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第十一話 カイセイと桃源郷

四月(よつき)余りの長期休暇でカイセイに? 突然だね」

「申し訳ありません」


 翌日、一晩考えた結果ウェルベライトはトワの言う通りユリオプスとフローライトにカイセイに行く相談を持ち掛けた。トワの言うように他国に怪しまれたり、ユリオプスやフローライトに怪しまれながら向かうより、多少事情を話しておいたほうがいいだろうという判断だ。三人だけの執務室にユリオプスとウェルベライトの声だけが響く。


「ちなみにカイセイにはなんの用事で?」

「調べものといいますか、探したいものがあって」

「長期の休みを取るほど探すのが困難なら、私から口添えして協力してもらうようにするよ?」

「いえ、それは……」


 レイシに関することとはいえ、一獣人のために国王の手を借りるわけには。借りれるものなら甘えたいが、分をわきまえてないわけじゃない。

言葉を濁すウェルベライトに何かを察したユリオプスは、頬杖を突きながら確認する。


「本当にいいんだな?」


 ウェルベライトは黙って頷く。


「わかった。ウェルベライトの事情は汲みたいが、告げられないほどの理由で他国へ訪問させるわけにはいかない。諦めてくれ」

「……はい」


 深く頭を下げるウェルベライト。そんな銀髪の騎士を見つめながらユリオプスは言う。


「そうだ、近々ウェルベライトとソレイユに頼みたい任務がある。準備ができ次第またこちらに呼ばせてもらう」

「はっ」


 ウェルベライトが執務室から出て行ったのを見送ると、ユリオプスはすぐさま席を立つ。


「フローライト、今から私はフノボリの元に行ってくる。東の森の入り口まで護衛を頼む」

「かしこまりました」




 ウェルベライトがユリオプスにカイセイへの渡航を直談判して三日後の午前。ユリオプスの宣言通り、再度ウェルベライトは執務室に呼ばれた。今度はソレイユとともに。


「今回二人に任せたい任務はこれだ」


 椅子に座るユリオプスの机に置いてあるのは小箱と、蝋で封をされ小箱と一緒に括られた書簡だ。


「カイセイの国王にこれを届けてもらいたい。ひと月前にこちらに来られたんだが、忙しくてあまり話す時間がなくてね。そのお詫びの品とお礼状を用意した」

「任務にあたるのは我々でよろしいのですか?」


 そう聞いたのはソレイユだ。

 ユリオプスはにっこりと笑い「信用出来る者に託したいんだ」と答えた。


「それと一緒にカイセイの伝承について調べてきてほしい。例えばカイセイに伝わる桃源郷の伝承とかね」


 密かにウェルベライトの目が丸くなる。

 カイセイにある桃源郷の話はしていない。あの後に自分の周りのことを調べられたのだろうか。隠し事しているのは自分の方であるし、探られて痛い腹ではないから構わないが、それが国王陛下に気を遣わせてしまった要因になってしまったかもしれない。

 ウェルベライト、と罪悪感を持ち掛けたウェルベライトにユリオプスが声をかける。


「気負わずね、よろしく頼むよ」


 その言葉にウェルベライトはぐっと気を引き締める。

 気にかけてくれたユリオプスの心遣いを無下にはできない。


「ウェルベライト、ソレイユ、ともに今回の任に謹んであたらせていただきます」


 ウェルベライト自身の宣言にソレイユと二人、右拳を心臓に当て頭を下げた。

 しばらくの渡航の荷物を用意して、正午過ぎに西の都ヴェステンに向かう馬車に乗った。海に面している西の都ヴェステンと北の都ノルトン。ノルトンに漁港の街があるのに対して、ヴェステンは渡航や貿易の船が出ている。貿易の都ヴェステンとも言われており、市場の大きさもコウエニンティア王国一である。

 馬車に運ばれながら、ソレイユがウェルベライトに言う。


「他国への任務は初めてだ」

「そうなのか?」

「ああ、騎士団に入るのが遅かったから他国に行く任務は殆ど関われなくてな。少し心配だ」


 緊張気味に深呼吸するソレイユに、ウェルベライトは真面目に返す。


「まあ気持ちは分かる。粗相がないようにとか、国王陛下の印象が悪くならないようにとか考えてしまうもんな」

「ウェルが初めて他国に行ったときはどうだったんだ?」

「俺のときは、前代の国王陛下とユリオプス王子とアカシア王女が他国のパーティーに呼ばれたときだったな。国王陛下たちの護衛で、王女専属の護衛としてついていた。緊張したよ、責任重大だからな。やりきるしかないってところだ」

「そうか、そうだよなぁ」


 腕を組みソレイユは険しい顔になる。それに先ほど口にした昔の自分を重ねてウェルベライトは笑う。

 馬車の窓から外を見る。まだ秋は遠い、夏空だ。カイセイへの渡航にかかる期間は二月(ふたつき)。往復で四月(よつき)。桃源郷や不老長寿の果物を調べるために数日、もしくは十何日もかかるかもしれない。


「順調に終わればいいな」


 ウェルベライトの呟きにソレイユは「そうだな」とだけ返した。

 ヴェステンに着いてからはユリオプスが先回りして乗船予約をしていた蒸気船の旅客船に乗り、カイセイに向かう。客室は二人別々に用意されていた。中は深紅色の壁紙を引き、清潔なベッド、書き物机と椅子、外の海を一望できるベランダがある。

