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第十話 魂と魔法と

 大きな麦わら帽子で鋭い日差しから体を隠し、庭の草木や薬草畑に水やりをしながらレイシはずっと頭の中が先日のことで支配されていた。

 己の寿命、フノボリが自分の魔力を奪っていたこと、ウェルベライトと共にいられる時間。何も知らなかった方が、すべてが終わる瞬間に運命だと割り切れて死んでしまえただろうけど、中途半端な生の道のりで知ってしまったらどうしようもない。何しろ、これは病気などではないのだから。

 師匠のフノボリからは自分のせいで悩ませている自覚があるのか単純に季節柄の気候で体調の心配をしているのか、無理はしないで落ち着くまで休んでいいと言われた。しかしレイシとしては何もしない方がぐるぐると廻る思考に体調を崩しそうだったので、平気を装って断った。

 一通りやり終わって、息を吐く。うさぎの獣人であるレイシは夏は毛皮のせいもあって体温が下がらない。多少風が吹くので風下の方に行って当たるがそれでもまだまだ暑い。

 中に入って冷たいお水を飲もう。庭に面した小さいウッドデッキに上がりリビングとの吐き出し窓を開け、用意していた濡れタオルで汚れた足を拭く。冷たいタオルの感触が心地いい。


「水やりありがとう。はい、お水飲んで」


 後ろから声をかけたフノボリは、振り返ったレイシに冷水の入った陶器のコップを渡す。レイシはお礼を言ってすぐに口をつけた。自分で感じていたより喉が渇いていたようで喉を鳴らして一気に飲み干してしまった。


「体調は、どうかな」


 平静を装いながら訊ねるフノボリだが、レイシから目を逸らすところを見ていまだ自分とは気まずいのだろうかとレイシは寂しく思う。


「今日はちょっとだるい気はするけど大丈夫! 元気だよ!」


 笑って返すと、フノボリは一瞬だけ苦しそうに眉根を寄せてすぐに笑顔を浮かべた。

 レイシには、フノボリがまだ魔力を奪っているかどうかが分からない。昔、フノボリに言われたことで、魔力は誰もが持っている、その量によって感じ取れたり自在に操れたりすることができるというものがあった。自分はもとから量が少ないから感じ取れないと思っていたが、意図的に魔力量を少なくされたからか、レイシには素質があるというのに自身の魔力を感知することができない。分かるのは自分の体調が次第に傾き始めているということ。


「レイシ、午後は休んでいいよ。これだけ暑いと工房に籠るのも大変だからね。やるなら夕方からにしよう」

「はぁい」


 リビングの中に入り、自分を陽光から守ってくれた麦わら帽子を壁に掛ける。暑くて着ていたシャツを脱ぐと、フノボリが濡れタオルを持って熱気を取る様にレイシの体を拭いていく。少し涼しくなった体でもともと用意してあったサロペットに着替えなおす。

 部屋の棚に魔力で動く時計がある。それは午後の十二時近くを示していた。と、時間を確認していたらゴーン、ゴーン、と遠くから鐘の音が聞こえた。正午の知らせだ。


「ご飯できてるよ。食べようか」


 木の小さいボウルにトマト煮込みが盛り付けられ、同じく木のお皿に楕円形のキツネ色のふっくらとしたパンがテーブルに置かれる。続けて紅茶もスプーンもフノボリに用意されて昼食の準備は万端だ。フノボリと共に椅子に座り、手を合わせる。


「いただきます」


 トマト煮込みの中は夏野菜がゴロゴロ入っていて、暑い中でも食べやすいように冷やしてあった。まずはスプーンで掬って一口。トマトの甘みと、野菜とブイヨンのうまみが冷やしてあっても滲みだして美味しい。のど越しもよく、流れる様にパクパク食べてしまえる。フノボリがパンをちぎってトマト煮込みに着けて食べているのを見てレイシも真似をする。トマトがパンに浸み込み、味は言わずもがな、パンのボリュームが増えて食べ応えがあった。

 料理を味わいご機嫌でいるレイシをフノボリは目を細めて微笑んで見ていた。


「レイシ、一回口元拭こうか」


 濡れた手拭きを渡され、レイシは言われるがまま口を拭く。手拭きに赤い模様ができて思ったより口周りが汚れていたと気付き恥ずかしくなる。口の周りも毛があるせいで自分が思う以上に汚れてしまうのは仕方がないのだが、それでも人に指摘されると気恥ずかしい。

