予定変更
周たちは、光学迷彩を被って最深階を駆けていた。その道中、何人もの兵士や職員、そして怪人とすれ違ったが、そのどれも二人の存在に気づく者はいなかった。
(もう500メートルは走ってる……。エレベーターがあったのは階層の端だったから、もうすぐ中央部分を過ぎてもおかしくない。収容房は一体どこに……)
周は前を走る医務官にそのことを尋ねようとしたが、敵地の中心で無線を使うわけにはいかなかった。
(今私にできることは一刻も早く収容房にたどり着くことだけ。それ以外は極力考えないようにしないと)
周の足に込める力が強くなる。
そして最深層中央区画に差し掛かった時、周は奇妙な物を目にした。その時2人は巨大な実験エリアを横切っていて、林立する機械や奇妙な水槽の間をすり抜けていた。その中で、ひときわ目を引く設備があった。それは装甲車がそのまま収まってしまうような、巨大な円柱形の透明な容器だった。容器の中は透明な液体で満たされていて、その真ん中には、容器に不釣り合いな、直径1メートルほどの赤い半透明の球が浮かんでいた。
(あれは、コア?)
その光景を見て、周の脳内には同じく球体であるコアが浮かんだ。だがその推測はかき消される。
(……いや、あれはコアじゃない。そもそも色が違うし、コアの発する特有の電波が感じられない)
そこで周は思考を止めた。無駄な思考は止めようと誓ったばかりであったからだ。
中央区画からさらに200メートル程走ったころ、遂にその時は訪れた。前を走っていた医務官が突然横の通路に道を変更したのだ。周は若干の警戒心を抱きつつも、医務官のあとを追った。すると、急に目の前の視界が開け、2人はある空間に立っていた。天井の隅には最新式の監視カメラが設置されており、その下には重武装をした兵士が、銃のグリップに手をかけた状態で待機していた。そして、『収容中』と表示されたパネルが横に設置された重厚な扉があった。それも二つ。
周と医務官は言葉を失った。
(まさか、収容房が満室?)
周の知る情報では、特殊処理班の仲間たちは一つの部屋に収容されているはずであった。
(もしかして、その情報は嘘?)
だがその可能性は低かった。
(仮に班長達が数人か、もしくは個人で分けて収容されていたとして、それは余りに効率が悪い。そもそもこんな収容設備は他には少ないはずで、その限られた枠を無駄に埋めることはしない。ならやっぱり班長達は一つの部屋に収容されていて、そしてそれはこの二つの収容房の内にどちらか……)
つまりは二択だった。周は内心悪態をついた。
(クソッ!これじゃあどっちがアタリの部屋か分からない!過程変異で扉をこじ開けようにも、多分あのレベルの扉じゃ、流石に無理がある)
なら一体どうするか。
(どこか比較的安全な場所に引き返すしか……)
その時、周の肩にポンと手が置かれた。考え込む周が顔を上げると、その手は医務官のものだった。正確にはその輪郭だった。医務官はどうやら周に何かを伝えようとしているらしかった。医務官はジェスチャーを使って何事かを説明している。周りには重武装の兵士が9人も立っていたが、それにはお構いなしに、必死に透明な体で説明している。少し時間が経ち、ようやく周は医務官のジェスチャーを理解した。
(……もしかして、手信号?)
それも100年以上前の古いものだった。医務官は、周の生まれを知り、それに合わせた信号を送っていたのだった。その内容はこうだ。
『ヒダリ ヒカリヲミユ シラベルニ ジキハヤシ』
その意味を、周はすぐに理解した。
(……そうか!時期早し、は恐らく収容時期。扉の横のあのパネルには収容月日が表示されている。そして左の扉の収容月日はつい先日だった!つまり、左の扉がアタリということ!)
周は根気強く手信号を続ける医務官を制止し、状況を把握したことを暗に知らせた。それを察した医務官はまず、監視カメラの偽装を試みた。これは案外簡単なことだった。光学迷彩から適量のホログラムを剥がし、カメラのレンズを覆えばいいのだ。ホログラムには元の映像を流しておけばいい。熱探知も妨害できる。
問題は兵士たちだった。彼らは最新の装備に身を包み、半端な攻撃では行動不能にはできない。加えて兵士の中に一人、怪人が混じっていた。周は医務官が監視カメラに工作している間に、周囲の兵士たちの生体情報を、過程変異によって研ぎ澄まされた感覚でチェックした。
(……9人中6人が任務への集中が8割。そして二人が6割で一人が9割。集中力9割は怪人。まずは集中力の散漫な方から落として、全体の集中を削ぐ!)
