旧ニューヨーク
ニューヨークは二つある。具体的に言うと、それと認定されている都市が同じ場所に重なっている。つまりは空中都市である。マンハッタン上空1000メートルに浮かぶ『天上階』には、半径5キロの円盤の上に多種多様な商業施設、住宅、企業ビル、そして都市機能の一部が移され、その経済規模は一つの国に匹敵するほどである。逆に『地上階』、通称”旧ニューヨーク”には『天上階』への長大なエレベーターが建設され、そのターミナル周辺では、近未来的な超高層ビルが立ち並び、西暦時代とほぼ同等に栄えているが、この2つのニューヨークが相入れることは決して無い。
その中心部から少し外れて、ラガーディア空港の国内線ターミナルでは、源たちがアーサーの合流を待っていた。
「すまないな、こう何度も1日に長距離移動をして」
アーノルドは言う。
「構いませんよ。それに俺、ニューヨークには一度来てみたかったんだ」
そう答えて源は、窓の外の巨大な円盤を見上げる。その淵からは超高層ビルの先端が僅かに確認できる。
(あれが天上階か……)
源はその様子に素直に感心する。が、
「アレが天上階?案外ちゃちいな」
カナは少しガッカリした様子でそう言い放った。その言葉にアーノルドたちが凍り付く。
「おい、カナ。いくらなんでもそれは……」
(天上階はアメリカ復興の象徴みたいなもんだぞ)
周りの空気を察した源が注意しようとしたとき、不意に後ろから声がした。
「天上階を小せえ呼ばわりだ?誰だよ、今言ったやつ」
「アーサーさん!」
それはMSB所属、アーサー・アレキサンドラであった。アーサーは源を無視して、まずカナを見る。その途端、両者の間に緊張が走る。が、すぐにアーサーが表情を崩した。
「……いや、よく見りゃ美人だな。まあ許す!」
アーサーはそう言って表情を崩すと源を見た。
「久しぶりだな、源」
「はい。アーサーさん」
「………」
それにアーサーは何か言いたげな表情を作ったが、すぐにアーノルドに話しかける。
「旦那、あの子誰です?」
アーサーの質問に、アーノルドは非常に答えにくそうに苦い顔をしたが、やがて観念したように言った。
「ジレイド・ウル・トラグカナイだ……」
「……は?」
途端にアーサーの表情が変わる。先ほどまでの陽気な雰囲気から打って変わって、今は全身から殺気が漏れ出している。
「……旦那、つまりあの女は怪人ってわけですか?それも、トラグカナイが?」
「中身はそうだが、厳密に言うと怪人ではない。コアを持っていないからだ」
「じゃあすぐに殺せるわけだ」
その瞬間、アーサーは懐のアーミーナイフに手をかけた。
「やめとけよ、クソガキ」
そう言ったのはカナだった。
「そんなオモチャで俺を殺せるわけねえだろ」
「殺す」
アーサーの目が血走る。
「よせ、アレク」
それを止めたのはアーノルドであった。アーノルドはアーサーの肩に手を置いて話しかける。
「ここは公共施設だ。民間人を巻き込むつもりか?」
「でも!アイツはあのトラグカナイだ!なんでか分かんねえけど、今目の前にいんだよ!ジークの仇が目の前に!」
「アレク……」
アーノルドは難しい表情をする。そしてカナもまたアーサーに言う。
「そんな奴知らねえよ。誰だ、ジークって」
「てめえ!」
アーノルドの肩を掴む力が強くなる。
「アレク!一度落ち着け。トラグカナイも黙っていろ」
「ふん、めんどくせえ」
カナは腕を組んで近くの柱に寄りかかる。アーサーもまた、震える手でナイフを収めると、カナを睨みつける。
「……旦那、なんでこんなカスが一緒にいんだよ」
「博士の判断だ。ミナモトとトラグカナイを分離させると……」
「チッ、あのクソ博士!」
(納得できねえ。ミナモトの中にいるから、そう思って我慢してきたのに。こんなにアッサリと人間みてえに振舞いやがって。納得できねえ!)
