シャンティとお祭り(四)
「……君は、自分が何をしているのか、わかっているのか」
シャンティがレオンの姿を視界に入れた途端、不機嫌にさらに不機嫌を上塗りしたかのような表情で、レオンが言った。その物言いは、シャンティが悪いと言わんばかりだ。
一般的な貴族の令嬢ならば、恐縮して謝るのだろうけれども、しかしながらレオンが相手にしているのはシャンティだった。口から生まれてきた小娘だとか、五月蝿いお喋り女だとか、色々な名誉ある称号を持っているシャンティである。ここで大人しく引き下がるような性格ではなかった。
それにシャンティはちっとも悪いと思っていないので、申し訳ないとか思うこともない。そもそもノエル家の面目を立てようとこれでも我慢に我慢を重ねて、お淑やかなご令嬢のふりをしていたつもりだった。なのでレオンの態度と物言いは、その我慢の限界を越えたわけで。
「何をしたかですって? ただお友達と世間話をしていただけよ。それからハオエンには開演前の挨拶をしてもらってたところ」
腕を組んだシャンティは、真っ向からレオンを見て言った。頭の中では、戦いの狼煙が上がっている。臨戦態勢のシャンティが予想外だったらしいレオンは、先ほどよりも勢いが削がれた様子で言った。
「……だからといって、随分と距離が近いのではないか。もう少し伯爵夫人というのを自覚して、行動を……」
レオンの言葉に、シャンティは大袈裟にため息を吐く。普通の貴族のご令嬢なら、悲しげに俯いて謝罪の言葉を言うのだろう。だがシャンティは、悪くないことは悪くないと主張する娘である。
「あのね、レオンさま。そういう事を言えるのは、ちゃんと夫の役目を果たしている人だけよ。貴方、私に対して、夫らしい事なんて一つもした事ないじゃないの。話すらしない、食事も一緒にしない、一緒に暮らしている意味あるわけ!? それでさらに私の行動に難癖をつけるだなんて、人としてどうなのよ」
「そ、それは、仕事で忙しいから、仕方ないだろう。君は部屋にいるだけなのだから」
「仕方ないですって? 私を部屋に閉じ込めて、余計なことをするなって言うから、大人しくしていてあげたのに、それにすら文句を言うのかしら? 貴方一体私にどうして欲しいのよ」
勢いよく詰め寄るシャンティに、レオンはその身を一歩引いた。
「私に不満があるのはわかるわ。政略結婚で望んでなかったって言うのもね。でも断りきれなかった時点で、レオンさまはもう一方的な被害者ではないの。でもそれは私も同じよ! だからこそお互いに妥協点を見つけて、生活していかなくっちゃいけないわけ。それくらいちゃんと理解してほしいわ!」
「き、君は私にどうして欲しいというんだ」
レオンは先程とは逆に、しどろもどろに聞いてきたので、シャンティは瞬きをすると、腕組みをしてから笑顔を浮かべて言った。
「そうね、私たちお互いの事を知らなすぎるのよ。だからお話をしましょう。もう少しお互いを知り合ってから、好きか嫌いか決めましょう。嫌いでも、どの程度許容できるかってのを知ることは大事だわ。まずはそこから始めましょう」
「お互いを知り合う?」
「一日に一回は、食事を一緒にしたいわ。……使用人に邪魔されないように、二人っきりが良いわね」
「ふ、二人きり?」
「美味しい食事に甘いお菓子があれば最高だわ。レオンさまはビスケットはお好き? 私こう見えてビスケットを焼くのは得意なのよ。今度、オーブンを使わせてもらえないかしら。どうしてもダメっていうなら、ロロナナ達の炊事場を貸りて焼くから、材料費をちょうだいな」
「それはまた一人で出歩くということか……。いや、それは。屋敷の厨房は自由に使ってくれて構わない」
「あらありがとう! じゃあ今度一緒にビスケットを焼きましょう、レオンさま」
「一緒? わ、私もか」
「だってレオンさまに変なものを食べさせたりしたら大変でしょう。一緒に作れば、確認もできるし安心だと思わない?」
