強くいて
午前6時の上海には朝霧と共に静寂が立ち込めていた。明かりの無いビルの窓には日の出の光が反射してキラキラと輝いている。そんな街並みを抜けて、オスプレイの待つ空き地へと最初に帰ってきたのは赤本とシェリンだった。シェリンはオスプレイの側を固める隊員たちに手を振った。それにカストロが手を振り返す。そして黒いフェイスガードを上げた。カストロはどこか安堵したような笑顔をしていた。
「隊長!遅いお帰りで」
「ちょっと浄化に手こずっちゃった。はーあ、こんなに疲れたのは久しぶりね」
シェリンは伸びをしながらチラッと赤本の方を見る。
「……なんだよ」
赤本はマスクを外しながら怪訝な顔をする。そんな赤本を見てシェリンは思わず吹き出した。
「……っぷ!ふふ。あはははは!」
シェリンは腹を抱えて笑う。
「人の顔を見て笑うなよな……」
赤本はいまいち状況が掴めずにぶっきらぼうにそう言った。シェリンは赤本の肩に手を置くと、涙を拭って答える。
「ふふっ、ごめんなさい。貴方の顔が変だから笑ったんじゃないの。ただ、ちょっとだけ安心したっていうか……」
「安心?」
赤本の問いに、シェリンは赤本の横に立つとその顔を覗き込むように少し首を傾げる。
「貴方が隣にいたから。それが嬉しくってつい、ね?」
「………」
赤本は思わず顔を背ける。それは決してシェリンの上目遣いが可愛かったからとか、思わずにやけてしまいそうになるのを隠したかったからでは無かった。
「で、俺たちはどんな顔でここにいればいいんでしようかね」
不意にカストロが言う。
「諸事情により、指示をくれないとここから離れられないんですが」
「あら。私は別に構わないんだけど」
シェリンがそんなことを言うのでカストロは情けない声を出す。
「勘弁してくださいよぉ……」
「冗談よ。周辺の見回りをお願い」
「よし来た!」
カストロは隊員たちの背中を叩いて先を急がす。そしてカストロもまたフェイスガードを下ろして歩き出した。
「カストロ!」
その背中をシェリンが呼び止める。シェリンは言った。
「お仕事御苦労。良くやったわ」
それを聞いてカストロはフッと笑う。そしてフェイスガードを下ろして歩き出した。
『……了解』
シェリンはその後ろ姿を見ながらはぁとため息を吐く。
「全く、素直じゃないんだから」
それから少し間を空けて赤本が言った。
「……俺も、安心した」
「え?」
シェリンが赤本の方に振り向く。赤本は耳を赤くしながら続けた。
「君がいて、安心してるよ。その、さっきもとても可愛かった」
シェリンは少し驚いた顔をすると、何も言わずに前を見る。そして呟いた。
「……素直すぎよ、バカ」
赤本たちの後に帰還したのは特戦群の面々だった。どの隊員も装備はボロボロになり、マスク越しでも分かるほど疲弊しきった顔をしていた。ただ、1人を除いては。
「特殊作戦群150名、ただいま到着しました」
出雲は疲労を感じさせない立ち居振る舞いで出羽に敬礼した。出羽は包帯の巻かれた出雲の左肩を見て表情を曇らせる。肩から先には肩の一部が出っ張っているのみで、腕と呼べる部位は残っていなかった。
「出羽さん」
出雲はそう出羽に語りかける。
「出雲、お前は……」
「作戦は完遂されました。1人の欠けもなく。奇跡や偶然ではなく、ただ粛々とやるべき事をやりました」
出雲はその精悍な眼差しで出羽に訴えかけていた。
(今度こそ)
「我々の完全勝利です」
出羽はその言葉についに張り詰めていた表情を崩した。
(この男はつくづく……)
そして出羽もまた敬礼した。そうしなければいけないと分かっていた。
「よく戦ってくれた。君たちは、間違いなく英雄だ」
そう言うと出羽は出雲に右手を差し出した。
「特戦群郡長の名に恥じない男になったな」
「まだまだです。伊地知隊長にはとても……」
「なに。伊地知もあの世で満足しているだろう。知っているか?奴は部下の話になると、時たま嬉しそうに笑うんだ。"あいつはきっと俺を超えます"ってな」
「出羽さん……」
出雲は感極まって出羽の手を握りしめる。そしてそのまま深々と頭を下げた。
「ありがとうございましたッ!」
そう言う出雲の足元にはポタポタと涙が落ちていた。出雲は歯を食いしばっていた。
(ここまで来たのに、俺は……俺はッ!)
