レオンと待ち望む花嫁
叔父のジェイクから、クレーナッツ家の親族を集めて夜会を開くという通達がきた。
伯爵であるレオンに伺いを立てることもなく、すでに決定事項として連絡してきている。多分だが、親族にはすでに根回しをしているのだろう。叔父は上手い話にはすぐに引っかかるのに、こういったときは何故か抜け目なく立ち回るのだ。
終わりが近いのだろう。せめて彼女に何か贈りたいと考え、夜会のドレスをと思いついた。
彼女は屋敷に来てから新しいドレスなど仕立てておらず、本人からも要望がなかったので特に何もあつらえずにいたのだ。この辺りで優秀な針子といえば、セウィ族の女性達だ。
ロロナナに幾らかかっても良いから、彼女が満足する一着を作ってほしいとお願いすると、力強く頷かれた。
「カルホルモカの神、望め、さすれば叶う、言った。レオンさま、望んで。一緒にいたいって、ちゃんと、望んで」
夜会のドレスを仕上げるからと屋敷から帰る時、泣き出しそうな顔で従姉妹は言った。けれどもレオンは、それに応える言葉を持ち合わせてなかった。
そして親戚が集まる夜会で、茶番のような断罪劇の幕が上がったのだ。
シェリーロワ公爵に付き添われてやってきた本物のアンジュ・ノエルが、彼女とその父親の罪を口にし、結婚は無効だったと突きつける。
初めて見たアンジュ・ノエルは、まさに貴族令嬢といった風貌だった。淑女然とした様子で、矢継ぎ早に彼女と彼女の父を責めた。
貴族だと勘違いした馬鹿な女扱いをしたが、彼女は悔しげにアンジュを睨みつけていた。今にも食ってかかりそうな雰囲気に、このままではまずいと、レオンの体が先に動いた。
予想通り、彼女は反論しようと立ち上がり、叔父のジェイクが斬りかかったのだ。いくらなんでも、斬りかかるだなんて。
彼女のことを守りたかったのはもちろんだが、ジェイクの横暴が許せなかった。士官学校で軍人は国民を守ると教えこまれるというのに、一体どうして守るべき国民を傷付けようとするのか。
レオンが年若い青臭い考えしかできないというのなら、そうだろう。だがそれを差し引いたとて、武器すら持たない娘を剣で斬るだなんて、常軌を逸していた。
しかし叔父のジェイクは、レオンが止めに入ったことが気に食わないらしく、さらに殴ろうと拳を振り上げてきた。結局、祖父の一喝で引き下がったが、忌々しいと言わんばかりの表情を浮かべている。
叔父はレオンのことを下に見ているのだ。だから少しでも意に反することをすると、怒りが増すのだろう。
祖父に促され、アンジュ・ノエルとシェリーロワ公爵を応接室へと案内した。彼らは招待客でもないが、叔父のジェイクが勝手に屋敷へと入れてしまったため、追い出すわけにもいかない。
夜会が始まる前にネーバルや元乳母の使用人に、彼女を避難させるよう伝えておいた。
「クレーナッツ伯爵、我がノエル家との婚姻の契約は無効となります。そのための書類を確認していただけませんか」
冷たいとも感じる表情のまま、アンジュが数枚の書類を渡してきた。祖父はそれを見ると、眉を寄せている。
「なんですかな、これは。今回の一件はこちらにも非があると言いたいわけですか」
「ええ、母はジェイク卿に強引に契約を迫られたと……」
確かに叔父には強引なところはある。が、支度金を受け取っておいて、それを返却もせず慰謝料とするとは、随分と虫の良い話だと、レオンは顔を顰めた。支度金は、花嫁がこちらの暮らしで不自由しないようにと、身の回りのものなどを購入するために渡したものだ。しかし身代わりに来た彼女は、何も持っていなかった。
洗濯物がないことに気付いた使用人が慌てて報告してきて、大急ぎで揃えてもらったのだ。街で手に入れたものだから、貴族令嬢が身につけるようなものではない。だが彼女は感謝の言葉を何度も述べたという。まあそうだろう、何せ着替えの服もなく、下着も夜着すらなかったのだから。
すべての金はノエル伯爵夫人が着服したということか。
アンジュ・ノエルが身に付けているものは高級品のようだった。装飾品もつけており、資金難だという貴族には見えない。なんとも言えない不快感が込み上げてくるのを耐えていると、レオンの視線に気づいたシェリーロワ公爵が、鋭い視線を向けてきた。
「まだ正式に公表はしていないが、彼女は私の婚約者だ。不躾な視線はやめてもらおう」