 荷物を書き物机の上に置いて、ベッドに横になる。

 来てしまった。一応フノボリとトワにはあの日に宣言はしていたが、とんとん拍子で旅客船に乗ってしまった。いや、行くつもりではあったのだが。


「……レイシに何も言わず、来てしまったな」


 任務だからと急いでオスティアを出てしまった。いまだ病床に伏せるレイシにも、フノボリにも何も伝えず来てしまったことは心残りである。レイシと連絡を取れず数日会わないなんてことは付き合う前は当たり前にあった。だけど今は。

 天井を見つめ、深く息を吐く。

 ここまで来たならば、果たすまで。

 客室のドアがノックされる。ドア越しにソレイユの声がくぐもって聞こえた。


「ウェル、少し早いけれど食事にしないか。下の階に食事できる場所があるみたいだ」

「ああ、分かった。着替えるから少し待ってくれ」


 ソレイユの誘いに返事をして、すぐに襟付きのシャツと風通しのいい素材のズボンの私服へと着替える。準備が終わり、客室から出ると、シンプルな半袖のシャツと少し大きめのズボンをはいたソレイユがドアの横で待っていた。


「行こうか、ソレイユ」

「ああ。気を張っていたから腹が減ったよ」


 廊下を歩きだして暫く、階段に差し掛かるところで青年と肩をぶつけた。


「おっと」

「ああ、申し訳ありません」


 ぶつけた青年はウェルベライトよりも高い背丈で柔和な笑みで謝った。自分たちが来た方向に去っていく青年を思わず目で追う。

 青みがかった艶のある長い黒髪を高く一まとめにした頭、切れ長の黒目、東洋の和の雰囲気を感じるゆったりとした、それでいて格式高いというわけではない服。どう考えてもコウエニンティア王国の人間ではない。

 旅行だろうか? それにしては歩き方の姿勢や重心が、武道慣れしている者のそれだ。


「ウェル? どうした?」


 先の階段を下りるソレイユに呼ばれ顔をそちらに向ける。

カイセイ行きの船に乗っているのだし、恐らくカイセイの地元民なのだろう。あの服装の模様もカイセイあたりで見かける者だった気がする。気にかけすぎることはないか。


「なんでもない。行こう」


 ソレイユの後を追ってウェルベライトも階段を下りた。




 二月(ふたつき)ほどの船旅が終わるころ。カイセイに着いたとき、波止場に着く船から見えるカイセイの街の街路樹は赤く染まり、秋を知らせていた。あれだけ暑かった日々も随分と涼しくなった。

 波止場に降り立ち、ターミナルの入国審査を受けて正式にカイセイという外交国に足を踏み入れる。


「空気がなんか違う気がするな」


 ソレイユが素朴な疑問を口にする。


「気候の差じゃないか? カイセイは島国でコウエニンティア王国は大陸にある国だからな」


 ターミナルの受付で貰ったこの付近の地図を確認する。現在がカイセイの他国との玄関口シュメイの街で、カイセイの中央都市ナガオに向かうためにも馬車に乗らないといけないようだ。しかし、見渡しても馬車は見当たらない。徒歩で向かうにしては遠すぎる。どうするかとソレイユと二人地図を見ていると、ターミナルの受付でこちらの様子を見ていた地元の女性が声をかけてくれた。

 これこれこうこうでナガオに向かいたいと話すと「それなら蒸気機関車に乗るのが一番早いですね」と言われた。


「蒸気機関車? カイセイにあるのですか」


 ウェルベライトが聞き返す。女性は笑顔で頷く。


「二年前にできたのですけれど、馬車より早く着く、座席の質がいいなどの理由で好んで利用される方が多いんです。ここからだと駅はここ真っ直ぐ行った先の、二つ目の十字路を右に行き、五分ほど道なりに歩けば辿り着きます」


 女性は先端が鉛のペンを持って、開いている地図に印をつけた。先ほどから地図を見て視認はしていたが分からなかった印がどうやら駅らしい。


「乗り方は駅員に聞けばわかります」

「わかりました。ありがとうございます」


 二人頭を下げると、女性も頭を下げて「よい旅を」と送り出した。

 辿り着いた駅は立派なもので、赤いレンガ造りに黒の瓦屋根の一見役場と見間違う広さの場所だった。

 受付の駅員に事情を説明し、乗り方と切符の購入の仕方を聞き、数分後にあるナガオへの蒸気機関車を薦められた。

 二本の線路を挟む様に乗り場があり、向かい側ではシュメイに着いた機関車から降りてくる客人が見えた。少ししてウェルベライトたち側の方にも機関車がやってくる。

 ほかの客と一緒に乗り、自由席の車両に着く。向かい合わせの席になっており、思ったよりも広い幅に荷物も上の荷台に置かなくて済むと自分たちの隣に置いた。汽笛の音がし、鉄の塊は走り出す。

 薄雲が広がる淡い水色の秋空が後ろに流れ、コウエニンティア王国と違う作りの落ち着いた色合いのある和の雰囲気漂う家々と紅葉した木々が綺麗だった。


「ところで、ウェル。一つ気になってることがあるんだが」

「うん? どうした?」


 同じく窓の外を見ていたソレイユがウェルベライトに向き直り聞いてくる。


「国王陛下の言っていた伝承の調べものってどの範囲を調べればいいんだろう。トウゲンキョウ? ってやつを調べるのは確定として」

「……おそらく調べるのはその桃源郷関連のことでいいと思う。それ以外は俺も知らない」


 目線が合わないウェルベライトを疑問に思いながらも、ソレイユも「そうか」と返しただけで会話は終わった。



 

 ナガオに辿り着いてから、カイセイの王宮へは他の建物よりも頭一つ抜きんでた高さだったため目印にして歩けばそう迷うことなく着くことができた。

 王宮の見た目は王国の城より、横に広く貫禄があるように思えた。赤い屋根、赤い柱に白の砂利などの舗装材をいくつか混ぜたものを固めた白い壁。外周の壁も似たような外壁だが、屋根が黒い。この国のトップの威厳を知らしめるための色の違いだろうか。

