20.平穏な日々の終わりの予感
「有力貴族と組めば可能ですね」
フェリクスが私に目配せしながら言う。おそらくグロスター公爵のことを指しているのだろう。
私は愚かだ。
猫になり遠くからキルステンを見守ろうと判断したが、彼を一人一番危険な場所に置いてきてしまった。
「そんな暗い顔をするのはおよしなさい。キルステン皇太子殿下がアルマと結婚していないという事は惚れ薬を摂取はしていないという事よ!」
「惚れ薬って媚薬ですよね。私、ひと舐めした事あります」
アルベール王国において、媚薬はボレイ草という花の花粉を擦り潰せば簡単に作れる。そのような知識もこの王国に来るまでは知らなかった。
「ひと舐めじゃ体が熱くなる程度だから安心しなさい。あれは、継続摂取させない限りはそんなに怖いものではないわ。継続的に摂取したら、マリオネットになる危険な薬」
ボレイ草の花粉は擦り潰して粉状にできる。混ぜようと思えば食べ物にも混ぜられる使い勝手の良いものだ。原作で何度も出てきたアルマの手作りマカロンを食すキルステン。私は恐ろしい想像をしながら、身震いがした。
私たちの会話が煩かったのか、突然フランシスが割れんばかりの声で泣き出す。私たちは顔を見合わせ、深夜の秘密会議をお開きにすることにした。
クリフトン様は平民学校設立に向けて投資してくれることには同意してくれたが、アルマに関しては得体が知れず協力は難しいと言われた。
♢♢♢
真夜中を過ぎた遅い時間だと言うのに、今宵もセレストさんがお花を買いに来てくれている。いつになく今晩はご機嫌だ。
「ゴデチアの花を頂ける? 紫色のもので纏めてくれると助かるわ」
「分かりました。少々、お待ちくださいね」
セレストさんが色を指定して、単色の花束を注文してくるのは珍しい。
彼女は基本、カラフルな色が好き。
ピンク、紫、白の三色に花咲く、光沢がありサテンのような花びらのゴテチア。
ゴデチアの花言葉は「お慕いしております」。
「はい、どうぞ。どなたかに告白ですか?」
「そうよ。私の積年の想いをキルステン皇太子殿下に伝えたいの」
私はフェリクスの想いに応えようと思っていた矢先に出てきた「キルステン」の名に動揺した。
(紫色はキルステンの瞳の色⋯⋯)
ルスラム帝国はアルベール王国とついに国交を結んだ。明日、キルステンが王城に向かう途中、私たちの街をパレードのように通る。
「キルステン皇太子殿下にお渡しできると良いですね」
「相手は大帝国の皇太子殿下よ。直接お渡しなんて、そんな大それた事は期待してないわ。ただ、私はずっと前から応援している気持ちを伝えたいだけ。幼い頃にお母様を亡くして、今度は奥さんに逃げられた皇太子殿下が不憫で仕方ないの。その上、唯一の皇位継承権を持つプレッシャーもあるでしょ」
「そうですね」
私は花屋の軒先の揺り籠で揺れるフランシスを見つめる。
「遠くの国のおばちゃんだって味方だよって気がつけば、少しはお心を慰めることができるんじゃないかってね」
セレストさんは軽くウインクしながら、花束を受け取りお代をカウンター置いていった。
パレードは昼間に行われる。
私とフランシスが猫になっている時間。
キルステンを一目見たい気持ちと、猫の体で群衆に紛れる危険を考える。
(無理だよね⋯⋯)
♢♢♢
フランシスも何か感じ取っているのか、今晩はなかなか眠りについてくれない。
「オギャー! オギャー!」
「どうしよう、本当に泣き止まない。どこか悪いのかな?」
私とフェリクスは手探りでフランシスを育てていた。
「鼻水も出てないし、耳が痛い訳じゃないと思うけれど」
子供は鼻水が出ていると、その菌が耳にまでいくらしい。
いわゆる中耳炎になりやすいのだ。
「熱もないし、何か不安があるのかも」
私の言葉に何かを感じ取ったようなフェリクスが目線を落とした。
「きっと、ご機嫌斜めなだけだよね。赤ちゃんの内は感情をワッと外に出すのが一番」