周はさっと兵士の一人に近づくと、光学迷彩を少しだけ解き、右腕を一瞬露出させた。そしてまた腕をホログラムで覆う刹那、兵士の無線のツマミを回した。すると部屋中に無線の雑音が響き渡った。すぐに反応して銃を持ち直す兵士たちの横を掠めながら、周はそれぞれの無線のコードを切り始めた。
「おい!なにしてんだよ!」
「あ、ああすまん。無線がひとりでに……」
そんな兵士たちの会話をよそに、ほんの数秒で9人の無線は使い物にならなくなった。
(よし!後は流れ作業)
周はまず怪人の兵士の背後に回り、低く屈むと手刀で足の健を切った。
「な!グッ……!」
怪人が驚く間もなく、周は次の兵士へと移った。また数秒、今度は9人分のアキレス健は両断されていた。その場にしゃがみこむ兵士たちは無線を使おうとしたが繋がらない。そこを周は一人ずつ気絶させていった。
「はは、すごいな……」
不意に後ろから声がした。振り返ると、光学迷彩を解いた医務官が呆気にとられたような顔でこちらを見ていた。
「迷彩を解いてもいいのか?」
「ああ、こっちもバッチリだ」
医務官は監視カメラをチラッと見ながら言った。周はそれを見て光学迷彩を解き、手を拭いた。
「すぐに開ける。手伝ってくれ」
「……パスコードは?」
周が左の扉のパネルに触れる直前、医務官の言葉に耳を赤くした。
「少し焦った……」
「分かってるよ。パスコードは俺が知ってる」
俯く周をよそに、医務官はパネルを慣れた手つきで操作し始めた。
「……なんでここのパスを知ってるんだ」
「上司の目を盗んで規則を破った」
「そうか……」
そして、ピーという分かりやすい機械音と共に、扉がゆっくりと開き始めた。
(まずは班長達の救出完了。後は源さんだけ!)
周は拳を握りしめた。そして扉が開き、その中を見た医務官の表情は、周の予想とは異なるものだった。医務官は室内のある人物を見ていた。その目は予想外の出来事に出くわしたかのように大きく開かれ、表情も驚きの顔そのものだった。そして医務官は言った。
「まさか、そんな……」
「おい。どうしたんだ?」
周は医務官の様子に、微かな不安を抱いた。周は医務官に声をかけつつ自分も中を覗いた。
周の目に飛び込んできたのは、ある一人の人物だった。正確には、簡素なベッドに腰かける小太りの中年男性。それも目に冷静かつ大胆な意思を秘めた、周も良く知る人物だった。彼は言った。
「誰かと思えば……君もか、周千尋君」
「出羽、長官…!」
そう。目の前の男は、地球防衛省長官、出羽秀和その人だった。
「な、なぜ貴方がここに……」
「撃たれたのだ、アシュキルに。そしてここに連れてこられた。君は?」
「私も、大方同じ理由で……いや、それよりも出羽長官。東雲班長達は知りませんか?」
「東雲?まさか、彼らも捕虜に?」
「はい……」
それを聞いた出羽は肩を落とした。そして深いため息をついた。
「はあ、それはまずいことになったな……負傷者は?」
「私が撃たれましたが、今はこの通りです」
「では隣の彼は」
出羽は医務官を見据えてそう尋ねた。明らかに警戒している。
「……協力者、です」
「長官殿、俺は……」
医務官が喋ろうとしたとき、それを出羽が制した。
「いい。自分の命を全て賭けるスパイなどいない。それよりも、まずはここから離れるべきだろう」
「それなんですが、東雲班長達の居場所を……」
「無論だ。3人だけではここから脱出するのは不可能だからな。今ここで救出するほか無い」
そう言って出羽は傍に倒れている兵士から装備や衣服を取り始めた。
「もしかして、長官殿も一緒に?」
思わず医務官がそう尋ねた。
「君よりは戦力になる」
出羽は元軍人である。それも30年前だが。出羽は素早く装備を着こむと、ベレッタ拳銃を手に取った。
「ハンドガン……」
「ライフルはかさばる。それに、マガジン一つあれば4人は倒せるだろう」
「………」
「………」
周と医務官はそれ以上何も言わなかった。
「東雲たちの目星は大体ついてる。まずはエレベーターに向かい、一つ上の階に上がるぞ」
「出羽長官、上の階に収容房は……」
「無い。だが、それに似たものはある」
「まさか…!」
それに気付いたのは医務官だった。
「予備弾薬庫……」
「そう。あそこは今、仮の収容室に代わっている。元々私はそこにいたのだ」
(じゃあパネルの収容月日が昨日だったのは、移送直後だったからか……)
周は一人納得した。そして出羽が2人に声をかける。
「準備はいいか?」
周は答える。
「いつでも」
「同じくです」
医務官も光学迷彩を被りながら答える。
「よし、行くぞ」
出羽はゴーグルとマスクで顔を隠すと、エレベーターに向かって歩き始めた。
それと同時に、施設全体にけたたましいサイレンが鳴り響いた。光学迷彩の全体無線は告げる。
『1級対象源王城が逃走!現在収容区画に向かって移動中!対象は過程変異している模様!』
そして、目の前の通路を人影がものすごい速さで掠めていった。
出羽は呟いた。
「……予定変更だ」
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