 王宮の敷地内は大臣や官人が働く建物も一緒にあるらしく、門兵にコウエニンティア王国を出る前に渡された外交官印証を見せるとすぐに中に入れてもらえ、(がい)(がん)殿(でん)という建物に連れてこられた。

 木の艶のある廊下の途中で赤い掛け帯をつけた案内人が、紫の帯をつけたカイセイの人間に交代し先を案内される。大きな両開きの紙製の扉の前に連れてこられ、それが横に開くと三方向を紙の仕切りで区切られ広々とした部屋が目の前に現れた。

 奥に左右を短く反り上げた短髪の四十台ほどの男が椅子に座っていた。ゆったりとした服装はワンピースとズボンにもとれる服を着ている。生地は厚く、緩やかに身を包み、腰帯二つほどを使って留めていた。たしかなんといったか、カンプクと聞いた気がする。模様も金糸や光沢のある染料で柄付けされており遠目でも豪奢であることが分かる。

 ウェルベライトたちは側近の者たちに指示され部屋一面に敷かれた畳の上で、王の前に両膝を付き(こうべ)を垂れる。


「コウエニンティアからの遣いの者と聞いたが」

「ウェルベライト・ジェンマとソレイユ・クッカと申します。カイセイの国王、ロウ・ドウ・カガリ陛下に置かれましてはご息災にあられ安心いたしました。此度はコウエニンティア王国の国王陛下、ユリオプス・フロワ―ロからひと月前に来られた際の不手際によるお詫びの品と來国のお礼状を持してまいりました」


 側近の男にロウは目配せし、ウェルベライトが頭上に捧げる小包と書簡を受け取り、その場ですぐさま目を通す。ロウは「(おもて)を上げよ」とウェルベライトたちに声をかけた。顔を上げた二人はロウと目を合わせる。


「此度の調査、十日の猶予を授ける。その間詳しいものを側に着けよう。レイ・リュウ・スン」

「こちらに」


 端の方で待機していた男がロウの前に現れる。その男はロウよりも装飾の少ないシンプルな赤いカンプク着て、青みがかった艶のある黒髪、耳横で編み込まれた髪束、そして切れ長の黒目。

 彼は、どこかで。


「カイセイ全体の自然環境管理をまとめてもらっている。此度のことで何か役に立つだろう。頼るといい」

「ありがとうございます」


 そうしてカイセイの国王、ロウとの謁見は終わりレイ・リュウ・スンはそのままウェルベライトたちを王宮の図書館に案内してくれることとなった。


「レイさん、でいいのでしょうか?」


 図書館に向かう道中、ソレイユが恐る恐ると言ったように訊ねるとレイは気にした様子もなく「レイで構いませんよ。私もソレイユ様、ウェルベライト様とお呼びしてよろしいでしょうか」と聞き返してきた。


「構わない。ところで失礼なんだが、俺たちはどこかで会ったことがあっただろうか」

「おや、それを聞かれますか。今日到着した旅客船で一度すれ違いましたね。私がウェルベライト様の肩にぶつかって」

「ああ! あの時の彼が」


 やっと疑問に合点がいった。


「もしやここで務めるために武術を嗜んでいたりするか?」

「分かりますか」


 少し意外そうな顔をしてこちらを見るレイに頷いて返す。


「重心の置き方や足払いの仕方に癖があると思っていたんだ。その時から一般の人間ではないとは思っていたんだが」

「王国騎士団の方というのは観察眼にも優れてるのですね」


 レイは感心したように言うと、「ところで」と話題を変えた。


「今回こちらでお調べする内容はどのようなものかお聞きしても?」

「ああ、トウゲンキョウについて調べたいんですが」


 ソレイユが答えると歩いていたレイの足が止まった。つられてウェルベライトたちの歩も止まる。


「レイ?」

「それはコウエニンティア王国の国王様が?」

「ええ、そうですが——」

「いや、詳しくは俺が関係している」


 肯定しかけたソレイユの前を手で制して告げた。ソレイユがウェルベライトを怪訝そうに呼んだが、ウェルベライトは聞こえないふりをする。

 レイが目を細め、銀髪の騎士を見る。


「国の王を動かすほどの理由が?」

「少なくとも、俺はそうだ」

「なるほど。外雁殿の応接の間に行きましょう。ソレイユ様にお聞かせしても?」


 ウェルベライトは一拍間を開けて頷いた。

 レイが図書館から行先を変更し、外雁殿の応接の間にウェルベライトたちを連れていく。その間は何も話さず、むしろ声を出すことが憚られる空気であった。

 応接の間に着いてはレイに引き戸を開けられ、先に中に入るようにと指し示られた。応接の間の中は廊下と同じ艶のある木材の床で、正方形の部屋にカイセイ独特の彫刻が刻まれた木彫りの椅子四脚と長方形の机が置いてあった。

「どうぞ」とレイに着席を促され、二人座る。


「改めて聞きますが、桃源郷を調査するにあたり国王様に願い出たのはウェルベライト様であっていますか」


 ウェルベライトは頷く。ソレイユは事の成り行きを黙って見ていた。


「確認したいのですが、本当に調べたいのは桃源郷のことですか。それとも仙桃のことですか」

「俺はカイセイの桃源郷にある不老長寿の果実を探しに来た。それがそのセントウというものに該当するならそうだ」


 それを聞くとレイは目を瞑り、黙考し始めた。十秒ほど黙り込み、真っ直ぐにウェルベライトを見つめる。


「仙桃は、誰もが不老長寿の恩恵を受けられるものではありません。私たちの国では超自然的な力を持つ者だけがその恩恵を授かれると言います。貴方にはその力はないようにお見受けいたしますが」

