頼れる仲間
意識を失っていた赤本は、股間の鈍い痛みに目が覚めた。視界には高級そうな間接照明がついた天井が写っている。そしてどうやら、ベッドに寝かされているようだった。
(ここはどこだ……)
赤本は過去最悪の目覚めを経験して、ゆっくりと体を起こした。すると寝室の扉がガチャリと開いた。
「わわっ!」
そして入ってきた女性はそう言って、持っていたトレイを落としかけた。
「も、もう起きたんですか!?」
赤本は自分をまじまじと見つめる女性に心当たりがあった。
「……貴方は、シュウ・ミンジュ博士ですね?」
それにシュウ博士は表情を明るくする。
「はい!お久しぶりです、赤本隊員」
その言葉に赤本は驚く。
「俺の事を覚えていて下さっていたんですか?」
シュウ博士とは、東京湾の人工島で同じ場に居合わせた程度の仲のはずだった。
「もちろんです!お父さんから話を聞きました。とってもお強いんですよね」
(お父さん…?)
「俺が強いだなんて、そんなことはありませんよ。それで、シュウ博士はどうしてここに?」
それにシュウ博士は少し躊躇する素振りを見せた。赤本はそれを見逃さなかった。
(質問が悪かったか。彼女がここにいるという事は、何か重要な案件が絡んでいるのは明白。そして彼女は敵だ)
シュウ博士は言った。
「その前に、赤本さんはこの階の護衛をされているんですよね。でしたら他の皆さんがどこにいるか教えて頂きたいのですが」
「……!」
赤本は自分が殺した護衛の兵士たちを思い浮かべる。そして押し寄せる猛烈な吐き気に思わず口を押さえた。
「うっ…!」
「だ、大丈夫ですか!?」
シュウ博士は赤本に駆け寄ると、自分の上着を脱いで赤本のひざの上に広げた。赤本は耐え切れずにその上に嘔吐した。その間、シュウ博士は赤本の背中をさすっていた。
「うっ!すみません、博士の服を汚してしまって……」
「気にしないでください。ほら、深呼吸して。それから水で口をゆすいでください」
シュウ博士はそう言って赤本にコップで水を飲ませた。さらに汚れた上着をよけて赤本の手も拭いた。赤本は思わず言った。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
それに、シュウ博士は場に似つかわしくない笑顔で答えた。
「仲間ですから!それに私は守られてばかりだから、こういう時しかその恩返しができないんですよ」
その答えに赤本は思った。
(ああ、なんて真っすぐなんだろう。俺を笑顔で仲間と言うなんて)
血なまぐさい所から最も遠い人生を歩んできたのだろう。
(良くも悪くも、善人なんだ)
赤本はシュウ博士からタオルを受け取る。
「自分で拭けます。おかげ様で落ち着いてきたので」
「それはよかったです」
シュウ博士はホッとしたように笑う。
(そして俺は、そんな彼女をだまし続ける)
「……シュウ博士は、今までここに隠れておられたんですよね?」
「そうです。護衛の方にここにいろと」
「話は聞いています。それで、俺がここにいるわけは……」
だからせめて、俺もできる限りの善人でいたいと思う。彼女を守りたいと思う。
「貴方を逃がすためです」
その頃、シェリンは春麗タワーの最上階に到着していた。服の下に着こんでいた特製の密着型スーツのおかげで致命傷は無いものの、道中150人分の無数の切り傷が体中にできていた。シェリンは頬についた血を拭うと非常階段の扉を開けた。すると目の前には、フロアを丸々くり抜いた無人の巨大なホールが現れた。そして中央に設けられた舞台の上で、スーツを着た肥え太った男が椅子に座りこちらを見ていた。
「……10年ぶりね、叔父様。いや、ワンCEO」
「9年ぶりだよ。施設で会っただろう?」
ワンはそう言ってシェリンを見下ろす。その柔らかい言動にはあからさまな侮蔑が含まれていた。
「フフフ、9年もあって何一つ変わらないのね。驚きだわ」
「全くだ。枯れ木のように痩せっぽちだった子供が、今では誰もが羨む美女だ。君の両親も空の上で驚いているだろうね。」
ワンがそう口にした途端、空気が張り詰める。
「……それを言うか」
「事実だろう。で、何の用だ。私の部下が150人ほど殺されているのだが」