 余計に汚れないように慎重に食べ、二人そろって食器の中身を空にする。食べ終わった食器や調理器具を洗うのはレイシの役目だ。台に乗って水場で洗っていく。フノボリは残った紅茶を飲みつつ一息ついていると、玄関の方からノック音が聞こえた。


「誰だろう」

「多分ウェルベライトだね。出てくるよ」


 フノボリが席を立ち玄関に向かっていく。その間にもレイシは洗い物の手は止めず、ウェルベライトが来たのなら早く終わらせようと少し洗うスピードを上げる。

 数分も経たずにフノボリはウェルベライトを家の中に連れて来た。レイシは洗った食器を布巾で拭きながらウェルベライトを迎える。白い襟つきシャツに紺の丈の短い羽織、足首の見えるズボンといったカジュアルな格好だ。


「こんにちは、レイシ」


 片方の肩にかけていた背負い袋の紐を軽く上げ、レイシに挨拶するウェルベライト。


「いらっしゃいませ、ウェルベライトさん。師匠に何か御用ですか?」

「いや、フノボリにも言ったんだがレイシに用があって」

「ぼくに?」


 拭き途中の食器を置いて、ウェルベライトに向き合う。いつもより視線が近くなった距離感でウェルベライトの目を見ると、騎士は少し気まずそうに目を逸らし何か言い淀む。


「あー、その、午後に何か予定はあるか?」

「ううん、特にないよ」

「よかったらノルトンの海に行かないか。フノボリに聞いたら海に行ったことはないって聞いて」


 海、という単語にレイシの耳と髭は反応する。

 この家で暮らして六年、今住んでいる東の都オスティアから出たことは殆どない。コウエニンティア王国の地理を勉強して各都市の特徴は知っているが、実際に見に行くことはなかった。それはレイシが興味を持たなかったわけではなく、フノボリの活動範囲がオスティアを主にしていたためで、機会があれば行ってみたいとは思っていたのだ。

 北の都、ノルトン。海に面した港町があり、漁業が盛んな都市。海鮮物が美味しいと聞く。海も写真でしか見たことない。実物の色、匂い、光景、すべてが未知の体験だ。


「ぼく、行きたいです!」


 意気揚々と返事をするレイシに、フノボリは不安そうな顔で聞いてきた。


「大丈夫? 無理してない?」

「大丈夫だよ、ご飯食べたら元気になったから!」


 腰の両手を当てて胸を張る。フノボリは心配そうにしていたが、レイシの意欲と意思を尊重し、見送ることにした。風通しのいいサマーカーディガンに先ほどまで被っていた大きな麦わら帽子を身に着け、レイシはウェルベライトに抱えられ家を出る。

 二人が出て行ってすぐにフノボリは細い糸で編んだ蝶を窓からを空に飛ばした。


                  〇


 しばらくして。レイシがウェルベライトと出かけてから、水まき後の涼しい風を浴びつつ読書に耽っているとリズミカルに玄関扉をノックされる。来訪人はフノボリが返事をする間もなく入ってきた。


「やっぽー、フノボリ元気―?」

「君は自分が魔法使いだと暴露してから気軽にうちに来るねえ」


 暑さからか黒髪を前より短く切った、薄手のシャツに短パンの魔法使いのトワはお構いなしに「フノボリと大事な秘密を共有する仲間だからね」と何の気もなく口にする。一番触れられたくないところを突かれ、フノボリは閉口した。


                  〇


 馬車に乗って北の都ノルトンの中、海側の町役所まで向かう。日差しが強い季節であるが、海側から吹いてくる風が涼しく、馬車に乗ってる分にはまだ心地いい。

 ウェルベライトは向かいで、小窓から外を覗くレイシを眺めて、誘ってよかったと密かに安堵していた。レイシと付き合ってから外交官としてフノボリと共に会うことはあってもプライベートで、二人きりで会ったり出かけたりはしたことがない。そのことを雑談の中で王女アカシアに話し、それならばと王女に提案されて誘ってみたのだ。自信がなかったが、これだけ喜んでもらえるなら出だしは上々だ。フノボリから最近レイシの体調がよくないことを聞いたので不安はあったが、心配という形で気に掛けよう。レイシが楽しむことを優先して今日の午後を過ごすことにすると、ウェルベライトは心に決めた。

