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前代未聞

9話です

 怪獣の死骸が横たわる山を登ると、赤本たちの組は一軒家ほどもある巨大な頭部に到着した。

『ここから怪獣の口に入る。緑屋、パルスリングは持ってきてるな?』

『もちろん』

 緑屋は背中に担いでいた、酸素ボンベの付いたリュックサックから四つに折りたたまれた金属のリングをとりだした。

『まず俺と緑屋が口内に侵入する。そのあとに源と、確か石井だったか、が続け』

 赤本は振り返って源と、本部から監視員として動員された石井三尉を見た。

『いくぞ』

 赤本たちは後頭部からぐるりと迂回すると、頭部前方までたどり着いた。源は目の前の元のシカとは似ても似つかないグロテスクに裂けた口元と草食獣らしからぬ鋭い牙、そしてその巨大さに圧倒された。

『怖いか、源』

『…はい。こんな近くで怪獣を見たことなんて初めてで』

『今からその口の中に入る。今の内から慣れておけ』

(そんなこと言われても、これが平気になるなんてことないだろ…)

 源は体の震えを抑えるように手を握りしめた。

『足元に気をつけろ。血で滑りやすくなってる』

 赤本の警告に源は足元を見た。その時初めて、周囲一帯が黒い血のりでまだらに汚れていることに気づいた。赤本と緑屋は慎重に怪獣の口の中に進んでいくと、その黒々とした喉奥に立ち止まり、機材をセットし始めた。源たちも同じようにして口の中に侵入した。

『今から頭蓋骨に穴を開ける。よく見ておけよ、そのうちお前にもやらせるからな』

 赤本は源にそう言うと、腰に下げていたカッターメスを取り出し、上顎のちょうど脳の真下に刃を入れた。すると勢いよく黒い血が噴き出し、赤本の真っ白の制服を黒く汚した。

『ッ……!』

 後ろで見ていた石井三尉が体をのけぞらせた。源は多少驚きはしたものの、不思議と嫌悪感などは感じなかった。黒い血にもそこまで違和感を感じなかった。

 赤本は、刃を深く入れるたびに噴き出す血ですでに体前面は真っ黒になっていた。源もすぐ横で見ていたため左半身が黒く染まった。

 赤本は目の前の体組織を円形に切り取ると、その分の肉を後ろに移した。そしてゴーグル横のボタンを押して、その半分以上が黒い血にまみれた視界をクリーナーによって回復した。源も飛び散った血しぶきをきれいに除去した。

『緑屋、後は頼む』

『まだまだ遅いねえ、赤本』

 緑屋はそう言ってカッターメスより一回り小さいクーパーのようなものを取り出すと、骨に残った筋繊維をすさまじい速さでそぎ落とした。そして、露わになった標本のように真っ白の骨に、先ほどのリングをぴったりとあてるとそこから少し離れた。するとバコッという音とともにリングをあてた部分に亀裂が入り、赤本がそれを足で押すと、リングごと奥に倒れた。源はそれを見て疑問に思った。

(奥に倒れる?まさか)

『赤本さん、もしかして頭蓋の中は空洞なんですか?』

『ん?ああ、マニュアルを読んでないんだったな。そうだ、怪獣の頭蓋は空洞で、コアだけがある。コアと呼ばれるものはもとの生物の脳が縮小して凝固したものだ』

『…なるほど』

 では余ったスペースはどうなっているのか。それは頭蓋の中に入って分かった。先に入った緑屋の持つ、携行型照明によって照らされた頭蓋の中は、確かに空洞だった。そしてその中心部分にコアがぶら下がっていた。球体のコアが様々な方向から伸びる神経線維の束によって支えられていたのだ。

 赤本と緑屋は、それを慣れた手つきできれいにコアからはがしている。

『コアがこんな風になってるなんて…』

『どの怪獣も基本的にこうだ。例外として、昆虫が素体の場合は少し違う』

 赤本は神経の束を最後の一本を残して取り除いた。するとコアはただぶら下がっているだけの状態となり、赤本はその下に空気を入れて膨らませたクッションを置いた。そして最後の一本を切ると、コアは完全に切り離され、どすんとクッションの上に落ちた。

『さあ、ここからが本番だ。源、やれるな』

 源が少し我慢するだけで怪獣の脅威が一つ取り除かれるのだ。

(記憶はなくとも僕は元自衛官だ。職が変わろうと国民の命を守るのが僕の務めだろう)

『はい!』

『では手袋を脱いでコアの前に跪け。出口に背を向けてな』

 赤本はそういうと源の後ろに控えていた石井に目で合図をした。すると赤本と石井は担いでいたエアライフルの安全装置を外すと、なんと源にその銃口を向けた。

『あ、赤本さん。何で銃を!』

『…浄化作業中の安全確保だ』

 赤本はなおも源に狙いを定める。

『そんな、僕は何も…」

『おい、赤本副班長。この班員に浄化作業について何も知らせていないのか?』

 後ろで銃を構える石井が赤本を問いただした。

『…すまない、こちらのミスだ』

『なら俺が代わりに教える。いいか、源班員。浄化にはある危険が伴う。それは浄化担当員の精神汚染とそれによる錯乱だ。』

『…精神汚染?』

『そうだ。浄化とは怪獣の脳内に入り込んでその意識を破壊することを指す。その過程で、逆に怪獣にその体を乗っ取られる場合がある。俺とそこの副班長は万が一の時にそれを阻止するため銃を構えている』

