15.フェリクスからのプロポーズ
「セレストさん、いつもありがとうございます」
「いえいえ、ここでお花を買う事だけが私の楽しみなのよ」
セレストさんの嬉しい一言に私とフェリクスは顔を見合わす。そんな私たちをセレストさんは微笑ましそうに見ながら、大好きなゴシップを語り出した。
「そうそう、聞いた? ルスラム帝国のビルゲッタ皇太子妃が行方不明のまま帰ってこなくて、とうとう離婚が成立したらしいわよ。私の予想だけどビルゲッタ様は男と駆け落ちでもしたんじゃないかしらね」
離婚が成立したのは予想通りなのに、私は落ち込んでいた。
(私はもうキルステンの妻じゃない⋯⋯)
最近、気分が悪いのもそのせいかもしれない。
「駆け落ちはないんじゃないでしょうか」
セレストさんに否定しても仕方ないのに、私は自分がキルステンを見捨てたみたいに言われるのは嫌だった。
「不仲なご夫婦だったみたいじゃない。他の男に目移りするわよ」
思わぬ返しがセレストさんから返ってくる。
私は思わず、フェリクスと目を合わす。
「とにかく、奥さんは大事にね。ちゃんと、定期的に抱いてあげなきゃダメよ」
セレストさんはフェリクスの腕をポンポン叩くと去っていった。
私はフェリクスと並んで笑顔を作りセレストさんに手を振る。
「何か、今日は収穫あった?」
二階の部屋に戻りながら、フェリクスに尋ねると驚くような話が返ってきた。
「グロスター公爵がいくつかの毒草を輸入している。ルスラム皇室に献上予定だそうだ。見た目は品種改良した美しい花。でも、触れるだけで麻痺を引き起こす。使いようによっては即死する猛毒になるらしい」
「何ですって?」
私はキルステンの身が心配になった。
慌てて紙と羽ペンをとり、何度目かの手紙をキルステン宛に匿名で書く。私が近くでグロスター公爵に目を見張らせていた時とは違う。遠くで暮らすキルステンが心配で吐きそうだ。
危険な花に触れて苦しむ彼を想像するだけで、眩暈がする。
手紙を書き終えた途端、力尽きたように机に伏せってしまった。
「おい、大丈夫か? 水、飲んで」
心配そうな顔をしたフェリクスが水を差し出してきて、一気に口に流し込む。
「けほっ、けほっ」
急いで飲んだので、気管に入ったのでむせてしまう。
私の背中を彼が撫でてくれる。
「そんな心配しなくても大丈夫だ。先にメイドが花に触れて気がつくだろ」
「そんなの分からないわ。キルステンが今は狙われてるのかしら?」
心配で涙が込み上げてくる。貴族として生活していた時はもっと精神が安定していたはずなのに、最近は精神が不安定。
「その手紙、速攻で送らせるよう依頼しておく」
私が書いた手紙を握り締めながら、真剣な瞳を向けるフェリクス。
「今回の手紙は迂回させないで良いわ。少しでも早く到着することを優先して。早馬を使ってもいい」
匿名でキルステンに手紙を出しているが、私の居場所が分からないよういつもは他国の郵便局に出してもらっていた。しかし、急を要する内容なので、悠長な事はしていられない。
「分かった。少し出かけよう。外の空気を吸った方が良い」
私の不安定な気持ちを察するようなフェリクスの提案を受け入れ、私たちは夜のお出かけをした。
夜の街をフェリクスと2人散歩する。
「そのワンピース、エリナによく似合ってる。柔らかくて上品な色合いがお前にピッタリだ」
フェリクスは昔は私を茶化すことが多かった。しかし、最近はストレートな褒め言葉をくれる。私の今着ている服はフェリクスが用意してくれたものだ。ブルーグレーのワンピースで、紫陽花やアナベル、マリーゴールドなどが刺繍してある。とても可愛い服で私も気に入っている。
「ありがとう、フェリクス! くしゅん」
私は思わずくしゃみをしてしまい口を手でおさえた。
