10.脱走の失敗
バルコニーのガラス扉を微かに叩く音がする。私は濃紺のカーテンをそっと開けた。
カーテンを開けた先にいたのは、月明かりに照らされた白い騎士服を着た若い青年。ルビーのように光り輝く赤い瞳が、私を心配そうに見ている。
私はゆっくりと音を立てないようにガラス扉を開いた。
「フェリクス、どうしてここに」
皇太子の寝室のバルコニーによじ登るなど、許されるのは猫だけ。
私の問いかけにフェリクスは一瞬顔を顰めた。
「ビルゲッタ、お前を攫いに来た」
まるで、ずっと会えなかった恋人と再会するようにフェリクスは私を愛おしそうに抱きしめた。私にとって彼はもう一人の兄のような存在。急に男の顔をされて戸惑ってしまう。
「攫う? フェリクスってば何を言って⋯⋯こんなところ誰かに見られたら」
私はフェリクスに相談したいことが山程あった。ある朝、猫になったと思ったら、夜には人間に戻っていたこと。聖女アルマが私を陥れようとしていること。
諜報員をしている彼なら何か知っているかもしれない。
「時間がない。ビルゲッタ、俺に捕まれ」
私は気がつけばフェリクスに横抱きにされていた。
彼は私の腕を自分の首に回させると、バルコニーから飛び降りる。
「ちょっと、ここ二階!」
私は目をぎゅっと瞑りながら、フェリクスにしがみついた。
夜空に月明かりに照らされた自慢の銀髪が舞う。
春にしては冷たい夜風を感じ震えていると、フェリクスに騎士服の上着を肩から掛けられた。
「はい、到着! 今から、アルベール王国に逃げよう」
「逃げる?」
アルベール王国は花の輸出で有名な国。叶わなかったが、私はいつかキルステンと訪れてみたいと思っていた。
「夜だけ人間に戻れても、昼間は猫。それは呪いだ。そして、その呪いはお前の命を狙って掛けられたもの」
「私、狙われてるの?」
私の質問にフェリクスが静かに頷く。
「ビルゲッタを殺せば皇族殺害だが、猫なら⋯⋯」
フェリクスは唐突に話すのをやめて、どこかを見つめている。私は自分が睡眠薬を飲まされた状況を思い返していた。私を殺そうとしているのは、おそらく聖女アルマ。寝入ってしまって、その後の状況は分からないけれどキルステンのそばで私は殺せない。私は彼の愛猫。それゆえ、私を連れ出そうとしたが失敗。
(キルステンが守ってくれた?)
いつまでも、話の続きを話さないフェリクスに声を掛ける。
「フェリクス?」
彼の視線の先を見ると怒りを抑えるような瞳で私たちを見るキルステンがいた。
キルステンはズンズン私に近付いて来て、私の手を引っ張り自分の方に抱き寄せた。
「ダルトワ卿、行方不明の妻を見つけてくれてありがとう。もう、下がって良いぞ」
いつになく威圧感を漂わせるキルステン。私は頭を下げてその場から去ろうとするフェリクスを見送るしかなかった。
キルステンは無言で私を横抱きにする。ずるりと私の肩からフェリクスの騎士服の上着が落ちた。
「キルステン、上着が⋯⋯」
「⋯⋯」
私の言葉に全く彼は反応しない。皇城内の廊下ですれ違う夜間護衛の騎士たちが私たちを見て目を丸くしている。キルステンの寝室に到着すると、少し乱暴に私はベッドに降ろされた。
「あの⋯⋯私」
「なんだ?」
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