アーサーはギリギリと歯ぎしりをする。が、カナは気にも留めずにアーノルドに話しかける。
「おい、アーノルド。こんなところで時間食ってねえでさっさと連れてけよ、MSB本部」
(誰のせいで……)
「……そうだな。おいカートマン、本部までアレクに付いとけ」
(この状況で一緒にしてはおけん)
アーノルドの意図を理解したカートマンはやれやれとため息をついた。
「はあ……了解。おいアーサー、お前はコッチだ」
そしてカナに殺気を向け続けるアーサーは、カートマンに引きずられていった。それを見届けたアーノルドは、
「こうなるのが嫌だったんだ。これは面倒になるぞ……」
そう呟いた。
MSB、怪獣殲滅大隊の本部ビルは地上階マンハッタンの、軌道エレベーターターミナルの傍にあった。この周辺は今ではそのビル群の半分が天上階へと移転し、その空いたスペースに巨大な半球状のターミナルが建設されていた。その様子を車内から見て源がアーノルドに尋ねる。
「アーノルドさん、なんで昼間なのに天上階の陰がささないんですか?」
「巨大なスクリーンに空の映像を映し出しているからだ。せめてもの配慮という奴だな」
アーノルドはどこか投げやりにそう答えた。源は違和感を感じながらも、やがてMSB本部の正面ゲートをくぐった。その入り口は一見、ただの自動ドアに見えるがその実、違法な武器や人物を検知するとその場で捕縛、殺害まで遂行するセキュリティシステムが搭載されているのだ。これは長崎の南部連合施設で採用されていたものの次世代型で、特に怪人探知に特化している。
「よし、無事に通過できたようだな」
(トラグカナイの精神構造は登録済みになっているな)
アーノルドはカナを見て言った。だが当のカナは別のところを見ていた。
「……おい、これはどういうことだ?」
その視線の先には、受付の上に設置されたMSBのシンボルマークがあった。
「黒円に内接する白い正三角形。これはラケドニア第一帝政の頃の国旗と同じだ。なぜ貴様らがこの国章を使っている」
「それは大隊長の案だから、俺は詳しい理由は知らん。大隊長には今から会うから、その時にでも聞いておけ」
「そうかよ……」
カナは不機嫌そうにそのマークから目を離す。そこに源が話しかける。
「おいカナ、どうしてさっきからそんなに機嫌悪いんだよ」
「あ?」
「空港の時だって、アーサーさんの事わざと挑発してたろ。拳軽く握ってたし」
(こいつ、勘が鋭くなってやがる……)
カナはため息をつくと答える。
「別に。ただ、昔を思い出すだけだ」
「昔……」
源はカナの表情を見ると、それ以上の追及はしなかった。
そして源たちはエレベーターで最上階である80階まで上がる。そこにMSB大隊長の執務室があった。部屋の前でアーノルドは源たちに言う。
「大隊長は少し癖のあるお方だ。何を言われても、あまり真に受けるなよ」
そして扉をノックする。するとスライド式の分厚い扉が開いた。その正面には、小柄な男が執務机に向かって、こちらを見据えていた。准将は言う。
「初めましてこんにちは。私が怪獣殲滅大隊大隊長、カルロス・バレンタイン准将だ」
「衛生環境庁処理科、怪獣特殊処理班所属、源王城です」
「………」
そしてカナは、何も答えずに腕を組んで准将を見ている。それに准将が言う。
「……にらめっこかね、ジレイド・ウル・トラグカナイ。私はもう50半ばなのだが」
「んなわけねえだろ。まずお前、あのマークはなんだ。なんのつもりだ」
「あのマーク?はてさて、なんのことだか」
「決まってんだろ。この怪獣殲滅大隊のエンブレム、あれはラケドニアの国章だ。それも第一帝政時代、黄金期の」
「嫌かね、人間如きに使われるのは」