町役場に着き、レイシを抱きながら馬車から降りる。確認のため、町役場の中に掲示してある町の地図を見て目指すべき浜辺に見当をつけた。

 ノルトンの海側の街は濃淡色々なクリーム色の建物が多く、コウエニンティア王国の中央に向かうにつれて白い壁の建物が増えていき屋根の色がカラフルなことと、その建物の壁に彫刻されていたり様々な彫刻像がいたるところにあるのが特徴だ。そうなった理由については、ノルトンの住人が漁業を得意としているほかに芸術肌の者も多いのが彫刻が多くなった理由らしい。昔は海で漁業をやる者、中央付近の街で立体物創作や絵画を描く者とで自然と別れていたそうだ。今となっては芸術家たちは西の都ヴェステンに自然と移り住んでおり、昔の名残だけがある。

 初めて来たノルトンの町並みに、レイシは目をキラキラさせていた。町中も見たいというレイシの望むままに、浜辺までの道のりを少しゆったりしたスピードで歩いていく。植物をモチーフにしていたり、動物をモチーフにしていたり、はたまた幾何学模様のどこか不思議な彫刻たちを興味深げに見るレイシは年相応の子供の様で微笑ましくなる。


「ノルトンが昔、芸術の都市って言われてたのは知ってたけどこんな素敵なものだったなんて知らなかった……すごい……!」


 興奮しきりのレイシは段々と息を荒げていく。抱いているレイシの体温が熱いような気がして、いったん町中の商店に寄った。果物の瓶ジュースを二人分買って、店先の影のあるベンチに座らせてもらった。


「レイシ、大丈夫か? 息が荒くなっていたけれど、暑くないか? 吐き気や眩暈は?」

「だいじょうぶです! ちょっと興奮しちゃって……。ジュース冷たくて美味しいから元気出ました」


 そう言って笑うレイシだが、触れるといつもよりもまだ熱を持っているように感じる。


「もうしばらく休もう。光の反射が厳しい町だ、思っているよりずっと目も脳も疲れてるはずだから」

「はい!」


 そんな会話をして十分に休み、レイシももう大丈夫だから浜辺に行きたいと言うので、再び抱き上げ浜辺を目指す。

 休ませてもらった商店から海へは十分ほど歩けば辿り着く場所にある。思ったよりも浜は綺麗に整備されていて、レイシを歩かせても特に大きな問題はなさそうだった。が、かといって熱を持った砂地に降ろすわけにもいかず、ウェルベライトは履いてきたサンダルごと波打ち際に足元をつける。海水に浸かっている自分の足の上にレイシの足を乗せ、初めての海を体験させた。

 レイシは海を目の当たりにしたときから感嘆の声を上げ、海に足をつけるとウェルベライトの足の上で足踏みした。


「冷たい! なんだかちょっと生臭い!」

「潮の匂いだな。この海の中で色んな生き物が生きて死んでる匂いだ」


 ウェルベライトがそういうとレイシは感心した表情で呟く。


「これが……生命の匂い……」


 なるほど。レイシにとってはこれが命の匂いと感じるのか。レイシの感性に面白いなと感心する。コウエニンティア王国にも海洋学者はいるが、彼らの論文よりもレイシの感想の方がウェルベライトには不思議と納得いく言葉だった。

 きゃらきゃらと笑いながらレイシは波を蹴る。しばらくは両手をウェルベライトと繋いで遊んでいたが、疲れたのかウェルベライトの足にしがみつきくったりと寄りかかった。急いで抱き上げ、近くの水場で自身とレイシの足を洗い、背負い袋の中に入れてあったタオルを濡らし海の家の日陰に避難する。レイシの耳や顔を濡れタオルで拭いて涼ませるが、どうにも力なく寄りかかられている。呼吸も荒くなってきた。

 これは、まずい。

 海の家から二十代前半くらいの青年が顔を出す。


「あの、その子大丈夫っスか」


 鉢巻をした青年は固い表情だが、声に緊迫感があった。


「ちょうどよかった。近くに医療所はあるか? 彼女を連れていきたいんだが」

「俺呼んでくるっスよ。とりあえず、水飲ませた方がいいしちょっと待っててください」


 青年は海の家の中に引っ込んで、水の入った冷えた瓶に紙のストローの差したものを持ってきてくれた。受け取りレイシに飲ませるのを確認すると彼は町中へ走っていった。

 やはり無理していたんだろう。レイシが満足する方をと思っていたが、フノボリの心配をよそにするもではなかった。

 冷えたタオルでレイシの首元を冷やしながら青年を待つこと数分。青年は五十代くらいの白衣を着た女性を連れて戻ってきた。丸眼鏡をかけ癖のある栗毛の髪の女性は、レイシを見て「あらあら」と落ち着いた様子で側に屈んだ。

