シャンティの結婚
シャンティの将来の夢は、ビスケット屋さんになること。そりゃあパパみたいな素敵な人と愛し愛され結婚したい、なんて可愛い夢もあったけど。やっぱり一番の夢と聞かれたら、世界一のビスケット屋さんだ。
ノエル領に訪れたのは、そのビスケット屋さんへの始まりだったのだけれども。とんでもない事に巻き込まれたわと、シャンティはため息を吐く。
ノエル領の土地を買おうとしたのは、綿花で儲けたお金でビスケット工場を建てるつもりであったからだ。
綿花の事業はすでに国内でも大規模な商会が手掛けていたし、栽培は帝国が主導となっているから、少し乗り遅れているようなものだった。ちょっとだけ儲けが出ただけ良しとするべきと、シャンティは早々に手を引いたのである。
それよりも科学アカデミーが開発した様々な機械を見て、これだわと閃いたのだ。ビスケットの製造も機械化できれば、大量に作り出せて売れるのではないかと。
大量に売る先は狙いをつけていた。王都の駅馬車で、長距離を移動する客なら、軽食としてビスケットを携帯するだろうと思ったのだ。
ビスケット製造の機械は、フロラン商会名義で発注してあったので、商会の倉庫に保管してもらっていたので無事だったが、問題は土地と初期の運営資金だった。
なにせ運営資金はすべて、アンジュに奪われてしまったのだから。
シャンティが稼いだお金だけど、父名義だったのが悪い方に傾いてしまった。
アンジュは奪ったという意識もないかと、シャンティは呆れた顔で肩を落とす。慰謝料だとかなんとか言っていたものね。
伯父はお金儲けの話になら乗ってくれるけれども、頼り過ぎるのも良くない。それにビスケット屋さんはシャンティの夢だから、伯父から資金を出してもらうのも違うような気がした。なのでお金は、自分で稼ぐ事にしたのだ。
アンジュとシェリーロワ公爵の仲を見て、あの二人は恋仲であるとすぐさま理解したシャンティは、きっと自分たちのことを肯定させるように噂を流す筈だと考えた。アンジュは無効とされたとしても、クレーナッツ伯爵とノエル家が婚姻した事実はあるのだから。王都の面倒臭い貴族の格好の的となる瑕疵は、なるべく無くしたいだろう。
それこそ、シャンティという悪役が必要となる。
ならばそれを利用しようと、ハオエンに話を持ちかけたのである。とにかく私をすごい馬鹿で愚かな悪役にしてちょうだいと言ったら、本当にそれでよろしいのでと何度も聞かれてしまった。最後にはさすがココの娘ですねと、呆れたように言っていたけれども。
王都で公演してすぐに、公爵からパトロンの申し出があった。予想通りだったけど、ハオエンが泣いて感謝していたので、シャンティはママ直伝のポーズで言ったとおりでしょと笑ってあげた。
そこからはもう、笑いが止まらないほどのお金が公爵からシャンティに転がり込んできたのである。ちなみに『ココ・ベネローマ夫人』の上納金の管理は、伯父が行なっている。シャンティと父には生活に困らない程度の金額が渡されるが、そこに文句はない。王都の劇場の管理とかその他諸々、国外での調整など全てやっているのだから、感謝しかない。
シャンティが考案した『ココの娘』も、纏まったお金が手に入ったあとは、伯父に管理を任せた。そして手に入ったお金で、ようやく念願のビスケット工場を建設したのである。
場所は色々と考えて、王都のスラム街にした。郊外の土地はもうこりごりだというのもあったし、スラムの子供達なら、低賃金でも働いてくれそうという目論見もあった。
その目論見は大当たりして、ビスケットの失敗したものを無料で渡していたら喜んで働いてくれたし、栄養状態も良くなってさらに人が集まり働いてくれるという好循環となった。
そしてもう一つの目論見も大当たりしたのである。
慈善事業に熱心な王女さまが、評判を聞きつけて慰問に訪れてくれたのだ。シャンティが王女さまと会った時に、ビスケットが出来た由来の祖父と友人の事を話すと、涙ながらに聞いてくれたのだ。その結果、王女さまお気に入りのお菓子となることが出来たのである。
王都にはまだ、六十年前の戦役に従軍した軍人が退役しても住んでいるので、祖父の話を聞いて買ってくれる人も増えた。それから軍の現役世代に話が伝わり、兵糧に加えたらどうかという話もきて、ビスケット工場はますます繁盛したのだ。
その勢いのまま、シャンティはあまり進んでいない鉄道産業に参入した。
新参者の入る余地があったのは、隣国で蒸気機関に関連する大規模な事故があったため、出資者がこぞって及び腰になったからである。どこかの貴族は蒸気機関車の危険性を訴えて、開発は中止すべしとか言っていたけど。