「婚約者?」
「ええ、そうです。私が学校を卒業するとともに公表する予定です」
「……では、ノエル領はどうするのですかな?」
祖父バーナードの問いに、アンジュは王家にお返ししますとあっさりと言った。
「母はシェリーロワ公爵家で後見して下さると言うことで、王都に屋敷を構えて過ごしていただく予定ですので」
ノエル領に住む領民はどうするつもりなのだと聞いたつもりだったが、ノエル伯爵夫人のことを話されてしまう。
「どうせノエル領は、寒村しかありませんから」
あまりの言葉に、バーナードは杖を強く握りしめたのが見えた。レオンはアンジュを見て、彼女は領地には何の思い入れも何もないのだなと、呆れた。アンジュが生まれ育つまで、その寒村から徴収した税金が使われていただろうに、彼女はそれを理解していないのだろう。
「失礼致します、領主さま。大変申し訳ございませんが、急ぎの知らせが……!」
焦った様子のネーバルが室内に入ってくる。何事かと扉まで行けば、耳元でアンジュの身代わりとして来ていた彼女が、ドレスのまま父親と二人、吹雪の中追い出されたという事だった。
「お祖父様、大変申し訳ありません! ……私は行かなければ」
「……出ていくなら構わん。だがその時は、クレーナッツ家から名前を消すことになる。それをよく考えて、戻ってくるかどうか決めなさい」
雪の中、馬を走らせる。
真新しいそりと足跡を見つけそれを追っていくと、そりにくくりつけたロープを、必死に引っ張っているドレス姿の彼女の姿が見えた。
レオンの姿を見た途端、嬉しそうに笑った。そんな顔をして呑気にしている場合ではない。彼女の父親の様子もあまり良くなさそうだ。早く手当した方がいい。
コートを着るように渡せば、彼女はそれを父親に掛けてしまった。そんな自己犠牲をしている場合ではと言おうとすると、彼女は徐にドレスのリボンを解いて、それをばさりと広げた。見れば裏地には、シピの毛皮が縫い込まれている。
「実はこれ、コートになるのよ。コルセットの内側にも毛皮巻いてるし、ドロワーズの下にも毛皮が縫い付けてあるのよね。ロロナナにお願いしたら、バッチリだったわ。それに見て、これブーツより履きやすいの」
よくよく見れば、彼女は靴ではなくロロナナが冬の時期になると履いている雪原用の靴を身に付けていた。よくよく話を聞くと、そりには僅かばかりの食料も載せてあるらしい。完全にクレーナッツ領から逃亡する準備をしていたようだ。
驚いたのもあるが、彼女の強さと逞しさに感心してしまった。
小屋についてからも手慣れた様子で火を起こしてお湯を沸かすし、父親の手当てを終えると灯りをつけて窓の外へ向けて信号のようなものを送っている。
「この前、ロロナナの村に行ったでしょ。その時にね、お屋敷を追い出されたら助けてってお願いしてあるの。少ししたら来てくれると思うわ!」
やっぱりここから出て行く気なのだと思って、レオンは肩を落とした。クレーナッツ家にも、この地にも、彼女を引き止めることができるようなものなどない。
しかしながらその後、彼女の伯父とその商会の人たちや、ロロナナとセウィ族の村長達がやってきて、なぜかカルホルモカ山脈での宝石についての契約が整えられてしまった。
「これってレオンさまの功績になるでしょ。これでうまい具合に、レオンさまの叔父を抑え込めるわね」
彼女はニコニコと笑顔で契約書を渡してきた。自分よりも交渉ごとになれているし、物凄く生き生きしている。商売に慣れているということが見てとれた。
ここを去ってしまう前に話がしたくて、彼女の伯父の馬車を借りて二人きりになった。
一緒に平民になって暮らして行くことを考えたが、それはキッパリと彼女に自分では無理だと断られてしまう。そんなに言われるほど世間知らずでは、いや世間知らずなのか。
散々な言われようだったが、それでも彼女は嬉しそうに微笑んでいた。まるで、咲き乱れる花のような。
「レオンさま、私どうしてもレオンさまと一緒に添い遂げたいの。だからね、私のこと信じて待っててくれる?」
彼女を見送った後で、小屋に戻ると彼女の叔父であるガルロが話しかけてきた。彼女が言うには、至って真面目で誠実な商会だそうだが、どうしてもカタギには見えなかった。