「ちょっとごめんね」と断りを入れて触診する。首、目、腹、手と触り、少し表情が翳る。


「私の医療所で点滴を打ちましょう。詳しいことはそちらで」


 青年は海の家に戻るとのことで、青年に礼を言って女医についていく。

 レイシの症状を重く見たのか、女医は駆け足で進んでいく。少し行くと、釣り看板と扉に『ヤソ医療所』と書かれた建物に辿り着いた。濃いクリーム色の壁に鮮やかな青の丸屋根の建物だ。中に入れば風通しがいいようで外より幾分か涼しかった。二人、年若い女性が中で細々した医療器具を手入れしていた。

 女医に指示され、診療室の端のベッドにレイシを寝かせる。女医は他の職員に指示して点滴用の針やチューブ、点滴袋などを用意する。手際よく、レイシに点滴を打つと女医はウェルベライトに向き直った。


「自己紹介が遅れました。個人医療所を開いております、ヤソと申します」

「王国騎士団副団長のウェルベライトです。レイシの素早い処置、ありがとうございました」


 深々と頭を下げるウェルベライト。その頭をヤソは軽くポンポンと叩いた。


「側にいる人が一番心配するし怖いよね。疲労からの発熱みたいだからしばらく休ませてあげて」

「わかりました」


 レイシの横になっているベッドの隣に椅子を用意してもらい起きるまで待つことにする。

 それから一時間ほど経った頃だろうか、医療所の扉が開かれる音がした。職員の一人が迎えるとそのまま診察室に連れて来た。

訪問者は二人、フノボリとトワだった。


「こんにちは、ヤソ先生」

「久しぶり、フノボリ」


 ヤソがフノボリに目をやる。フノボリは愛想笑いをすることもなく、どこか暗い表情のまま返す。


「レイシは」

「こっちに。疲労回復の点滴を打ってるわ」


 手で指し示した先にいるウェルベライトとレイシを見てフノボリの表情が一層歪む。フノボリはベッドに近づいて眠っているレイシの頬を撫でた。


「レイシちゃんの回復力が弱まってるけど、心当たりは?」

「……言えない」


 フノボリが拒否する姿勢を見せると、ヤソは「なるほど」と納得した様子で続けた。


「モモさんに相談は?」

「近々、するつもりではありました」

「早いうちに行くといいよ。あんまり先延ばしにしないようにね」

「……はい」


 なにやら知り合いの様子の二人の会話に、彼女らの関係が気になったが今すぐ聞くことでもないとウェルベライトは口を挟まなかった。

 レイシが身じろぎしたのをウェルベライトとフノボリが気付く。それからすぐにレイシは薄く目を開けてぼんやりと近くの二人を見ながら名前を呼んだ。


「ウェルベライト、さん……? ししょう……?」

「起きたな。レイシ、体調はどうだ」

「なんか、ぼんやりする……」

「レイシ」


 うさぎの彼女の手を握るフノボリに、レイシが悲しそうな顔で訊ねる。


「ししょう、なんで悲しそうな顔してるの……?」

「なんでもないよ。迎えに来たから一緒に帰ろう」

「うん……」


 弱弱しく頷くレイシ。フノボリが何か言う前にヤソが手で制して「帰る準備するからちょっと待ちなさい」と点滴針の処理を始めた。


 フノボリと一緒に三人で馬車に乗り、日が傾きかけたころにオスティアの東の森へと着いた。森の入り口まで送ったところで寝床の騎士団本部に戻ろうと踵を返しかけると眠るレイシを抱いたフノボリから引き留められた。


