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シャンティとお祭り(三)

 収穫を祝うお祭り当日の朝。


 シャンティは人気のなくなった屋敷の廊下を見渡すと、そのまま部屋から出た。普段ならシャンティの行動を著しく制限しているノエル家の侍女が、今現在自身の部屋で静養中なので、この機会を逃すわけにはいかないと、広場に行こう思ったのだ。

 静養中といっても、侍女に怪我はない。ただただ泥濘の泥を被ってひっくり返ったところを、シピの腹に当てただけだった。侍女は、あんな野蛮な生き物に触れてしまったから病気になると、喚き散らして寝込んでいるだけである。なんともまあ、アレな人だとシャンティは思った。

 シャンティが廊下を歩いているだけで、顔を顰める使用人の姿はないので、嫌な気持ちになる事もない。いくら招かれざる花嫁だとて、シャンティは家同士が結んだ契約のもと、ここに居るのだから、もう少し態度を改めてくれたって良いと思う。

 本来ならば屋敷の女主人が使用人を教育するのだけれども。その女主人たるシャンティを拒否しているのが、夫であるレオンなのだから、もうどうしようもない。

 そのどうしようもない現実に、シャンティは盛大にため息を吐きつつも、今日は気にせず楽しまなきゃと気持ちを切り替えた。


 先ずは市場に行ってロロナナに会おうと、足取りも軽く外へと出ようとしたが、それは掛けられた声に阻まれた。

「何をしているんだ」

 振り向いた先にはレオンの姿があった。いつも隙のない格好をしているが、今日はいつも以上にキッチリと、まさに絵に描いた軍人の様な服を着込んでいた。それにレオンの側にいる従者らしき者達も、それなりに厳かな格好だった。

「……今から私は、祭りの開始の挨拶をするつもりだが、君は」

 眉間に皺を寄せながらレオンが言った。何となくそれに続く言葉が予想できたので、シャンティは肩を竦めながら口を開く。

「はいはい、私は部屋で刺繍でもして大人しくしているわ。それじゃあ、失礼しますねレオンさま」

 下手に逆らって、部屋に軟禁されるのはお断りだったので、シャンティはさっさと自室へと戻る。その背中をレオンが何か言いたげな表情で見つめていたのを、振り返る事のなかったシャンティは、気付く事はなかった。


「朝早くなら大丈夫だと思ったのに」


 失敗したわねとシャンティはため息を吐く。とはいえ、お祭りに行くのを諦めた訳ではない。玄関から出なければ良いだけなので、シャンティはレオン達が居なくなってから、窓から出ようと考えたのだ。

 扉の向こう側の気配を伺っていたが、どうしてだか外に出て行くような気配はない。レオン達はもう出掛けるのだと思っていたけれど、違うのかしらとシャンティが眉を寄せた時だった。

 控えめに扉をノックする音がする。何事かと身を固くするシャンティに、控え目な声が掛けられた。

「……すまない、少しだけ話がしたいのだが」

「……はい?」

 レオンさまが話って何と、シャンティはますます混乱する。が、レオンがこうして話しかけてくるのは初めてではなかろうか。

「な、何でしょうかしら」

 恐る恐る扉を開けると、レオンが眉を寄せ不機嫌そうな顔で立っている。

「部屋から出ただけで、そんなに怒る事ないじゃない」

 シャンティも釣られるように不機嫌そうに顔を顰めれば、レオンは焦った様に違うそうではないと言った。

「そうではなくて、……その、君は、祭りに参加するつもりはないのか?」

「参加するなって言ったのは、そっちじゃない。いつも部屋で大人しくしてろとか言うばかりで…」

「へ、部屋で大人しくしろとは言ったが、祭りに参加するなとは言っていない」

 そうだったかしらと思い返してみて、そうだったかもしれないと、シャンティは己の口元に手を当てた。

「……だから、その。君も行かないか、祭りに」

「はい?」

 思わず声を上げたシャンティは、そこでレオンの耳が少し赤い事に気が付いた。眉間に皺を寄せて不機嫌そのものという顔なのに、これはもしかして照れている顔なのかしらと、シャンティは驚いた。

