シャンティとお祭り(二)
艶めく黒髪を編み込んでいて、異国の香りのする神秘的な容姿。一目で公国の人間だとわかる青年は、シャンティに向かってニッコリと微笑んだ。
「お初にお目にかかります、クレーナッツ伯爵夫人。私は劇団員のハオエンです。この度はお招きありがとうございます」
ペコリとお辞儀をされ、シャンティは戸惑った。公国の劇団が来るのは知っていたが、詳細は何も聞いていない。どう対応すべきか一瞬悩むが、すぐに屋敷の中に招き入れた。そして近くにいた使用人へレオンを呼んでくるように声を掛ける。
「え、旦那さまをですか。旦那さまはお忙しいので……」
「忙しいも何も、その旦那さまがお招きしたお客様が来てるのよ! ネーバルさんは所用でいないのだから、貴方が連れてらっしゃい。それとも何、大事なお客様を怒らせて帰っちゃっても良いのかしら。みんな公国から劇団が来るのを楽しみにしてたのに、残念がっちゃうわよねぇ。大変よねぇ」
隙も与えずシャンティに気圧されて、使用人は慌てて廊下の奥へと走っていった。それを見ていたハオエンが、感情の読めない笑みを浮かべているので、シャンティもまた笑みを浮かべて言った。
「ごめんなさい、家の者が失礼したわ。お祭りの準備でちょっとバタついているのよ」
「そうですか、奥さま。お忙しい中、お時間を頂きましてありがとうございます」
「良いのよ、気にしないで。それに座長さんは、ネーバルさんと一緒に行っちゃったしね。それで、レオンさまに挨拶するので良いのよね」
「ええ、領主さまにご挨拶を申し上げてから、広場に天幕を張ろうと思っています」
場所は先日ロロナナから昼食をご馳走になった炊事場に近い。ハオエンと話をしていると、使用人が呼んできたであろうレオンが、やや焦った様子でやって来る。
「すまない、こちらに連絡が遅れて。私はレオン・クレーナッツ。ここの領主をしている。今回は有名な一座であるあなた方を迎えることが出来て良かった」
「此方こそ、お招きいただき光栄です、領主さま」
レオンはなぜシャンティがここに居るのかと胡乱な目で見てくるが、素知らぬ顔をしておく。
ところで座長はどこにと訊ねるレオンに、ハオエンが説明をする前にシャンティが口を挟んだ。
「ちょっとさっき、うちの侍女の具合が悪くなっちゃって。親切な、それはもうとても親切な座長さんとネーバルさんが付き添って下さってるのよ。頭も打ったかもしれないから、ちょっと錯乱してるから、おかしな事を言っても仕方ないわよね」
貴方達も倒れるの見てたでしょとシャンティが同意を求めると、ハオエンは口の端を持ち上げて笑みを浮かべると、はいそうですねと頷いた。
「それは……」
本当かというレオンからの疑いの眼差しなど気にせず、シャンティは私が劇団の方々を案内するわと提案した。
「場所は分かってるし、レオンさまもネーバルさんも、ほらみんな忙しいでしょう。難しい説明とかは、座長さんにすれば良いだろうし」
「何を言って……」
今人を呼ぶというレオンを押し切って、シャンティはさっさと屋敷の外へと出た。
「ま、まて、私も一緒に行こう」
君だけでは不安だと言わんばかりのレオンに、シャンティは大丈夫と言い募るが、一人で出歩くのはダメだと許可されなかった。
「そもそも何で出歩いているんだ。刺繍でもしていろとあれほど」
また刺繍なのかとシャンティが顔を引き攣らせると、そこにハオエンが割って入ってきた。
「おや、これはこれは。領主さまご夫婦に案内していただけるとは、恐悦至極でございます」
人前でこれ以上言い争うのもどうかと思ったらしいレオンが、咳払いをしてからシャンティに手を差し出してきた。一体どうしたのかしらと首を傾げてから、ああエスコートしてくれるのかと思い当たる。
そうよね一応夫婦だものねと納得したシャンティは、レオンと腕を組んで歩き出した。