「アンタを殺しにきたのよ」
ワンはそれを聞いて声をあげて笑った。
「ハッハッハッハッ!それは困る。折角三友とユーロの連中が死んだと言うのに」
「……やっぱりアンタの目的は世界経済を掌握することね。だからこの機会を逃さず神獣協会に手を貸した」
「惜しいな。正しくは世界全体の掌握。そのために神獣協会を利用した」
ワンはそう言ってつづける。
「分からないのか?この野望が。世界を統べる、これは全ての男の本願!この私も例外ではない。いや、人よりも強く願い、実行した!これはその当然の結果だ」
「分かるわけないでしょ。馬鹿なんじゃないの?誰もいない世界で頂点に立っても、なんの意味もないわ。幼稚で無能な考え方ね」
「兄もそう言っていたな。血のつながりはなくとも、やはり親子か」
ワンはそう言ってフッと笑う。
「そういう輩は、扱いやすいから嫌いじゃない」
ワンがそう言った途端、シェリンの目の前の床が変形して銃のようなものが現れた。
「しまっ…!」
シェリンは咄嗟に腕で前を覆う。が、真後ろの壁から展開した鋼鉄のロープが瞬時にシェリンに巻き付いた。シェリンはその場によろめく。
「殺しはしない。まだな」
シェリンはワンを睨む。
「私をどうする気」
「さて、どうするかな。赤本だったか、お前の意中の相手は。あの男にくれてもいいが……」
(まさか、アカモトの居場所が!)
シェリンは焦った。が、ワンは手に持つ端末を見ていやらしく笑った。
「ほお、これはなんと。別の女と一緒にいるじゃないか」
「……え?」
「『貴方を逃がすためです』か。ふむ、これはどういうことか……」
ワンはわざとらしく考え込む。シェリンは何も言わずに下を向いた。
(ククク、相当こたえている。やはり愉快だな、人の心を弄ぶのは。こればかりは止められん悪癖だ)
「……そうだ!クリスタル、お前を殺さずに済む方法を考えてやったぞ」
ワンはそう言ってシェリンに語りかける。
「覚えているだろう。お前に異様に執着して婚約を迫っていた男を。確か名前をグロワと……」
その瞬間、シェリンが叫ぶ。
「やめて!その名前を言わないで!」
シェリンの胸の奥に不快感が湧き上がる。まるで無数の虫が体中を蠢いているかのような気持ちの悪い感覚が。
「だがなぁ、お前の恋人候補は他の女を見つけてしまった。このままでは行き遅れてしまうぞ?」
シェリンはそれを聞いて思った。
(なんて卑怯な男なんだ!私が動けないと分かった途端に、安全な所からネチネチと嫌がらせのような言葉を浴びせてくる!)
シェリンは歯をギリッと噛み締める。
(負けちゃダメだ!もう昔の私じゃない。頼れる仲間がいる。赤本だって……とにかく昔のようにはいかない。この男の弱みも分かる)
シェリンは顔を上げると、挑発するようにニヤリと笑って言った。
「構わないわ。アンタに心配されるほど男には困ってないから。それより自分の心配でもしたら?そんな醜悪な見た目じゃ、人間どころか豚のメスにも取り合ってもらえないわよ」
「ほう、まだそんなことを宣う余裕があったとは……」
ワンがそう言いかけた時、シェリンはさらに畳み掛けた。
「人の言葉を喋らないでくれる?聞くに耐えないから。そんなふざけた容姿に声で、よく世界を統べるなんて言えたものね。ジョークなら笑えないこともないけど」
ワンはそれを聞いて明らかに不機嫌になる。
「言わせておけば……調子に乗るなよ?クソ女が」
(それでいい。どんどん化けの皮が剥がれていく。巧妙に取り繕っていた本当の姿が見えてくる)
シェリンは最後に言った。
「アンタは世界の上に立つ器じゃない。卑怯で粗野で狡猾なクソ野郎よ」
「黙れ!」
ワンは椅子の肘掛けを叩くと、ゆっくり立ち上がった。
「もういい。そんなに言うのならさっさと殺してやる」
ワンはのそのそとシェリンの元まで歩いていくと、息を切らしながら手元の端末を操作する。
「このボタンを押せば、はぁ、防衛プログラムが全て、はぁ、作動する」
「あっそ。さっさと押したら?」
「このッ…!」
ワンはシェリンの顔を平手打ちする。だが、シェリンは不適な笑みを浮かべ続けている。
(なぜそんな顔ができる!正真正銘、今から死ぬんだぞ!)
