選択肢
「……久しぶりだな、源」
そう言う赤本の声は若干掠れていた。みたところ2人は私服だった。
「お久しぶりです」
白石も続いて言う。何処かよそよそしいのは以前の事があったからだろうか。
「2人とも、お久しぶりです。お元気そうで、その……」
源はそう言いかけて口を噤んだ。目の前の二人の様子は、およそ健全な状態であるとは言いにくかったからだ。何よりも、赤本の左目は未だにガーゼの眼帯に覆われていた。それを察したのか赤本は言った。
「別に、俺や白石のことは気にしなくていい」
「でも……」
言いかけた源に赤本は声を荒げた。
「だから!俺も白石も、もう日常生活が送れる程度に回復しているんだよ。そうだろう、白石」
「……はい」
白石も賛同する。源は胸が苦しくなった。今の赤本は、以前の赤本とは別人のようだったからだ。そのギャップと原因を察して源は拳を握りしめた。暫くの沈黙のあと、赤本が話し始めた。
「……源、お前がいない間の出来事は知っているか?」
「いえ、聞いていません」
「一つもか?」
「時間が無かったので……」
それを聞いて赤本は椅子に深く腰掛けた。
「時間ね……まあそれはいい。俺たちが現場から救出されたあと、まず南部連合が降伏した。守備隊と神獣協会両方がだ」
それを聞いて源は驚いた。守備隊勢力はまだしも、アシュキルたちが人間に降伏するとは思っていなかったからだ。赤本は続ける。
「その後、朱雀は浄化されずにコアだけ摘出された。それに戦地の状況収集及び整理もだ。まあ事後処理だ。その結果、臨時法案の可決によって北海道と九州が日本の居住圏として復活した。今は電波灯台の設置が進んでいるな」
「赤本さんたちはどうなったんですか?」
「俺は、その……嫌がったんだが、特殊処理班の班長になった。それと、神田明が特殊処理班に加わった」
「……!神田は南部側だったのでは?」
神田には、然るべき裁判の後、刑事罰が下るものだと思案していたのだった。
「それよりも政府側への功績が大きかったんだよ。奴は怪獣を間接的とはいえ倒しているからな。裁判は免除だ。それに、出羽さんが色々と気を配ってくれた。この忙しい時期に、俺たちがお前に会えたのもあの人のおかげだ」
「そうだったんですか……」
思い返せば、出羽元長官は色々と源たちを気にかけてくれていた。東雲とともに。
「ミナモト」
不意に声を掛けられた。それは後ろに控えていた海兵隊の兵士だった。
「そろそろフライトの時間だ。あと5分で済ませてくれ」
恐らくクリフ中将の伝言だろう。時間を延ばすことは出来そうに無い。それに2人は気付いていた。
「白石、お前からも」
「……そうですね」
赤本は白石を残して席を立った。その際、コートのポケットから紙タバコを取り出していた。
「赤本さん、タバコ吸い始めたんだな」
「そうですね」
2人に沈黙が流れる。
「体の調子とか、どうだ?」
「今のところは良いですよ」
また沈黙が流れる。
「そういえば……」
源は言いかけて止めた。
(俺が彼女に言うべきは、それじゃ無い)
「白石、ごめん」
「………」
「俺、自分勝手な判断で皆に迷惑を掛けた。玄武の時だって、長崎でも……。本当に、申し訳無い」
源は、車いすの上でぎこちなく頭を下げた。それでも少ししか体が曲がらない。とても不恰好な謝罪だった。
「だから……」
源がそう言いかけた時、白石は言った。
「私、怒って無いです」
「え?」
「私も赤本さんも、周ちゃんや皆だって、誰も源君のことを責めたりしてません。それに私、言いたいことは言いましたから」
「………」
「本当ですよ?」
白石はそう言ってどこか遠慮がちに笑った。
「それよりも、私緊張してたんです。久々に源君とこうして喋るから」
周囲の兵士たちの落ち着きがなくなり始めた。白石はそれを横目で見ながら続けた。
「それで、もう時間が無いので、一つだけ」
白石は源の手を取り言った。
「今度こそ、海に行きましょう。その頃には、積もる話もあるでしょうから」
白石は、今度こそ笑った。
「白石……」
「ミナモト、時間だ」
源の声を遮るように、兵士が車いすに手を掛ける。
「ですが、赤本さんが……」
「彼からは伝言を預かっている。さあ、行くぞ」
すぐ側の搭乗口が開く。源は車いすを押されながら白石の方を見た。白石は、ただ小さく手を振っていた。そして、その向こうの赤本は、ただこちらを見ていた。その目は、以前の赤本のものと同じ目をしているように見えた。
搭乗口を過ぎると、窓の向こうにグレーの軍用機が見えた。ちょうど旅客機ほどの大きさと形状のそれは、米軍が運用する次世代中高度輸送機、C-168だった。
機内は一般座席と特別席に分かれていて、源は奥の特別席に案内された。その道中、MSBのワッペンを身につける隊員たちとすれ違った。
「時間ちょうどだな、ミナモト」
案内された部屋には、クリフ中将がいた。
「下がってくれ」
まずクリフは、後ろに控える秘書らしき人物を部屋から追い出した。そして机の天板の一部を押し込み、格納式の小型冷蔵庫からワインを取り出した。
「君も飲むか?」
「いえ、それは……」
「冗談だ」
クリフはにこりともせずにそう言ってきた。どこか赤本と似た感じがする。
「それで、君をここに呼んだのにはもちろん理由がある」
ワインをガラスのコップに注ぎながら、クリフは話始めた。
と、微かに機内が振動し始めた。エンジンが始動したのだろう。
「ミナモト、君は今の状況をどの程度理解している?」
「……正直、良く分かっていないです。周りの事はなんとなく分かりましたが、肝心の俺自身の事が分からない」
源の正直な答えにクリフは頷いた。
「それもそのはずだ。なぜなら君の脳は、一度リセットされているのだから」
「あの、それはどういう……」
「検査の結果わかったことだ。いいかミナモト、君の脳組織は完全に破壊され、そして再生されている」
「は?」
(俺の脳が、完全に破壊?それに再生?)
