第二話 邂逅
ユリオプスからフノボリの調査を頼まれて三日後の午前、再度ウェルベライトはユリオプスに呼ばれていた。
執務室でまたも机を挟み向かい合う。
「ウェルベライト。君を魔女と獣人の外交官に任命する。まずはフノボリとレイシさんとの交流を深め、こちらへの不安や不信を拭ってほしい。君を介して私の考えも伝えてくれると嬉しい」
ウェルベライトのなんとなく予想していたことが的中する。
人は良さそうだが、なかなか食えない性格のフノボリと相対するのは少し緊張するため、覚悟を決めて向かわなければと思うが、同時に獣人の彼女と接触する機会が公的に増えるのはありがたいと思い、密かにウェルベライトは国王に感謝した。公私混合であることは無視する。
執務室を後にし、再びフノボリの家に向かおうと準備をする中で、今度は何か手土産を持っていくべきかと考え、街の菓子屋にてバターケーキを三切れ買って東の森へ向かう。
先日辿った道を歩きながら、ひとまずの目印としてフノボリの家までの道中にあった木に巻かれたベル付きの紐まで歩いてみる。
前にレイシを見つけたところまでの道は一本道であったし、方向も大体わかっている。何とかなるだろうと歩き進んでいく、のだが。レイシと出会ったであろう場所を過ぎ、森の中を進むがなかなか目印に出会えない。
迷ったか? と考えがよぎり、戻ろうか思案しそうになっていると後ろから「ウェルベライトさん!」と声をかけられた。振り返るが誰もいない。しかし声は確かにレイシだったような気がするが、なんて見渡すと少し大きめの白いシャツを着たレイシが茂みをかき分け近寄ってきていた。
「レイシ。偶然だな」
「ううん、師匠がそろそろウェルベライトさんが森に来てる頃だろうから迎えに行ってあげてって言われて」
レイシの言葉にウェルベライトは疑問を抱く。自分がここに来ることはフローライトには言っておいたが、何故フノボリが知っているのだろう。使い魔などを使って盗み見たりしていたのだろうか、などと思案しているとレイシが言葉を続ける。
「ぼくがまた案内します。こっち」
レイシが先導して歩こうとするのを引き留め、この間と同じように抱き上げて案内を頼んだ。来た道を少し戻り、案内にそって森を歩いていく。しばらく歩いて、あの紐の目印を見つけた。そしてすぐに膜を通り抜ける感覚のする場所に辿り着いた。
フノボリの家が現れ、玄関の前にはあの赤髪の魔女が立っていた。
「おかえりレイシ。やあ、三日ぶりくらいかな? ウェルベライト」
「こんにちは、フノボリ」
レイシを下ろし、フノボリの言葉にこちらも挨拶を返す。
「中にどうぞ。まだ作業中だからあまり相手はできないけれど」
「大丈夫だ、お構いなく。これ、バターケーキだ。よかったらどうぞ」
フノボリはバターケーキの入った紙袋を受け取り、玄関を開けてくれた。
「私は調べものしてるからたいして面白くもないし、レイシの薬の調合見学した方が面白いと思うよ」
「え!?」
エプロンと革の手袋を着けようとしていたレイシが大きな声を出す。
「ぼ、ぼくの作業なんてつまらないよ!? 興味があるならリビングの本読んだ方が……」
「いや、薬の調合は興味がある。よければ見せてもらえないか」
ウェルベライトの真剣なお願いにレイシは言葉が詰まる。うう、と弱り落ち着かないからか耳を毛づくろいをしながら「わかりました……」と了承の返事を返してくれた。
レイシについていくとリビングの右手の奥に引き戸があり、そこを通ると短い廊下が。奥にはもう一枚引き戸があり、中には工房のような部屋があった。工房に入る前にレイシから口を覆う布あてを渡され、口元に巻く。レイシも同じように巻いて棚から薬の材料を取り出して、中央の作業台に向かう。
工房は中央の作業台の他に入って左手の奥に簡素な水道とその上に窓、壁際におそらく薬の材料が入っているであろう棚と本棚が置かれていた。作業台には椅子と材料を擂る薬研や調合に必要な細々とした道具と、何か細かく図と文字が書かれているノート、小さい焚き火台の上に小鍋とその台がある。
