シャンティと空回りの日々
屋敷に戻ったシャンティは、レオンと仲良くなるには、一緒に食事を共にしたり、時間を作って話をして、相互理解を深めるべきだと考えた。
第一印象は最悪でも、市場での出来事でちょっとばかり見直したからだ。
シャンティは少しでも話をしようと、早速レオンの執務室へ向かったのだが、中に入る前に執事のネーバルに阻まれてしまった。
「申し訳ございません、お嬢さま。ただいま、伯爵は執務中でして」
「それはわかってるけど、夕食を一緒にどうかしらって誘いにきたのよ」
「本当に申し訳ございません。夕食は部屋で取るとのことでして、暫くはご一緒には出来ないことを伝えるようにと、言われております」
深々と頭を下げられお断りされてしまったシャンティは、引き下がるしかない。執務が忙しいというのなら、あまり無理強いは出来やしない。
どうしようかなと廊下を歩いていると、ふとシャンティは思いついた。
執務室で食事をとるくらい忙しいのなら、何か差し入れでもしてあげよう。でも何がいいかしらと考えて、得意なビスケットを焼いてあげようと思い立った。
たくさん焼いて、お屋敷の人達にも差し入れしよう。これからどうぞよろしくねという意味を込めて配れば、少しはシャンティを受け入れてくれるかもしれない。
厨房へと向かうと、さっそく使わせて欲しいとお願いをしたのだが、即座に断られてしまった。
「……お嬢さま、こちらにある材料はすべて、予算をもらい何にどう使うか予定を組んで購入しているのです。過分なものなど、一つもありません。何かしら作りたいのでしたら、材料の購入を伯爵にお願いして下さい」
「その伯爵とお話しする為に、ちょっとお菓子作りをしたいのよ。ねえねえ、ほんの少し分けてくれればいいし、なんなら料理に使って余った小麦粉でも良いの。それから厨房の隅を使わせて……」
「お嬢さまは伯爵に、余り物を食べさせようとしていらっしゃるので?」
厨房係に凄まれ、シャンティはそういう意味で言ったんじゃないわと慌てて否定した。が、厨房係の声は大きく、何事かと見守っていた他の使用人たちの耳にも入り、ざわついている。
これはまずいかもと思った時には、誰かが呼んだノエル家の侍女がやってきて、シャンティを厨房から連れ出した。
「まったく貴女は、何をやっているのです! ノエル家に泥を塗る気ですか!!??」
廊下で怒鳴りつけられているシャンティを、使用人達が物陰から様子を伺っていた。その視線に気付いた侍女は、シャンティの腕を掴むと、来なさいと部屋へと強引に連れて行った。
「痛いじゃない、痕がついちゃうわ」
「お黙りなさい!」
部屋に戻った途端、腕を乱暴に放され体を押された。床へと転んだシャンティは、すかさず侍女へ文句を言うが、苛ついた声で一喝された。
「良いですか、貴女のような礼儀知らずの小娘が、この屋敷を追い出されるのは目に見えている事です。ですが万が一そうなったら、私は奥様に合わせる顔がありません。縋り付いて下女になってでも、クレーナッツ伯爵家に置いてもらってくださいませ」
言うだけ言った後で、侍女はシャンティを鼻で笑った。
「まあ貴女のような頭の悪い娘が、下女として働けるわけがありませんけどね。これ以上なにか問題を起こすようなら、奥様に報告します」
酷い物言いにシャンティは反論したくなったが、ぐっと堪えて押し黙った。スカートの裾を掴んで俯くシャンティに、侍女は溜飲を下げたのか、大人しく部屋で過ごしなさいと言い残して出て行く。
扉が閉まるのを見たシャンティは、誰も居なくなったのを見計らって、盛大に顔を顰めたのだった。
そして深いため息を吐いて、シャンティは部屋のベッドに寝転がる。綺麗に整えられた部屋ではあるが、ここは客間だ。伯爵の妻が使うべき場所じゃない。
レオンの部屋と階も違うし、場所も遠く離れている。この扱いを見る限り、完全に拒否されているといっても間違いじゃないだろう。
仲良くなるために、ちょっとでもお話をと思ったけれど、なかなかに難しい。
「あーあ……、上手くいかないわねぇ」
天井を見上げながら深くため息を吐いたシャンティは、これからどうしようかしらねと呟いた。
そしてシャンティが何もできないまま数日が過ぎると、するとなかなか酷い噂が屋敷の中で広がってしまっていた。
領主様のお屋敷で働く使用人達は、シャンティの事を好き勝手に言い放題だ。
貴族のお嬢様らしくない。
大口を開けて笑っている。
礼儀の一つもなってない。
食事のマナーが酷かった。
それからあのお付きの人が、ノエル家の面汚しだと言っていたわ。
それらをシャンティは、窓の下で聞き耳を立てて聞いていた。まあ話している内容は本当の事も多いので、別に怒る気にもならない。
普通のお嬢様なら、部屋を抜け出して屋敷の窓の下に座り込んだりしないものねと、シャンティは空を見上げながら思った。
澄んだ青空はとても綺麗で、遠くに見えるカルホルモカ山脈は雄大である。私もあれくらい、広い心持つべきよねえと思いつつ、痛む掌に眉を顰めた。
シャンティは屋敷の女主人としての仕事は何もしなくて良いと言われており、レオンと会おうとしてもできずにいた。
本当に一日中、部屋の中だけで過ごすだけである。
