余計な事
輸送機の窓からは夕焼けに照らされる、工業排煙を吐き出す富士山が見えた。その奥には農業プラントの白い円柱形の建物が見える。そしてそれらの周りには、肩から手を生やし生物らしからぬ牙を生やし、禍々しく周囲を威圧する怪獣が闊歩していた。おそらくその足跡と思われる歪な黒い足跡は、近くの黒煙をあげる住宅地から伸びている。
(今見えるだけで10数体はいる)
「まだこんなに残ってるのか……」
赤本は呟く。それに、隣に座るシェリンが窓も見ずに答える。
「日本に限って言えば進攻当初から3割は撃破したわ。その代わり人的損失は民間人45万人、自衛隊員6000人。そして防衛戦隊55人」
「シェリン……」
「ホント、やってらんないわよね。この仕事、すぐに仲間が死んじゃうんだから」
シェリンはどことなく床を見つめながらそう言った。
『すぐに仲間が死んじゃうんだから』
すぐに、一瞬で死んでしまう。何年と一緒にいた相手でも、どれほど大事に思っていても死んでしまう。それは、赤本も良く知っていた。
「……そうだな」
そう言って赤本は続けた。
「でも、だからこそ今ここにいる仲間を大事にしたい。そうだろ?」
赤本の言葉に、シェリンはどこかほっとしたような表情で答えた。
「ええ、そうね。その通り。良いこと言うじゃない」
上海上空には雲一つなく、星々の散りばめられた真っ黒な夜空が延々と広がっていた。そして眼下に広がる大都市、上海の誇る夜景は見る影もなかった。枯れ木のように立ち尽くす高層ビルの間、歩道を照らすオレンジ色の街灯だけが細々と網目状に伸びていた。
「停電してるのか……」
「好都合ね。目立たなくて済むわ」
その時、機内に操縦手のアナウンスが響いた。
『着陸ポイント上空。降下する』
輸送機はその場でホバリングしながらゆっくりと降下していく。真下には埋め立て建設地があり、周囲は無人である。出雲は無線を繋ぐと武装の確認をしながら言った。
『着陸準備だ。本隊はショットライフルの弾薬をもう一度確認しておけ。緑が散弾、赤がスラグ弾だ』
そして赤本たちも持ち物を確認する。マンションを経由するため、戦闘服ではなく私服である。赤本はリュックを覗き込む。中には拳銃と予備の弾、折り畳み式の術刀と白い特殊処理班の制服が入っていた。
「……よし。問題ないな」
そして鈍い振動とともに、輸送機は埋立地に着陸した。すぐに輸送ハッチが開き、上海の海風が流れ込んでくる。隊員たちは立ち上がるとシェリンを見た。シェリンは簡潔にこう言った。
「幸運を祈るわ」
そして、
『総員、時計合わせ』
出雲は腕時計から目線を上げると、全員を見回して言った。
『作戦開始』
その瞬間、特殊作戦群の隊員たちは迅速に展開して埋立地を横断し、夜の闇に消えて行った。
「私たちも行きましょうか」
ジーンズにTシャツ、スカジャンを着たシェリンはキャップを被るとそう言って輸送機から降りた。そして源とカナも降りようとした時、輸送機に残る白石が呼び止めた。
「源君!」
源が振り返ると、白石は源を見据えて言った。
「絶対に帰ってきてね。トラグカナイさんも」
「ああ。絶対2人で帰ってくるよ」
そして源たちもまた、埋立地に降りた。
「何か言わなくてよかったのか?カナ」
「別に。わざわざ言うまでもねえだろ」
(言うまでもない、か)
「おい、何ニヤニヤしてんだよ。気持ちわりいな」
源は足元の小石を蹴飛ばすと答えた。
「別に?ちょっと昔の事を思い出してただけだよ」
上海の街並みは驚くほど静かだった。外を出歩く人も、そもそも人もいなかった。住民は内地に避難しているらしい。
「誰もいないな。当たり前かも知れないが」
「それにしても静かね。ヒューストン、タワーの様子は?」
シェリンは無線で春麗タワーの様子を確認する。
『人数に変わりありません』
その答えを聞いたシェリンはため息を吐くと、赤本の腕を組んでぐいっと引き寄せた。
「はあ、面倒臭いわね。全く」
「おい、シェリン?まず腕を組むのをやめたら……」
「嫌よ。やる気を充填中なの。それに誰もいないんだし、気にしなくていいのに」
赤本は後ろを気にしながら言う。
「源とトラグカナイがいるだろ。第一、今は作戦行動中だ。いつ敵が現れるか分からない」
「……いないわよ。そんな脳波は感じられないわ」
シェリンはサラッとそう言った。そんなシェリンに赤本は尋ねる。
「脳波って、やっぱり君は制限進化を……」
「してないわ」
シェリンはそう言うと腕を解いた。そして赤本と少し距離を置く。
「素で"こう"なの。12歳の時、神獣協会と繋がる組織に売られて、体をイジられたから」
それを聞いて赤本は自分の発言を後悔した。
(迂闊だった……。シェリンの力が自然ではないことなんて、考えれば分かるのに)
その様子を感づいたのか、シェリンは言った。
「もう大昔のことだから、何とも思ってないわ。この体のおかげで何度も命拾いしてるし。もう、重く捉えすぎ!」
シェリンは笑顔を作るとポンと赤本の肩に手を置く。だが、赤本はシェリンを見て言った。
「……実は、カストロから聞いたんだ。君の事を、少し」
「……!」
シェリンは赤本の肩からバッと手を離す。