「恩恵を受けたいのは俺じゃない。……うさぎの獣人だ」

「もしや、それは青い目で、白い毛並みの?」

「そうだが……」


「なるほど」と何やら訳知り顔で納得するレイ。ウェルベライトは訊ねる。


「何に納得したんだ?」

「恐らくウェルベライト様は、そちら国の……魔女や魔法使いと言われるものに仙桃の話を伺ったのでしょう。仙桃は仙人が口にする果物。そしてこの国で言われる仙人は、他国で言われる魔女や魔法使いに該当することが多い。青い目の白いうさぎは万国共通の不思議な力を持った存在。仙桃の恩恵にも与ることができるでしょう」


 その言葉にウェルベライトは微かな希望を持つ。ここまで桃源郷の内情を深く知るものなら、行き方など知っているに違いないと。

 しかし、それは無情なレイの言葉で砕かれた。


「ですが、桃源郷への道のりや仙桃を得るための方法は今現在も分かっておりません。分かっているのは、桃源郷は仙人が訪れる場所ということ。伝承でしかない内容ですので確実性はありません」

「……そうか。すまない、不勉強なあまり説明の手間をかけさせた。しかし得るものはあった。ありがとう」


 深々とウェルベライトは頭を下げる。レイも同じように頭を下げ「お力になれず申し訳ありません」と謝った。


「一つお伺いしたいのが、そのうさぎの獣人の方とはどんな関係で?」


 レイの意図を計りかねる質問に、ウェルベライトは目を瞬かせたが素直に答えた。


「恋人だ」


 それを聞いたレイが今度は目を丸くした。そしてすぐに表情を曇らせた。


「そうでしたか。いえ、本当にお力になれず申し訳ありません。滞在の間に私の方も調べておきますので、そう悔やまないでください」

「ありがとう。ひとまずこの後は図書館に行かせてもらってもいいか。自分の目でちゃんと調べたい」


 ウェルベライトの健気な姿勢にレイは眉尻を下げ相貌を崩す。


「かしこまりました。ご案内いたします」


 そこでやっとウェルベライトは蚊帳の外だったソレイユに視線を移す。ソレイユの表情は何かに絶望するように落ち込み、血の気が引いていた。


「ソレイユ? 大丈夫か」

「あ、ああ。大丈夫だ。図書館だな。行こう」


 先に立ち上がり部屋を出て行こうとするソレイユの挙動不審さを疑問に思いながらも、レイとウェルベライトも立ち上がった。




 図書館で桃源郷に着いて調べ始めたのは昼前だったのに気が付けば日が傾き始めていた。

 調べた結果として、レイから聞いた話と大きく変わりはなかった。桃源郷の仙桃は仙人が食べるもの、桃源郷の行き方は分からないこと。そのほかに仙人について調べるなかでレイの言うように仙人と魔女魔法使いが、生きる過程で努力の末にたどり着くもの、もともとの素質があるもの、不死であるものという定義が似通っていることで同一視されているとも裏が取れた。

 暗くなる前にと図書館に案内した後席を外していたレイがやってきてウェルベライトたちに声をかけた。「今日から三日間祭りがあるんです。息抜きに行かれては?」と提案したことに乗っかり、ソレイユを誘うと、少し戸惑いながらも一緒に行くことに賛成してくれた。

 祭りに行く前にレイが手配してくれた宿に荷物を置き、私服に着替える。少し肌寒い外の空気に持ってきた服では寒いだろうかと思っていると、宿の使用人がレイからの指示でカイセイの民間服を持ってきてくれた。七分袖のターコイズの羽織と、緩いズボン。どちらも幅の広い帯で結んで締めるものだった。

 部屋から出てソレイユの泊まる部屋に呼び行くと、ちょうど着替えて出て来たソレイユと廊下でばったり会った。ソレイユは薄ピンク色の上着に赤の帯の女性らしい色合いの民間服だった。普段のソレイユは同じ騎士団の服や寒色の服が多いせいで、物珍しい色合わせだ。


「普段見ない色だけれど、用意されたやつか?」

「あ、ああ。普段身に着けない色だし、こう、きっちりした服じゃないから違和感がすごいな。似合わない、よな」


 自虐的に笑うソレイユに、ウェルベライトは至極真面目に返す。


「いや、そんなことない。ソレイユは女性として顔が整ってるから、そういう色も服装も似合うな」


 ウェルベライトの言葉にソレイユは目を丸くし驚く。そしてすぐにクシャっと笑って「ありがとな」と呟くように礼を言った。

 さっそく街に出ると、家々や商店、露店にピンクや黄色、白の提灯が点いており、街中が夜に差し掛かるというのに明るかった。露店はくじや、金魚すくい、カイセイ特有の露店飯などがあって、ずっと油の香ばしい匂いや香辛料の匂いがして腹が空く。

 適当に、ふかふかの生地の中に塩気のきいた餡の入った料理や、薄い米の皮で具を包んだ揚げ物や、手のひら大の揚げ胡麻餅を食べたりとして腹を満たしながら歩いていると、ソレイユが不意に声をかけた。


「ウェル、レイシさんと付き合ってたんだな」

「ああ。言うタイミングがなくてソレイユには伝えられてなかったが」

「そうか……レイシさん、何かあったのか」

「余命が、もう幾何(いくばく)も無いらしい。そのためにカイセイに来たかったんだが、最初は国王陛下に断られて。でも気を利かせて行く理由をくれたらしい。ソレイユにはそれに付き合わせて申し訳ない」