「本格的なんだな」
ウェルベライトの感想にレイシは乾燥した植物を薬研で擂りながら「当然です!」と息巻いた。
「二歳のころから師匠に教えてもらって薬を作ってるんです! ぼく、魔法を行使するための魔力があるにはあるんですけど、あまりにも少ないから師匠みたいな不思議な効果のある薬は作れないんです。でも痛み止めとか、咳止めとか、そういう薬なら作れるってわかって。それで師匠の力になりたくて」
「健気だな。フノボリはそんなに色々出来るものなのか」
「はい。魔法も使えるし、お守りとか魔法の道具の魔道具とかも作れるし、お薬は色々作れるし。……だから働きすぎじゃないかなぁってぼく思うんです。そういう作る仕事の他に、魔法の研究もしてるから大変そうだなって」
レイシは擂った植物を小さな布袋に入れ、追加に白い粉も入れて口を縛る。そして小鍋に水をはり、その中に布袋を入れた。焚き火台に火をつけ、煮立たせる。
「俺は、フノボリのことをまだよく知らないから何とも言えないけれど、彼女のことをよく見てるのは君の方なのだから、不安に思うなら素直に話すのがいいんじゃないかな。君にそうやって仕事の一部を頼んでいるくらいだから、きっときちんと聞いてくれると思う」
「そうかな、そうだといいな……。ありがとうございます、ウェルベライトさん」
コトコト、鍋を沸騰させる音を部屋に響かせ、レイシは笑って返した。
会話が途切れ、沈黙が流れていると扉越しにベルの音が聞こえた。そのすぐ後に工房の引き戸がノックされた。
「レイシ、薬の受取人が来た。頼んでいた薬はできてる?」
「できてるよ! えっと、ここに……」
返事があったことを入室の許可と取り、フノボリが引き戸を開ける。レイシは右隣の小棚から白い紙袋を取り出し、フノボリに渡す。魔女は礼を言って部屋を出て行った。
「薬の受取人? 貰いに来る人がいるのか? ここまで結構迷いやすい道だと思うんだが」
「ベルが着いた糸のところまで迷わないようにまじないのかけた道具を、お得意先さんに渡してるんです。終着点がそこだから、それ以上進もうとすると効果がなくなって森に迷っちゃうんですけど」
「そうなのか。……ちなみにどんな人が取りに来るんだ?」
「見てみます?」
レイシは作業台の椅子から降りて、リビングに移動する。リビングにあるウッドデッキへの吐き出し窓を開けて外を覗いてみると、すこし先で少年にレイシから受け取った白い紙袋とそれとは別に茶色い紙袋も渡していた。少年からも何かを受け取っているようだがそれは何かわからない。
家へと戻ってくるフノボリは窓から顔を覗かせる二人を見て笑って手を振った。
「今のは?」
「お客だよ。何人かはあのベルのある場所まで来て薬を買う王国の人がいるんだ」
「子どもだったが大丈夫なのか? 野生動物とか」
「危惧するのは分かるけど、この森は先々代から管理してる。特にここまでの道のあたりは動物除けをかけてるからまず出会うことはないよ。あ、そうそう。君に渡したいものがあったんだ」
リビング内の階段を上っていき、戻ってきたフノボリの手には木製の小箱が握られていた。差し出されたので受取り開けてみると中身は木で出来た指輪だった。
「大きめに作ったから多少ぶかぶかするかとは思うけど、右手の中指に着けて。それでこの家までの道は迷わないから」
「レイシが案内しなくても済むしね」とにこにこと言われては、抱き上げて案内してもらうあの時間が無くなったことの些細な悲しさを悟られるわけにはいかなかった。すぐに指輪をつけて大きさを確認する。
指輪はぴったりとウェルベライトの指にはまった。
「ありがとう。大事にする」
ふと視線を感じ目線を下げると、頬を膨らませて不満げにするレイシがいた。
「それでどうなんだ? 外交官」
「やめてくれ。そんな大層なもんじゃないんだから」
