自己中心的
出羽達を逃がした後、源は胸に空いた直径9ミリの穴から血を溢れさせていた。源は微かに痙攣する手を傷口に当て、止血を図った。だが、無理があった。生暖かい血は源の指の間を零れてますますその勢いを増していた。それを見たアシュキルは言った。
「もっと口径を小さくしても良かったんだけど、それだと逃げられてしまうからね」
と手に持った拳銃を持ち上げて見せた。そしてそれを捨てると源の目の前まで歩いていき、荒く息をする源を見下ろした。
「さて、絶体絶命だけど。どうする?」
そう言うアシュキルは、どこか期待するような、しかし軽蔑するような、そんな目をしていた。それに源は、掠れた声で答えた。
「お、お前。カナは……」
駆け引きや打算は無く、心の底から出た言葉だった。源はこの状況において、自分では無くカナの心配をしていたのだ。その予想外の答えに、アシュキルは用意していた返答を失った。源の思考がアシュキルには一瞬理解できなかったのだ。腹立たしい事に。
だが、アシュキルは努めて冷静に答えた。
「……死んではいない。瀕死の状態だと思うよ」
「そうか……。なら、カナを助けてくれ。俺の事は、好きにしてくれていいから」
アシュキルの顔が引き攣る。
「その理由を……聞いてもいいかな」
「……カナは、カナじゃない。俺の知る遠野彼方じゃない。でも、それでもアイツはカナなんだ。俺は、もうアイツを失いたくない。だから……」
「頼む、か?源王城、君には仲間が居るはずだ。その仲間を顧みることをせず、赤の他人で、それも1ヶ月ほどの仲の、元怪獣を救って欲しい。君はそう言っているんだ。その意味が……」
「分かる、分かるよ。俺は自己中心的で、誠実さのカケラもない最低な奴だ。だから赤本さんたちには、謝る。東雲さんや白石、それに出羽長官たちにも謝る。だからカナを生かしてくれ。どうか、頼む」
アシュキルの怒りは確実に溜まっていた。源のこれまでの発言は、悉くアシュキルの逆鱗に触れていた。
アシュキルは最後に聞いた。
「……一体、どうしてそこまでトラグカナイに固執する」
源は答えた。
「カナが、生きたがってたからだよ。カナはこの世で、まだやり残したことがある」
「君にトラグカナイの何が分かる…!奴がどれだけ同胞を……」
「それでもだ、アシュキル。カナは死なせない」
「……そうか。やはり君は、ギルガメシュじゃない」
「そうだ。俺は源王城だ」
それにアシュキルは答えなかった。ただ黙って横たわる源の首を掴み、持ち上げた。源の体は宙に浮き、首から下の体はすでにぐったりと垂れ下がって、抵抗する余力を残していない。
「醜いな、源王城」
「………」
返事は無かった。
(すでに死にかけか。だが好都合。コアがよく馴染むはずだ)
アシュキルはポケットから種子のような小さな黒い玉を取り出すと、それを源の口に近づけた。
その時源は、白い空間に横たわっていた。
「ここは……」
源は体を起こして周囲を見た。胸の銃創は無く、どうやらここがあの深層意識だということに気がついた。源は立ち上がると呟いた。
「ここに居るってことは、俺はまだ死んでないのか?でも……」
カナの姿がない。どこから出してきたか分からないソファに、不機嫌に座るカナの姿が無い。それに源は不吉な予感を覚えた。そして一歩足を踏み出した瞬間、後ろから声がした。
「ミナモト」
源がその声に振り返ると、そこには自分がいた。正確には、自分と全く同じ姿をした『誰か』がいた。そして彼の体には、一つの銃創があった。胸に空いたどす黒い穴。
「……誰だ?」
「君だ。君自身だ」
その返答に、源は戸惑った。
「俺自身って……それより、アンタここにいたカナを知らないか?」
「知っている」
今度の返答は、源の精神を緩めさせた。源は思わず彼の肩を掴んで尋ねた。
「どこだ、どこにいるんだ!」
「それは言えない。だが、生きている」
(生きてる……)
源は安堵しながら、なおも尋ねた。
「なぜ居場所が言えないんだ」
「本人がそれを望んでいない。だが伝言は預かっている」
「伝言……」
「聞くか?」
「ああ、聞く」
彼は一瞬黙ると、やがて口を開いた。
「……ありがとう」
「え?」
「ありがとう、だ。それが伝言だ」
「カナが、俺に『ありがとう』って?」
「そうだ。ああそれと、もう一つあった様だな」
「もう一つ……」
「聞くか?いや、要らぬ問いだったな」
そして彼は言った。
「死に方も選べねえでなにほざいてやがる。余計なお節介かけるんじゃねえよ、死ねバカ。だそうだ」
「これはまた……カナらしいな」
「ああ、トラグカナイらしい」
彼は少し微笑みながら呟いた。そして源に言った。
「ミナモト、君はこのまま死にたいか?」
源は突然の質問に戸惑いながら答えた。
「そりゃあ、生きられるなら生きたいけど……でも、俺にそんな資格は……」
「あると言ったら?」
「そんなの、一体どうやって……」
「私が力を貸す」
「力って、やっぱりアンタ俺自身なんかじゃ……」
「もう時間がないぞ、ミナモト。アシュキルがコアを飲ませようとしている」
「……分かった。力を貸してくれ」
「もちろんだ」
そう言うと彼は手を差し出した。
「握ってくれ」
源は躊躇いながらも、その手を握った。すると、周囲の景色が急速に変わり始めた。そして彼の姿も掻き消えようとしたとき、彼の声が聞こえた。