 苦い顔をして謝るウェルベライト。ソレイユはそれを責めることはしなかった。


「そういうことなら仕方ないな! 大事な人のことだもの」


 少し間があってソレイユはまた訊ねる。


「期限までどうするんだ?」

「限界まで調べようと思う。与えられたチャンスは活かさないと」

「……そうだな」


 ソレイユのため息のような賛成はウェルベライトの耳には届かず、祭囃子の中へと溶け込んでいった。

 そうして一日目が終わり、二日目、三日目と日々は過ぎて行った。

 翌日の十日目の昼には旅客船に乗り、コウエニンティア王国へと帰ると迫った九日目の夜も何も成果を得られず、ウェルベライトは宿のベッドに倒れこんでいた。

 何も、何も手掛かりが得られない。調べても調べても一日目に知ったこと以上は分からない。絵本や伝承の本で見る桃源郷の光景は見つけても、そこまでの道のりが分からなければ意味がない。

 深く溜息を吐く。また夕刻まで調べていたウェルベライトたちの元にレイが呼びかけに来たが、その際にレイの調査の進捗を聞いても何も変わりなかった。ただ、嫌みのように「まだ調べられるのですか。もう諦めた方がよいのでは」と言われたが、それでも折れる気はなかった。

 ギリギリまで、探らなければ。

 しかし日々の調べものの結果で脳も疲れ果てた。もう今日は眠ってしまいたい。

 次第にぼやける視界は視野を狭め、暗闇に包まれていった。


                   〇


 秋も深まった頃合いに、フノボリは護衛もつけずにやってきたユリオプスと相対していた。ただでさえレイシのことで気を揉んでるというのに、国王陛下が護衛もつけずやって来るという警戒心のなさに呆れを通り越して諦めまで出てくる始末だった。

「護衛は付けなさいと言ったよね?」と文句を言えば「ウェルベライトにはカイセイに行ってもらってる。フローライトは騎士団の訓練から離れられない。大丈夫だよ、これでも剣の腕に自信があるから」とユリオプスはのたまった。今後何か直接話すこともあるだろうとユリオプスにここまでの道のりを案内する指輪を送ったのが間違いだったかもしれないと後悔しながら、紅茶を出しつつ要件を問う。


「要件は」


 ユリオプスは紅茶を一口飲んで端的に伝える。


「魔女の人権について」

「今はその話について議論する余裕はないよ」

「フノボリはレイシさんを魔女にしたくないんだろう? 不老不死の苦労を知っているから。でもそれはレイシさんが決めることで、フノボリが決めることじゃない」

「……昔、魔法使いに憧れるユリオプスに、こんこんと説教したのが懐かしいね」


 キッチンに立って寄りかかり、苦笑するフノボリ。昔話がしたいんじゃないとユリオプスは話題の舵を戻す。


「この数か月の間に、国民や教会の聖職者たち、軍、大臣たちと顔を合わせて話してきた。魔女が人権を持つようにする下地はできてる。あとは法の制定と公布だけだ。そうなればフノボリは生きやすくなる。君は法に守られることが可能になるし、堂々と私たちも君を守れる。魔女の生きづらい国の下地もレイシさんを魔女にしたくない理由だったんじゃないか? それならもう準備はできてる」

「準備ができたからってレイシを魔女にするなんてことはないよ」

「魔女の家族だから国の保障を受けられない今から変わるとしても?」


 フノボリは黙る。ユリオプスは力強く言葉を紡ぐ。


「レイシさんのことを調べさせてもらった。フノボリ共々国民として国に登録されてない。それは、二百年前に国を追い出された魔女が自分の身内にいて、国に関わるなと言われたかしたんじゃないかな」

「……ヒントを出したのは二十年前だって言うのに、よく覚えてるなぁ」


 溜息を吐き、フノボリはちゃんと向き合って話すように椅子に腰を下ろした。


「大体あってるよ。国に魔法がなんたるかを知られれば面倒ごとになる。戦争の兵器にだってされることもなくはない。だから、身を守るためこの森に住んでいる。そう、お祖母ちゃんは言っていた」

「私が戦争の兵器にも、周りのいいように魔法を使わせない。君が誰の輪に入っても悲しい思いをさせないようにする。日陰で生きなくてもいいようにする」

「……レイシにもその恩恵をって?」


 やや苛立ちを孕んだフノボリの声に、ユリオプスは一瞬怯む。それでも続ける。


「ああ。自分勝手なことを言うけれど、魔法を使えば不老不死になる。そうなればウェルベライトの側にもいられるからウィンウィンじゃないか」

「そのあとは?」

「……分かってる。親しい人を亡くしたあとの方が長いし、つらいこと。けれど彼の側に、彼の寿命一杯いられる方がいいと思うんだ。……他人の老婆心だとは分かってる。私なりに、無茶苦茶だと自覚したうえで提案している」

「私もあの子には好きな人と長く一緒にいてほしい。だけど、魔女になるにあたって問題がある。不老不死の体質や国の体制じゃない。もっと根本的な、魔法を使う対象と理由についてだ」


 机の上で指を組み、自分の手を見つめながらフノボリは言う。


「魔法はなんとなくで使われるわけじゃない。特に『最初の魔法』については、強い思い、強い願いが必要になる。つまりはその対象も必要になるわけなんだ。それはもうタイミングでしかない。それを生み出すのは周りじゃない。レイシが見つけるしかないことだよ。……魔法を使おうとするのもレイシ次第なんだけどね」


 フノボリの声は湿度を持つ。レイシを魔女にしたくないという思いと相反して、ウェルベライトと共にいるためには魔女になった方が幸せなのだろうかと思う気持ちもある。

 その両方の気持ちが自分のわがままであること、レイシの意思を尊重していないことを理解しつつも、フノボリはそのあとの言葉を紡げなかった。


                  〇


 ぱ、とウェルベライトが目覚めたとき目の前に広がるは薄ピンクの花と淡い秋空。

暖かく心地いい日差しと直前までの光景が一致しないせいで呆気にとられるが、起き上がり冷静に周りを見渡す。等間隔で並べられた薄ピンクの花の木。甘い香りがうっすらと漂う、ここは果樹園か。

 しかし、何故? これは夢か?

