もう一度
「随分派手にやってくれたな、ミナモト。いや、ミナモトモドキよ」
(今度はモドキか……)
「……ここの床は丸ごと転移装置になっているのか?」
「一部がな」
ミナモトは少し考えて言った。
「……逃げるなら今のうちだぞ?」
それにレストアは表情を微塵も変えずに答えた。
「逃げん。すでにお前は我々にとって看過できない『敵』だ。それを前にして、我に殺す以外の選択肢は無い」
(挑発は効かないか……)
レストアは恐らく本気だった。いつもの余裕は無く、自身の思考やエゴを排除した1人の従順な兵士として、目の前に立ちはだかっていた。それは恐らくミナモトの尋常で無い気配を見ての事であったし、そして微かだが確実な疲労から来るものであった。
「どうしてもそこを退かないんだな?」
「2度言わせるな」
それ以上の言葉は不要な隙を生むだけだった。ミナモトは溶液で滑る拳を軽く開いてレストアを見た。
レストアは腕組みを解き、両手を強く握った。
そして2人の拳はすれ違い、衝突した。頭を狙ったミナモトにみぞおちを狙ったレストア。お互いに最短距離かつ最もダメージの入る部位を狙った冷静な一撃だった。そしてその一撃の影響を受けたのはミナモトだった。
「ッ……!」
ミナモトの体がぐらつく。腹部に走る鈍い痛みに体の力が抜けたのだ。さらに、レストア側のダメージは無いに等しかった。それはただ単純に、ミナモトが殴るより速くレストアが拳を繰り出したからに他ならなかった。
レストアはそのままミナモトを蹴り飛ばすと呼びかけた。
「いつまでその間の抜けた演技をするつもりだ」
「何を…!」
「さっさと本気になれと言っている。貴様のくだらん芝居に付き合うほど、我に暇は無い」
「だから何を言ってんだよ!芝居だなんだと意味の分からないことを言うな!」
ミナモトの激昂にレストアは顔を歪めた。
「我では相手にならんと言うことか…!」
「は?」
気づくとミナモトは、顔面を殴られて体が宙に浮いていた。強い衝撃に視界が揺れる。ミナモトはまたもや水槽に突っ込むと、溶液を被った。
(勝てない…!)
ミナモトはそう悟ると、その場から離れ、天井まで跳躍した。それをすぐに発見したレストアが追跡する。
区画内を逃げ回りながらミナモトは考えた。
(このままだとジリ貧だ。このまま外に逃げるか……いや、それだと東雲さんたちが……)
「東雲は死んだ!ついでにアカモトもだ…!もう貴様が戦う理由は無い!」
不意にレストアの声が響いた。その言葉にミナモトは一瞬動きを止める。その隙をレストアは見逃さなかった。
ミナモトは追いついたレストアに後ろから羽交い締めにされ、その場に押さえ付けられた。
「意味もなく逃げ回りおって!」
その声はミナモトには届いていなかった。
(東雲さんが、赤本さんが……死んだ?)
ミナモトの思考はこの一点に支配され、その思考は混乱を極めていた。様々な感情と記憶が錯綜し、まるで走馬灯の様でもあった。すでにレストアに対する敵対心や恐怖心は薄れ、ミナモトの精神は確実に削れつつあった。
その時だった。視界の端、ほんの一瞬の間にミナモトは、あるモノを見つけた。それは球体で、真っ黒な色をしていた。ミナモトの精神は、本能と入れ替わっていた。
(……済まない)
何処かから声が聞こえる。そして目醒めた景色に、源は反応した。源は言った。
「そこを退け、カンニバス」
「な…!」
(この気配は、まさか!)
その言葉にレストアは動揺した。源は、そのまま自分を取り押さえるレストアを突き飛ばし、その水槽へと走り出していた。
「ま、待て…!貴方は……」
すぐに追いかけるレストアは、前方を走る源に動揺していた。
(あれは源王城では無い…!アレは、あの気配は……)
「大君…!」
レストアの足に力が入る。
(あれが本当に大君ならば、あそこに向かわせるのは不味い!彼と戦い、その末に我や殿下が死のうと、最悪どうとでもなる。だが、あそこは、あそこだけは不味いのだ!)
その時初めてレストアに汗が滲む。
(よりによって今このタイミングで完全に成るとは…!)