魔女と獣人との外交官に任命されてから数度通って一か月。フノボリの元には一週間に一度顔を出すようにする気持ちでやっていってるが、フノボリののらりくらりとした態度にちゃんと役割を果たせているか不安にはなっている。レイシとは会話の話題も少しずつ増えて何気ない雑談もレイシが緊張せずに話せるようになったと思う。
今日はフローライトと街の見回りだ。商品を店先に出して売る商売人たちが並ぶ街中を少しゆったりした足取りで歩いていく。
フローライトには団長、副団長としてユリオプスから外交官に任命されたことは伝えてある。公に『魔女』という言葉は使わないが、フローライトは終戦のための会議で顔を合わせたこともあり、大まかな特徴を伝えるだけで「ああ、あいつか」とすぐに頭の中で合致した。なので、ウェルベライトとフローライトの間では『赤髪の彼女』と示し合わせている。
「国王は大臣たちの賛成意見は貰っていると言ってたけど、団長としては噂を聞いてる騎士団の人間の意見は耳にしたりするのか?」
「大半はどちらでもないって感じだなぁ。少数の元軍人の奴らは反対意見が多いな」
「まあ、そんなもんだよな」
やはりそう簡単には記憶が薄れることはないのだ、ウェルベライトは改めてそう思う。
不意にドン、とウェルベライトの足に何かがぶつかった。振り返ると猫の獣人の子どもが尻もちをつき、親であろう大人の猫の獣人が駆け寄ろうとしていた。ぽかん、としている子どもの獣人に屈んで手を伸ばす。
「大丈夫かな? 怪我はない?」
「だ、だいじょうぶ……」
「すみません、すみません! うちの子が騎士さまに失礼を……」
大慌てで謝る母親の獣人は立ち上がった子どもの頭を下げさせる。ウェルベライトは「大丈夫ですよ、気にしないでください」と笑って返した。
「元気なのは良いことですから。でも、ちゃんと前を向いて気を付けないとだめだよ。怪我してしまうからな」
「わかった。ありがとうお兄ちゃん」
親に手を引かれて去っていく子どもの獣人は、ウェルベライトたちが見えなくなる手を振っていた。
側で見ていたフローライトも自然と笑顔を向けていたが、改めて自分たちの歩いている店が立ち並ぶ街中を見渡した。少数ながらもこの街には獣人が住んでいる。たまに騒動が起こることもあるが、基本的には人間も獣人も穏やかに暮らしている。が、先ほどのように王国騎士や軍人を怖がる獣人もいることは否定できない。それは騎士団長としてフローライトには悔恨の情が湧くものだった。
「獣人と王城の人間との信頼関係も課題だな」
「ああ」
フローライトの言葉にウェルべライトは短く同意を示した。
そこからまた歩き出し、たまに商店の主人たちと世間話をしているとウェルベライトは最近になってよく見るようになった横顔を見つけた。
「フノボリ?」
自分を呼ぶ声に赤髪の眼鏡をかけた中性的な顔が振り返る。すぐに人の好い笑みを浮かべてフノボリは「やあ」と肩を上げた。彼女の家にいるときと服装は違い、シャツにベストにズボンという一見ラフなしかしすっきりとした格好で、男性ともとれる服装をしていた。肩に白いフードを被ったレイシを抱き上げている。レイシを乗せる反対の腕には買い物をしたらしい大きな紙袋。
「レイシも一緒か。こちらに来て買い物で?」
「ああ。食材とか必需品とかは基本街に下りて手に入れてるから。隣のそちらは騎士団長さん……フローライト、だったかな」
ウェルベライトの隣を見て、フノボリは訊ねる。名前を呼ばれたフローライトは笑顔で答える。
「ああ、そうだ。六年ぶりだが覚えててくれたのだな」
「街の人と話すとたまに話題に上がるからね。今は見回りかな」
フノボリがフローライトと気軽に雑談するところを見て、ウェルベライトは少し安堵する。大丈夫だとは思っていたけれどソレイユの例を見て和やかに話せない可能性を持っていたからだ。
ふと肩に抱き上げられていたレイシの様子が気にかかった。出会ってから一言も発していていない。
「レイシ? 大丈夫か?」
「だい、だいじょぶ」
彼女の赤毛の頭にしがみつく力が強くなる。