源は戸惑った。それを察したクリフが言葉を継ぐ。
「……専門家の考察では、君がマザーコアを浄化した後、それで傷ついた脳を、君の体が過程変異の要領で自己治癒をしていたんだろう、ということだ。まあ正確にはトラグカナイが、だということだが。全く、彼女の献身は予想外だった」
クリフはそう言ってグラスをあおった。
源はと言うと、病室でのカナの発言を思い出していた。
『俺はもう少し休む』
「トラグカナイが……」
「ああ、それも1週間付きっきりだ。今は相当お疲れだろうよ」
さらにクリフは続ける。
「正直なところ、私は君が廃人になっている事を覚悟していたんだが。幸いと思うべきなんだろうな」
そう言うクリフはどこか残念そうだった。源はそれを無視して質問する。
「クリフ中将、俺はアメリカで一体何をするのでしょうか?」
「それが本題だ」
クリフはそう言って机の上にホログラム映像を展開させた。そこにはどこかの砂漠が写っていた。見たところ、ホログラムの解像度が日本のものより高い気がする。
「これはネバダ州にあるとある試験訓練場の写真だ」
「ネバダ州……」
「一部の人々の間では、この特定の施設のことをエリア51と呼称する」
「エリア51!あのエリア51ですか?」
「そうだ。世界で最も有名な機密施設。あらゆる陰謀論の源。それがココだ」
「エリア51で一体何を?」
「トレジャーハントさ」
「トレジャーって……」
「遺跡発掘だ。このエリア51には、古代ラケドニア王朝の遺跡群が眠っている」
「……!」
「そこでだ、ミナモト。君にはその遺跡群に立ち寄り、ギルガメシュについて、そして自分について知ってもらう。それが日米共通の方針だ」
「ギルガメシュと、そして自分について……」
「そうだ。確か君は戦闘機パイロットの頃の記録と、例の事故の記録への閲覧権を持っているはずだろう」
源はそう言われて記憶を確かめてみた。すると確かに、出羽前長官から似たような権利を与えられていたのを思い出した。つまり、それを見るのだ。
(俺の、パイロットとしての過去……)
拒否する理由は、無い。
「分かりました」
「よろしい。それと、これは我々の要望だが、君にはMSBの特殊処理班に加入してもらいたい」
「俺が、ですか?」
「君が適任だ。知っての通り、ジーク・フェンリムが殉職して、浄化のできる人材が1人減った。そして浄化担当員の不足は予期せぬ結果を招く。特に熟練した担当員の欠員は、だ。どうだ、何となく察しがついただろう」
確かに、つまり何が言いたいかを源は勘づいていた。そして、それと同時に微かなデジャヴを感じていた。クリフは言う。
「我々は君の詳細なデータが欲しい。できればトラグカナイのものもだ。そして、望むデータが手に入るのは、浄化の時に限られる。そこで君の出番という訳だ」
「俺のデータが取れ、かつ怪獣も浄化できる……」
「あけすけに言ってしまえば、そうだ。引き受けてくれるな、ミナモト」
そして選択肢のない問いだ。だが、この手の質問には慣れている。
「はい」
淀みなく答えた。クリフは少し意外そうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「よし、では残りは本国に着いてから話そう」
クリフはそう言って源を解放した。
機体奥の自分専用の個室に入って源は、初めて窓の外を見た。見上げれば雲が見え、真下にはあり得ない近さに海が見える。この輸送機は上空1000メートルを飛行しているのだ。初めてこの手の飛行機に乗った源はまじまじとその景色を観察していたが、それと同時にある疑問が生まれた。
「……これ、護衛の戦闘機はいないのか?」
そう、窓の外に広がる空には、戦闘機の機影すら見えなかったのだ。源はドアの外に立つ兵士に、その事について尋ねてみた。
「あの、すみません。この輸送機には、護衛機はついていないんですか?」
それを聞いた兵士は、少し言い淀んでから答えた。
「機密ですので詳しいことは言えませんが……確かに護衛の戦闘機隊が二個小隊、両翼に付いています。姿が見えないのは、各機光学塗装が施されているためです」
「光学塗装…!」
(光学迷彩みたいなものだろうか……)
「そんな技術があるんですね……」
「知らなくても当然です。とても貴重な機体なので」
「なるほど……」
「値段も相当だと聞いています。一機でニューヨークの地上階にビルが建つほどだとか」
その兵士はどこか自慢げにそう言った。だが、源はその事実に冷や汗をかいていた。
(光学塗装だなんて、聞いたこともない。一体アメリカの技術力は、どこまで進歩しているんだ…!)
源の感じた一抹の不安は、のちに実体を持ってその姿を現すこととなる。だが、この頃の源に、それを知る術は無かった。
ただ輸送機は、着実に目的地へと飛行していた。
あと1話