フェリクスを不安にさせてしまったようで、心配になる。
私は口角を上げて必死に笑顔を作った。
「オギャー! オギャー!」
夜、なかなか泣き止まないフランシスを、フェリクスと代わりばんこに抱っこして寝かしつける。
二時間以上泣き続けたフランシスがやっと寝てくれる。
あまりのハードワークに私もフェリクスもクタクタだ。
寝巻き姿でフェリクスと過ごすのも慣れてきた。衣服も食事も買い物はフェリクス担当。下着の購入をお願いするのは恥ずかしかったが、衣料品店を含む大抵のお店は昼しか空いていない。今、着ているトランキルブルーのコットン生地に紫陽花の刺繍が入った寝巻きも彼が買ってきてくれた。
フェリクスが私の胸元まで伸びた銀髪を撫でながら、語り掛けてくる。
「明日、俺がお前とフランシスを連れてパレードを見に行く」
「!?」
フェリクスの提案に私は驚きを隠せない。でも、キルステンの姿を一目見たかった。聞くところによると、アルベール王国出身のアルマもパレードに参加するらしい。二人が並んでいるところを見れば、私も諦めがつくかもしれない。
現実問題、呪いが解けないのであれば、私は遠くからキルステンを見守る事しか彼の為にできる事はない。
「フランシスにも、父親を見せたいしな」
「ありがとう、フェリクス」
私たちが微笑みあっていると、揺り籠で寝ているフランシスが声を出した。
「ふがっ!」
私とフェリクスは慌てて自分の口元を抑える。
(せっかく寝たのに起きられたら大変だ)
「俺たちも、もう寝よう。明日はキルステン皇太子殿下も来るが、アルマも一緒だ」
「そうだね。用心しないと」
アルマは魔女の中でも特別に強い力を持っている。それならば、明日、私たちの予想を越える何かが起こってしまう可能性がある。
♢♢♢
私とフランシスは猫の姿でフェリクスに抱っこされて、パレードを見学することにした。私たちが陣取ったのは四つ角にある雑貨屋の前。キルステンが近くを通ると思うと緊張する。フランシスは初めて人混みの中に来たのに、物珍しそうに周囲を食い入るよう観察していた。
「にゃー、にゃーん。(この街って、こんなに人がいたのね)」
「本当に凄い人だな」
どうやらフェリクスも同じ感想を持ったようだ。猫の姿になっても、首には彼のくれたリングのネックレスが揺れている。首輪みたいで何だか可愛らしい。
「キルステン皇太子殿下万歳! 聖女アルマ万歳!」
周囲が大スターが見えたことで沸き立っている。
キルステンは以前私とペアで作った緑色の礼服を着ている。もう、彼とペアで服を作ることもないだろう。私の中に彼と対になるドレスを着て舞踏会で踊った思い出が蘇る。
白馬にまたがる彼は本当に御伽話の王子様のようだ。
太陽の光が差し込んで眩く光る金髪に、新緑を思わせるエメラルドの瞳をしたアルマは聖女を思わせる純白のシンプルなドレスを着て馬に横乗りしている。
二人はお似合いで、私は嫉妬をしているのか胸が苦しくなった。
その時、黒い装束を纏った男が玩具屋の影からキルステンを狙っているのが分かった。手元で鈍く光っているのはおそらくナイフ。猫になり感覚が過敏になっているのか、男からの殺意をひしひしと感じる。
満面の笑顔でこれから刺されるとも知らないキルステン。
瞬間、男がナイフを投げようとしたのが見えた。
私は気がつけば、猫っ飛びでキルステンの前に飛び出していた。
「エリナ!」
フェリクスの声が遠くに聞こえる、周囲が大騒ぎしている声が小さくなっていく。
その中に愛おしいキルステンが私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
(横腹にナイフが⋯⋯この肉を抉られる感触⋯⋯初めてじゃない)
私は、意識を手放した。
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