お祭りの準備で忙しいんじゃなかったのかしらと思ったが、レオンのちょっとした息抜きだという言葉で答えが出た。休憩を取る事で仕事の効率が上がるのはわかるので、そういう事にしておこう。
道すがら、シャンティはハオエンにどんな催し物をするのと訊ねると、それは見てからのお楽しみですよと言われてしまった。
「ちなみに今も昔も、人気はやはり恋物語ですよ」
「あら、素敵」
恋物語に憧れる娘は多い。作り物だと分かっていても、否、作り物だからこそ、綺麗で苛烈な内容に憧れるのだから。 シャンティは勿論、そういうお話が大好物だった。絶対に観たいわと言うシャンティに、ハオエンは是非にと返す。
「やはり『ココ・ベネローマ夫人』が一番なのですよ。10年以上様々な劇団が演じてしますが、衰えることがありません」
「王都で観た事があるけど、本当に素晴らしかったわ」
「それはそれは。ただやはり、劇団としては新しいものも取り入れたいのですよ。その為に、旅先で色々と恋のお話を聞いたりもします。お優しい奥さまとご立派な領主さまの出会いの話も、是非にお聞きしたいですね」
「またの機会にね」
言い淀んだレオンを庇うように、シャンティは片目を瞑ってハオエンに指を立てて言った。その代わりタダじゃダメよと付け加えれば、ハオエンはもちろん御礼は致しますよと笑みを浮かべた。
話をしているうちに、広場へとたどり着く。馬車と大人数を引き連れての移動だが、屋敷からさほど距離があるわけでもないので、大した時間は掛からなかった。
劇団の天蓋を張る場所は開けられていたため、団員達は馬車から荷物を取り出すと、手慣れた様子で柱などを建て始めた。
「何かあれば屋敷の方へ」
「手厚く歓迎して頂きありがとうございます。領主さま」
一礼したハオエンは、今度はシャンティに向かって言った。
「祭りの後は隣の街に行く予定ですので、気に入ったのならば、どうぞお立ち寄りください、奥さま」
それではと言って、ハオエンは天蓋を建てる準備へと向かって行った。
「では帰ろう」
有無を言わせぬレオンの物言いに、シャンティは呆れながらも従った。二人の間に沈黙が訪れるが、それを最初に破ったのは意外にもレオンだった。
「……その、今日はどうなんだ」
「はい?」
「ちょ、調子とか」
「別に調子は悪くありませんけど」
「そうか、それは良かった」
再び沈黙が落ちると、レオンの眉間の皺が深くなる。何か怒らせるような事でも言ったかしらと、シャンティもまた眉を寄せた。しかしながらレオンの様子を注意深く観察してみると、何か言おうとしてはやめるのを繰り返しているようにも見えた。
これはもしや、自分と何か話をしたいのだろうか。あの、頑なにシャンティを拒絶したレオンが、まさか。
そんな訳ないかと思ったが、しかしレオンの態度はどうにも落ち着かない。だからシャンティは気を利かせて、自ら話題を振ってみた。
「ねえ、レオンさま。劇団の方々はお祭りが終わったら、街から出ていってしまうのね。とっても残念だわ。でも隣町に滞在するのなら、うちに滞在してても良いんじゃないの?」
「……そうして欲しいが、うちの街と隣の街までの道は、整備されていないからな。冬が来て雪が降れば、道が閉ざされてしまう」
完全に閉ざされるわけではないが、馬車が通るのは難しいとレオンは言った。それに隣の街というのは、隣接する別の領地なのだそう。
そういえばお隣の領地を抜けた途端、道は悪くなり馬車の乗り心地は最悪だった。しかも森を切り開いた為に道が細いから、すれ違うのも難しい。隣町といってもかなりの距離があるわけで。
街道整備をしたのは一体いつ以来なのかしらと、シャンティは思った。レオンのどこか憮然とした様子から、整備はしたいけれど資金が足りないとか、そういう感じみたいだけれども。
「うちも街道を整備したいのだが……。曽祖父が王宮に陳情して、森を切り開き道をならした以降、殆ど出来ていないからな」
