ゴースト・レイス作戦 第三幕
地面が揺れる。突風のような生暖かい風は、呼吸によって生じるものだった。爆発の衝撃によって気絶していた源が目を開けると、目の前には二対の巨大な目があった。
「怪、獣……」
源は呟く。全身が痛んで逃げることも出来ない。ただ、見下ろされている。目と鼻の先に、怪獣がいる。
(ベイリン?それとも他の何か?駄目だ、頭が痛い。視界が霞む……)
源はそのまま意識を失った。
「馬鹿な!ありえんッ!」
MSB本部の指令室で、バレンタイン准将は思わず怒鳴った。
「ですが大隊長、あれは間違いなく『ジャガーノート』です!天上階に大怪獣が現れました!」
「クソが!」
バレンタインは近くのモニターをぶん殴る。
「ベイリンめ、自ら怪獣になりやがった!」
(2度と元には戻れねえのに…!)
バレンタインはすぐに命令する。
「空軍に出動要請だ!日本から供与された神経毒ミサイルを使え!今使えるアパッチをありったけかき集めろ!」
「ですが大隊長、避難勧告が出てからまだ5分です。各国大使ほか、政府要人がまだ天上階に……」
バレンタインはそれを聞いて舌打ちをする。
「チッ…!」
(避難が遅い!上の奴ら、どうせ助けが来ると腹を括ってやがる……)
「……構わん、義務は果たした。大統領にも通達しろ」
「ですが大隊長……」
「2度合わせるな!このままヤツを放置すれば、ニューヨークは完全に破壊される!」
部下をそれを聞いて、躊躇いながらも受話器を取る。
「こちら司令部、有事特権に基づき該当怪獣の駆除を実行する。空軍の出動を要請する」
『こちらスチュワート空軍基地、大統領の許可は取ったのか?』
「それは……」
「おって正式な書類を送信する。それよりも、今すぐにアパッチ一個中隊を天上階に送れ。D型装備だ」
バレンタインは部下から受話器をぶん取ると、そう言って電話を切った。
「いいか、大統領には俺が話をつける。お前は軍以外からの通信は受け付けるな」
「は、はい」
部下はバレンタインの気迫に押され、そう言った。
深夜の天上階、ワールドサテライトビルの最上階には、一つの巨大な影が地上にまで伸びていた。そして地上からその光景を見上げる人々は避難を急ぐ。
「早く列を進ませんか!私は上院議員だぞ!」
「で、ですが議員。基幹エレベーターはVIPルートまで満員です。このまま待つしか……」
「待つなどできるものか!あれを見ろ!あの怪獣には、羽が生えているのだぞ!」
「……い、おい!ミナモト!」
「……カナ?」
源が薄ら目を開けると、カナが源の顔を覗き込んでいた。
「起きた!先生、起きました!」
カナは途端に表情を明るくして無線に言う。
「カナ、状況を……」
「あ、ああ。まずベイリンが怪獣になった。ジャガーノートとか言うヤツだ。しかも羽が生えてる。ここが吹き飛んだのはベイリンの過程変異に巻き込まれたからだ」
「アーサーさんたちは?」
「生きてる。制限進化をしてたおかげだな」
「じゃあ、リリーさんは?」
「意識不明だ。出血が酷い。それよりも、ほら」
カナが手を差し伸べる。源はその手を借りて瓦礫の山から起き上がった。周囲にはフロッグ含め数人の隊員がアーサーたちの看護にあたっている。
「……カナ、ジウスドラと話がしたい」
「分かった。先生、ミナモトが……」
カナがそう伝えたと同時に、ミナモトの無線も繋がった。
『どうした、大君』
「……なぜ対策を講じていなかった。お前ならこの事態を予測できたはずだ」
『していた。だが、その可能性は限りなく低かったのだ。ベイリンがこの選択を取る確率はほぼゼロと言っていい。なぜならこれは、ベイリンの焦りがなければ起こり得ないからだ』
「焦り?」
『それも激しい焦りだ。動揺と言ってもいい。だがヤツは計算高く、用心深い。君の想像以上にな……』
「やけにざっくりとした言い様だな。お前らしくも無い」
源は言う。
『……大君、君の怒りも分かる。これは避けられた事象だ。だが、今は事の対処に専念すべきだ。釈明はその後、君の納得のいくまでする』
(ジウスドラが明らかにこの話題を避けている。なぜだ?)
