表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/25

シャンティとレオン(一)  

 レオンとスープを食べたあと、ハオエンの劇団の催し物を見た。けれどもなんだか、スープを食べた時から頭がふわふわとして、シャンティは夢でも見ているかのように思った。

 照れているレオンの姿が頭から離れないのだ。


「一度屋敷に戻ろうと思うんだが。少し休憩して、君さえ良ければ、また街中を散策をしないか」


 誘いに頷くと、レオンが首元に手を当てて、それじゃあまた後でと言った。その仕草がまた照れているようで、シャンティの方が恥ずかしくなってきてしまった。


 なんともぎこちない雰囲気だったが、気まずくはなかったので、シャンティはもう少しこんな時間が続けば良いのにと思った。


 けれども、そう夢のような時間が続くことなんてなかった。


 屋敷へと戻ると、本来ならば休みに入っている筈の使用人達が数人ほど、慌ただしく動いている。

 何事かと訊ねれば、ノエル家の侍女が目を覚ましてあれやこれやと我が物顔でやらかしているらしい。顔を引き攣らせたシャンティは、大きくため息を吐いてから、レオンに向かって言った。

「今日はありがとう、レオンさま。楽しかったわ。侍女の方は私に任せてちょうだい。八つ当たり出来る人間がいれば、他に被害はいかないわ」

 面倒臭い人って嫌いだわとシャンティはぼやいた。肩を落としながらも部屋へと戻ろうとするシャンティを、レオンは焦ったように腕を取り止めた。

「待って、待つんだ。……君が連れてきた侍女だから、ある程度のことは目を瞑っているんだ。侍女を諌める事こそが、君の役目なんじゃないのか」

「諌められると思う? ノエル家で発言力があるのは、マリレーヌ・ノエル伯爵夫人だけよ」

 ノエル家の侍女が仕えているのはシャンティではない。彼女はマリレーヌの命令でシャンティについてきているだけなのだ。ノエル伯爵夫人の後ろ盾があるからこそ、シャンティに対しても傍若無人の振る舞いをしている。


「……お嬢様! あなた、一体どこに行っていたというのです!?」


 廊下に出てきた侍女が、シャンティの姿を見付けた途端、金切り声で詰め寄ってきた。頭が痛くなりそうと思いながらも、じゃあねとレオンに別れの言葉を向ける。

「礼儀作法の勉強もせずに遊びに行くだなんて、なんて事でしょう。奥様が聞いたら、さぞ嘆くでしょうね」

「貴方が寝込んでいるから、今日は静養させた方が良いと思ったのよ。そうだわ、広場でスープを配っていたの。貴方もいかが…」

「そんな汚らわしいもの、さっさと捨てなさい! さあお嬢様、貴方がやらなかった午前中の分も含めて、たっぷり勉強を致しましょう」

 シャンティの腕を乱暴につかむと、侍女は今更ながらにレオンがいた事に気付いたようで、取ってつけたようにそれでは失礼致しますねと言った。

「お嬢さまはまだ、人前に出れるような礼儀を身につけておりませんので。このままではノエル家の名前に傷が付きますし、クレーナッツ伯爵様の名誉に泥を塗るようなものですから。どうか勉強の邪魔はしないで頂きたく」

 侍女は恭しく一礼すると、そのままシャンティを引き摺るように廊下を歩いて行った。



「では、貴方の頭で理解できるか不明ですが、栄えあるノエル家の歴史を学んでいただきましょう」


 侍女の言葉に、シャンティはノエル家の一体どこに栄えがあるのかと呆れた。そんなシャンティの様子など気にするそぶりもなく、ノエル家がいかに王宮で重宝されてきたかを語り続けている。

 由緒正しい貴族の血筋だから、王家から一目置かれているとかなんとか。


 全くもって時代遅れも甚だしい。


 今のモーラ連合王国の王家は、平民からの王宮への登用を積極的に行っている。現在の財務を担当している大臣だって、豪商の三男とかだった筈だ。新聞に載っていた話を信じるとするならば、王様が功績を称えて爵位を授けたとか。

