放っておけない
翌朝、白石は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。スマホを見てみると、時間は朝の4時だった。白石はしばらくベッドに横になった後、じっとりとした汗の不快感に体を起こした。
(久々に思い出したな。あの事)
エリとの出来事を思い出すのは、社会人になってからは初めてだった。それは怪獣特殊処理班という普通とはかけ離れた職場に身を置いていたからだったし、何より思い出したくない封印していた記憶だったからだ。
「はあ……」
白石は洗面台の前でため息を吐いた。気分はどん底に近い。薄暗い洗面所に水の流れる音だけが響く。
(いわゆる黒歴史、なのかな。でも、他の人のソレとはしでかした事の重大さが違う)
高校生という多感な時期、母親の死という精神的なショックを鑑みても、当時の行動は異常だった。
(シェリンさんの言う通りだ。私の本質は利己的で自己中心的。けど、『自分の大切なものの為ならどんな事も躊躇しない』なんてそんな高尚なものじゃなくて、もっとドロっとしたもの。周りの人を傷付けて、ただ構ってもらおうとしていた。大切なものの為、なんてその副産物でしかない。私はどこまで行っても私の為にしか行動していないんだ)
それが、今まで延々と考え続けて出た結論だった。
(だから必要以上の何かをしなかった。"ボロ"がでると思ったから。この性格は班の誰にもバレたくなかった。特に源君には)
だが結局シェリンには気付かれてしまった。
(きっともう限界なんだ。今まで目を背け続けていた自分自身に、向き合う時が来たんだ)
白石は洗面台のフチを両手で強く握る。
「……怖いけど、やらなきゃ」
そして白石は、意を決したように冷水で勢いよく顔を洗った。そしてスーツ姿に着替えると、髪をポニーテールにまとめて玄関の扉に手をかけた。
「よし!」
白石はそう言うと扉を押し開けた。
「あら、早いわね」
と、開けた扉の向こうには、見知った顔がこちらを見下ろしていた。
「シ、シェリンさん!?」
「なにびっくりしてんのよ。ほら、行きましょ」
シェリンは笑顔でそう言うと、白石を置いて先に歩き始めた。
「ちょ、ちょっと!」
白石は慌ててシェリンの後を追う。
「なんでここにいるんですか!シェリンさんたちは指定のホテルで寝泊まりしてるはずじゃ……」
「なんでって、決まってるじゃない。貴方を迎えに来たのよ」
「え、私を?」
2人はエレベーターに乗り込むと、シェリンが一階のボタンを押す。
「昨日色々と言ったでしょ。一晩経って少しは考えがまとまってきたんじゃないかと思って」
「それは……」
白石はあの夢を、いや出来事を思い出す。シェリンは深刻な顔をする白石を見て言った。
「悪夢でも見たって顔ね。詳しい内容は聞かないけど、きっとそれは実際に起きたんでしょう?」
「………」
白石は黙り込む。そこでエレベーターが一階に到着する。扉が開き、シェリンは歩き出しながら言った。
「……私もよく夢に見る」
「え?」
白石は顔を上げる。
「まあまずは朝食を食べましょうよ」
シェリンに言われて2人は寮一階にある職員食堂で朝ご飯を食べる事になった。白石は周囲の目線に思わず囁く。
「あの、すごい目立ってるんですけど……」
「まあね。そういうの気になるタイプ?」
シェリンは慣れた様子で味噌汁を啜る。
「気になりますよ…!」
白石はそう言いつつも、この相手には何を言っても無駄だと思い、諦めてご飯を食べ始めた。しばらくしてシェリンは箸を置いて白石を見た。
「……で、さっきの話の続き」
白石は食べる手を止める。
「長々と話すつもりもないから簡潔に。私ね、養子なの。クリスタルっていうのは、本当の苗字じゃない。だから元の親がいて、それに2歳下の弟もいた。私みたいに綺麗な顔立ちをしてて可愛がってたわ。でも借金があったの。とても返しきれない額のね。だから家を差し押さえられて、7歳の時からスラムに住んでた」
シェリンは続ける。
「でね。私が12歳の時、お母さんが死んじゃったの。突然借金取りがバラックに入ってきて、金目の物なんてないのに中を荒らしてた。それで私、抵抗したから顔を殴られたの。それが私は許せなかった。私の容姿を損ねた責任を取らせたかった。だから借金取りの銃を奪って殺そうとしたの。そして借金取りが咄嗟に撃った弾丸が、私を庇ったお母さんを貫通して私に当たった」