 現状を飲み込もうとしていると、前から見覚えのある男がやってくる。白く緩い上着を着てターコイズの帯で締めた足首まである服のレイだ。


「ウェルベライト様、目覚めましたか」

「レイ? ここは」

「桃源郷ですよ。私がここに貴方を案内しました」


 案内とは、と言いかけるウェルベライトだったが、レイの後を追ってソレイユがこちらに向かってきていた。


「ウェル、お前もここに来てたのか」

「ソレイユもか。桃源郷って……どういうことだ?」

「ひとまず保管庫に向かいましょう。渡したいものがあります」


 レイを先頭に桃源郷の中を歩いていく。しばらく進むと広い木造の作業所に辿り着いた。そこでは焦げ茶の民間服を着た老若男女様々な人が桃を仕分けている。


「ソレイユ様は外で。ウェルベライト様、こちらへどうぞ」


 奥の水場へレイについていく。その水場の樽の中に手のひら大の大きさの瓶がコルクで栓をして冷やされていた。中には黄色みがかった白い液体が満たされている。


「仙桃を飲みやすくしたものです。これをお持ち帰りください。腐りませんのでご安心を」


 軽い扱いで渡される仙桃の瓶に受け取りつつもレイと瓶を見比べる。


「いいのか? というかなんで突然」

「見つからない桃源郷までの行き方を探す姿勢に感化されたと言いますか。この十日の間に諦めて帰るようなところを見せればこんなことはしませんでした。……いえ、本当は最初にあなたの恋人が獣人と聞いたところから渡そうとは思っていたのです」


 にこやかに笑って見せるレイは続ける。


「獣人が恋人であること。諦めない姿勢があったこと。あとは我が国王陛下から聞いた仙桃を求める理由。病ではない事情があって天寿を全うできないと。それらの要素があったから今に至ったのです」

「獣人が恋人であることが理由になるのか?」

「私も同じですから」


 あっけらかんと答えられるレイに、虚を突かれる。


「……ソレイユをここに呼んだのは?」


 いまだに疑う心持があるウェルベライトはさらに質問をする。レイは軽い調子で「なにやらソレイユ様が言いたいことがあるようだったので」と告げる。


「この場所について詳しく聞いてもいいのか」

「詳しくは話せませんが、簡単に説明すれば私たちが生きる世界と紙一重で繋がっている別世界ということだけ。仕組みについては話せません」


 にこにこと笑顔のレイに色々聞きたいことはあったが、暖簾に腕押しのような気がしてウェルベライトは諦めた。息を吐き、気持ちを切り替える。何はともあれ、仙桃が手に入ったのだ。最も欲しいものは得られた。

 作業所の外で待つソレイユに声をかける。俯き加減に立って待っていたソレイユはウェルベライトを気弱に笑って迎えた。


「レイに何か貰ったのか?」

「仙桃を瓶に詰めたものを。それより、ソレイユ。俺に何か言いたいことがあるんじゃなか?」


 ソレイユは酷く悲しく、それでいて驚いた表情になった。そのまま歪に笑って訊ねる。


「……なんで?」

「その、なんとなく」


 さすがにレイに聞いたとは言えなかった。ウェルベライトにも分かっていたのだ、ソレイユが何か自分に隠している本音があるということを。それを自分から聞くのは、何か違う気がしていた。だけれど、レイがお膳立てしたのだから聞くタイミングは今しかない。

 しかし、ソレイユは首を振った。


「今は何もない。言うべき時でもないと思ってる。ありがとう、気にかけてもらって」


 追求すべきか口を開きかけて、やめた。ソレイユがそういうのならそうなのだろう。昔から言いたいことはいう人間だ。本当に言いたいときには言ってくれるはずだ。

 だから今は共に国に帰ることを優先しよう。


「帰ろうか、ソレイユ」

「ああ」



 うっすらと意識が浮上する。今度はちゃんとベッドの上だった。窓のカーテンから朝日が漏れている。片手には、あの瓶があった。


「……帰るからな、レイシ」




 正午に王宮を去る際にレイに見送りをしてもらい、ナガオから船乗り場のシュメイにまた蒸気機関車で向かう。帰りの道は足取り軽く、肩の荷が半分降りたようだった。

 シュメイに着いてからは今日中に乗れる旅客船を調べてもらい、おやつ時の船に乗れることになった。ターミナルの広場から今日カイセイを去っていく者たちを眺め、ウェルベライトはよい結果が得られたからだがあっという間の十日だったと感慨深く思う。

 隣のソレイユを見ると、あの夢であった時よりも少しはすっきりした表情をしていた。

 乗船時間になり旅客船に乗ってカイセイを去る。秋色の街がどんどん離れていく。コウエニンティア王国に着くころにはもうめっきり寒くなって、冬一色なんだろう。レイシの弱った身には底冷えする冬は厳しいだろうし、元気になってもらうために早く帰りたい。