「当たり前だ。てめえら”生き残り”が使う権利のねえ代物だ」
「ふむ……」
准将は少し考え込む。そして言った。
「嫌だ」
「は?」
「あれで中々気に入っていてな。だからこのまま使わせてもらう」
「てめえ……」
「殺すか?やってみろ。『人並み』のその身体で私の喉を掻き切れるのならな」
「……チッ」
以外にもカナは引き下がった。
「そうだ、それでいい。流石は王家親衛隊のナンバー2、引き際は分かっているらしい。アーノルド、制限進化は控えろ」
「了解です」
アーノルドは首元から手を離す。そう、カナが不審な行動をとった場合、即座に殺害できるよう、アーノルドは制限進化を準備していたのである。
(やりにくい……)
そう思いながらカナはアーノルドから目を離し、准将に目をやる。
「さて、”雑談”はそこそこに君たち二人の処遇について決めねばな」
「処遇って、俺がMSBに一時的に加入する事じゃないんですか?」
「そうだ。だが、今はトラグカナイがいる。別にさっさとぶち殺しても良かったが、あの博士どうも君とトラグカナイに目が無いらしい。よりにもよって保護を申し立ててきた」
「あの博士が……」
「そう、だから適当に決められない。まったく、殺しておきたかった……」
准将は残念そうにする。
「まあ仕方がないことだ。アーノルド、アーサーの様子はどうだ?」
「最悪です。同じ空間にいたら、まず殺し合いになる」
「よろしい。ではトラグカナイもMSBで面倒を見よう」
場に沈黙が訪れる。それは一重に、驚きからくるものだった。やがてアーノルドが困惑気味に尋ねる。
「じゅ、准将。今なんと?」
「だから、MSBの事後処理班にミナモトとセットでトラグカナイも加入させる」
「い、いやいや!だからそれではアーサーと……」
「だからこそだ。今のアーサーに必要なのは喪失からの克服。これは君の言った言葉ではないか」
「もしかして、その穴を埋めるためにトラグカナイを?」
「憎しみは安価で便利な材料だ。喪失感を埋めるパテとしては充分だろう」
「そんな博打のような……」
(それに、アレクの精神がより不安定になる恐れもある)
「だが、これが最善策だ。文句があるのならあの迷惑天才博士に言いたまえ。私はもう言ったぞ」
准将の発言に、アーノルドは何か言おうと口を開いたが、結局一言も言葉は出てこず、とうとう准将の判断を受け入れた。
「……了解しました」
アーノルドは見たこともないほどがっくりとうなだれると、腹を押さえた。この日アーノルドは、人生で初めて胃痛になった。だが、そんな事を知らない2人は、
「おいカナ、もうアーサーさんを煽るのはやめろよ。ジークさんの仇だと思われているんだし」
「知るか。つーかそれをアイツに言えよ。一々殺気向けられるのもメンドくせえ」
「じゃあもっと口調を丁寧にしてくれ。その顔で死ねとか殺すとか言ってほしくない」
「は?キモ。俺は遠野彼方じゃねえんだぞ」
「中身はだろ?ていうかキモいって……」
そんな事を言い合っているので、アーノルドが口を挟む。
「おい、2人とも。そういうのは後にしてくれ……」
(ったく、どいつもこいつも勝手な事しやがって)
その様子を眺める准将は、
(うーむ、ミナモトオウジは想像より凡庸。トラグカナイはまずまずと言ったところか。さて、どう掛け合わせれば使える駒に仕上がるものか)
そこまで考えてふと、准将はニヤリと笑った。
(……大統領や迷惑博士は忠告していたがやはり)
「小型怪獣、これをぶち込むしかあるまいな」
死ねばそこまで。准将はその時、危うい期待を源に託したのだった。
そして次の日から、源のMSB隊員としての新たな生活が始まった。