 昔ながらの貴族からは、金で爵位を買ったとか言われていたけれど、借金だけして返さない連中よりどれだけマシだろうか。

 昔は貴族というだけで、どんな横暴も罷り通っていた。今だってそういうのはある。あるが、それでも昔よりだいぶなくなってきているし、王都に近付けば近付く程に、血筋よりも能力やお金を持っていることこそが、権力を手にしている。

 多分だけど、王様は貴族の権力を削ぎ落とそうとしてるっぽいのよねと、シャンティは新聞を読んで思ったものだ。平民の、それも商人が力を持つのを後押ししているように見えたからだ。

 とはいえ、貴族の場所に商人が置き換わっただけでは意味がないのだろう。爵位を授けるのは、王国の紐を付ける意味もあるのかもしれない。

 何せ今の王様は、税金逃れなんてすれば厳罰をと言っているし、処罰された商人も何人も居る。帳簿は全て公開され、逃れようのない証拠を突き付けられた上での、財産没収だ。もちろんそれは、商人と手を組んだ貴族にも適用されていて、少なくとも王様の目の届く範囲では、不正はなくなっている。

 だからこそ、ノエル家の侍女のいう、王家の信頼が厚い由緒正しい血筋というものは、全く役に立っていない。王宮で働くには厳しい審査をクリアしなければならないし、見栄を張るための借金持ちは、確実に断られるだろう。運良く王宮の職につけても、下っ端の下っ端がせいぜいだ。


 ノエル家もこの侍女も、現実というものが何も見えていない。


 世の中が変わってきているのにこれでは、ノエル家の未来なんてないわとシャンティは思った。


「聞いているのですか、お嬢さま」

 パシッと乾いた音とともに、シャンティの手の甲に鋭い痛みが走った。

 侍女の手には躾用の鞭が握られている。聞いているわと睨みつけてやると、言葉遣いがなっていないと再び叩かれた。

「真面目にやらないのでしたら、私から奥様へ、お嬢さまの状況をご報告いたしますよ」

 そう言われてしまえば、シャンティは侍女に従うしかない。この意味のない授業も、真面目に受けねばならないのだ。


 ああもう、本当に腹立たしい。


 勝ち誇った顔の侍女に、水の入ったバケツでもぶっ掛けてやりたいわと思いながらも、シャンティは気の進まぬノエル家の歴史を覚える事となった。

 とはいえやる気のない生徒と、八つ当たりする気満々の教師。結果として、シャンティの手は真っ赤な蚯蚓腫れだらけになった。

 心の中で悪態を吐きながら、しかし実際に口に出すともっと酷い事になる為、シャンティはひたすら堪えた。

 侍女の熱心な授業は延々と続き、解放されたのは深夜だった。


 ようやく一人になったシャンティは、ベッドに寝転がると散々な一日だったわとため息を吐いた。レオンとスープを飲むまでは楽しかったのに。

 そういえばせっかくレオンからもらった髪飾りは、ノエル家の侍女が乱暴に腕を引っ張った時に、床に落ちてしまった。

 生花で作られているから、そんなに長持ちはしないだろう。けれどあんなに素敵だったのだから、今日一日は身に付けていたかったのに。枯れて散るものだったかもしれないけれど、それでも他人に勝手にされて良いわけではない。

 床に落ちてしまった時、レオンはどんな顔をしていたのだろうと、シャンティはもう一度深くため息を吐いたのだった。


 翌朝になってもノエル家の侍女の機嫌は治っていなかった。朝から金切り声で叩き起こされたかと思えば、椅子に座らされ白紙を差し出された。

 何よこれという視線を向けると、文字の練習をしましょうと言ってきた。

「この縁談を結んだ奥様に、お礼の手紙の一つでも書いたらよろしいでしょう」

 お礼を言うことなんて何一つないのだけれどと思ったが、侍女の手には鞭が握られている。余計な事は言わないほうが良さそうだと、シャンティは無言で侍女を見上げる。


「貴方の頭では文章など思い浮かばないでしょうから、私が今から言うことを書き記しなさい」

 