 そう思いながら船上で過ごすこと二月(ふたつき)。コウエニンティア王国に着くころには冬真っ只中にあり、その日は雪がちらついていた。帰るときの時分を考えて、騎士団服の上に着るコートも一緒に持ってきていたが、それでもコウエニンティア王国の冬は堪える。

 ヴェステンから馬車でオスティアに戻る。うっすらと雪が積もる街並みに、時間を飛び越えて来たかのような錯覚に陥った。船の上じゃ季節の変わり目を感じられないから。

 オスティアに到着し、王城に向かう中でこの季節じゃ珍しく街中が騒がしかった。住民たちが何やら慌てふためいている。

 近くにいた婦人たちに声をかける。


「すまない、何かあったのか」

「ああ、副団長さん! 獣人たちが王城にデモを起こしていて……」

「獣人が? 何故?」

「先日、国王様が魔女に人権を与えることを法律で制定したのだけど、不満がある獣人たちが騒ぎ立てて……」


 不安そうにしている婦人たちに家にいるように言うと、ソレイユと顔を合わせすぐに王城へと向かう。向かう中で騒ぎの声は大きくなり、遠巻きでデモを陰から見ている住民たちの姿がちらほらと確認できた。

 王城では門扉の前に十数人ほどの獣人たちが束になって怒声を上げていた。


「国王を出せ! 魔女を手籠めにして今度こそオレたちを殺すつもりだろう!」

「魔女を開放しろ! そしてオレたちに安寧を返せ!」


 それを相手しているのは憲兵だ。何か言っているようだが獣人たちの声でかき消される。

 今ここで騎士団の人間が出るのは好ましくない。詳しく事情を知らない者がしゃしゃり出るのは事をさらに混乱させるだけだろう。ソレイユに耳打ちしそっと反対の関係者専用通路を通ろうと方向転換すると、ちょうどこちらを見ていたデモの獣人が声を上げた。


「騎士団の人間だ! とっ捕まえろ!」


 数人がこちらに走ってくる。逃げようと思っても獣人の足の速さからは逃げきれず、ソレイユの腕を掴まれる。


「騎士団の人間が逃げるなんて、やましいことがあるって言ってるもんじゃねぇか!」

「っ、この——」


 クマの獣人が牙をむき出しにしてそう告げる。ソレイユがキッと睨みつけ、勢いで何かを言いかけるのをウェルベライトは制し、獣人の手を掴みソレイユから離させた。

ウェルベライトは極めて冷静に答える。


「俺は今、任務から戻ってきたばかりだ。今起こってる状況を知るために国王陛下のもとにいくところだったんだ。余計な争いをしたくないだけだ、分かってくれ」

「信じらんねぇなぁ! 状況を知りたきゃオレたちから聞けばいいだろ!」

「冷静さを失ってるものの話は要領を得ない。騒動の発端となった国王陛下たちに話を聞かせてくれ」


「んだとぉ!?」クマの獣人は怒りのまま自分たちの主張を誇示する。


「戦争孤児や大事な人を国に殺された獣人は今も傷を癒せずにいる! その者たちは王族に不満を抱え今この場に集まった! 今回の魔女の人権制定に「王族は魔女を手籠めにしようとしている、また自分たちを殺そうと画策しているのだ」とオレたちは主張しているのだ!」


 そんなことはない。言い返したいが、証明するのは難しい。

 ユリオプスが獣人を蹂躙しようなどという考えがないのは、殆どの獣人は分かっているはずだ。それでもクマの獣人が言うように怯える獣人がいるのもまた事実。“ない”ことの証明ほど難しいものはないのだ。


「ちゃんと国王陛下から説明があるはずだ。それまで待ってくれ。ソレイユ、行こう」


 ソレイユの肩を押してその場を去ろうと獣人たちに背を向ける。


「待ちやがれぇ!」


 クマの獣人は足早に逃げるようとするウェルベライトの肩を掴み振り向かせると、爪を立て腕を振り上げた。次の瞬間肉を裂かれる感触と、ソレイユが叫ぶようにウェルベライトを呼ぶ声が届いた。

 目が、顔が、首元が、熱い。触れると血が手にべったりついた。痛覚が遅れて来る。


「っ、あ、いっ、てぇ」


 ぐらり、平衡感覚が失われる。片膝をついたウェルベライトに、ソレイユが支える様に側につく。クマの獣人は、自身の手に着いた血や肉片、やってしまったことに硬直している。

 早く、この場を去らなければ。止血を、手当を。血が。視界が赤く滲む。思考がままならない。

 意識、が——。


「ウェルベライトさん!!」

「あ……」


 レイシの、声が聞こえた。


                   〇


 今日はいつもより体調がよかった。だけどなんとなく、レイシには胸が騒ぐような、落ち着かない感覚があって。それは虫の知らせというものだろうとフノボリは言っていた。


「外に出れる? 急ぐよ」


 昼過ぎにフノボリからそう言われて、なんとなくウェルベライトに何かあるのだろうと思った。フノボリは予知夢が見える。赤髪の魔女は、何か知っているのだろう。白いいつものローブを身に着付けて、フノボリに抱かれて家を出る。いつもなら徒歩で街に向かうところを、フノボリは箒に乗って向かった。抱かれながらレイシはフノボリの顔を窺う。いつもとは違って焦っていた。ただごとじゃないらしい。

 フノボリの腕の中でウェルベライトから貰った海兎貝の握りこみながら祈った。大事になりませんようにと。

 向かった先の王城の門扉前に軽い人だかりができていた。ゆっくりとフノボリが降下していくうちにそれが獣人と人間の衝突であることも分かった。銀髪の見覚えのある顔が見えて、レイシはああよかった、ウェルベライトさんは無事だ、なんて思っていた、のに。