『それはつまり、撃ち殺すんですか?僕を?』

『君の場合は出来るだけ生かすよう言われているが、恐らくは殺すことになるだろう』

『そんな…』

 源はそれを聞いて思わずコアの前で片膝をついた。頭蓋の裏側のぬめぬめとした感触が手袋越しに伝わってくる。

『源、詳しい説明もなしに、申し訳ない…』

 赤本の声がマイク越しに響く。

『君の気持ちも分かる。だが、これはあくまで可能性の話だ。君には高い浄化の適性がある。まずそんなことは起こらない』

『…以前には起こったことがあるんですか?』

『それは……ある』

 石井は言いにくそうに言った。

『4か月前に日本で初めて起きた』

『その時はどうなったんです?』

『その場にいた班員は全滅した。そして、この班からも一人…』

 赤本は途中で言いよどんだ。

『元々は特殊処理班は二班あった。そして、君がこの班に入ったのはその際に死亡した浄化担当員の代わりだよ』

石井はそう告げた。

『……』

 源は今日までの1か月を思い出した。班員たちはみんな源に優しかったし、分からないところがあれば教えてくれもした。夜ご飯だって誘ってくれた。でも今思えば、今まで共に働いてきた同僚の代わりとして入ってきた源は、ぽっと出の邪魔なだけな存在だったのではないだろうか。

『源、お前が今何を考えているか分からないが、俺たちは別にお前に対してマイナスな感情は抱いていない。そんなことをしてもあいつは戻ってこないし、多分それを望んでない』

『でも僕は……』

『それは傲慢だ。お前の思っている以上に俺たちの心は強い。悲しみはすれど、それをずるずると引きずることはしない。だから気にするな。これはお前の問題じゃない。お前は目の前のことに集中すればいいんだ』

 赤本の言葉に源は顔を上げた。目の前には微かな光沢を放つ灰色のコアがあった。その表面に反射して自分の顔が見える。ゴーグル越しに見える自分の目はうっすらと赤くなっていた。

『これはお前にしかできないことなんだ。頼む、源。そのコアを浄化してくれ』

 源は赤本の言葉にはっとした。今、赤本は源に、頼むと言ったのだ。

(僕は赤本さんにそんな言葉を言わせてしまったのか)

 源はそう思うと、自分の弱さに腹が立ってきた。

(そうだ、これは僕にしかできないことなんだ。それを勝手にあれこれ被害妄想をして、挙句に赤本さんたちを困らせた。僕はなんてバカなんだ)

 源はもう一度手を強く握りしめると、手袋を脱いで、コアの前に跪いた。

『すみませんでした、赤本さん。もう迷いません、銃を向けつけられても構いません。僕は最後まで浄化を完了させます』

『源…』

 源は軽く息を吸い込むと目を閉じて両手をコアにあてた。

『いきます』

 前後で銃を構える音が聞こえる。源は意識をコアに集中させた。すると突然、両手がコアに吞まれるような感覚に襲われた。源は手を離したくなる衝動を必死に抑えて、さらに意識を、神経を研ぎ澄ました。そして全身がコアに取り込まれる感覚になった後、気づくと源は真っ白な空間に一人浮かんでいた。源は驚いて周りを見渡したが、誰もいない。ただ一つだけ、源の目の前に野球ボールほどの真っ黒な球体があった。源は手を伸ばしてそれに触れた。黒い球は少し温かかった。そして誰かの声が聞こえた。

「それを握りしめればよいのだ」

 源は、突然脳内に響いたその言葉にどういうわけか従った。そして黒い球を右手に持つと、渾身の力を込めて握りこんだ。すると黒い球にはひびが入り、そしてひび割れた隙間から黒いもやのようなものが流れ出し、白い空間に溶け出して消えた。最後に残ったのはひび割れた透明なガラスの球だった。

『おい!源!大丈夫か?』

 源は自分の肩をゆする声に気づいた。源はうっすらと目を開けると、それに伴って段々体の感覚が戻ってきた。

『…赤本、さん?』

『意識が戻ったか!』

 赤本は揺さぶるのをやめ、よろよろと起き上がる源を手伝った。起き上がった源は目の前の光景に驚いた。

『こ、これ!』

『お前がやったんだ。みろ、コアから色が抜けて透明になっている。浄化は成功だ。それにしてもコアを真っ二つにするなんて前代未聞だぞ』

 目の前には二つに砕かれた透明な半球が二つ転がっていた。

『赤本副班長、念のため彼には精神鑑定にかけてくれ。こんなことは…初めてだからな』

 そういう石井三尉はすでに銃を下ろしている。

『了解した』

赤本はそう言うと源に向き直った。

『源、さっきは本当に済まなかった。俺は俺のすべきことを怠っていた』

『別にいいですよ。むしろやる気がでました。それより、東雲さんの……』

 その時、突然激しい揺れが起こった。

『一体何が…』

『これはちょっとまずいよねえ』

 緑屋はそういってリュックからエコー探知機を取り出した。それは怪獣の体内構造を確認するためのものだ。暫くして緑屋は言った。

『赤本、班長たちの班と無線を繋いでくれ。まずいことになった』

『さっきから試しているが、繋がらない。一体何があった?』

『胸骨の一部が欠落した。』

『場所は?』

『……心臓の真上だ』



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