お前が来るであろうことは知っていた。だからあえて護衛の数を調整した。自分の近くに固め、地下を薄くした。アシュキルにバレない程度に。
「作戦を完遂できぬまま死ぬんだぞ!それでいいのか!?」
「ええ。アカモトが助けてくれるもの」
その瞬間、非常扉が吹き飛んだ。
5分前、赤本は出発の準備を整えつつあった。
「それで東雲さんが言ったんです、きっとなれるって」
「そうなんですね……」
シュウ博士は涙を拭う。その様子に赤本はやれやれという風に言った。
「こんな話、ほんとに聞きたいんですか?」
「もちろんです!」
シュウ博士はそう言って俯いた。
「その、赤本さんがどんな人なのかもっと知りたいから……」
シュウ博士はもじもじとしている。赤本はその様子にある予測が浮かんでいた。
(まさか。いや、まさかな……)
その時だった。激しい音とともに玄関のドアが開いた。そしてドカドカと足音が響く。咄嗟に赤本は腰の拳銃を抜いて構えた。
「シュウ博士!」
兵士がそう言って寝室に入ってくる。そして赤本を見てライフルを構えた。
「誰だ」
「ま、待ってください!赤本さんは味方ですよ!ほら、赤本さんからも……」
が、赤本は何も答えない。
「赤本さん?」
「………」
「シュウ博士、離れてください!この男は敵です!」
「そんな、嘘……」
シュウ博士はその場にへたり込む。
(ごめん。本当に)
赤本は拳銃を構えた。
『いいかい。敵が来たら迷わず撃つんだよ』
シュウ博士の脳内には、父親から言われた言葉がフラッシュバックしていた。
「迷わず、撃つ……」
(お父さんの言うことは、絶対)
シュウ博士はゆっくりと立ち上がると、懐から小型拳銃を取り出した。そして赤本に向ける。だが、引き金が重い。
「……やだよ。赤本さんを、撃ちたくない」
撃ちなさい。迷わず撃ちなさい。
「シュウ博士?」
兵士がシュウ博士の異変に気付く。
(私が決めなきゃ。お父さんにばっかり頼ってちゃだめなんだ。だから……)
チッ、面倒臭い女だ。
(私はお父さんの言いなりには……)
その時、シュウ博士の脳内にある記憶が蘇る。
『お前は、お父さんの分も生きるんだよ』
(私は、私のお父さんは……5年前に事故で死んだんだ)
そう考えた途端、今まで忘れていた記憶が溢れだしてくる。父の手の温もりも、母の優しい声も思い出す。なんで今まで忘れていたんだろう。
(2人とも、死んだ)
「は、はは……」
シュウ博士は改めて銃を赤本に構える。
(もう、どうなってもいいや)
そしてシュウ博士は引き金を引いた。後ろから鳴ったターンという音とともに、赤本は反射的に避ける。そして放たれた弾は、射線にいた兵士の体を貫いた。
「な、んで……」
兵士はよろめく。そしてライフルの引き金を引いた。どこでもない方向へと。
「……え?」
シュウ博士は、胸に空いた弾痕に触れた。血が吹き出して、視界が暗くなる。そのままシュウ博士はベッドの上に倒れた。シーツに真っ赤な染みが広がる。
「博士!シュウ博士!」
赤本は必死の呼びかけに、シュウ博士はなんとか赤本の手を握った。
(優しいなあ。心配してくれるなんて。私は、こんなに良い人を撃ったんだ。そして、あの人を殺したんだ。これは、その報いなんだ)
シュウ博士は、涙を滲ませた。そして赤本を見て微かな声で言った。
「ごめんなさい……」
そして、静かに目を閉じた。永遠に。
「……また、俺はッ!」
赤本はそう呟くと、部屋を飛び出した。




