ゴースト・レイス作戦 閉演
「俺は……」
源は呟いた。周囲にはただ暗闇が広がり、自分の体は宙に浮かんでいるかのようだった。
(ああ、そうか)
「死んだのか、俺。じゃあここは……地獄か?」
源は体を動かしてみるが、何の変化もない。源は目の前の暗闇を眺めながら思った。
(もし、ここが本当に地獄なら、どうか俺を裁いてくれ。俺は罪を犯したんだ。子供達の未来を奪ってしまった)
「その子供達は、かつて僕が守るべき命だったのに……」
源は深く息を吐くと、目を閉じて暗闇に身を投げ打つ。その心には、どうしようもない罪悪感が横たわっていた。その時だった。
『……きみ。大君、聞こえるか?』
何処からともなく、そう呼びかける声がしたのだ。
「この声、ジウスドラか…?」
『そうだ。……なんとか間に合った様だな』
「間に合った?もう手遅れだよ、ジウスドラ」
『……ベイリンに何を言われた』
源はゆっくりと目を開けると答えた。
「小型怪獣だよ。そのコアには、子供達の意識が入っていたんだ」
『………』
「君は教えてくれなかったね。君なら、とっくに気づいていたはずなのに」
『大君、僕は……』
「知ってるさ。あえて言わなかったんだろ?この事を知っていたら僕は、あのショッピングモールで死んでいた」
源は続ける。
「やっぱり僕は、大君なんかじゃなかった。……無理なんだよ。僕はもう、戦えない」
源はまた目を閉じる。今はただ、この虚無に身を任せたい。
『ふざけるな……』
「……え?」
『ふざけるなと言ったのだ、ギルガメシュ!「僕はもう戦えない」だ?そんな妄言になど付き合っていられるか!』
「でも……」
『では、トラグカナイはどうするのだ!過去の傷跡を無理やり広げ、晒された彼女はどうするというのだ!MSBは!君の帰りを待つ日本の同僚は!みなすべからくお前を必要としているというのに!』
ジウスドラはなおも怒鳴る。
『いいかギルガメシュ、君の言う"罪"などというものは全くのデタラメだ!心の傷から目を逸らすための、体のいい言い訳にすぎない!いくら悔やんだところで過去は消えない。真に君のすべきは、目の前の敵を討ち倒し、その戦果を花むけに死者を悼む事だ!逃げるな、ギルガメシュ!自身の行いから決して目を逸らさず、過去を悔やむ気持ちを糧に、正しい方向に前進しろ!それが罪であり、その償い方だ!』
そこで源は目を見開く。ジウスドラの言葉が、乾いた心に染み込んでいく。
「ジウスドラ……」
『つまり、まだ何も終わってはいないのだ。ここは天国でも地獄でも無い。ただのバックアップファイルだ』
「バックアップファイル?」
『君のガスマスクを改造しただろう。そこにチップを埋め込んでおいたのだ。つまり君の意識は、ベイリンに浄化される前にそのチップに転送された』
「……!」
『いいか大君、今から君の意識を君の脳内に戻す。そこにベイリンとトラグカナイがいるはずだ。僕が時間を稼ぐから、その間に自分の体を取り戻せ。そうしたらベイリンは君の脳波で浄化できる』
まだ何も終わってはいない。その言葉が源に強く作用する。そして、気付くと源は、両の拳を握り締めていた。すでに虚無感は薄れ、代わりに強い意志が満ちていた。
「……ジウスドラ」
『何だ?』
「ありがとう。おかげで目が覚めた。俺が必ず、奴を倒すよ」
(今度こそ)
『……ああ、頼んだ』
そして源の意識は、深い水の中から引き上げられるかの様に上昇した。
「これがギルガメシュの深層意識か。凄まじいな……」
ベイリンは目の前に広がる地平線を見て呟いた。起伏の無い真っ平らで灰色の地面が、終わりなく広がっている。ただ、後ろのソファにトラグカナイが横たわっていた。
「……さて、まずはどうしてやろうか」
ベイリンはそう言ってその場から歩き出した。その瞬間だった。
「待て、ベイリン」
後ろからするその声に、ベイリンは足を止めた。
「……ジウスドラ」
「久しいな、ベイリン。意識だけとはいえ、こうして会うのはいつ振りか」
「ふん、白々しい。時間稼ぎなどせずとも、この体の主は帰っては来ないのだぞ?」
「だったら何だ。それよりも、また部下を無駄死にさせたらしいな。まるで赤子のような粗暴さだ」
「貴様こそ…!」
ベイリンは思わず振り返る。そこには、確かにジウスドラがいた。
「貴様こそ、わざとこの国の人間を泳がせていたではないか!貴様ならば余の策略を見抜けていたはずなのに」
「ハッ、勘違いも甚だしいな。私はただ、行き過ぎた干渉を避けただけだ」
「それに何の意味がある。米国一強から生じる諸外国との軋轢など、その諸国を従わせれば良いだけのことではないか!そして貴様にはそれができるであろう!」
それにジウスドラは首を振る。
「とことん愚かなのだな、ベイリンよ。昔から、そうやって暴力でしか他者と関われない。だから帝からも……」
「黙れッ!」
ベイリンは叫ぶ。
「その名を呼ぶな!アレは帝などではない!ただの臆病な小物!いや、小物以下だ!」
「そうやって家族を憎む……。私の家族もそうやって殺されたのか?」
「ああ、そうだとも!良い機会だ、事の顛末を一から十まで聞かせてやろう!」
「不要だ。そんなもので私は揺れない。ただお前への憎しみが強まるだけだ」