 侍女がいうには、正しい姿勢と美しい所作で文字を書くことこそ、淑女としての作法だと言って、椅子に座るシャンティの頭の上に、分厚い本を載せてきた。本は読むものでしょうと、シャンティが顔を引き攣らせつつ必死に耐えていると、心の底からどうでもいいような言葉を述べてくる。

 インク瓶を投げつけてやりたいのを堪え、それを無言で書き記していく。こんなこと、なんの意味もないのに。

 手紙は何度も書き直させられた。字が汚いとか、姿勢が悪いとか、はてはインクの濃さにまで文句をつけられる。

 それでもなんとか耐えていたのは、もうすぐ解放されるだろうという希望があったからだ。

 ノエル家の侍女は必ず昼食を取りに行くので、少なくともその間は自由になる筈だ。しかし侍女はそんなシャンティの心中に気付いているのか、侍女がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて口を開いた。

「そろそろ昼食の時間ですけれど、お嬢さまの勉強が進んでいませんからね。私は休憩を返上して、つきっきりで授業をして差し上げましょう」

「はあっ!?」

「なんですか、淑女は常に微笑みを浮かべていなければいけませんよ」

 思わず声を上げたシャンティの手の甲に、鞭が振り上げられた。まさかとは思うけど、夜までこれなのかしらと、侍女を睨みつけた時だった。


「失礼致します。シャンティお嬢様、レオン様がお呼びです。よろしいでしょうか」


 扉がノックされ、声が掛けられた。

「お嬢様はいま勉強の時間です。そういった呼び出しはご遠慮して頂きたいのですわ」

 シャンティではなく、ノエル家の侍女が扉を開けてキッパリと断る。が、使用人は困った顔をして、言い募った。

「……しかし、領主の妻としての大事なお話があると…」

「ならば私が話を聞きましょう」

「そうですか、ではどうぞ此方へ」

 呼びに来た使用人に促され、侍女が部屋を出て行った。この隙に抜け出そうかしらと思っていると、続けて扉を開けて顔を見せたのはネーバルだった。


「お嬢様、昼食のご用意が出来ましたので、どうぞこちらへ。レオン様もお待ちです」


 いまそのレオンが呼び出していたのではと疑問に思ったが、ネーバルの口元がわずかに持ち上がって笑ったように見え、つまりはそういう事ねとシャンティは理解した。


 案内されたのは夕食をとった食堂ではなく、温室であった。冬が来るため寒さで震える程だというのに、温室内はとても暖かい。鉢植えの花が綺麗に咲き乱れていて、シャンティは綺麗ねと呟いた。

 そうしてしばらく花を見ていると、おずおずと声が掛けられる。


「……やあ」


「こんにちは、レオン様」


 先ほどから気配がしていたので、多分間違いなく話しかけるタイミングを見計らっていたのだろう。

 シャンティが挨拶すると、レオンは少しばかり居心地悪そうな表情をしてから、小さな声ですまないと謝ってきた。

 一体何を謝罪する事があるのかと首を傾げると、昨日の夕食に誘えなかったと言われた。

「呼びに行かせたんだが、君の侍女に断られてしまって。……強引に連れ出しても後が大変になるからと、ネーバルに止められて、今日の昼になってしまったんだ」

 確かに昨日のあの様子を思う限り、強引に連れ出されたら今日はもっと八つ当たりされただろう。ネーバルの判断は正しい。

 シャンティとしては、レオンが一緒に食事をとるという約束を守ろうとした事の方が驚きだった。

「一応、この温室内でも食事が取れるように、テーブルと椅子があるんだ。君さえ良ければ、ここで」

「大歓迎よ!」

 レオンが促した先には、小さなテーブルと椅子があった。そしてそのテーブルの上には、美味しそうな料理がのっている。

 昨夜から何も食べてないシャンティにとっては、この上ないご馳走である。

「花が咲いてて素敵な場所だわ、レオンさま」

 さっそく食べましょうよと、椅子に座ってレオンを呼べば、小さく笑みをもらして頷いてくれたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