「人が多いところだと怖いみたいで。身長的にも周りは巨人だらけみたいなもんだしね。家で留守番してていいって言ってるんだけど」
「ちゃんと、自立したいから、一緒に行く」
「って聞かなくて」
ぽんぽんとレイシをあやし、フノボリはそのまま片腕の中に収めた。両腕がふさがったフノボリを見てフローライトが訊ねる。
「買い物は終わりか?」
「うん、あとは帰るだけだよ」
「見回りのついでだ、森まで送ろう」
「いいのかい?」
「ああ。荷物の方を貸してくれ。持とう」
団長に紙袋を渡し、フノボリはレイシを抱きなおす。
すると、レイシが東西にのびる商店の道の西側に顔を向け、じっと見つめた。微動だにせず、何かに集中するように。フノボリがレイシに声をかける。レイシはすっと顔を向けた方に腕を伸ばし、「あっち」と口に出す。
「向こうで男の人が怒鳴ってる」
「喧嘩でもしてるのか? ウェル、行くぞ」
フローライトはフノボリに荷物を返し、急ぎ足でそちらに向かう。ウェルベライトもその背を追う。
走った先には、赤ら顔の男が商店の前で女の胸倉を掴み何か怒鳴りつけていた。女の方は冷静に対応していたが何やら言い返しているようだ。店主は怒鳴り声に委縮し二人を止められないでいる。女の方の顔は男の陰に隠れてよく見えない。
「何をしている」
男を興奮させないようにフローライトが落ち着いて声をかける。男は女を掴みながら体ごと振り返る。フローライトとウェルベライトの恰好が騎士団の白に青の差し色の制服とマントなのを見て顔を歪ませた。
「結構飲んでるな。何か言いたいことがあるなら聞くが」
「ちっ、いらねぇよ! おいクソ女」
男が女の方を見る。そして右頬を殴った。女は吹き飛ばされはしながったが、多少よろける。
「お前みたいな奴が騎士だとか俺は信じねぇからな! 嘘つくならもっとましなもん言えよ!」
「おい、この店主に謝罪は」
「するわけねーだろ、ボケッ!」
そうして男は唾を吐いて去っていった。フローライトは「身柄を保護して自宅に帰す。店主たちに事情を聴いてくれ」とウェルベライトに言い残して後を追った。
殴られた女を確認すると、ウェルベライトは驚く。髪を下したソレイユだったからだ。
「ソレイユ、大丈夫か」
「大丈夫……いや、口を切ったな」
「そちらも騎士団の方かな?」
いつの間にか側にいたフノボリたちが、ソレイユの顔を見て「あらー」と眉を八の字にして駆け寄った。
「私のことは良いんだ。店主に話を聞いてくれ。私に絡む前はそこの店主にいちゃもんつけてたんだ」
彼女の誘導のまま、ウェルベライトは店主から話を聞く。曰く、店に来た時点で相当酔っている様子だったらしく、値段が高いだの品質が悪いだの、しまいには獣人が作ったものは獣臭くてかなわない、と文句を言ってきたらしい。ソレイユがそれを見かねて声をかけ、何様だと男が怒鳴るとソレイユが「王国騎士団のものだが」と答え、「女が騎士になれるわけねぇ!」と怒鳴りそのまま胸倉を掴むことに。
「ウェルベライト、私たちは先に帰るよ。女の騎士さんの手当、早めにね」
「あ、ああ。それじゃあ気を付けて。送れなくてすまない」
フノボリは頭を下げて、抱かれているレイシはフノボリの肩越しに手を振っていた。
ふと隣を見ると呆然としたソレイユが二人を見つけていた。
「ソレイユ? どうした」
「あ、いや、なんでも……ない」
困惑といった表情をする彼女が気になるが、先に傷を治療する方が先だろう。ソレイユの手を引いて、近くの医療所に向かった。
〇
その日の夜。
ソレイユはいつも行く酒場とは違う、少し騒がしい飲み屋に来てちびちびと酒を飲んでいた。
「お、ソレイユじゃないか!」
ぼんやりしていたところに自分を呼ぶ男の声が耳に届く。顔をそちらに向けると、茶髪の丸い頭に童顔の目の大きな青年が自分の席に寄ってきていた。その人のことをソレイユは知っており、そして可愛らしい顔に似合わず実年齢は自分より二歳年上なこともわかっている。だが、ソレイユは元同期ということもあって気軽に返す。