出雲は心の底からそう思っていた。
(第一線から退かねばならない悔しさは、よく分かる)
出羽はあえて何も声をかけずに、整列したままの隊員たちを見て言った。
「本時刻を以て、作戦を終了とする。総員解散!」
出羽の命令に、隊員たちはなんと一瞬躊躇った。命令に厳格であるはずの特戦群の隊員たちは前線を退かざるをえない隊長の涙を見て、足が止まった。だが、彼らは精鋭の軍人だった。さっと隊員たちのはけた足元には、無数の靴跡とともに、まばらに染みが出来ていた。
最後に帰ってきたのは源とトラグカナイだった。
「あれは……源か!」
赤本は遠目に2人を見つけて顔を明るくする。が、すぐに赤本はある異変に気づいた。
「……どうしたんだ?あの2人」
トラグカナイは源に肩を貸していた。そして当の源は包帯の巻かれた脇腹を抑えている。何より2人は張り詰めた顔をしていた。作戦の成功、人類の勝利という結果に対し、あまりにも無反応だった。それよりももっと大事な何かがあるように。
「源君!」
負傷者の看護にあたっていた白石は、2人を見るや否や駆け寄る。
「トラグカナイさん、源君は?」
「………」
トラグカナイは答えない。その代わりに源は笑顔を作って答える。
「少し油断した。心配ないよ」
「もう!そんなこと言って。2人とも無線が繋がらないのに帰ってこないから、みんな心配してたんだから」
「ははは、ごめんごめん」
源はそう言うとトラグカナイから肩を下ろし、救護班の隊員に連れられて行った。それを見送った白石は黙ったままのトラグカナイを見た。
「あの、トラグカナイさん。どうかしたんですか?」
見たところ目立った外傷は無いようだが、具合が悪いのだろうか。
「……私に話しかけるな」
「え?」
なんとトラグカナイはそれだけ言ってオスプレイの方へと歩き始めた。
「話しかけるなって……」
白石はトラグカナイの変わりように驚きを隠せずにいた。そして思った。
(あの人、怒ってた……じゃあ誰に?)
だが白石はトラグカナイの背中を見つめるしか出来なかった。
その頃、どこかの国のとある廃墟の中にレストアはいた。
「よもや、このような場所を指定してくるとは……」
レストアは呟く。正面に対峙する相手に向かって。
「アシュキルはどこです。兄上」
アンバーは拳銃をレストアに向けて尋ねる。
「殿下は"墓"へと戻られた。最後の闘いのためにな」
「私はアシュキルをここへ呼んだのです。……まさか、奴が兄上をここへ?」
「我の意思で来たのだ。これは我がすべき事だ」
アンバーはレストアを睨む。
「それはおかしい!私は奴との決闘を望んだのです!王族に伝わる最終決定手段を、奴は拒否できないはずだ!」
「アンバー、そこまでにしておけ。時代は変わったのだ」
「ッ……!やはりおかしい!兄上、貴方は一体どうしてしまったのか!なぜ、なぜそれ程までに殺気がないのですか……」
アンバーはそう言いながら、当惑した様子で表情を緩める。戦意を削がれてゆっくりと銃が下を向いた。レストアは落ち着いた声で言った。
「アンバー、我は殺しあうのではなく話をしようと思ってきたのだ。……思えば我は、こうして貴様と2人きりで話したことは無かった」
レストアは言う。以前のレストアでは考えられない発言だった。
「兄上、何があったのです」
レストアは装甲で覆われた顔で少し俯く。
「……ユガルが死んだ」
「まさか!あり得ない!」
「コアを内側から爆破されたのだ。タチカワの仕業だろう」
レストアはそう言って続ける。
「アンバーよ。我は今になって気付いたのだ。我は、我の思うよりもずっと、弱い」
その言葉にアンバーは驚愕していた。
(あの兄上が、自分を弱いと……)
「だから、見て見ぬ振りをしていたのだ。我の手を下した後、その亡骸に縋り泣く存在を」
レストアは自分の大きな両の手を見る。そして固く握り締めた。
「後悔しているのだ。今更のように殺した相手の顔が思い浮かぶ。脳裏から消えない」
そしてレストアは言った。
「……実はもう一月ほど、剣が握れていない」
「………」
アンバーは声を失う。
「握ろうとするたび、その手が止まるのだ」
レストアはアンバーを見た。アンバーは痛ましい病の様子を見るかのようにレストアを見つめていた。
(……駄目だ。やはりこのような考えをアンバーに露呈する訳にはいかん。あろうことか我がこのような頼み事を弟にするなどあってはならない)
それでも、レストアはその言葉を言おうと口を開く。だが出てくるのは微かな呼気だけだった。
レストアは沈黙した。それからアンバーは一言、こう言った。
「……兄上、貴方は私を殺しにきたのですよね?」
「………」
レストアは答えない。
「兄上!答えてください!」
(頼む。私の命などで迷わないでくれ。私は今日死ぬつもりなのだ。これは私の我儘。叶わぬ願いを空費しているだけだ)
だから、貴方だけは強くいて欲しい。
「アンバー……我は貴様を、殺さない」
それを聞いた途端、アンバーはその場に両膝をつく。
「本気、なのですね……」
「もう充分だ、アンバー。貴様はもう休め。貴様の母君のことは知っている。母君の死に殿下は関与していない」
「今更、そんなことを信じろと言うのですか?」
アンバーは目に涙を溜める。
「貴様には死なないでほしいのだ。我と違って、貴様にはまだ……」
「もう、何も残ってはいません。家族も、忠義も、誇りも。全て捨ててここにいるのです」
アンバーはゆっくりと銃を持ち上げる。レストアは拳を握った。経験したことのない複雑な感情に困惑する。そしてただ一つだけ思った。
(そうか。我はずっと死にたかったのか……)
アンバーは銃をレストアに向ける。そしてそのまま自分のこめかみに銃口を当てた。
「……何をするつもりだ、アンバー」
「兄上、最後に提言申し上げます」
「アンバー!!」
レストアの怒声も届かず、アンバーは引き金に指をかけて言った。
「貴方がどう思われようと、貴方は強い。誰よりも。最後まで、どうか戦ってくださいませ。兄上は、私の誇りです」
「アン……」
その瞬間、廃墟となったビルに1発の銃声がこだました。
アンバーはどさりとうつ伏せに倒れる。そして2度と目を覚ますことは無かった。