シェリンはそこまで言って誰にも聞こえないくらいの声量で呟いた。
「私がお母さんを殺した……」
そして白石を見て言った。
「これが私の夢の内容。あ、弟は生きてるわよ。あのバカは昔からゴキブリ並みにしぶといの」
それに白石は答える。
「シェリンさんにそんな過去があったなんて、知りませんでした。それに比べたら私の事なんて……」
「それは違うわよ。貴方と私でその程度は違うだろうけど、根本は同じのはず。つまり、自分のエゴが取り返しのつかない失敗を生んだって事」
シェリンは言う。
「だから私は貴方を放っておけない。もしこのまま何もしないでいたら、貴方も私みたいに、大切な人を永遠に失う事になるわよ」
そう言うシェリンの目は、今までにないほど真剣だった。白石はその眼差しに圧倒されつつ答えた。
「じゃあ私は、どうすれば良いんでしょうか。わがままになると言っても、具体的な何かが思いつきません」
「そんなの簡単よ。誰かの為に行動してみるの。例えば、好きな人の為とか」
シェリンはそう言ってウィンクする。その様があまりにも似合っていたので、白石は同性でありながらも思わずドキッとしてしまった。
「まあ、かくいう私もこの答えはつい最近見つけたんだけどね。でもやってみると丸っきり変わるわよ。自分だけじゃなく、誰かの為でもある自分がどれほど心地良いかが分かるはず」
シェリンはそう言って朝ご飯を食べ終えた。
「ごちそうさまでした、っと。朝の和食、悪くないわね」
シェリンはどこかスッキリした様子でそう言った。
(自分だけじゃなく、誰かの為でもある……)
白石はシェリンの言葉を頭の中で反芻していた。
(それが出来たら、どれほど素晴らしいだろうか)
誰かの為、それは源の為という事になるのだろうか。白石はそう考えると耳を赤くする。
「あははっ、貴方が照れてるとこ初めて見たわ」
「ちょっと静かにしててください……」
白石は改めて自分の感情を知り、向き合っていた。
(私は源君が好き。だって源君は私を肯定してくれたから。誠実でなくても、どっちつかずでも良いと言ってくれたから)
源の為、それはラケドニア時代から続く因縁の戦いに深く関わる事を意味していた。
(自分の事は2の次で、源君を出来る限り助ける。それが、私の私自身への向き合い方にもなる)
具体的な方法は決まった。後はやるだけだ。
「……シェリンさん」
「ん?」
「ありがとうございます。貴方のお陰で、何をするべきかが見えてきた気がします」
シェリンはその言葉に一瞬キョトンとすると、微笑んで答えた。
「どういたしまして。貴方、今が一番綺麗よ」
そう言われた白石は、つられて少し笑顔になった。
「あ!おい、シェリン。ここで何してるんだ」
と、そこに赤本が近づいてくる。
「あら、貴方も早いわね」
「話を逸らすなよ。君、昨日の夜も俺の部屋に侵入しようとしてただろうが」
「だってあのホテル貸し切りなんだもん。見知った顔しかなくてつまらないわ」
「わがまま言うなよ……」
赤本は困り顔である。その様子をじっと見ていた白石に、赤本が声をかける。
「で。白石はこんな朝っぱらから朝飯か。シェリンに無理矢理起こされたのか?」
信用無いわね、と声がする。
「ああ、いや。今日はたまたま早起きしただけです」
「そうか。にしても珍しい組み合わせだな」
それにシェリンが答える。
「女子トークよ。ちょっと込み入ったね」
「ふーん。まあそこは追及しないが、ともかくシェリンは食べ終わったのならホテルに帰れよ」
シェリンはそれにいかにも面倒くさそうに答える。
「あー、はいはい。愛してるわよ」
「な…!そ、そういう事は人のいる場所では言うなって!」
赤本は恥ずかしそうにそう言ってその場を離れる。そして何か思い出したように振り向く。
「ああ、そうだ2人とも。正午の定例会議なんだが、少し時間を遅らせるらしいからよろしく頼む。詳しくはメールが来るはずだ」
「了解です」
「オーケー」
そして赤本は食券を買いに行った。その背中を眺めながら白石は言う。
「シェリンさん、私もさっきみたいに源君と話せるようになれますかね」
「なれるわよ。だって貴方賢いし、何より美人じゃない」
「シェリンさんにそう言われると嬉しいですね」
白石はそう言って笑った。
そして夕方、大会議室には異様な雰囲気が漂っていた。
「それ以上ふざけた事言うようなら、殴り殺すわよ」
シェリンはドスの効いた声で誰かに向かってそう言うのだった。