「き、聞いたって何を?」
「君はユーロの軍事財閥のご令嬢だと。血縁関係は無くて、12歳の時に養子になった」
「……それで?」
「その、なんというか……いや駄目だ。やっぱり何でもない」
赤本はシェリンから目を逸らす。だがシェリンは赤本の手を掴むと、赤本の目を見た。
「言って」
その言葉に、赤本は躊躇いつつも答えた。
「君はよく見合いをさせられていて。それである時、相手の男に襲われかけたって……」
シェリンはうなだれる。
「………」
(カストロの馬鹿。なんでそんな事まで教えてんのよ)
私がずっと空元気を出してたって、きっと赤本なら気付いているだろう。自分を偽って、昔のトラウマをなんとか取り繕おうとする。そんなの、碌な人間じゃない。
(私、嫌われちゃったよね)
シェリンは赤本から手を離すと、先に歩き出した。
「シェリン!」
赤本の呼びかけに、シェリンは振り向きもせずに答えた。
(私は、この人に相応しくない)
「……行きましょう。本隊に遅れるといけない」
その様子を遠巻きに見ていた源とカナは目を見合わせた。
「何かあったな」
「喧嘩ってわけでもなさそうだけど……」
「だな。でも一つだけ分かるのは、多分面倒な事になったってことだ」
「面倒なこと?」
カナは源の方を見ると、深々とため息をついた。
「そんな調子じゃ、一生分からねえだろうな……」
春麗タワーの横に立つ高層マンションは、富裕層向けの豪華なものだった。巨大なエントランスホールにはバーラウンジがあり、高級そうな酒類がそのまま放置されている。
赤本たちはその横を通り、エレベーターに乗り込んだ。
「防犯装置は無効化してあるけど、あまり余計な行動はしないでね。誤作動するかもしれないから」
シェリンはそう言って最上階のボタンを押した。そして煌びやかな装飾に覆われた、電源内蔵式のエレベーターはゆっくりと動き出した。
「……えっと、最上階から非常階段ですよね」
「そうね」
「その前に着替えて武器類を展開しますよね」
「そうだな」
源は目の前に立つ2人の背中に交互に声をかけた。が、気まずい空気が改善するわけもなく、源は助けを求めるようにカナを見た。が、カナは首を横に振る。
『今はやめておけ』
そう言っているように見えた。やがて長い長いエレベーターの上昇が終わり、一同は最上階である60階に到着した。赤本と源は非常階段の踊り場で私服から白い制服へと着替え始めた。源は制服のインナーを着ながら赤本に尋ねる。
「あの、赤本さん。シェリンさんと、何かあったんですか?」
「今は作戦中だ。私語は慎め」
「はい……」
そして非常階段に繋がる扉の前で、カナはシェリンを見た。シェリンの顔には動揺の色も何も見えなかった。ただまつ毛が長いなと感心したくらいだ。
(感情を殺すのに慣れてるな。こいつ、ただのお嬢様じゃねえ。それにどこか、俺と似た気配……)
その時、非常扉が開き、白い特殊処理班の制服に身を包んだ赤本と源が現れた。
「行くぞ」
赤本はそれだけ言うと階段を登り始めた。源たちはその後をついていく。屋上はビオトープのようなものになっていた。サッカーコートほどの広さに草木が広がり、小川まで流れている。
「これはすごいな……」
源は周囲の様子に感心する。これだけの植生を維持するのに、一体どれ程の費用がかかるのだろうか。
「ここだな、源」
しばらく歩いていくと、赤本はそう言って源を呼んだ。赤本は屋上の端に立っていた。目の前には春麗タワーが聳え、真下には無人の街が広がっている。そして、お目当てのものも。
「あれです。あの出張った長方形のスペース」
源はタワーを指差す。そこには確かに全面ガラス張りのプールがあった。春麗タワーはホテルも兼ねており、宿泊者用のプールもあるのだった。
「よし。じゃあまず俺が飛ぶ。本隊に連絡を」
源はマスクを付けると無線を繋げた。
『こちら源、目標ポイントに到達。侵入します』
源の無線に、輸送機の出羽が答える。
『コマンド了解。侵入せよ』
源は赤本に合図を送る。赤本は頷くと、自分もマスクを付けた。
『生体ナンバーM1‐F、赤本明石。精神を適合する』
赤本は激痛に耐えながら静かに血の涙を流す。キルケアは話しかけては来なかった。赤本は術刀を背中に背負うと、屋上のへりに立った。
(余計な事を考えるな。作戦の成功だけを考えろ)
そして赤本は強く踏み込み、跳躍した。続いて源、カナがプールへの跳躍に成功した。最後にシェリンはマスクを付けると、個人回線でヒューストンに繋いだ。
『どうされましたか?お嬢様』
『鎮痛剤の投与量を増やしてほしいの。昔のことも全部忘れられるくらい多くして』
ヒューストンは無線越しに驚く。
『正気ですか?今でも通常の10倍は投与しています』
『いいから。何も聞かないで』
ヒューストンは暫しの沈黙の後に言った。
『……畏まりました』
そしてマスクから甘い鎮痛剤が流れ込む。シェリンはそれを深く吸い込むと呟いた。
『過程変異』
シェリンは血の混じった涙を拭うと、屋上から大きく飛び上がり、プールに着水した。こうして赤本たち別働隊は春麗タワーへの侵入に成功した。