 獣人が肉を切り裂く瞬間が見えた。血だらけのウェルベライトを見て息が止まり、倒れ行く姿を見て構わず叫んだ。


「ウェルベライトさん!!」


 フノボリが近くに降り立ち、レイシはウェルベライトの元に駆け寄る。白いローブに血が付くことも躊躇わず、両膝をつきソレイユに支えら頭を垂れるウェルベライトに触れた。


「ウェルベライトさん、ウェルベライトさん!」


 声をかけるが反応はない。右上から左下にかけて切り裂かれており、右目が潰れている。首元の出血がひどい。怪我の状況は最悪だ。

 ウェルベライトを気に掛けるレイシとは対照的に、フノボリは周りの獣人に目を配らせていた。特にウェルベライトを傷つけたクマの獣人は、フノボリが箒で空から現れたことに魔女だとすぐに理解し、たじろいでいた。ほかの獣人も同胞が危害を加えた手前、人間を庇う魔女に物申す者はいなかった。

 憲兵はウェルベライトが危害を加えられたことで、より一層警戒を強め、獣人たちを取り囲んでいた。


「憲兵さん、ここでウェルベライトさんは治療します。獣人たちを頼みます」


 フノボリがそういうと、憲兵たちはすぐさま身動きの取れない獣人たちを拘束し、行動を制限した。それらに背を向けフノボリはウェルベライトを仰向けに寝かせ怪我を診る。

 一度に血を流しすぎたせいか、痛みのせいか、意識を失っている。脈はギリギリ避けているが、危ない状況には変わりない。


「レイシ、私は怪我はある程度治せる。でも後遺症までは治せない」


 フノボリの言葉にレイシは泣きそうな顔で、フノボリを見つめた。


「『最初の魔法』なら、望めば後遺症も残さず治せる。……今この瞬間のためだけに、魔女になる覚悟はある?」


 その問いに、レイシは一も二もなく答えた。


「ある!!」


 レイシの返事にフノボリは強気に笑って見せて、レイシの頭に手を置いた。


「いい? 魔法を実現化させるには強い思いが必要。願うんだ。ウェルベライトの無事を」


 フノボリの助言を胸にレイシは意識のないウェルベライトの頭を抱え目を閉じ、強く願う。

 ぼく、ウェルベライトさんと一緒にいたいよ。

 怪我は嫌だよ。ウェルベライトさんが怪我するところ見たくないよ。

 死んでほしくないよ。

 また一緒に、海を見に行こう。

 だから、目を覚まして。

 レイシの胸から手にかけてがじんわりと熱くなる。それは次第にレイシの全身にめぐっていき、冬だというのに春のようなぬくもりを感じた。そして瞼越しに視界が明るくなり、星が集まるかのように手元が眩しく輝く。

 閉じていた目を開けてウェルベライトを見る。顔から首にかけての傷は癒え、跡形もなく消えていた。ウェルベライトのゆっくりとした呼吸も感じ取れる。服には変わらず出血した血が付いているが、それ以外の外傷は見当たらなかった。


「ウェルベライトさん!」


 呼びかけるレイシの声に反応して、ウェルベライトがうっすら瞼を開ける。レイシやソレイユの顔を見て、ゆっくりと瞼を上げた。


「レイシ……? なんで、ここに」

「師匠が連れてきてくれて。ウェルベライトさん怪我してるし、ぼくもう悲しくて……」


 涙を滲ませた瞳で見つめるレイシに、ウェルベライトは手を伸ばす。頭を撫でただ「ごめんな」と苦笑した。


「ウェル、起きられるか」

「ああ、ソレイユもすまない」


 ソレイユの手を借り、ゆっくりと起き上がるウェルベライト。

レイシは獣人の方を見ると、ウェルベライトが怪我を負うまで騒がしかった獣人たちが悔しそうに黙り込んでいる。彼らの主張は空にいる時に聞こえていた。彼らなりの正義があって、悲しみがあって抗議していたのに、許せないけれど一度一線を越えただけで処罰を食らうのはあんまりなんじゃないか。だけどなんて言葉をかけたらいいか。

 どう行動したものかと考えあぐねていると、王城から騎士三人を側につけたユリオプスが出て来た。門扉の方へ向かってくるのを憲兵が止める。しかし、それもいくつか言葉を交えると憲兵たちは道を開き先を譲った。門扉の外に出たユリオプスは、拘束された獣人たちを一瞥し、ウェルベライトの方に歩いてくる。


「ウェルベライト、重傷の怪我をしたと聞いたけど」

「レイシが治したよ。魔女になる対価としてね」


 フノボリがそういうと、ユリオプスは足元にいるレイシに視線を合わせて手を握った。


「ありがとうございます、レイシさん。ウェルベライトは大事な私の配下です。このご恩は一生忘れません」

「そ、そんな! ぼくはできることをしたまでで!」

「それでも、魔女になるという大事な決断の上の行動です。本当にありがとう」

「国王陛下、出てきでも大丈夫なのですか」


 ソレイユが訊ねるとユリオプスは頷く。


「今回の結果は私の行動が故のことだからね。けが人が出るなんて思ってもいなかった。ちゃんと説明しないと」


 そう言ってユリオプスは長い金糸の髪を揺らし、獣人たちに向き直る。

 ああ、ちゃんとこの国の国王様は優しい人なんだな。獣人の不安と真摯に向き合うユリオプスの背中にレイシは先ほどの不安が払拭されるのを感じた。

 この国は、ちゃんと優しい方向へと向かおうとしていた。

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