「安心しろ。私はアシュキルやレストアよりも、強い」
そして景色は一変し、気づくと源は現実に戻っていた。目の前にはアシュキルがいて、自分はそのアシュキルに首を掴まれて持ち上げられている。源はまずアシュキルの腕をガシリと掴むと、そのままミシミシと握り締めた。
「なっ…!」
アシュキルが驚いて腕の力を緩めた隙に、その拘束を抜けて、アシュキルの鳩尾に強烈な前蹴りを食らわした。するとその体は吹き飛び、後ろの壁に強く衝突した。アシュキルは言葉にならない声を上がると、その場に膝から崩れ落ち、大量の血を吹き出した。恐らく内臓の幾つかが破裂しているのだろう。源はそんなアシュキルをその場に置き捨て、フロア中央に駆け出していた。その行動は、源の意志というより、本能に近い何かだった。その何かは告げていたのだ。黒い球を破壊しろ、と。
その途中、収容房の前を横切った。普通ならば、このまま素通りする。だが、源は立ち止まった。人間の限界を超え、生物の限界に近づくまで研ぎ澄まされた五感でもって源は、ある気配を感じていた。源は収容房の二つの扉の前に立った。片方の扉は開け放たれ、そしてもう片方は未だ閉まったままだった。源は扉に手を掛けると、扉の継ぎ目に手を強引に捻じ込み、そのままこじ開けた。
そして驚きの顔を向ける男に、源は笑いかけて言った。
「久しぶりだな、神田」
「お、おま…!お前、源か?」
簡易ベッドに腰掛けていた神田はその場に立ち上がり、信じられないという声で言った。
「ああ、そうだ。俺だ、源だよ」
「なんでここに……」
「それは俺のセリフだ。なんで収容房なんかに入ってる」
「……怪獣を、俺の独断で殺した」
「怪獣って、お前1人でか?」
「怪人から制御装置を奪ったんだよ。それで明日処刑される所だった」
そう言う神田は、確かに少しやつれている気がする。源はそれらを瞬時に見抜くと言った。
「神田、俺と逃げよう」
だが、その提案に神田は乗り気では無かった。
「俺もそうしたいけど、でもこの階には『殿下』や怪人の兵士たちがたくさんいる。それに上の階にはレストアさんが……」
それを聞いた源は笑って答えた。
「大丈夫だよ。その内のアシュキルはもう倒した。怪人たちだって俺の敵じゃない」
「敵じゃ無いって、お前ただの人間じゃ……」
そこで神田はハッとした。先ほどから感じていた違和感。その正体に気づいた。そして源に尋ねた。
「お前、誰だ?」
その質問の意味がミナモトには分かりかねた。
「誰って、俺は俺だよ」
「そう言うことじゃねえ!」
神田はミナモトから後退りしながら続けた。
「確かに口調や仕草は源だ。だがな、その雰囲気や気配はまるで違う!この状況で、例え自分が優勢だとしても、そこまで冷静なのはおかしい。そう、おかしいんだ。まるで人間以外の何かが、人間を演じているような決定的違和、不気味さがあるんだよ!」
ミナモトは、神田の絶叫にすぐ応えることが出来なかった。
(不気味って、一体何の事なんだよ。俺には一切心当たりが無いし……いや、待てよ。確かに何で俺はここまで違和感が無いんだ?神田との付き合いは長い。その神田が何の根拠もなく俺を糾弾するのか?そもそも、なんで俺は今戸惑う事なく冷静に状況を分析してるんだ?)
そして束の間、ミナモトの思考は帰結した。そして言った。
「……神田、ここを出て左のエレベーターは安全だ。上に行けば出羽長官や俺の仲間がいる。彼らと合流してくれ」
「お前は、お前はどうするんだよ……」
「すべき事をする」
「………」
神田はもうそれ以上は言わなかった。ただ黙ってミナモトの横をすり抜け、エレベーターへと走っていった。
ミナモトは、先ほどの高揚した気持ちは掻き消え、ただただ冷静だった。ミナモトは周囲の気配を探ると、中央区画へと駆け出した。
中央区画には、すでに兵士が集結していた。そしてその銃口は全てミナモトに向いていた。
「源君、大人しく投降しろ。君にキズは付けたくない」
「無理です、立川さん」
「そうか……」
立川主任は、ガッカリしたような表情を見せると、兵士たちに命令した。
「総員、射撃開始」
その瞬間、耳をつんざく轟音と共に兵士たちのアサルトライフルは火を吹き、ミナモトに毎秒数百発の弾の雨を降らせた。だが、ミナモトにはその飛沫すら届かない。ミナモトはおよそ人間とは思えないスピードでフロアを移動し、兵士たちを撹乱した。そして一瞬の隙をつき、一直線に立川へと突っ込んだ。そして、その腹を腕で刺し貫いた。
「終わりです。立川さん」
立川は口から血を吐きながら答えた。
「ああ、俺の役目は終わりだ」
そしてミナモトの腕を引き抜くと、ミナモトの顔面を殴り飛ばした。ミナモトは後ろの水槽に突っ込み、頭から水槽に溜まっていた溶液を被った。
「ッ……!」
「残念だったな、俺は死なない」
「怪人か……」
「そう言う事だ」
立川はそう言い残して、その場からふっと消えた。
源は水槽から立ち上がると、曲がった鼻を強引に直した。そして目の前には、すでに兵士たちの姿は無く、ただ1人。その可憐な容姿に似合わない仁王立ちに鋭い目つき。そして畏敬の念さえ抱かせるほどの風格。ミナモトはその時初めて緊張した。
「レストア……」
ながすぎる