そもそも隣国が失敗したのは、色々と問題点が多すぎだったからだ。開発を急ぎ過ぎたのと、資金が足らないのと、そもそもまともな技術者がいなかったというのが一番だろう。確かモーラ連合王国の科学アカデミーの出身者が一人いたらしいが、一人でどうしろというのか。
開発者とされるのは一人くらいしか名前が書いてない場合もあるが、作り出すには相応の技術を持つ人間が、何人も、何十人も必要となる。隣国はそのノウハウを持つ者がほぼおらず、アカデミー出身者たった一人に頼りきりになっていたのだから、失敗する未来しかなかったわとシャンティは思った。
だがしかし、モーラ連合王国は開発者がいて技術者もいる。そして資金もあるとなれば、今がのりどきだとシャンティは考え、ビスケット工場での儲けを出資に費やしたのである。もちろん、できた駅舎でビスケットを販売する権利は確保した。駅馬車で売れたのだから、列車の駅でも売れないわけがない。
出資者の権限で、北の方に線路を伸ばしたことで、鉄道産業に大きく貢献したと、王様からお褒めの言葉をもらったシャンティは、その時に貴族の爵位が欲しいとお願いした。
なぜと問われたので、結婚したい相手が貴族の娘をお望みなのと答えると、呆気に取られた後で大笑いし、それならと言って一代限りの侯爵の地位をもらった。
平民でも女性でも、能力さえあれば上り詰めれることを見せつけるためにとか、王様が言っていたけれど、要は広告塔になれってことねとシャンティは理解している。
爵位は侯爵だけれども、領地もないし特権階級の権限もない。本当に名前だけの地位だったのだ。ほんのちょっと、王家から報奨金みたいなものはもらったけど。
シャンティが授与した後のパーティで、どこかの公爵夫人がお仲間たちとこんなのおかしいとか、王様に媚びて擦り寄った愛人ではとか、声たかだかにおしゃべりしていたようだけど。残念ながら王宮では、公爵夫人とそのお仲間の言葉を真に受ける者はいない。
声たかだかに王家のやり方を批判する貴族に、近寄る馬鹿はいないということだ。
最近の王家は、貴族の力を削ぐ方向に舵を切っている。王様はあまり苛烈に事を成してはいないけど、貴族の特権だけを享受している人達から、領地や金を取り上げている。形骸化した名前だけの貴族という存在に、力のある商人や平民出身の官僚を嵌め込んで、うまく国に繋ぎ止めようとしていた。
だからそれを理解している者は、王様を批判するのではなく、もっと建設的な意見を言うことに尽力している。王様は反対意見を聞き入れないような狭量な人でもないようだしね。
ちなみに公爵夫人とそのお仲間は、王女がビスケットを食べていることまで批判して、かなりの顰蹙を買っていた。
最終的に王女さまがニコニコと笑って、彼女たちに言ったのだ。
「ではあなた達の目に入らないよう、こちらも最大限に配慮致しましょう。でも私、本日は主賓の一人だから、夜会を辞することはできないの。あなたたち、ご遠慮してくださる?」
つまり夜会から出ていけということ。それを聞いて公爵夫人は持っていた扇子を折ったとかなんとか。アンジュお嬢さまのことだから、絶対に自分は悪くないって思っていそう。愚かな王家の方々失礼致しますとか、それくらい言って立ち去りそうだわとシャンティは思った。
シャンティは実際にその現場を見ていないが、後で会った王女さまがあんまり人に見せられないような顔でワインを飲んでいたので、多分近い事を言ったんじゃなかろうか。
アンジュって馬鹿ね、王女さままで敵に回して、どうするのだろうと、呆れることしか出来ない。まあ最も、シャンティはアンジュとはお友達でもなければなんでもないので、彼女の幸せを願うことも手助けすることもない。
面倒ごとに巻き込まれる前にと、シャンティは王都から退散した。
もちろんシャンティが出資して整備された、北の地に向かう蒸気機関車に乗ってだ。
揺れる列車内で、シャンティは何種類もの新聞を読んでいた。
幼い頃からの習慣で、ママがビスケット屋さんになりたいのなら、新聞を読む事は大事なのよと教えてくれたのだ。
国内情勢が書かれたものから、政治的主張が書かれたもの、社会風刺とか、貴族令嬢のコラムとか、それから貴族のスキャンダルが書かれたものなど。シャンティは発行される新聞全てに目を通している。そのおかげで、王女さまの慈善事業のことや、隣国の情勢などの知識が手に入っていたのだ。
見出しの一つが目に入る。