「今からレイシを連れて行く場所に、ウェルベライトもついてきてほしい」

「今から? レイシの体に響くんじゃないか?」


 ウェルベライトの言葉に頷きつつもフノボリは「早めに診せたいんだ」と言った。表情が深刻そうで心配になり、ウェルベライトは了解の返事をした。

 フノボリの後をついていくように、彼女たちの家に向かう。外の玄関に黒髪の青年、トワが立っていた。


「おかえり、フノボリ。騎士さん連れて来たんだ」

「知ってもらってた方がいいと、思って」

「いいことだ。こんばんは、騎士さん」


 ニコニコと笑いながら軽く手を振るトワ。何故、ズヒェルに住む彼がここに。

 疑問を言いたげなウェルベライトにトワは気にすることなく玄関を開く。


「あっちの森へ繋げておいた。行こう」


 そう言ってトワはフノボリたちの家の中に入っていく。


「あっちの森とは?」


 トワの指し示したワードをフノボリに聞く。赤髪の魔女はウェルベライトを一瞥していった。


「魔法使いたちの森だよ」




 フノボリたちの家に入り、トワとフノボリについていき二階の一番広い部屋に入る。聞けばここはフノボリの魔法、魔力の研究室兼寝室だそうだ。本棚に厚紙を表紙、裏表紙に使った括り紐でまとめた紙束が並べられていた。また、部屋に入って正面の壁には大きな黒板が、左右にスペースのあまりを残して上から下とぴっちり壁に設置されていた。思わず書かれている内容を読んだが、かろうじて生物学と魔力のことが書かれていることだけは分かる程度で内容は理解できなかった。

 その黒板のある壁と本棚がある壁が接着している側の空いたスペースにカーテンのように布が下げられている。


「ウェルベライト、そこいいかな」

「あ、ああ。すまない」


 フノボリがウェルベライトを退けてその前に立つ。ざあ、と布を分けるとそこには青白く発行している床から天井までの幅の魔法陣が書かれていた。


「これは……」

「私たち、魔法を使う者たちが集う森への移動用の魔法陣。ここからヤソ先生と話したモモさんに会いに行く」

「つまりは、そのモモさんも魔女なのか」


 ウェルベライトの素朴な疑問にはトワが答えた。


「魔女も魔女、今の世代の初代魔女ですよ」

「……それを知ってる、君も魔法使いなのか?」


 トワはその質問にはにっこりと笑って答えなかった。おそらく、言わなくても分かるだろうということだろう。


「行こうか」


 フノボリを先頭に魔女たちは魔法陣をくぐっていく。ウェルベライトも躊躇はしたが後を追った。くぐる瞬間、強い光がバチバチと瞬いて思わず瞼を閉じる。瞼の裏からでもわかる光が落ち着いたのを確認して瞼を開けると、目の前には霧が勝った昼間の森が広がっていた。


「ここが、魔法使いたちの森……」


 見上げる空は薄雲が膜を張る空で、太陽光がぼんやりと降り注いでいた。霧は十メートル先が見えないほどのもので、少し歩けば方向が分からなくなりそうだった。


「私たちは道標が見えるけど、ウェルベライトは見えないだろうからトワに手を繋いでもらって」

「はーい、騎士さん手を繋ぎましょうねー」


 言うままにトワはウェルベライトの手を握る。

 そうして、フノボリはレイシを抱きながら、ウェルベライトはトワに手を繋がれながら森の中を歩いた。

 森の中は広く、道は平坦で、行く先々で開けた場所がありそこで各々お茶会をしているローブを着た者たちがいた。

 ある者は、


「初代様? 数時間前にはここで一緒にお茶したよ」


 またある者は、


「あっちの果樹園にある果物取って、フルーツタルト作るって言ってましたよ」


 さらに別の者は


「中央の湖畔で、今日会う予定の子を待つって向かっていったね。ところでその子大丈夫?」


 と言ってくる。

 それぞれの人が話す初代の魔女、モモの行先に関する情報を追ってフノボリは霧と木々の中を進んでいく。ウェルベライトは片時も手を離さないトワに聞いた。


「ここでずっと会ってきた人たちは、みな魔法使いや魔女なのか?」

「ええ。ここは魔法使いの森であり、魔女の森ですからね。情報交換をする場所であり、逃げ込む場所であり、孤独を紛らわす場所であり、居場所である。魔法を使わない人間に干渉されない場所なんですよ」

「そんなところに俺がいていいのか?」

「ここに連れてくるのを選んだのはあの人なので、それはフノボリに聞いてください」


 トワはそれっきり話すことはなく、フノボリの背中を追うことに集中した。

 しばらく開けた場所にも他の魔法使いにも会うことなく森の中を歩く。ふいに吹いた風に湿り気があり、ウェルベライトは霧に翳む先の光景を見つめた。しかし近付くにつれ、段々と先の霧が濃くなり、銀髪の騎士はあたりを警戒する。かろうじて見えていたフノボリの背が特に濃い霧の中、風の吹く方に入っていったのを同じようにトワも飛び込む。手を繋がれていたウェルベライトもその中に引っ張られ、やや足がもつれながら霧の先に辿り着く。

