンと目が合わせられない。冷静を装いたいのに声が震える。
「ダルトワ卿との子だとでもいうのか? 君はいつもそうだ。困った時は僕ではなく、ダルトワ卿を頼る」
「そんなことは⋯⋯」
キルステンの言う通りだ。
私はキルステンに迷惑を掛けないように過ごして来た。困った時はフェリクスか兄のケネトを頼った。
「あの子は僕の子だな!」
確信めいて強くキルステンが主張するということは、フランシスの瞳の色を見たのかもしれない。私が何を言おうかと考えあぐねていると、急に両肩を彼に強く掴まれた。
「フランシスは僕の子だ! 君が他の男との子を身籠るはずがない。たとえ、無理強いされても、舌を噛んででも抵抗するはずだ。君は僕だけを心から愛してくれている」
キルステンの声がまるで彼の心情を表すかのように震えている。
「わ、私は⋯⋯」
いつもそっけなかったキルステンが私を信じていた。「好き」と伝えた事一度もはなかったのに、私の想いが伝わっていた。
「君が僕に無償の愛を教えてくれたんだ」
「そのような大層な事はしてないわ。いつもキルステンの気を引きたいという下心があったもの」
「下心か⋯⋯可愛いな」
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