「カタル、久しぶり」
「お前が騎士団に行ってからすれ違うことはあっても、ちゃんと話すことはなかったからな。こっちの飲み屋にくることも珍しんじゃないか?」
「そうだな。こうやって仕事終わりにいく酒場で話す内容も軍の時とじゃ変わったからな」
苦笑いで返していたが、先ほど一人で考えていたことがまたも浮き上がり、言葉が途切れる。
「どうした?」
「いや……」
理由を言うか迷う。カタルはソレイユと一緒で六年前の紛争で魔女と相対した兵士の一人だ。この街に魔女が来ていることに何か言い出すかもしれない。
それを察したのか、いつのまにか店員を呼んで酒とツマミを頼んだカタルはソレイユの顔が酒とは別に赤くなっている頬について話題を変えた。
「顔、どうしたんだ? 訓練中に怪我でもした?」
「ああ、これは……。昼間、酔っ払いに殴られてな。避けもできたんだが、大事にしないために受けたんだ」
「……意外だな? 軍にいたころは武力制圧思考だったのに」
「騎士団に来たばかりの時にそれを諫められたんだ。今は大人しくしてるよ」
「ふーん? まだ痛い?」
「いや、今は手当てしてもらったから……うん、手当……」
「どうした? 珍しくはっきしりないな」
「……いや……もしかしたら今日、魔女に会ったかもしれなくて」
酒が入っていたソレイユの曖昧な独り言のような言葉にカタルはツマミに伸ばした手を引っ込める。そして神妙な顔をして確認する。
「魔女って、あの?」
「多分、多分な。怪我の痛み止めをしてくれた。それから悪化もしてなくて、むしろ腫れがだいぶ早く治まってるみたいなんだ」
「この国の近くで魔女って言ったら六年前の紛争を止めるきっかけになった、あの赤髪の魔女だと思うけど、それ?」
ソレイユは頷いて、けれど首を横に振って「多分。わからない」と答えた。
元軍人のソレイユやカタルの王国軍は六年前、前線に立って逃げ惑う獣人を捕まえ武器を持って向かってくる獣人は殺していた。そこで終戦のきっかけを作った赤髪の魔女を見た。それは、その場にいた者たちへ圧倒的力への恐怖を植え付けた。
ソレイユも例外ではない。今でも忘れない。あの何もかもに怒り、冷たく鋭く、自分のせいで人が傷つくことをなんとも思っていない表情と瞳。自分たちの行いが間違いだと責め立てられるようだった。
時間が経った今、大半の者はあの争いは自分たちの偏見から生まれた過ちだと悔いている。獣人に対しても比較的友好的に接しようとする者もいる。だが、魔女に対してはあの時感じた恐怖から良しとしない人間がいるのも事実だ。
ソレイユは思う。ウェルベライトは魔女には悪いものばかりがいるわけではないと言った。だけれど、あの魔女のせいでもともと良くなかった印象が悪くなったのも本当だ。たとえ事の発端に自分たちの傲慢さがあるといえど。
「……わからないなぁ……」
わからない。
あの冷徹な魔女が、本当に今日魔法をかけた魔女なのか。
優しく微笑んだあの赤髪の人が、本当に自分の思う悪の魔女なのか。
女騎士はジョッキのエールを一口飲む。ぬるいそれは、じんわりと苦みを口に広げていった。魔女によって塞がった、口の傷に沁みることはなかった。
〇
「ソレイユー、しっかりしろー」
「うぅ……」
ソレイユに肩を貸しカタルは騎士本部に向かっていた。
魔女の話から流れで恋愛相談を受けた結果、ソレイユが意中の相手へのアピールが上手くいかないこと、むしろ自分は眼中になさそうなことを話し、自暴自棄に酒を浴びた。それをなだめつつ、励ましつつしていたカタルは自分は程々の量までしか飲めず、ソレイユの介抱および、部屋まで送ることとなったのだった。
騎士団本部は一日中明かりが灯っており、王族の人に何かあった際すぐに対応できるように何名かが起きている。本部の扉をノックし、人を呼ぶと出てきたのは銀髪で顔に大きな傷のある男だった。
「何か御用で……ソレイユ? 君はたしか国軍の軍人さんだったか」