 そこは、広い湖の畔だった。

 湖畔の辺りは霧が晴れており、一面が見渡せた。ウェルベライトたちの向かいにパラソルとテーブルを広げ、誰かが椅子に腰掛けていた。フノボリはそれを黙視すると足早にその人間の元に向かった。トワは急ぐフノボリを気に留めずゆったりとした足取りでそちらへ赴く。


「やあ、フノボリ。五年ぶりかな」

「久しぶり、お祖母ちゃん。レイシが小さいときぶりだね。ウェルベライト、紹介する。私たちの世代の初代魔女のモモさん。私の祖母だ」


 紹介されたモモはすっと立ち上がり、まっすぐに姿勢を伸ばしてフノボリの後ろにいたウェルベライトに向き直った。その顔や手の皺、白髪(はくはつ)の頭からしてずいぶんと年老いてそうだが、背の高さがフノボリと同じくらいで雰囲気や立ち振る舞いが若々しい。


「はじめまして、モモです。ウェルベライト・ジェンマさんだね。そちらも久しぶりかな、トワくん」


 ウェルベライトの隣に立つトワに柔和な笑みで声をかけるモモ。トワも軽い調子で「お久しぶりです」と頭を下げて挨拶を返す。いやそれよりも。


「なぜ、俺のフルネームを知っているんです」


 やや警戒心を見せる銀髪の騎士に年老いた魔女はにこやかに言った。


「昔君を見かけたことがあるのさ。君の父君も知っている」


 不審に思いつつも、初代魔女というのだから何か不思議な力を持っていてもおかしくないだろうという考えに落ち着く。そう思えるくらいにはウェルベライトも魔法使いや魔女に馴染んでしまっていた。


「それで、お祖母ちゃん。さっそくなんだけど」

「うん、レイシちゃんだね。今は落ち着いているようだけど、これはしばらく療養したほうがいい」


 モモはレイシに近づき、皺だらけの手で頭を撫でる。


「どこかの誰かさんが湧いてくるたびに魔力を奪うせいで、回復力が落ちてる。このままだと休んでも大して回復はしないだろうね」

「そんな」


 そう声を上げたのはウェルベライトだった。ただの疲労、ただの体調不良だと聞いていたのにそんな深刻なことになっていたなんて。

「原理を説明しよう」とモモは言った。 


「魔力を保持する量は各々の個体で決まっている。誰にだって魔力はあり、魔力を溜める器の大きさは色々だ。そして魔力とともに生成される生命力は回復にも使う。が、レイシちゃんの場合はもともと溜めてある魔力が規定の力より少ないせいで、命と生命力を魔力に変換してしまってる。つまり、命から生命力は生成される、そして一緒に魔力も生成されるけど量が少なく規定の量に足りないから生命力からも生成される。命も生命力も、魔力を作られては奪われる一方なせいで、本来使われる機能に満足に使われてない」


「そしてここが最も大事なところ」とモモは人差し指を顔の前に立てて告げた。


「本来適量エネルギーを生成する命が余計に使われることで、レイシちゃんの命が擦り切れてる。本来の寿命よりも生きられる時間はもう残り少ない。よくて三年、悪くて……十月(とつき)も持たないよ」

「そんな……」


 ウェルベライトは衝撃を受けながらも二人の様子を窺う。トワは分かり切っていたのか、これと言って表情を変えず平静でいる。一方フノボリの方は、ウェルベライトが斜め後ろにいるせいで顔がよく見えない。ただ、顔は俯きレイシを抱く腕が震えていた。


「助かる方法、例えば、レイシの寿命を延ばす方法はないのですか。それこそ、魔法は」


 トワもフノボリも何も言わない中、ウェルベライトだけが諦めずに解決策がないか問う。モモは「魔法では解決できない」と断言した。


「魔法は人が起こす奇跡だけれど、命への干渉は殆どできない。肉体はあくまでも器で、魔力の通っているものだから治癒の魔法は存在するけれど、魔力や生命力の根本となる命は修復できないんだよ。唯一出来るとすれば、魔女魔法使いが初めて使う『最初の魔法』は可能ではある。他に解決策があると言えば……」