もう少し道が良ければ、領民の暮らしも良くなるのにと、レオンが苦々しく言った。
「……炭が売れれば良いんだが」
深くため息を吐くレオンに、シャンティは売れないのかと思わず聞いてしまった。
「……君に言っても仕方が……、いや、そうだな。ああ、クレーナッツ領では木炭を売って生計を立てている者が多いんだ。比較的手に入れやすい。だから街全体を温める暖房を維持出来るんだ」
だがそれだけだと、レオンは眉間に皺を寄せている。王都だとその木炭も高価になるので需要はあるけれど、わざわざクレーナッツ領の木炭を買い求めなくとも良いので、領外へ売りに出すのも微妙なのだろう。
「……カルホルモカ山脈からは、石炭は採れないしな」
「ああ、蒸気機関の燃料に、クレーナッツ領の木炭を売り込みたかったのね」
科学アカデミーで開発された蒸気機関は、今や王国の叡智の結晶として持て囃されている。
その一つとして、蒸気機関車というものが建造されていた。科学アカデミーの展示会に行った時、石炭を燃料に短い距離だったが走っていたのを見て、シャンティは凄いと感激したのを覚えている。
確かその時、蒸気機関車の説明をしていた科学者が、石炭と木炭では違うとか延々と話していたのを覚えている。あの様子からして、確実に蒸気機関の燃料には石炭を使うのだろうことは、簡単に予想できた。
「よく知っているな。さすがノエル家のご令嬢といえば良いのか。……そうだ、最初はうちの木炭をという話だったんだが、途中から石炭にするという事になって」
クレーナッツ領の木炭が燃料となるのならば、それを運ぶ為に国家主体で街道が整備される可能性もあったのだと、レオンは嘆いた。あてが外れちゃったんだと、シャンティは可哀想に思う。
「でも、木炭以外にも色々とあるでしょう」
「そんなもの、ない」
「いいえ、あるに決まってるわ! レオンさまはずっとここに住んでるから、気付かないだけって事もあるもの。クレーナッツ領の良いところ、私が探すの手伝ってあげるわ」
だから元気出してとシャンティが言うと、レオンは何とも言えない表情を浮かべて言った。
「……君は、部屋で大人しく刺繍でもしていてくれ」
自室へと戻ってきたシャンティは、何なのよもうと苛立たしげにベッドに座り込んだ。
口を開けば刺繍でもしてろとか、馬鹿の一つ覚えの様に、何度も何度も何度も。
シャンティはやってらんないわと、ベッドの上に身を投げ出した。
「はああ、でもまあ、少しはお話し出来たから、ちょっとは前進したのかしら。レオンさまは、クレーナッツ領の事をどうにかしようと凄く真剣に考えているのね」
若くして伯爵を継いだからか、何かと苦労が多そうだ。それに親戚筋に押し付けられた花嫁であるシャンティの事もあるし、クレーナッツ一族も色々と揉め事の火種が燻っているようである。
「本当にお貴族さまって大変よね」
でもと、シャンティは先ほどまで組んでいた、レオンの逞しい腕を思い出した。
見た目はそこまで厳つくはないのに、さすが軍人の家系というべきか、しっかりとシャンティを支えてくれた。それに、初対面の時の酷い態度とは裏腹に、シャンティの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれていたし、さり気なく泥濘を避けていたのにも気付いていた。
「やっぱり、意外と優しいのかしら」
優しくされるのは、悪い気がしない。それにレオンの見た目は、それこそ美形というものに分類されるから、そんな夫から丁重に扱われるのは、何だか堪らない気持ちになった。
最初の出会いが酷過ぎた為、レオンの良いところを見つけてしまうと、多大に加点してしまいそうになる。もぞもぞと体を動かして悶えるシャンティだったが、頭の中でロロナナの惚れっぽ過ぎるという呆れた声が聞こえてきたような気がした。