「え、わかるんですか」
今は軍服を着ておらず、私服だ。なぜわかったのだろうかと驚いていると騎士は「昔ソレイユと一緒にいるところを何度か見た覚えがあって」と返した。
「一緒に飲んでたんですけど、酔いつぶれちゃって。部屋って騎士団本部と併設してるんですよね? ここまで連れてくればなんとかなるかなと」
「ありがとうございます。ちょうど当直の女性騎士がいるので彼女に任せましょう。お預かりします」
正面から抱きしめる様に騎士がソレイユを抱えると、ソレイユは起きたのかまだ寝ぼけているのか「ウェル~」と騎士を抱きしめた。
飲み屋で話しているときにも何度か「ウェル」の名前をカタルは聞いた。もしやこの人がくだんのウェルさんか? なんて思っていると騎士は「それでは、兵士さんもお疲れさまでした。ゆっくりお休みください」と頭を下げ、本部の中へ戻っていった。
ソレイユの意中の相手が彼なのかということも気になるし、結構イケメンだったなという感想もあるのだが、カタルの頭にはずっと消えない考えがあった。
魔女がこの街にやってきている。
恐怖の象徴。国家転覆ができる力がある悪魔。
何をしにこの街にやってきたのか知らないが、調査した方がいいかもしれない。ソレイユはそれをわかっていて自分に相談したのではないか、と考えカタルは明日の早朝に書庫に向かうことにした。
翌日。朝日が昇る前に起きたカタルは早速黒の軍服に着替え、今までの任務や事件の記録が残っている図書館兼記録書庫に足を向けた。司書はすでに始業しており、「六年前の紛争を止めた魔女についての記録はないか」と尋ねるとここ最近に魔女についての記録が更新されたことを教えられた。すぐに探し出してもらい、机に広げて読む。
記録者は『ウェルベライト・ジェンマ』。
国王からの任で東の森にいる魔女フノボリと獣人レイシと王国との外交官に任命されたらしい。今は中立の立場であること、王国には敵対の意思はないこと、うさぎの獣人と一緒に暮らしていること、国民に薬を売っていること。
過るのは昔軍学校で学んだ、二百年前の王国と魔女と獣人のこと。国民や兵士の中では、二百年前の戦争の再来だと、六年前の紛争を揶揄するものもいる。違いといえば二百年前の戦争は魔女による死傷者が出たのに対し、六年前は傷者は出たものの死者は出なかった点だろう。
昔は魔女は自ら出て行ったらしいが、今は違う。今度は国民を掌握して大きなことをするかもしれない。中立なんて言っているがそんなの信用ならない。
「これは、上官の誰かに相談しないと……いや、まずは自分の目で確認するか」
記録書に住んでる大まかな場所は書いてある。森の中に家があれば目立つだろう。行けば分かる、そう思いカタルは急いで東の森へ向かった。
東の森は鬱蒼としており、森の外よりひんやりしている気がした。だがそれも森の中を歩き回れば関係なしに体温が上がる。兵士であるがゆえに体力があるのは、調査にちょうどよかった。日々の訓練に、したくはないが感謝だ。
しばらく歩き回っていると人影が見えた。現れたのはおそらく街の人間と思われる女性だった。あとを追う。歩き続け、ベルのついた紐が木々に絡んでいるところを目にする。
女性は紐を引っ張り、ベルを鳴らす。すると少ししてどこからか赤髪に眼鏡をかけた中性的な人間が出てきた。
カタルには覚えがある。六年前、炎の上る空を飛んでいたあの魔女だ、と。
魔女は女性に何かを渡し、女性も魔女に何かを渡していた。きっと、おそらく金銭のやり取りだ。
女性を、森から出るまで後を追う。森を出て、すぐに声をかける。
「あの、すみません」
「え!? あ、ぐ、軍人さん……」
女性は動揺した様子を見せる。
「先ほど、赤髪の魔女から何か受け取っていたようですが、何を?」
「い、いえこれは……軍人さんに聞かれるようなことは……」
それでは! と女性は駆けて去っていった。
隠して逃げるということは危ない薬なのか? 軍人の自分には言えないことなのか?