 老婆の魔女は少し険しい顔をし、レイシの顔を一瞥しウェルベライトの目を見つめた。


「東洋の島国に、カイセイという国がある。カイセイのどこかに桃源郷と言われている、行くのが困難な場所が存在する。そこに不老長寿の果物が生っている。それなら、寿命を延ばすことは可能だろう」


 カイセイ。ウェルベライトもその国については多少の知識はある。自国と他国の文化をかみ合わせた文化を持ち、貿易を盛んにしているという。コウエニンティア王国もカイセイとは貿易関係にあり、ユリオプスも頻繁に書簡のやり取りをしているほどだ。たた、海を挟んだ国ということで航路を通じていくことになり、直接向かうには骨が折れるのだ。

 モモは言う。


「無理強いはしない。そんな簡単なものじゃないからね。でも方法の一つとして頭に入れておくといい」

「……ありがとう、モモ」


 震える声で、泣きそうな湿った声でフノボリはそう言った。

 フノボリがもう用はないと踵を返し霧の漂う森の中へ向かっていくのを、ウェルベライトとトワはモモに頭を下げ彼女の背を追った。

 そういえば帰り道は、とウェルベライトが思っているとフノボリに着いていった先に大きな樹木の元に辿り着いた。そこは木の根元からウェルベライトの背丈ほどの高さに大きな(うろ)があり中が瑠璃色に光っていた。フノボリとトワは何も言わず中に入ったため、躊躇したがウェルベライトも洞の中をくぐった。光の先は、来た時と変わらないフノボリたちの家の、フノボリの部屋だった。

 フノボリはレイシを、彼女の寝室のベッドに寝かせるとリビングの椅子に座って待つトワとウェルベライトの元に降りて来た。

 トワが単刀直入に言う。


「カイセイに行くのはボクが適役だと思うんだよね」

「いや、なんでだ。順当に俺が行くべきだろう」


 ウェルベライトが反論するとトワはあきれた様子で肩をすくめる。


「わかってませんねぇ。レイシが目覚めたとき側にフノボリと騎士さんがいなかったら悲しむでしょう。それに騎士さんが行って、その間にレイシが死んじゃったらどうするんです? 死に目に会えないこと以上の虚しさはないでしょう」

「俺は君が信用できない。会って数日の人間で、思わせぶりに質問を躱す人間に、恋人の命を救う頼みはできない」


 銀髪の騎士の語気を強めた意見に、その言葉を言われることが分かっていたように「じゃあ」と腕を組んで言い返す。


「確実に十月(とつき)の間に戻ってこれる? レイシを救える? 間に合わず本当にレイシが死んでしまっても「仕方のないことだから」と割り切ってレイシを見放せる?」


 じっとウェルベライトの目を見るトワに、ウェルベライトは思わずたじろぐ。睨んではいない。ただ力強い眼光がウェルベライトの瞳を通して命に威圧感を与えてくる。


「ボクはできます。まだ会って日が浅いですしね。救いたい気持ちはあっても、間に合わなくても仕方なかったで済ませられる心持でいられます」


 トワの言葉で、ウェルベライトは黙りリビングが静まり返る。家の周りの森は日が沈みかけてるのか、薄暗くなってきていた。


「それでも」


 ウェルベライトの呟くような声に、トワが片眉を上げる。


「オレが行きたいんだ。何もせず、何もできず、ただ側にいるだけなのは……耐えられない」


 フノボリを死刑から助けられなかったことも、レイシがシバに連れ去られたことも、今この時も。ウェルベライトはすべて後手に回ってしまっている。レイシに対する汚名返上のために出来ることはすべてしたい。後悔を、したくないから。


「……とりあえず、その気なら国王様に相談すべきですね。王国騎士団副団長が独断で他国に行くのは怪しまれかねませんし」


 ひとまず話の折り合いをつけたところでずっと黙っているフノボリに目を向ける。フノボリは沈んだ表情のまま俯いている。


「フノボリ!」

「あ、え、ごめん。何?」


 やっと二人を見たフノボリは、やはり表情が浮かない。トワが溜息を吐いて、椅子から立ちフノボリの前に立つと勢いよく両肩を叩いた。


「しっかりしろ! 自分が蒔いた種だろ、責任持ってレイシの側で看病してあげるんだ」


 フノボリの瞳が揺れる。酷く泣きそうな顔をし、ぐっと口を閉じると不器用な笑顔で「ああ、まかせて」と小さい声で返した。

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