『シェリーロワ公爵領で大規模な山崩れ。粗雑に進められた炭鉱採掘が原因か。炭鉱夫達の劣悪な環境発覚』
公爵領は終わりねと、シャンティは思った。
石炭が売れるから、公爵家は利益重視で炭鉱を次々と掘りまくったのだ。一応、地理に詳しい学者さまとかが公爵に諫言したらしいけど、石炭事業が上手くいっている事へのやっかみだと笑われて終わったのだとか。
王様は公爵領で災害が起こるのを予測していたけど、余計な手出しはできないからと困った顔をしているのを思い出した。犠牲となった炭鉱夫たちは堪ったものじゃないわねと思うが、しかしシャンティにも手出しのしようがないからどうしようもない。
王様はこれを機に公爵家の所有する炭鉱と土地を、王家直轄のものにするつもりなのだろう。公爵家は帝国と仲良くするのを快く思っていないので、メダム運河の開発が遅れているのだと言っていた。公爵領を手に入れれば、メダム運河付近が一気に発展する事だろう。
炭鉱も土地も取り上げられて、王女からの不興もかってる。土地もお金も無くなった公爵家の未来は、明るくなんてない。
爵位も取り上げるんじゃないかしらね、あの王様なら。公爵のこと、少し邪魔に思ってたみたいだもの。
やっぱり王様とかそういう人たちって、怖いわねとシャンティは肩を竦める。彼らは国というもののために、なんでも犠牲にできるのだ。あくまでもちょうど良い距離でお付き合いするのが良さそうだ。
シャンティやママとは違う。シャンティやママは、愛する人のためならば、なんでも手に入れるのだから。
「シャンティ、新聞ばっかり、読んでたら、酔う」
向かいの席に座ったロロナナが、ビスケットを齧りながら言った。揺れのひどい馬車に乗って読んでた事もあるので、酔わないとは思うけど。そういえばロロナナは、初めて蒸気機関車に乗った時、盛大に酔って目を回していた事があった。そのことから酔うという事に敏感なのかもしれない。
一緒にハオエンに会いに行った後で、ロロナナはそのままシャンティと行動を共にした。帰らなくても大丈夫なのと聞いたら、父と兄に了解を得てシャンティといるから大丈夫と言われたのだった。
「女神ウルモヤと共にいる事、シピの誉れ。そのシピ、私のシピ。だから誉れ、私も受ける」
山岳信仰のことはよくわからなかったけれど、ロロナナが良いなら構わない。
「ロロナナ、海はどうだった?」
「暑い、変な匂いする、ベタベタ」
そんなことを言いながらも、ロロナナは初めての海を満喫していた。泳いでもいたし、海の幸を食べて、あり得ないほど顔を緩ませてもいたし。線路の整備とかビスケット工場建設とかで、国中を慌ただしく移動していたシャンティに付き合って、ロロナナは海を見ることができた。
近況は手紙にしてロロナナの両親に送っていて、それをネーバルがレオンに伝えていてくれたようだ。伯父のガルロも、宝石の契約の様子を見るついでに、シャンティの事を伝えてくれていたし、レオンの様子を聞くことができた。
でも今まで直接のやり取りはしていなかった。
今日、クレーナッツ領へ行くことは、ココ・シャンティ・フロランの名前で知らせてある。
待っていてくれるのかしら。受け入れてくれるのかしら。
ママはよく、愛した人と一緒にいられるのは素晴らしいものなのよと言っていた。愛した人と一緒なら、何でも出来るって気持ちになるのよだなんて、心の底から幸福であるかのように笑っていた。
恋を知ったシャンティは、両親のように愛し合って結婚するというのは、本当にとても素敵な事だと思っている。
だから。
今更ながらに不安になったシャンティだったが、ロロナナが窓の外を見て声を上げた。
見えてきたクレーナッツの街並みに、色とりどりの花が飾られているのだ。花が咲く季節でもなければ、まだ収穫祭の時期じゃないのに。
「クレーナッツ領、いまは、花と宝石の街、言われてる。シャンティのおかげ」
「それは聞いてたけど、こうして目にするのは初めてよ」
「レオンさま、頑張ってた」
列車が駅舎に到着すると、そこにもたくさんの花が。
眉間に皺を寄せて、どこか不機嫌そうな表情を浮かべているのに。妙に姿勢良く、その両手には抱えきれない程の花束があった。
列車から降りようとするシャンティと目が合うと、目を逸らされてしまう。
「君が、……花は嫌いじゃないと言っていたから」
それくらいしかわからなくてと、ボソボソと話すレオンの首筋は真っ赤だった。相変わらず、わかりづらい人ねとシャンティは笑うと、勢いよくレオンに抱きついたのだった。
「レオンさま、ただいま!」