「なんて、わかりづらい人」

「何か?」

「何でもないわ!」

 つい口から出てしまった言葉は、レオンには運良く聞かれなかったようだ。シャンティは誤魔化すように作り笑いを浮かべてから、さてレオンの誘いをどうしようかと悩んだ。一緒に行ったら行ったで、大人しくしろだの余計な事を話すなだの、色々と面倒くさそうだ。

「ハオエン達が、領主夫妻にと席を設けてくれたんだ。一番良い席で、公国の劇団の催し物を観れる……」

「行くわ! 是非ともご一緒させて」

 魅力的なお誘いに、シャンティは即答した。公国の劇団を観れるのなら、ちょっとくらいの面倒ごとは我慢しようと思ったのだ。

「さあさあレオンさま。時間に遅れるわけには行かないわ。急いで広場に向かいましょう!」

「いや劇団を見る為だけに広場にいくわけでは…」

 シャンティがレオンの手を取ると、ほんの少しだけ驚いた様な顔をして、そしてすぐに眉間に皺を寄せた。けれども何か言ってくる事もなく、シャンティの隣を歩き出した。


 屋敷から広場までは、ハオエンを連れて行った時と同じ道のりだ。ただ祭りだからなのか、通りの家々に彩り鮮やかな飾りが付けられていた。さらには街中を歩く人々も着飾っているのをみて、シャンティはその楽しげな空気に思わず笑みを浮かべた。

「ねえねえレオンさま、みんな着飾っていて素敵ね。この辺りは寒いのでしょう? どうしてお花を身に付けているのかしら。寒い季節でも咲く花があるの?」

 行き交う人々はどこかしらに花を身に付けていた。シャンティは、花は春か夏しか咲かないとばかり思っていたので、冬が訪れるのが早いクレーナッツ領で、この様に花が咲いているのは意外だったのだ。

「……町中に張り巡らされている暖房のおかげで、この季節でも花が咲くんだ。だから今は、暖房の近くに鉢植えを置いて、祭りのために花を育てている」

「まあ、そうなのね。あら、という事はもう暖房を使っているの?」

「ああ、昼間はそこまでではないが、この時期の朝晩は冷え込むんだ。だからすでに使い始めている」

 シャンティがあの屋敷で過ごし始めてから、寒かった記憶はない。大抵の貴族は、こういった事に関して出費を渋る傾向があるのに、レオンは稀有な貴族領主の部類に入るようだ。完全な冬になる前に、こうして暖房を使い始めているのだから。

 やっぱりこの人、優しいのかもねと、シャンティはレオンを見ながら思った。


 広場には台が設置されており、レオンは少し待っていろとシャンティに言うと、そのままそちらの方へと行ってしまった。

 残されたシャンティは、街の人々の後ろから、台へと上がるレオンを見詰めていると、また一人でいると聞き慣れた声が横から掛けられた。

「ご機嫌いかが、ロロナナ」

「ご機嫌はいい、シャンティ。また一人、怒られる」

 髪に花を飾っているロロナナが、シャンティを見上げている。少し怒っているように見えるのは、一人で屋敷を抜け出してきたとでも勘違いしているからだろうか。

「大丈夫よ、今日はレオンさまと一緒に来たんだから。ほら、レオンさまがあそこでご挨拶してる間、私はやる事ないじゃない。だからここに居るってわけ」

「……そう」

 ロロナナが何とも言えない顔をする。それに敢えて反応はしなかったシャンティだが、まあ気持ちはわかる。普通なら、領主の妻を一人放り出したりしないし、こういった場で一緒に挨拶をしないのもまあ不自然だ。レオンは気付いてやっているのか、それともそこ迄気が回らないのか、どちらにしても有り得ない事よねとシャンティはため息を吐く。