嫌な予感がする。急いで戻り、上官に報告しなければ。
軍事本部へ顔を出すと、黒髪の左サイドを後ろに撫でつけ鼻下に髭を生やした上官のアベラス大尉が出迎えた。
「カタル伍長、朝礼にも出ず今頃出勤とは随分偉くなったな」
「も、申し訳ありません、アベラス大尉」
「まあ、お前が理由もなく遅れて顔を出すことはないと思うがな。何があった」
アベラスは建前上の注意をしたあと、真剣にカタルの話を促した。
「元上等兵のソレイユから、六年前の魔女がこの街の人間に接触していると聞いて調べていたんです。薬の売買をしているらしく」
「なんだと? あの魔女がか……」
アベラスが渋い顔をする。六年前の紛争の時に中隊の指揮官をしていた大尉にとっても魔女のことは記憶に根深い。アベラスには国家転覆もなしえる可能性のあった力を持つ魔女が再び現れたことで六年前から警戒はしていたのだ。
そして噂に聞く魔女への人権譲渡。
この国は間違った方向に行きかねない。そう考えるのはカタルもアベラスも同じだった。
「……何かが起こる前に、手を打たねば。国王に促そうにも、人権を与えることを考えてるとなるとすぐには動かないだろうな……」
大尉はしばし思案し、伍長に告げた。
「伍長、今からリストに書き上げる者を招集してほしい。作戦会議を行う」
「分かりました」
アベラスとカタルは会議室へ向かう。険しい顔をしながらもアベラスは固く心に誓い、宣言する。
「この国の危機は、我々が排除する」
〇
始まりは、王の命だった。
「私の娘が獣人に大怪我を負わされた。捕縛し、罪を償わせろ」
人間、獣人のやっと戻ってきた平穏な暮らしの中の、衝撃的な事件だった。
その獣人は子どもだった。子どもでも人間にはない鋭い牙、鋭い爪。人間より強い力。それは当時十一歳だった王女に大怪我を負わせ、傷口から侵入した菌で熱を出させるには十分な要素だった。
獣人の子どもは、死罪となった。必死に止める獣人の両親の目の前で、子どもは死んだ。
アベラスはそれを当然の報いだと思った。そもそも獣人の存在に懐疑的だったのだ。歴史にだって残っている。獣人がこの国の人間に牙をむくことがあると。国民にとっては脅威であると。
次に王はこう言った。
「二度と同じことが起こらぬように、国民を守るために、獣人を殺す」と。
それがいいと思った。もともと獣人は後からこの国に移民してきたものだと歴史で語られているのだ。
歴史は繰り返す。東の都オスティアに暮らす獣人は捕縛され、殺されていった。それが間違いだと思わなかったし、これですべて解決するものだと思った
魔女がいた。
この国にはもういないとされていた魔女がいた。魔女は二百年前と同じように獣人たちを守った。
それだけでも十分信じがたかったが、もっと信じがたかったのは王子と姫が王が始めた紛争を止めて、あまつさえ獣人の保護法を制定させたことだった。
もしまた獣人が国民に危害を加えるようなことが起こったらどうするんだ。ましてや獣人はあの魔女を味方につけた。次に起こるのは最悪な事件かもしれない。
紛争終結直後に王に即位した王子は「罪人を憎むことはあっても、その種族まで憎む必要はない」と言った。「もし種族まで憎む必要があるのなら、私たち人間すべては首を刎ねなければならない」とも。
分かっていても、うまく呑み込めなかった。ただ単純に上に立つ人間が変わり、短い期間で意見が変わることが受け入れにくかっただけかもしれない。けれど、受け入れられないなら、それでもいい。国や王に対する気持ちに変わりはない。
この国を脅かすのならば。
獣人でも、魔女でも、打ち倒すまで。