「それでよい!憎めよジウスドラ。憎しみはやがて諦めへと変わり果てる。その時を嘲笑ってやろう!貴様の妻と子を嬲り殺した時のようにな!」
そしてベイリンは懐から短刀を取り出すと、ジウスドラに向かって走りだした。その様子を見ていたジウスドラは呟いた。
「つくづく哀れだな……」
その瞬間、何処からともなく現れた拳が、ベイリンの顔面をぶん殴った。
「ッ……!」
吹き飛ばされるベイリンを尻目に、男は右手を振りつつ言った。
「ってーな。意識だけでも痛みはあんのかよ」
そう言ってアーサーはまた右手を握りしめると、鼻を抑えて尻もちをつくベイリンを見下ろした。
「悪く思うなよ。リリーの分の仕返しだ」
それにベイリンは言葉にならない声をあげる。
「早いな、アーサー・アレクサンドラ」
隣のジウスドラが言う。
「こっちのコアがハズレだったんでな。制限進化のサードスケールを使った。一回使ってから耐性ができたんだよ」
「……丈夫な奴だ」
ジウスドラはそれだけ言ってソファに横たわるトラグカナイの元へ行く。
「大丈夫か?トラグカナイ」
ジウスドラはその場にしゃがみ込むと、穏やかなトーンで尋ねる。
「……ごめんなさい」
トラグカナイはこちらに背を向けて言う。
「何を謝ることがある。お前は役目を果たした。あとは任せなさい」
「でも私、あの人の役に立たなかった……」
「立っているよ。お前がいなければ、大君はお前の肉体を経由してバックアップファイルに入ることは出来なかった。さあ、自分の身体に戻りない。話は後でゆっくり聞くから」
「……分かった」
そしてカナの体は霞のように消えた。
その頃、アーサーはベイリンの目の前に立っていた。
「随分無様じゃねえの、ベイリン」
「貴様は、余の過去を覗いた…!」
「ああ、そうだよ。しっかし、何も変わってねえな。ガキみてえに癇癪起こしやがって。しかもテメェ、もしかしなくても、ジウスドラを父親代わりにしようとしてやがったな?それでアイツの家族を殺した。お前、マジで自己中すぎんだろ」
「貴様ごときに、余の何が分かるというのだ!」
「分かるさ。その単純な思考回路が。お前は悪人なんかじゃない。善人でもない。どちらにもなれなかった成れの果てだ。だからこんなにも醜い」
アーサーはベイリンに近付く。するとベイリンはその場から後ずさる。
「どうしたよ。そんなに怖えかよ、俺が」
「ッ……!」
「やっと化けの皮が剥がれやがったな。その臆病で卑怯な本性が」
アーサーは呆れた様にそう言い放つと、ベイリンの頭に触れようとした。
「……まだ終わってはいない」
その時、ベイリンは呟いた。
「あ?」
「まだ終わってはいないッ…!」
ベイリンはそう叫んだかと思うと、勢いよく起き上がりアーサーを突き飛ばした。
「ッ……!」
(しまった!)
「ジウスドラぁ!」
そしてジウスドラめがけて走り出そうとした。が、その背中に触れる手があった。ベイリンはそれに気付き、立ち止まる。
「お前は……」
「お前を浄化する、ベイリン」
源は、そのままかざした右手をベイリンの背中にのめり込ませた。
「なぜ、生きて……」
「ジウスドラのおかげさ」
そして源は、ベイリンの心臓のあたりから一つのコアを引き摺り出した。
「まて、やめろ」
源はそれを握り込む。ベイリンは顔を歪ませて言う。
「やめろ!やめてくれ!」
そして、源はコアを砕いた。
「あ、」
その瞬間、砕かれたコアから漏れた黒い霧が、ベイリンを包んだ。コアを砕かれたベイリンは、霧に包まれながら泥の様に自壊し始めた。
「た、助けて……」
ベイリンは源に向けて手を伸ばすが、その腕はぼとりと地面に落ちる。そしてもう片方の腕、両足と体が崩れる。
「ジウスドラ……」
すでに四肢まで失ったベイリンは、ジウスドラを見上げる。ベイリンの脳内には、これまでの記憶が走馬灯となって駆け巡っていた。幾度となく嗅いだ生臭い血の臭い。こちらを恨めしそうに睨む人々。そしてただ一つだけ、記憶の片隅で、こちらに微笑みかけるその姿を見た。ベイリンは思った。
(……ああ、そうか。そうだったのか。余は、忘れていたのだ。ただ1人、余を愛してくれたその人を)
その時、ベイリンの体は頭だけとなっていた。そして自らの存在が消え去る刹那、最後にベイリンは呟いた。
「お母さ…ま……」
そう言い残してベイリンは、黒い泥の塊となり、その塊も黒い霧となった霧散した。
源の深層意識は、静寂に包まれていた。
「終わった、のか…?」
アーサーが言う。それにジウスドラが答える。
「……ベイリンは浄化された」
そしてジウスドラは源に近付いて言った。
「大君、戻ろう」
源は消えゆく霧を見ながら答えた。
「……ああ、帰ろう」
やがて目を覚ました源は、隣のカナを見た。カナは気まずそうに目を逸らす。源はその様子を横目に言った。
『カナ、ありがとう』
『……!』
『君がいなかったら、俺はあのまま浄化されていた。助かったよ』
それにカナは、耳を赤く染めながら答える。
『こ、こちらこそ……』
源はそんなカナを見て微笑んだ。そして瓦礫の向こうを見る。そこには、真っ赤な夕日が源たちを照らしていた。