「心配そうだな。まあ気持ちがわかるが、安心しろ。俺の姪っ子は、かなり頭がキレる」
彼女が聡明であることは、先ほどまでの行動でちゃんと理解している。
「ココ・ベネローマは知ってるだろ?」
唐突に問われたのは、舞台劇で有名な女性の名前だった。公国の貴族令嬢だというが、創作だとされている。何故なら公国にはそんな名前の貴族令嬢など存在していない。だから舞台の内容がいかに過激だろうが、問題はないのだと、公国の貴族が笑いながら話していたのを聞いたことがあった。
それをガルロにいうと、そりゃそうだと頷かれる。
「公国の貴族令嬢にはいねえよ。ココ・ベネローマは太公の十何人目かの娘だ。継承権も下の方、価値も後ろ盾もありゃしねえ、離宮という名のボロ屋敷に追いやられてたお姫さまだ」
レオンは驚き目を見開く。ガルロはその反応に、信じられねえよなと頷きながら、でも本当なんだよと言った。
「俺の若い頃は商会もまだそんなにデカくなかった。だから弟達を連れて、公国へ買い付けに行ったりもしたんだ。アフガ、……シャンティの親父だが、あいつは顔が俺達に似て強面だが、性格が優しくてな。うちの商売に向いてなかったが、放り出すのもアレだから連れて歩いてたんだよ」
一緒に公国へと行った時、何がどうしてそうなったのかわからないが、ボロ屋敷に住んでいたお姫さまと知り合いになったのだそうだ。そしてお姫さまは何がどうしてだか、アフガに恋をしたらしい。
ガルロは葉巻を手にもつと、深くため息を吐いた。
「有り得ねえ話だが、お姫さまはアフガと一緒に添い遂げたいと言い出した。しかしだ、ボロ屋敷に住んでようとも高貴な血筋。しょぼくれた商会の三男に嫁げるような身分じゃねえ」
お姫さまにも金持ちな貴族の縁談が決まり、弟に諦めるようにと話をした。すると弟がめずらしくガルロの目を見て、大丈夫だからと言ったのだ。普段は俯いていて、オドオドとしているというのに、この時ばかりは、はっきりと話した。
彼女が待っていてと言ったから、大丈夫だよ。
「俺は失恋して強がってると思ってたぜ。それにそのあとすぐに、王国に戻って来たからな。けれどだ、五年くらいして、すっかりそんな事も忘れた頃によ、アフガが言うんだ。結婚したから相手を連れてくるって」
最初は何を言ってるかわからなかった。大人だから事後報告だって問題はない。問題はないが、内気で引っ込み思案な弟が、いきなり嫁を連れてくるだなんて、騙されでもしてるのじゃないかとガルロは身構えた。
「それで次の日、挨拶に来た女を見た瞬間、俺はおっかなくてチビるかと思ったね。商人の娘みてえな服を着た、あのお姫さまがニコニコと笑って、アフガと手を組んでるんだからな。あの髪色で、間違えようもねえ」
いつの間にか名前だって変えて、モーラ連合王国の身分証まで持っていたそうだ。
「『ココ・ベネローマ夫人』が流行り出したのは、その少し前だ。好きな男と一緒になるために、自分の価値をとことん貶めて来やがった。貴族連中が手出しできねえように、その存在を手出し無用とされるように、色々とだ。金持ち貴族の旦那より、うちの弟を選びやがったんだよ」
アイツはそんな女の娘だぞと、ガルロは言った。
「見た目も、中身も、恐ろしいくらい似てやがる。せいぜい邪魔をしねえで、おこぼれに預かるしかねえな」
だから宝石に関する契約は、ちゃんとやるから安心しろと言われた。
ほとんど彼女が結んだようなものだが、その契約のおかげで、カルホルモカ山脈で採掘される宝石が高く売れるだろう。そしてフロラン商会の人間が介在することで、山を荒らされることもひとまずない。生み出される利益はそれなりのもので、この契約書があれば、クレーナッツ家の金を無駄に消費し続けた叔父を黙らせることが出来るだろう。
レオンは彼女と別れる際、お互いに見つめあった後で抱擁を交わした時のことを思い出す。体を寄せ合うのは雨の夜を過ごした時以来だ。
「ねえレオンさま、私は何があってもあなたのところへ行くわ。だから、待っててくれなきゃイヤよ」
そう言うシャンティのルビーのような瞳は、爛々と燃えるように輝いていた。
待っていよう。彼女がふたたび、この地に戻るまで。
必ず帰ってくると、そう信じさせてくれる強い何かが、彼女にはある。
彼女の瞳の輝きは、暗闇を照らす灯火のように思えたのだった。