「まあでも、公国の催し物に誘ってくれるだけ、少しはマシかもね」

「そう、それは、良かった」

「ロロナナも観に行かない? 公国の劇団って、絶対に一度は観ておくべき素晴らしいものなのよ! 歌に踊りに、それから…!」


「おや、それ程までに劇団をかってくださるとは、光栄ですね、奥さま」


 そこには、笑みを浮かべたハオエンが居た。初めて会った時とは違い、着飾っていて華やかな装いだ。

 王国の貴族階級が着るようなドレスとは違う、鮮やかな色の長布をなびかせた服装で、ハオエンの魅力を引き立てている。

「まあハオエン、貴方も舞台に上がるの?」

 シャンティの疑問に、ハオエンはわずかに目を見開いて、どうしてそのような事を聞くのかと訊ねた。

「あら、だって貴方。刺激的なお話を求めていたから、演者じゃなくて、てっきり舞台をつくる方の人かと思ったの」

「おや、そうでしたか。……そうですね、小さな劇団なので演者も務めますが、私の本業は舞台の脚本などを手掛ける事なのですよ」

「なら今回の舞台もハオエンが脚本を書いたのかしら。楽しみね」

「奥さまのご期待に応えられる様、努力致しますよ。主演女優にも伝えておきましょう。私の姉ですので」

 ハオエンは大仰な仕草でシャンティの手を取り、笑顔で跪いだ。主役ではないとのことだけれども、さすが演者であるからか、ハオエンの動きは優雅でとても美しい。

 手を取られたまま思わず見惚れていると、隣にいたロロナナがわって入ってきた。

「シャンティは、こういうの、好み?」

「……こういうの」

 ロロナナが憮然とした顔でハオエンを指差す。ハオエンの方は少しだけ笑顔を引き攣らせている。

 舞台用の化粧をしているからなのか、そういう顔も綺麗で素敵だわと思わず息を吐く。

「好きか嫌いかっていう部類でいうか、まあさすが劇団の男って感じだわ。女の扱いが手慣れてるわねぇ」

 レオンにはないスマートな対応である。多分だが、十年くらい経っても、レオンには出来やしないだろう。

「女の扱い、慣れすぎ。信用ならない、危険、シャンティ、気を付ける」

「そうかしら」

「そう」

 そんなに警戒する必要もないと思うけどと、シャンティは肩を竦めた。

「おやおや、それほどまでに言われるとは。公国の劇団員は品のない行動をすべからず、という決まりがありますので」

 そんなの初耳だわとシャンティが目を見開くと、ハオエンは肩をすくめながら言った。

「我がハイナム大公国は、もとは帝国領でしたので、そちらの文化が根付いていまして。太公さまや貴族、裕福な方々は、一夫多妻なのです。私どものような平民は有り得ませんけどね」

「あ、聞いたことがあるわ。太公さまの奥方さま達だけが住む宮殿があるのでしょう」

「ええ、ええ、そうです。よくご存知で。他国から嫁がれる方がいらっしゃると、大変驚かれたりするそうでして。それで公国人は娘を攫うなどという話が広まったのです。それで特に忌み嫌われたのが、私どものような旅の劇団でして、暴力沙汰になることが幾度となくありました」

 それを嘆いたハイナム太公が劇団を呼ぶ場合、その安全を配慮するようにと他国に通達したのだという。そして劇団員には、むやみやたらに現地の人々と懇意な仲になるなと厳命したそうだ。

「というわけですから、安心して劇をご覧ください。奥さまのご友人ということで、特別に招待いたしましょう」

 ハオエンが今度はロロナナの前で恭しく跪いて、手を差し出した。その手には木札がのっている。天蓋に入るための木札で、ロロナナは釈然としない顔でそれを受け取った。

「せっかくだから一緒に見る?」

「いい、せっかくの二人きり、仲良くして」

 仲良くできるのかしらねと、シャンティは肩をすくめる。


「ちゃんと話しない。誤解する、勘違いされる。夫婦のすれ違い、ほんの少しの事、大惨事。これ、村の婆さま、言ってた」


「……覚えておくわ」

 シャンティが素直に頷いたのは、視界の隅で、レオンがこれまでにない程に不機嫌そうな顔をしていたからだ。

 なんだか面倒臭い予感だわと、シャンティは顔を顰めながら溜息を吐いたのだった。

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