第二章
健太の話は、梨香の想像をはるかに超えていた。兄が語る内容は、彼女がこれまで知っていた家族の物語とは全く異なるものだった。梨香はコーヒーを一口飲み込み、静かに耳を傾けた。
「梨香、俺たちの家族は普通の家族じゃなかったんだ。」
健太の声は低く、重々しい響きを帯びていた。梨香はその言葉に驚きを隠せなかったが、次の言葉を待った。
「どういうこと?普通じゃないって、どういう意味?」
健太は一瞬、目を閉じて深呼吸をした。「父さんは政府の極秘プロジェクトに関わっていたんだ。高度な研究をしていて、その成果を狙っていた連中がいた。」
梨香は眉をひそめた。一年前に亡くなった父親が研究者だったことは知っていたが、極秘プロジェクトなど一切聞いたことがなかった。「でも、どうしてそれが私たちに関係あるの?」
健太は彼女の手を握りしめた。「あの日、俺が事故に遭ったのは偶然じゃなかった。狙われていたんだ。俺が生き延びたのは、彼らが俺を連れ去ったからなんだ。」
「連れ去られたって、どういうこと?」梨香の頭は混乱していた。健太が語るストーリーは信じ難いものだったが、兄の真剣な表情がその信憑性を増していた。
「俺は彼らに捕まって、ずっと監禁されていた。色々な実験をされたけど、父さんが亡くなった時、混乱に乗じて何とか逃げ出すことができたんだ。でも、実は今も追われている。」
梨香は目を見開いた。「実験って、何をされたの?」
健太は視線を下に向け、言葉を選びながら答えた。「体にいろんな薬を投与されたり、心理的なテストを受けさせられたりした。正直、全部は覚えていない。彼らの目的は父さんの研究の成果を俺から引き出すことだったんだ。」
梨香は兄の話を聞きながら、心の中で様々な感情が交錯した。恐怖、怒り、そして悲しみ。しかし、同時に兄が戻ってきたことへの喜びも感じていた。
「健太、そんなことがあったなんて…でも、どうして今になって戻ってきたの?」
健太は苦い表情を浮かべた。「梨香を守るためだ。俺が逃げ出したことで、彼らは俺を再び捕まえるために動き始めた。そして、最近君も狙われていることがわかったんだ。」
「どうして私を?」梨香の声には驚きと不安が混じっていた。
「梨香は父さんの研究に直接関与していなかったけど、遺品を整理していただろう。彼らは父さんの研究資料のありかを君が知っている可能性があると考えているんだろう。」
梨香は驚きを隠せなかった。父親の遺品を整理していた時、何度も目にしていた古いノートや資料が、そんなに重要なものだったとは思いもしなかった。「じゃあ、私と遺品を守るために戻ってきたの?」
健太は深く頷いた。「そうだ。父さんの研究を守りながら、俺たち自身も安全を確保しなければならない。」
梨香は決意を固めた。「わかった、健太。あなたについていくわ。もう一度母さんと健太と暮らすために。」
健太は微笑み、梨香の手を強く握りしめた。「ありがとう、梨香。まずは安全な場所に移動しよう。話し合うことがたくさんある。」
二人はカフェを後にし、街の喧騒から離れた静かな場所へ向かった。道中、梨香は心の中でこれまでの平穏な日常が大きく変わっていくことを実感していた。
カフェを後にした二人は、人気のない公園のベンチに腰を下ろした。夕方の静寂が辺りを包み込む中、梨香は再び口を開いた。「健太、どうしてあなたは死んだことになっているの?」
健太は苦い表情を浮かべた。「あの日、事故現場にいた俺は重傷を負っていた。連れ去られた後、彼らは俺を死んだことにして、自分たちの痕跡を消そうとしたんだ。父さんの研究を追う者たちにとって、痕跡を残すことはリスクになるからね。」
梨香はその言葉を聞いて反論した。「でも、私たちは葬儀もしたのよ。棺の中には…」
「替え玉だったんだ。」健太は梨香の言葉を遮った。「彼らはそれほどまでに徹底していた。俺が生きていることを誰にも知られないようにするために、全てを準備していたんだ。」
梨香は呆然とした。確かに兄の頭部はひどく破損していて、誰だかよく分からなかった。兄が死んだと思っていたのは、全てが仕組まれた偽りだったという事実が、彼女の心に深い衝撃を与えた。
「そんな…どうして私たちがこんな目に?」
健太は肩をすくめた。「父さんの研究がそれほどまでに重要だったんだ。彼らにとって、俺たち家族はその研究を手に入れるための手段なんだ。」
梨香は強く握りしめられた兄の手に力を込めた。「でも、もう逃げるだけじゃない。真実を明らかにするために、健太を手伝うわ。」
健太は静かに頷いた。「ありがとう、梨香。まずは父さんの研究資料を見つけなければならない。それが俺たちの手にあれば、彼らに対抗する手段になるかもしれない。」
梨香は兄との再開に新たな決意を胸に抱き、立ち上がった。