その時、ビル全体が激しい振動に襲われる。ベイリンが飛び立ったのだろうか。周囲からは車のクラクションがひっきりなしに聞こえる。
(……いや、今はそれどころじゃないな)
「殺されたんだろ?奥さんと子供を」
その時、誰かがそう言った。それはアーサーだった。怪我の手当てをされながら、アーサーはジウスドラに話しかけていた。
『お前は……』
「聞いたぜ?ベイリンに。だからお前はベイリンを憎んでるし、そして後悔してる」
『ふざけた事を言う。これだから人間は……』
「アイツは親を欲してた」
『………』
「いつも独りで、他者を痛めつける事でしか自分の存在を保てない、ただのガキだった。親が欲しかったんだよ。ヤツは。それをお前は無視したんだ」
アーサーはどこか自分の事のようにそう言う。
「アーサーさん…?」
「ミナモト、ベイリンの浄化は俺がやる」
『馬鹿を言うな!お前に何が……』
「アンタよりは分かるさ。アンタよりも知ってる。だから俺はヤツを許さない。理解の上で、俺はヤツを絶対に許さない。俺がベイリンを止める」
それが、俺の選択だ。
『もし失敗したら……』
「野暮な事言うなよな。”もし”なんて意味がねえ事ぐらい、アンタがよく分かってんだろ」
『……大君』
(アーサーさん、変わったんだな)
「……ああ。そこまで言うならアーサーさんに任せる。カナと俺もサポートに回るぞ」
源はカナに言う。
「了解。おいクソ金髪、シクったら殺すぞ」
カナはそう言ってアーサーの方を睨む。
「ハッ、てめえは黙って見とけよ」
アーサーはそう言って無線を切ると、ゆっくり起き上がる。
「助かった。俺よりもリリーを頼む」
そばにいた隊員にそう言ってアーサーはその場に立ち上がると、リリーを見た。
(……ジーク、すまねえな。俺が不甲斐ないばっかりに、こんな事になっちまったよ。でもな、俺は独りじゃねえ。あの時とは違う。頼れる仲間がいる)
「だからもう、お前ばっかりには頼らないよ」
アーサーはそう呟くと、胸元の2つのドックタグを取り出す。その片方には、ジーク・フェンリムと刻まれていた。それをギュッと握り込むと、アーサーは手の甲で涙を拭い、深く息を吐いた。
「ふー……よし」
そして、ガスマスクを付け直した。
『……行くぞ』
「こちらファルコン2、目標が飛行を開始した」
『コマンド了解。目標を補足次第、射撃開始』
アパッチの機内では、そう無線が響いていた。スチュワート空軍基地から緊急発進したアパッチMk.2の一個中隊は、天上階上空に到着していた。目の前に広がる1000メートル級のビル群のさらに上の雲の中に、巨大な影が見えている。
「200メートルはあるな……」
「並みの大怪獣よりも大きいんじゃないか?」
アパッチの隊員たちはそう言いながらも、上昇しつつその影をロックする。
「目標を補足、射撃開始。繰り返す、射撃開始」
その瞬間、機体の両サイドに取り付けられた巨大な針が発射され、雲の中に消えていった。そして、雲が散ったかと思うと、怪獣の巨大な体が降ってきた。その身体には何本もの針が刺さり、全身からは力が抜けている様に見えた。が、
『た、隊長!このままでは市街地に怪獣が!』
『落下軌道が予想より大幅にずれている!まずい…!』
そして、怪獣の体がビルの中に消えていったかと思うと、轟音とともに周囲のビルが傾き、崩れ始めた。
そこは、基幹エレベーターの真上だった。
『天上階が、墜ちる……』
誰かが呟く。『もう一つのアメリカ』とも称された天上階は火の海に包まれ、政府高官はもちろん海外大企業の役員たちまでもが巻き込まれ死亡した。そして、その数はさらに増えていく。
「まさか、ここまで……」
源たちも呟く。眼下に横たわる大怪獣、ジャガーノートはその全身でもって、可能な限りこの大都市を破壊していた。
(ベイリンはこうなる事を見越して意図的に落下したんだ。天上階の中心部、エレベーターターミナルの真上で……)
「まだ殺す気なのか……」
その時だった。ジャガーノートの体がピクリと動いたかと思うと、なんとその場にゆっくりと起き上がり始めたのだ。
『活動を再開した!?基準量の5倍は叩き込んだんだぞ!』
アパッチ隊にも動揺が広がっていた。
『か、構わん!第二波、攻撃準備!』
そして各機が陣形を転換しようとしたときだった。突如として黒い物体が、地上から次々にアパッチへと衝突した。
『一体何が……』
『小型怪獣です!潜伏していた小型怪獣が……ッ!』
そこで通信が途切れる。
『おい!ファルコン4、応答せよ!ファルコン4!クソッ…!』
隊長は計器盤を叩く。そしてその直後、自身の機体も爆炎に包まれた。
「アパッチ中隊、全滅!小型怪獣によるものかと!」
MSB本部の指令室では、オペレーターが悲痛な声で叫ぶ。
「増援を要請しろ!アパッチ含めガンシップに対空車両もだ!」
バレンタインは続々と送られてくる書類に目を通しながら言う。
「大隊長!大統領から直電です!」
不意にそう声がした。
(クソ、タイミングの悪い……)
そう思いながらもバレンタインは机の電話を取る。
「はい。バレンタインです」
『准将、君は自分のしたことを認識しているのか?』
(やはりそう来る……)
「無論です。我が国を怪獣の脅威から守るため、正当に権利を行使したまでであります」
『それにしても急ぎすぎだ。ある情報によるとユーロの大使団が全滅したらしい。これからさらに大きな被害が出るだろう。それに、天上階が墜ちる恐れもある』
(この人はいつまで……!)
「動力源が破壊される前に退治すればよいでしょう!早く陸軍の出動許可を!」
バレンタインの言葉に、大統領は落ち着いて答えた。
『その必要は無い』
「ではどうするというのです!」
『対怪獣機構だ。怪獣の足止めを依頼した』
「不可能だ!」
『可能だ。彼らの実働部隊、防衛戦隊の最高戦力『ハイガード』が現場に急行している」
「ですが……」
『案ずるな。ジウスドラよると”彼女”は、あのレストアに匹敵するほどの実力を有している』
ちょうどその頃、一機の輸送機が天上階の上空を通過しようとしていた。その貨物室には、黒い細身のスーツに、明らかに不釣り合いな巨大なパイルバンカーを担いだ、綺麗なブロンドをたなびかせた女が立っていた。そこに無線が入る。
『お嬢様、くれぐれもコアごと破壊せぬように』
「分かってるわよ」
女はそう言うと、顔全体を覆うマスクを付ける。そして開かれたハッチから燃える天上階を見て呟いた。
『さあ、主役の登場よ』
そして、怪獣めがけて貨物室から飛び降りた。