とても良い考えだと思ったシャンティは、満面の笑みでレオンを見上げた。しかしながらシャンティとは違い、レオンは何とも言えない表情を浮かべている。言葉もでない様子で、どうしたのかしらとシャンティが首を傾げた時だった。
「ふふっ、……いえ、失礼しました。流石の領主さまも奥さまには敵わないというわけで……グフッ」
堪えきれないといった様子で、ハオエンが口元を手で押さえながら言った。隣にいたロロナナが、すぐにハオエンの脇腹を肘でついた。
「おしゃべりな男、嫌われる、静かに見守る、正解」
「いやいや、ですがね、私たちがいることをすっかりお忘れじゃないですか」
「いい、夫婦の語らい、大事。私たち、見えない存在、なるべき」
ロロナナは極めて真面目な顔でそう言った。じっとシャンティとレオンを見る姿が何だか妙にツボに入ってしまい、シャンティは思わず声をもらしてしまう。
「なんで笑うの?」
「だって、あはは、何だか面白かったんだもの」
そのまま声をあげて笑ったシャンティをみて、レオンは目を見開いていた。それから瞬きをして、深く息を吐いて言った。
「……何だか君は、あまり令嬢らしくないんだな。ノエル家から来た覚書だと、名門貴族の才女だとか書かれていて、ここでの暮らしには慣れそうにないななんて、勝手に思ってしまっていて」
レオンの言葉に、シャンティは乾いた笑いしか出ない。まあ覚書だなんて、良い事しか書き連ねないだろう。それにシャンティに才能があるというのは、間違いない。そこは自信を持って言える訳で。
「えっと、その、私もレオンさまもお互いをよく知りましょう。成り行きで夫婦になったけど、まずはお友達として、よろしくしてちょうだい」
シャンティが手を差し出せば、レオンはその手を優しく握り返した。
「……そうだな。私たちには、時間がある。お互いをゆっくり知っていくべきだ。……屋敷に来たばかりだった君への態度、今更になるが謝罪したい。本当にすまなかった。祭りの準備に追われていたというのが主な理由だが、それにしても礼を欠いた態度だった」
眉を寄せ申し訳なさそうな表情を浮かべるレオンに、シャンティはこの人も何だか貴族らしくない貴族だわと思った。シャンティからしたら、領主ともなれば尊大で、他者のことなど単なる使い勝手の良い駒くらいにしか思っていない、少しばかり勘違いしている連中だという認識であったからだ。
やっぱりこの人、意外に良い人なのかもしれない。
簡単に人につけ込まれそうな感じ、いかにも善人って感じだわと、シャンティは肩を竦めた。善人は損をするという典型なのかも知れないが、シャンティは悪人よりは善人の方が好きだったし、シャンティは王都で悪意を持った連中と渡り合った経験もあったし、そもそも夫婦は助け合うものだしで、何の問題もなかった。
そろそろ舞台の時間ですのでと、ハオエンが笑顔で去って行き、ロロナナもまた店番があると去っていった。これからどうするのかしらとレオンを見上げれば、では行こうかと手を差し出してきた。
エスコートしてくれるのかと手を組んで、どこへ行くのか訊ねる。するとレオンは、スープを飲むのだろうと言った。
「ネーバルから聞いたんだが、間違いだっただろうか」
「いいえ! 間違いじゃないわ。レオンさまが連れて行ってくれなかったら、内緒で食べにこようと思ってたくらいよ」
内緒でという言葉に、レオンが顔を顰めた。が、咎めるような事は言わず、呆れたような顔でシャンティを見るばかりだ。
「何だか、君に対しての認識は、考え直した方が良さそうだ」
「あら、それじゃあ私とレオンさまとの仲の、新しい第一歩ね。収穫祭のスープでお祝いするだなんて、素敵な日になるわね」
「……君が、そう思うのならそうなんだろうな」
なんともいえない表情を浮かべたレオンだったが、広場へと行く前にこれをと、従者を呼んで何かを持って来させた。何かしらと視線をやれば、色とりどりの花で彩られた大ぶりの髪飾りで、それをシャンティに差し出した。
「気に入らなければ、つけなくてもいいが」
私にくれるのかしらと、首を傾げて髪飾りとレオンを見比べる。何も言わないシャンティに、気まずくなったのかレオンが手を引っ込めようとしたので、待ってと制止した。
