ゴースト・レイス作戦 第一幕
「お前……」
まただ。
「よせ、アーサー!」
また、奪われる。
「お前はぁ……!!」
アーサーは走り出した。それを見たベイリンは呟く。
「さあ、幕開けだぞ?大君」
「制限進化!セカンドスケール!」
そうアーサーが言ったかと思うと、アーサーの目から血が流れ始めた。そしてアーサーは全身に走る痛みに悶えながらその場によろめく。
「ク、ソ…!」
アーノルドはそれを見て狼狽える。
「無茶だ!鎮痛剤も無しで制限進化など……」
そしてベイリンはシャンパンを飲み干すと、アーノルドを見た。
「さて、少し話をしよう」
「何を言っている……」
「なに、答え合わせをするだけだ」
ベイリンはそう言うとその場に倒れる。そして扉からもう1人の男が現れる。
「気にするな。余はコアを自由に移動できる」
新たな体に入ったベイリンは、階段を降りながらアーノルドに言う。
「この会話はアシュキルたちにも聴こえているのだろう?」
「……それがどうした」
「聞かせてやろうと思ってな。この国の澱みというやつを」
ベイリンは続けて言う。
「電波灯台、ハートポイントだったか。あれの仕組みを貴様は知っているか?」
(……時間を稼ぐか)
「怪獣の嫌う特定の周波数の電波を流している」
アーノルドは悶えるアーサーの方を見つつ答える。
「ふむ。それらしい理由だが、違う」
「……なに?」
「名前を見れば分かる。電波灯台とはつまり心象座標の事。ただ拒むのではなく、心の深奥に直接作用するのだ」
「何を訳のわからない事を言っている」
「命令だ。ラケドニアで用いられる最上級コマンドの一つ。いわく"近寄るな"。怪獣どもは大半が奴隷階級。この命令には抗えない」
アーノルドは冷や汗を流す。
「だからなんだ」
「ジウスドラであろう。ソレを考案したのは。この国は怪獣対策において他国より数十年進んでいた。その理由はジウスドラだ」
「………」
(アーサー、早く立ち上がってくれ!)
「全く、嘆かわしい事だ。この国はラケドニアの技術を他国に供与しようともせず、あろう事か城壁のように領土を電波灯台で囲み、他を贄としてじっとその時を待っていたのだ」
「根拠のない妄想だ」
「根拠はいらん。妄想でも良い。ただ、ジウスドラはその事についてどう捉えているのか。それを知りたいだけだ」
ベイリンは少し笑う。
「フフ、お人好しのジウスドラ。余に仕えながら、余の命に背いた裏切り者……」
ベイリンはグラスから手を離した。ガシャンとガラスの割れる音が響く。そして言った。
「貴様の妻と子も、こんな風に殺したのだったな」
「ベイリン!」
その瞬間、アーサーがベイリンに突進する。だが、それをベイリンはヒラリと避けた。そして銃声が響く。アーノルドの撃った弾丸はベイリンの首を正確に撃ち抜いた。
「これでその減らず口も使い物にならんな」
「ぞればどうがな」
ベイリンはそう呻くとともに、よろけるアーサーの後ろにあっという間に回り込んだ。そしてそのうなじに左手で触れ、右腕で首をロックした。
「グ……!」
そしてベイリンの意識はアーサーの中に深く落ち込んでいった。
「……なるほど。ここが」
ベイリンは呟いた。目の前にはとある孤児院があった。
(ここはこの男の深層意識だな?そして余の肉体に異変がないという事は、やはりこの男が人質として機能したという事。あとは……)
ベイリンは孤児院の門をくぐる。
「……男の意識を見つけ出し、殺す」
そうなれば、皆どのような顔をするのか。どのような恨み言を吐くのか。楽しみだ。
俺は両親の顔をはっきりと覚えている。泥と煤にまみれ、そして少しやつれたその顔を、俺はよく見上げていた。傍らには毛布に包まれた生まれたばかりの妹がいて、2つに区切られた形ばかりのバラックには、良く男たちが出入りしていた。俺は現実から目を逸らすように妹を抱えて、スラムと化した難民キャンプをよく歩いて回っていた。父は出稼ぎに出ていて、母は部屋に篭りきりだから心配するような他人はいなかったのだ。
「おい、アーサー!」
後ろからジークが言う。振り向くと、何やらその右手にはお菓子が握られていた。
「どうしたんだよ、それ。チョコなんて久しぶりに見たぜ」
「警備のジジイからくすねてきたんだよ。あのクソ野郎、ジョージの仕送り抜いてやがったんだ」
ジークはそう言いつつ、アーサーに一つ渡す。
「ほら、いつもンところ行こうぜ」
いつものところ。それは孤児院の屋上だった。そしてそこには、
「なにそれ、チョコ?」
リリーは俺の持つチョコの包装を覗き込む。
「お、おい。あんま近寄んなって!」
「何よ。別にいいじゃない」
「アーサーはオクテなんだよ」
ジークがへらへらと笑いながら俺をからかう。
「おくて?どういう意味?」
「いいから!早く食おうぜ」
俺たちはバスケコートになっている屋上の端に腰かける。確かここが定位置だった。そしてふと後ろを振り向くと、ずっと遠くに小さな円盤が浮いているのが見えた。
「……見えるな。天上階」
「あーあ、俺も早くあそこに行きてえなあ」
「アンタは無理よ。馬鹿だから」
「はあ?黙れよ、このブス」
リリーとジークが睨み合うのを横目に、俺は雲がかかって薄っすらと見えるニューヨークの天上階を眺めていた。この孤児院からでも見えるそれは、俺たちにとって憧れだった。居場所も、親も失いここに追いやられた俺たちのささやかな希望だった。