「エリナ風邪か? 今晩の予定は改めさせた方が良いかな」
フェリクスの口ぶりから私は彼が何か用意していると察した。
「違うの、風邪をひいたとか、体調が悪いとかではないわ⋯⋯」
私の言葉に安心したように微笑んだフェリクスが、自分が羽織っていたモスグリーンのジャケットを羽織らせてくれる。ジャケットからする温もりと男らしい香りはキルステンものとは違っていて私は少し泣きそうになった。
「じゃあ、行こうか。エリナ」
フェリクスが遠慮がちに私の肩を抱き寄せる。彼の手の震えが伝わってきて、私は何故か不安になった。
もうすぐ夏だと言うのに、アルベール王国はルスラム帝国に比べ涼しかった。
地理的にもアルベール王国はルスラム帝国の北に位置する。
私たちの住む場所は見晴らしの良い丘にある街の中で、高地であることもあり風が強い。
私が震え上がるとフェリクスは私をより強く抱き寄せた。私たちは街の中心部にある泉のところまで到着した。
「街灯が付いいて街も明るいのに、今日は誰も人が外に出てないのね。風が強いからかしら」
「俺とエリナの二人きりだな」
うっとりと語ってくるフェリクスに私はまた不安になった。
真夜中に銀色の月だけが浮かんで、二人を見ている。
ふと泉の水面に映る自分たちを見ると、知らない人が見たら本当のカップルに見えそうだった。
(これから、どうなるのだろう⋯⋯)
呪いが解けないまま、ルスラム帝国にも帰れない未来。
たった二ヶ月なのに、私はそのような将来を想像して不安になっていた。
隣にいるフェリクスの顔を見上げると、彼がずっと私を見つめていた事に気が付く。
「ビルゲッタ、俺は本当にずっと君のことが⋯⋯」
私は思わず「ビルゲッタ」という本名を呼ばれ、手でフェリクスの口を塞ぐ。壁に耳あり、障子に目あり。どこで、誰が身を潜めて聞いているかも分からない。その時、私の目にフェリクスの後ろを通る鉄の棒を地面に差し込む灰色の作業服を着た男性が見えた。
「あっ、あの方は!」
「ビルゲッタ⋯⋯それは、その内に分かるから今は俺に集中してくれる?」
また、彼は私の名前を呼んだ。
もし、今見えた作業服の人が私の正体に気がつき、通報したらどうする気なのかと焦る。私は、まじまじと作業服の男性の行動を観察した。
「私、あの人が何をする方か知ってるわ。ああやって地面を操作して、泉の中から噴水を噴射するんでしょ。ルスラム帝国にはない噴水技術ね。この街の泉も噴水にしたら、人々がもっと集まりそうね」
潜伏するには、この街は皆が知り合いで不向きだと思っていた。もっと、観光客が集まって賑わってくれるとありがたい。
私の言葉を聞くなり、なぜかフェリクスは急に頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「お前を驚かせたかったのに⋯⋯」
私はその時になって、ようやっと彼が自分に見せようと準備したのが噴水ショーだったと確信した。
「私はとっくに驚いているわ。フェリクスが私の為に色々してくれた事。貴方にだって近衛騎士としての仕事があったのに、私を守ることを優先してくれた」
私は自分もしゃがみ込み、フェリクスを慰めるように彼の頭を撫でた。指先をサラサラと流れる赤い髪。兄のような彼を子供のようになだめている不思議なシチュエーション。ふと、フェリクスが私を見る目が熱っぽいことに気が付く。慌てて手を引こうとした所を、彼に手首を掴まれた。
「ビルゲッタ、俺と結婚して欲しい」
フェリクスはポケットから取り出したダイヤモンドの指輪を、私の左手の薬指に嵌めようとしてくる。私が咄嗟に手首を掴む彼の手を振り解こうとした時だった。
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