破滅的
「東雲さん……」
そう呟く赤本の声はすでに擦り切れていた。目の前に横たわる東雲からは、一切の生命活動を感じられなかった。その破滅的な静寂に、赤本はなすすべなくその場に両膝をついていた。やがて訪れるであろう現実の波に抗うすべを、赤本は知らなかった。源や白石たちも一言も発することが出来ず、ただゆっくりと現実を消化し始めていた。その時だった。
「誰だ貴様らは!なぜここにいる!」
そう声が響いたかと思うと、通路の入り口に二人の兵士が立っていた。彼らは銃口をこちらに向け、距離を取っている。それは前線から後退してきた南部兵たちだった。兵士たちは相手が返答をしないのを見ると、さらに声を張り上げて言った。
「もう一度言う!貴様らは何者だ!答えなければ射殺するぞ!」
その問いに、神田が答えようとした。が、出来ない。神田はすでに重度の隊律違反により名前と顔が知られている。その存在が知られれば兵士たちは即座に発砲してくるだろう。そして、それを察した出羽が代わりに答えようとしたとき、兵士の一人があることに気付いた。
「……おい、そこのお前。お前の前に横たわっているのは負傷者か」
兵士はそう赤本に尋ねた。それに赤本は、独り言のように答えた。
「……おれが弱かったから死んだんだ」
「なんだと?」
「俺が、東雲さんを殺したんだ……」
「……お前が手にかけたのか」
「見殺しにしたんだ」
「………」
赤本の答えに、なんと尋ねた兵士は銃口を下ろした。それを見たもう一人の兵士はそれを咎めた。
「おい、今岡!」
「すまない、松本。……撃てない」
「何を…!」
「無理だ。アイツを俺に重ねちまった」
「何言ってんだよ!ここはもう戦場だぞ!」
「……なあ松本、あの時俺があの隊員を殺してれば、竹本は」
「黙れ!その話をするんじゃねえ!それを言っちまったら……」
そこで松本は言葉を濁した。そして、
「後悔しちまうだろうが……」
松本はそう言うと銃を下ろした。それを見た出羽が言った。
「……私たちは連合の捕虜だ。大本営の騒動により臨時で解放された。そして我々に争う意思は無い」
(どさくさに紛れて武器を奪うか……)
出羽がそう考えたその時、ごうと突風が通路に吹き込んできた。その突風に細めた目を開けた時、すでに今岡の姿は無かった。ただ、血だまりが出来ている。そして松本はその場にへたり込んでいる。
「な、なんでお前が…!」
松本はそう言いかけて、巨大な嘴で上半身を食いちぎられた。その光景に出羽たちが呆気に取られていると、不意に通路の入り口が塞がった。それは巨大な目だった。人の身長程もあるその目は、驚愕の顔を浮かべる出羽を見、そして源たちを一瞥するとその頭を持ち上げた。
「あの巨大な嘴……まさか!」
源がそう呟いた瞬間、これまた巨大な鉤爪が通路の天井に突き刺さり、バキバキとその天井をはがし始めた。そして露わになった空からは、鱗のような羽毛を纏い、血に汚れた嘴を持った怪獣がこちらを見下ろしていた。
「朱雀……」
源はそう呟くと、自然とその場に立ち上がった。なぜそんなことをしたのか、源自身は分からなかったが、無意識のうちに体が動いていた。そしてカナも呟いた。
「キルケア……」
「待て、源!」
「源!」
源は、出羽達の制止を振り切り歩道に出た。道端には先ほどの兵士の死体が転がっている。
源は言った。
「頭を差し出せ」
朱雀はそれを聞くと、巨大な頭部をもたげ、源の目の前に差し出した。それに源は目を瞑り、片手で触れた。
目を開けると、そこは深層意識だった。だが、様子が少し違う。全体的に霧がかかり、薄暗い。その霧は、コアを破壊するときに出る黒いもやに少し似ていた。その霧の中を歩いていくと、目の前にカナが現れた。そのカナは、源に対して跪いていた。
「お久しぶりでございます」
カナは言った。
「私はキルケア・ウル・トラケスカ。貴方様の元に下りたく、はせ参じました」
「……カナはどこだ。なぜお前がカナの姿をしている」
「トラグカナイでございますか。……あやつは極度の疲弊によりここに現れることができないのです。そして、私がこの姿をしているのは、トラグカナイと同じ理由にございます」