「これは私へのプレゼント?」
「……祭りでは、花を身につけるのが慣習だから」
「じゃあどうして、すぐにくれなかったの?」
前日に言っておいてくれれば、髪飾りに似合う髪型をするのにと、シャンティはレオンを責めた。その言葉にレオンは予想外だったと言わんばかりに目を瞬かせて、それから嫌じゃないのかと訊ねた。
「花が嫌いな女の子、いると思う?」
「王都の女性は、季節外れの花を気味悪がると聞いたから」
シャンティの頭に、そういえばそういう事を新聞のコラムに投稿した貴族令嬢がいたなと思い浮かんだ。文才あるご令嬢が、貴族向けの新聞に匿名でコラムを投稿することが流行っているのだ。そこにはまあ、飾りたて回りくどくした表現で当たり前の話だったり、いやそんなの無理じゃないと言いたくなるような話だったり、色々と投稿されていた。
その中の一つに、咲く季節が決まっている花を無理やり別の季節で咲かせるだなんて、お花がかわいそうというのがあったのだ。それに同調していたのは一部だが、その一部の中にノエル家があったことを思い出す。
同調していた理由は、ただ単にお金がないから、温室で育てたお高い花を買えないから、である。
貴族は見栄の張り合うものなので、温室で育てた花をつけて着飾ることが流行ってしまったら、お金がないノエル家もやらないわけにはいかないのだ。それゆえに、お花が可哀想とかいう記事に同調する一部の貴族に仲間入りするのは、とても都合が良かった。
諸々の事情を思い出し、シャンティは遠い目をしたが、すぐに笑顔でレオンに言った。
「こんなに綺麗に咲いているのだもの、気味悪がる必要なんてないわ。それで、これ、私にくれるのね。ありがとう、とっても素敵だわ」
さっそく着けても良いかしらと訊ねると、レオンは少しばかり目を逸らして頷いた。態度が微妙ではあるが、シャンティはそれよりも花の髪飾りの方が気になったので、レオンの方は放置した。
大ぶりな花の髪飾りは華やかで、身に付けるだけで気分が良い。シャンティは髪を結っているリボンで花の髪飾りを固定しながら、満面の笑みを浮かべた。良い気分のままレオンに似合うかと聞いてみたが、モゴモゴとなんともはっきりしない。
こういう時は素直に褒めるものなのにと頬を膨らませたが、それでは行こうというレオンの言葉に文句は飲み込んだ。
そしてあっという間に広場の大鍋の前へとたどり着いた。人が大勢集まっていたが、レオンの姿に気付くとすぐに道が開けられた。が、レオンはそれを制して、列に並ぶからと言った。そしてそれから、君もそれで構わないだろうとシャンティに小声で焦ったように訊ねてくる。
もちろんよと答えれば、少しホッとした表情になると、そのままシャンティを連れて列の最後尾へと並んだ。周囲の人々はそれで良いのかと困惑していたが、シャンティが母親から教えてもらったとっておきのポーズで、優しくて気さくな人なのよと教えてあげた。するとようやく納得したらしい。
微笑ましいと言わんばかりの表情で、レオンとシャンティを見守っている。
「何というか、君は本当に不思議な人だな」
「それは褒め言葉かしら?」
「……ああ、そうだな」
褒め言葉ならもっと良い言葉を選んでほしいわとシャンティは思った。自分がレオンを褒めるのなら、もっと直情的にわかりやすく言うつもりだ。
例えば。
「私はレオンさまのこと、優しい人だなって思うけれど。眉間に皺を寄せている姿は、神経質そうって感じちゃうけど、時々見せる微笑んだ表情との落差が魅力的だわ」
思いついた言葉を述べたが、レオンからのお礼の言葉はない。褒め言葉はお礼と共に受け入れるべきなのに、全くわかってないわねと、シャンティはレオンを見上げた。
なんて姿なのと驚いて、シャンティもまた固まった。
何せレオンが、首筋から顔を真っ赤に染めて、口元を引き締めて、目を泳がせて。
そして普段の様子とは全く違う姿を見せていたからだ。
可愛いところあるじゃないのと、シャンティは呆気に取られつつも胸が高鳴ったのを感じた。