シャンティとしては女主人の仕事などしたくもなかったが、ノエル家の侍女はそれを良しとはせず、ネーバルに文句を言い、レオンにも抗議しに行っていた。
何も認められなかったけれども。
面目を潰された侍女を見て、シャンティはざまあみろとほくそ笑んだが、言い分が通らない苛立ちを別の事で発散させようとしたようだ。
それがマナー教育だと言って、シャンティの両手を鞭打つ行為だった。
ノエル家の侍女が言うには、お嬢さまがお屋敷で出来なかったお勉強をここですべきです、だそうだ。
鞭を手に意地の悪い笑みを浮かべており、椅子に座れと言われて座れば、姿勢が悪いと鞭を打つ。そしてお辞儀の仕方が悪いと鞭を打ち、さらにはシャンティの顔が気に食わないのだと鞭を打ってきた。
まともな説明もなく鞭打たれるのだから、たまったものではない。
どうすればいいか見本を見せてと言ったら、口答えをするその態度が悪いと鞭打たれ、シャンティは心の底から侍女を軽蔑した。
そんなノエル家の侍女が昼食の為に部屋から出て行ったのを見計らって、シャンティは窓から木を伝い外へと脱出したのである。ちなみにシャンティは、マナーを覚えられなかったから、昼食は抜きなのだと言っていた。朝だって食べてないのにだ。
侍女は貴族の女主人は朝早く起きるものではないと言い、お茶だけをシャンティに寄越してきた。そのお茶だって冷えて飲めるものじゃなかった。
やってられないわねと、シャンティは小さくため息を吐いた。
厨房からこっそり何か食べ物を拝借しようかと思ったけれど、絶賛自分の事でお喋りして盛り上がっているのだから、入って声を掛ける気も起きなかった。
ああ本当にやってられない。
レオンとは市場で顔を合わせて以来、会話すらしてない。完全にシャンティを拒否だ。執務が忙しいとその姿すら見かけていなかった。
なのでシャンティは、ずっと意地悪なノエル家の侍女と二人っきりで、手に鞭打たれて過ごしていたのだ。
いい加減に我慢の限界である。
侍女の手前、大人しくしていたが、シャンティは黙って堪え忍ぶ事ができる性格の持ち主ではない。
溜まりに溜まったフラストレーションから、遂に部屋の外へと飛び出したのだった。
しかし残念ながら、この屋敷以外に行く場所などない。頑張って王都まで歩いて帰れば良いかもしれないけれど、それもノエル家の事を考えれば出来やしなかった。
ため息を吐きながらも、部屋に戻る気も起きなかったシャンティは、そのまま街の市場へと向かった。
「ここに来てから私、確実にため息が増えたわ。嫌になっちゃう」
浮かない顔で再びため息を吐きながら、シャンティは通りを歩いて行く。お金など持っていなかったので何が買えるわけでもないが、息の詰まる屋敷にいるよりはよっぽど楽しそうだ。
市場を歩いていると、色々な店から声を掛けられる。中でもセウィ族の商人の露店で、髪の毛を売らないかと言われたのには驚いた。
王都でも鬘を作るために、髪の毛の売り買いがあったりはするけれども、その露店は別の事に使う様だ。
「若い娘の髪はお守りになる。お前さんの髪の色珍しい。美しい。高く買う」
「えっ、本当?」
一瞬心が揺らいだが、すぐに貴族の娘で髪が短いのはいないのを思い出し、またの機会にねと断った。下手に髪の毛を切って、ノエル家の侍女を怒らせたら面倒だ。
シャンティは母親譲りのストロベリーブロンドを褒められたので、良い気分になった。
「……また一人でいる」
「あら、あなたこの前の。こんにちは、ロロナナ。えっと……ご機嫌いかが?」
「機嫌? …悪くない。お嬢さま、一人で来たら怒られる」
市場で出会ったのは、先日イヤリングを購入したセウィ族の少女ロロナナだった。そういえば数日おきに石を売りに来ると言っていた。今日がその日なのだろうか。
「街へ来る道、途中の川、雨で増水して危険。足止め」
「それって危ないじゃない」
「いつものこと」
ロロナナが言うには、山の天候は変わりやすいから、川の増水など良くある事でしかないそうだ。危険ではあるが、そんな時は近付かなければ身は守れると言っている。
「その通りっていえばそうだけど。急ぎの用事がある時はどうするの?」
「山々に住う神に願う」
神様にお願いしてどうにかなるのかしらと思ったが、シャンティは信仰に対してどうこう言ったりするつもりもなかったので、黙っていた。
自分が信じているものを否定されるのは、とても嫌な気持ちになるのをシャンティは知っていたからだ。
「お嬢さま、それより、今日は誰も、お供をつけてない?」
「あのうるさい侍女が居ない時なら、私のことシャンティって呼んでいいわよ。お嬢さまって呼ばれるのもなんだか良い気分だけど、お姫様って呼ばれた方が嬉しいかも」
シャンティ姫って可愛いわよねとロロナナに同意を求めるが、半目で見られた。お姫様って呼ばれてみたいじゃないと口先を尖らせていたシャンティだったが、その腹が盛大に鳴り響く。
「……お腹、空いてる?」
ロロナナの問いに素直に頷くと、やや迷った後でついて来るかと言った。
「ロロナナの友、なら食事、招待する」
「えっ、本当!? でも私、お礼出来るもの何もないわ」
「……なら、次に私が困った時、食事、招待して」
「勿論よ! 約束ね」
快諾するシャンティに、ロロナナは困ったような笑みを浮かべてから、着いてきてとシャンティを促した。