焦るレストアと裏腹に、源は目的の水槽まで100メートルほどの所まで来ていた。
そして源は立ち止まった。目的を前にして、立ち止まった。それは、自分の前方にあの男が、その場に突如として現れ、立ちはだかっていたからに他ならなかった。
「久しぶりだね、ギルガメシュ」
「アシュキルか……」
源は表情を固くする。
「そんな顔をしないでくれ。幾年振りの再会なんだから、もっと……」
「アシュキル、私は貴様と過去話をするつもりは毛頭無い」
「……分かってるよ。君の目的は後ろのコレだろ?」
アシュキルの後ろには円柱型の巨大な水槽が鎮座している。
「大規模記憶処理構造体、いわゆるマザーコア。君はそれを破壊しにきた」
「そこまで分かっていれば、後の言葉はいらんな」
「僕とレストアを同時に相手をするつもりかな?」
「その必要はない」
(最短距離で、か)
アシュキルは深いため息をつくと源に問いかけた。
「戦う前に答えてくれ。君はなぜまた、私たちに敵対する」
源は迷いなく答えた。
「それが正義だからだ」
アシュキルは嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべて言った。
「君ならそう答えるか……まあいい、君が正義だと言うのなら、僕はそれを否定する。もう一度ね」
「殿下、いつでも」
レストアが構える。だが源は腕をだらりと下ろしたまま構えない。だが隙がない。
そしてアシュキル、レストアが動き出すタイミング。場が動くタイミングで最も冷静だったのは源だった。
(明らかに分が悪い戦い。ならばその戦いを避ければいい。意識外の方法で)
源はまず、その場にしゃがんだ。そして素手で床に触れた。すると、源は一瞬でアシュキルの背後に転移した。
それにアシュキルとレストアは激しく動揺した。
「しまっ…!」
アシュキルが咄嗟に方向を転換する時、すでに源は水槽の強化ガラスをぶち破っていた。水槽内の溶液は強力な酸性を持って源に降り注ぐ。だが問題は無かった。先ほど源が被った溶液で、源の体は保護されていたのだ。そうしてまず一つ目の防衛設備は突破された。
レストアは考えた。
(酸の溶液が効いていないだと?……だが、マザーコアにはタチカワの考案した強力なプログラムが何層にも組み込まれている。あれを突破するのは大君と言えど不可能!)
そして源がマザーコアに触れた時、源に衝撃が走った。
(見たこともない暗号プログラム……人間の仕業か)
少なく見積もってこの暗号を突破するのに1年はかかると源は予想した。そして源にも汗が滲む。
(マザーコアは何としてもこの場で破壊しなければ……)
源は脳をフル回転させて考えた。源の記憶、トラグカナイの記憶、それらを個別に精査し、組み合わせ、検討した。その間は1秒にも満たない刹那の時間。だが、新たな方法は思い浮かばない。
すぐ後ろにはアシュキルが迫っている。アシュキルらしくない余裕のない表情で、源を止めようと走ってきている。
源はマザーコアを握ったままその場から動かない。いや、動けない。マザーコアへの接触は、接触者の行動意志を奪う。第3の防衛設備だった。
(一か八か、プログラムの隙間を突く抜け道を見つけるしか……)
そう源が思った時、不意に声がした。
(……浄化です。浄化によりプログラム全体を破壊すればマザーコアも壊せます)
それはトラグカナイだった。トラグカナイのその助言に、散らかった源の思考は一つに整理された。源は言った。
(ありがとう、トラグカナイ)
(………)
返事は無かった。源は真後ろまで迫るアシュキルにお構いなしに目を閉じた。
すると、目の前にはあの白い空間が広がっていた。源はすぐにマザーコアを探した。コアは真後ろにあった。それを源は迷いなく触れた。
「どうか、耐えてくれ」
そう呟くと源は、マザーコアを握りつぶした。すると、一気に割れ目から真っ黒な霧が吹き出し、この広大な白い空間をみるみるうちに覆い始めた。そして激しい頭痛と共に、源は目を覚ました。すると、手の上には砕けて灰色になったマザーコアの残骸が転がっていた。後ろには、その光景を見たアシュキルとレストアが立ちすくんでいる。
「じ、浄化……」
そう呟くアシュキルは、呆然としていた。源はすぐにその場から離れると、しゃがんで床を触り、転移装置を起動させた。
源が転移した後、レストアはすぐその後を追おうとしたが、それをアシュキルは止めた。
「よせ、レストア」
「しかし……!」
「今はマザーコアの再修復がさきだ。立川主任を呼んでくれ」
「殿下……」
レストアはアシュキルを見た。
(意気消沈しておられる。だがそれ以上に冷静だ。この状況において冷静でいられるのは、やはり王族の血か……)
そう思うとレストアはその場から姿を消した。そしてただ一人、アシュキルだけが残された。アシュキルはマザーコアの残骸を手に取り、それをじっと眺めていた。
「3年……」
アシュキルは呟いた。
(3年時間を稼がれた。破損具合からして、マザーコアの主記憶部、およそ3000ペタバイトが破損している。これを修復するのに3年はかかる。その間に人間たちは、我々に対して効率的かつ効果的な対策をたて実行してくるだろう。その場合、不意を突かず、万全の状態の人類に挑むことになる。それはほぼ不可能だ)
アシュキルは残骸を握りしめた。そして思った。
(助かった!間一髪、あと少しのところで!確かにマザーコアは破壊された。だが、それは不完全な破壊だ。時間はかかるが元に戻せる。僕の計画は、夢は、使命は、エゴはまだ死んでない!)
アシュキルはそう思うと冷や汗をかいた。
「殿下」
不意に後ろから声がした。振り返ると、そこには立川が立っていた。
ふつう