「おーい、アーサー。お前園長先生に呼ばれてるぞー」
と、不意にそう声がした。それは隣の部屋のカイルだった。
「お前またジークとやらかしたのか?」
「今回はなんもしてねえよ」
俺はカイルにそう言いつつ、思った。
(もしかして、俺の身元引受け人が来てたりして)
そして園長室に辿り着く。俺は少しの期待を胸にそのドアを開けた。
「待っていたぞ、アーサー・アレキサンドラ」
そこには、見知らぬ男が立っていた。そして、そこに園長先生はいなかった。彼女は、床に力無く倒れていた。
「………」
「どうした、叫べ。悲鳴を上げろ」
「……アンタがやったのか?」
「まあ、そうだ。厳密に言えば余は誰も殺していないのだがな」
男はそのまま椅子に座る。
「お前も座れ。まだ時間はある」
俺はその時、何故かこの男の命令に従い、向かいの椅子に座っていた。
俺やジークのようなスラム上がりの孤児にも優しく接してくれた園長先生。文字の読み書きを教えてくれたのもあの人だった。でも、なんで俺は冷静なんだろう。どうも釈然としない。何かが違うような……
「気にするな。それよりもお前、なぜ余の部下を殺すことが出来た。あの制限進化とやらをせずに」
「……知らない。誰だよ、お前」
「知る必要は無い。余の問いに答えよ」
「嫌だ。お前は屑の目をしてる。スラムで見た目だ。そんな奴の話なんて聞きたくない!」
「ではなぜここに座る」
「それは……」
男は言い淀む俺を見てどこか嬉しそうにフッと笑った。
「お前は余と同類だ。誰が死のうが、誰を殺そうが心底どうでも良い。そういう捻じ曲がった精神を持っている」
「違う……」
「違わない。だからお前は両親と姉を見殺しにした。あの日、借金取りに家への道を教えたのはお前だろうに」
「違うって言ってるだろ!」
俺は思わず椅子から立ち上がった。気付くと肩で息をしていた。
「俺は、俺は殺してない。親父もお袋も妹も、勝手に死んだんだ!」
「そう、その通り!」
突然男が大きな声で叫んだ。
「勝手に死んだ。自分勝手に、迷惑に死んだのだ。余も殺すたびに思う。『嗚呼、また"死んでいる"』と。やはりお前とは気が合いそうだ」
「お、お前なんかと……」
「なんだ、言ってみろ!」
「………」
「ハハハハハ!言えぬか小僧!そうであろう。そうであろうな!アハハハハ!」
男は心底愉快そうに俺を笑った。そして言った。
「気分が良いから教えてやる。例えば人を殺す。そこには理由が存在する。では具体的にそれは何か。復讐のため。それとも、己の正義を貫くため。特に、数ある理由の中で後者は下の下だ。殺害とは、理性を超越した深淵から漏れ出たどす黒い雫の事だ。正気の沙汰ではない醜い衝動だ。それを理性の内に実行するなど、正気で実行するなど、それは正気では無い。不自然で辻褄の合わない行為だ。つまり、正より負、憎しみや後悔の方が動機としては真っ当だ
という事よ。そして余の快楽はそこにある。およそ予測し得ない不均衡な死の天秤に他者の命を放り出し、まるで地獄の使者にでもなったかのようにその重さを計る。そして哀れなソレに言ってやるのだ。『貴様は死に値する存在である』と。切先、あるいは銃口を突きつけ言ってやるのだ。そして死に際、ソレは後悔する。避け難い死を目前にして、自身の選択を、運命を回顧し後悔する。故に後悔こそが、負の最たる発露なのだ。余はそういった取り返しのつかない瞬間が観たい。負の感情は過去、現在、未来の3方向に向けられている。その内で特に、後悔は過去全てに通ずる感情だ。歳を増すほどに増えてゆく、生きる限りは終わることのない感情だ。これを取り除くには、死ぬしか無い。だが死なない。そこをそっと後押ししてやるのだ。なに、ごく簡単な事だ。現にお前はそれを両親に実行している。実に良い兆候だ。そう、余の肉体に相応しい」
この男は狂っている。
「なに、理解しろとは言わん。余とて気狂いではないのでな」
この男は想像もつかない闇を抱えている。俺は悪霊に取り憑かれてしまったのだ。そうだ、ジークやリリーも巻き込まれてしまう。この男に殺される。
「嫌だ……」
「なんと言った?」
「嫌だ、みんな死んで欲しくない。助けて、誰か助けてよ!」
「フッ、面白い科白をのたまう小僧だ。貴様は誰にも目を向けられずに、この小さな部屋で死んでしまうのだと言うのに!」
「いや、良く生きていてくれた。アレク」
その時、アーサーの肩に誰かが手を置いた。
「……貴様、なぜここにいる」
男の問いに彼は答えた。
「詳しいことは知らん。ジウスドラにでも聞いてみるんだな」
「ジウスドラだと?まさか彼奴が…!」
「この馬鹿め。調子に乗って散々演説ぶってくれたお陰で、時間は充分あったのだ、ベイリン」
彼は驚いて見上げる俺を見下ろすと言った。
「良く頼ってくれた、アレク。2人でベイリンを倒すぞ」
アーノルドは言った。そうだ、あの日孤児院に尋ねてきた人物。俺たちを引き取ってくれたのはアーノルドなのだ。
「旦那、俺は……」
「言うな。気付いていればそれでいい」
俺は椅子から立ち上がると、ベイリンを見据えた。
(俺はこいつを倒す。壁を乗り越える)
「……ベイリン、俺はお前を否定する」
「調子に乗るなよ?クソガキが」