「……記憶を見たのか」
「左様です」
源はそこで黙った。
(こいつ、胡散臭すぎる。根拠は無いが、この男は俺に嘘をついている。それにこの状況。明らかに正常じゃない。今大怪獣の意識に触れ続けるのは危険だ)
「それは見当違いにございます」
キルケアは源の思考を読み、反論した。
「私はただ、私の力で貴方様のお役に立てればと思い……」
「どういうことだ?」
「私をトラグカナイの様に意識の中に取り込んでほしいのです」
「お前を取り込んでどうする」
「無論、私の全霊を以て助力いたします。トラグカナイの魔の手を取り除くため……」
「魔の手?カナがそんなことを……」
「企てていたのです。奴は無礼にも貴方様の深層意識を侵食し、その御身体を乗っ取ろうとしていたのです。そして、それに対抗できるのは私以外ありえません」
「何を根拠に……」
「私は、トラグカナイの同僚でございます。奴を最も良く知るのは私。その弱点も熟知しております」
「だから根拠を提示しろと言っている」
「では私の記憶を……」
「必要ねえな」
その時、後ろから聞きなれた声がした。それはカナの声だった。カナは霧の中から現れると、源の肩に腕を置き、キルケアを見下ろした。
「……トラグカナイ」
「久しぶりだな、キルケア」
「カナ、お前……」
「バカ、こいつの妄言に流されてんじゃねえ。おい、キルケア。そろそろその気色悪い芝居をやめろ。このアホは騙せても俺は騙せねえぞ」
「何のことだか……」
「とぼけんじゃねえ、腹黒」
「……やはりバレるか」
キルケアはゆっくりその場に立ち上がると、大きく伸びをした。
「うーん、そうそう上手くいかないものだな」
「キルケア、お前は……」
「ああ、少し嘘をついた。だがな大君、先ほどの話は本当だ。だから私を取り込んでくれ」
「やめとけ、ミナモト。こいつはとんでもねえ腹黒野郎だ。何をされるか分かったもんじゃねえ」
「酷い言い草だな。口調が入隊前に戻っているぞ?それに、丸くなったなトラグカナイ」
「あ?」
「ふふ、いやなに、恋は偉大だなと」
(こいつ、この期に及んで…!)
「そういうお前は万事休すじゃねえのか?俺の意識に小細工までして、それも速攻で破られてるしよ」
「万事休す?バカを言うなよ。私はただ大君のことを思って……」
「それが嘘なんだよ。お前が大君に忠誠を誓ってるとこなんぞ一度も……」
カナがそう言いかけた瞬間、源がそれを遮った。
「待ってくれ!勝手に話を進めるなよ。俺はまだ何も分かってないんだよ」
(東雲さんも死んでしまったのに……)
「そんなこと知るかよ。それよりも早くコイツを浄化しやがれ。お前、死ぬぞ」
「自分より彼の心配か。健気だね」
「てめえ……」
「カナ、待ってくれ。……俺が話す」
「それはなにより」
源はキルケアを見た。
「……キルケア、俺は疲れてる」
「はい?」
「もう余裕が無い。今日はいろいろなことが起きすぎた。全部を消化しきるには時間がいる」
「………」
「キルケア、俺は疲れたんだ。だから、お前の話がどうとか、正直どうでもいい。そんなことよりも、今は赤本さんやみんなといたい」
「それはつまり……」
「キルケア、お前は悪い奴か?」
「まさか!私はただ……」
「黙ってくれ。カナ、お前はどうだ?」
(こいつ、自分でも何言ってんのか分かってねえな……)
「別に、俺はお前の味方じゃねえ。ただ協力してるだけだ」
「そうか……ならお前が死んでくれ、キルケア」
「何を言うのです!良くお考えを……」
「嫌だ。お前はカナより後に俺の前に現れた。それで十分だ」
(このタイミングで精神のキャパを超えたか……当分続きそうだな、これは)
「……そうですか。では、私も貴方を殺さなくてはいけませんね」
(乗っ取りは中止だ。トラグカナイごと大君を殺す)
キルケアがそう考えた瞬間、霧に包まれた空間は崩壊し始めた。
「待て、浄化しにくい」
「されるものか」
源が目を開けると、目の前には巨大な鉤爪が迫っていた。




